第10話 冒険の旅路
「──さて、本題に入ろうか」
ルナテミスの声色は、先ほどまでの柔らかい調子と違い、澄んだ剣のような硬質さを帯びている。
シャーリアは陽気な笑顔をひそめ、深褐色の指先で黒髪をくるりと巻きながら、身を乗り出した。
グラウスは長い睫毛を伏せ、深い顔の影をさらに濃くして、膝に置いた拳をぎゅっと握る。重厚な円卓の表面に、彼の手甲の金具がカチリと音を立てた。
「言わなくても分かるだろうが──この二人も、今回の旅に同行する」
勇者の言葉が空気を鋭く裂く。
俺は反射的に背筋をのばし、口から言葉がこぼれた。
「……たった四人で、すべての“終焉の穴”を塞ぐってのか? 前回のように、うまくいくとは限らないぞ」
言った瞬間、談話室の奥に飾られた世界地図に視線が吸い寄せられた。
四つの赤い印──東西南北にある終焉の穴の位置を示す印が地図上で血のように点在している。
ルナテミスはゆっくりと首を横に振った。
その仕草はまるで、見えない刃で疑念を断ち切るようだった。
「違う。彼らはそのための人材ではない。彼らは──今回の任務の“援助”だ」
「任務って……?」
俺の問いに、勇者の瞳がこちらを正確に射抜く。
「創造主である、そちならよく知っているはずだ。
かつて“月からの侵略者”が襲ってきたとき、異なる種族でありながら世界の存亡のために呉越同舟を掲げ戦った、
“月蝕に仇す四奏“がいたことを──。
勇者である我に続き、大魔女、救星神、魔王が一度きりの協定を結び、月からの侵略者を迎撃した、あの伝説を」
その瞬間、談話室に流れる空気が重く沈んだ。
壁にかけられた古い月面戦役の絵が、わずかな風に揺れ、紙の擦れる音が耳に届く。
俺はその音にひどく懐かしいものを感じていた。
――あぁ、知っているとも。
俺が描いた漫画 『天魔双極~幻影幻想曲第14番 <Phantom Fable>』において、最高傑作と名高い章のことだな(自称)。
月からの侵略者――と呼ばれる異形が地上を襲い、壊滅状態にあった。
だが、異なる四勢力の代表――勇者、大魔女、救星神、そして魔王が、“たった一度だけ”力を合わせたのだ。
勇者が剣を掲げ、魔王が闇を裂き、大魔女が禁忌の詠唱を唱え、救星神が光を降ろす。
それぞれが信念も理想も違うくせに、世界を守るという一点だけで共鳴し、そして、月の光に抗っていく――。
そんな物語だ。
「……その四奏が、再び集結し世界を救う日が来たというわけだっ!」
ルナテミスがそう高らかに宣言する。
胸の奥に稲妻が走る。
指先がじんわりと熱くなり、目の前の光景が遠くの夢のようにぼやける。
勇者、大魔女、救星神、魔王──あの4人の名前や台詞、ラフなスケッチや消しゴム跡まで、当時の記憶が鮮明に蘇ってくる。
――くぅぅぅううう!
あの四人が今度は、終焉の穴を塞ぐために協力するっていうのか!
創造主である俺からすると、胸熱と言わざるを得ない展開だ! 何か俄然やる気が出てきたぜ!!
シャーリアが背もたれに思い切り身体を預け、長い脚を組み直しながら俺たちを見渡した。
「ねぇグラウスちゃん、想像してみてみゃうよ」
彼女は茶目っ気たっぷりに笑い、指先で机の地図をつんつん突く。
「“黎明の勇者”と“曙光の大魔女”と“暁翼の救星神”に“饒舌な魔王”──その四奏に、創ちゃんまでそろっちゃったら、どんな強敵だろうと楽勝にゃろす!
月蝕だろうが、終焉だろうが、朝飯前にゃあ!」
談話室の天井は大聖堂のように高く、石造りの壁には古い旗と魔術式のレリーフが刻まれている。
窓からはうっすらと月光が差し込み、テーブルに広げられた地図の上で青白く光っていた。その光の中に、シャーリアの褐色の肌が金砂のように輝く。
隣のグラウスは、深い彫りの顔にほんのり赤みを帯びて、鎧の肩当てをぎこちなく直した。
「……ああ、然り」
声は低く、だが確信に満ちていた。彼の胸甲に刻まれた月影の紋章が、ランプの炎でちらちらと揺らめく。
だが、その熱に浮かされるより早く、俺は現実的な疑問が浮かぶ。
「……で、その魔女や女神、魔王は今どこにいる? すぐに呼び戻すことはできないのか?」
シャーリアは笑みを一瞬だけ引っ込め、目線をルナテミスに投げた。
グラウスは小さく息を吸い込み、言葉を選ぶように前へ一歩出る。
「……残念ですが、それは不可能でございます」
騎士長グラウスの低い声が、談話室に沈んだ鐘の音のように響く。
「彼らはそれぞれ、自国を覆う終焉の穴に対して唯一無二の防衛線となっている。
動けば、その国はたちまち飲まれてしまうでしょう。ですから、こちらから出向く以外に道はありません」
俺は思わず眉をひそめた。
「じゃあ、どうするつもりだ?」
ルナテミスが軽く手をたたき、空気を切り替えるように言った。
「順序は決まっている。終焉の進行がまだ浅い国から回る。
各地の問題を解決し、その地で待つ彼らの信頼を得て、ひとりずつ仲間に加えていく。そうして四奏を再結集させる」
その瞬間、談話室に広がっていた青白い光が、地図の上の赤い印を照らした。いくつもの穴の位置、周囲に書き込まれた地名……俺が昔の漫画で雑に描いた“地図”が、いまは緻密な現実の作戦図になっている。
「……でも、なんで“終焉が浅い国”からなんだ? 先に深刻なところを塞いだ方がいいんじゃないのか?」
グラウスが地図の上で指を止め、低く重々しい声で続ける。
「たとえ、最も終焉の進行が深い国に先に赴いたとしても、現時点の愚拙らでは、到底敵わないことでしょう。
進行が深いほど門番というものの力は強大になります。
だからこそ、先に各地の浅い穴を塞ぎ、仲間を集め、戦力を整える。」
俺はその言葉を聞き、地図の赤い印をなぞりながら思わず息を呑む。
(なるほど……ひとりずつ仲間を増やして、最終的に力を揃えてから挑むわけか)
ルナテミスが小さくうなずき、遠くを見るように視線を泳がせる。
「……終焉の穴が最も深刻なのは東の海。魔王がいる場所だ」
俺は思わず声を漏らす。
「……魔王ディアーナ、か」
ルナテミスの表情は硬く、瞳に覚悟の光が宿っていた。
「認めたくはないが、あの者なら我らが到達するまで、難なく持ちこたえるだろう」
俺は地図に目を落とし、口を開いた。
「……じゃあ、俺たちが最初に向かうのは、どこなんだ?」
ルナテミスがゆっくりと指を北の森の辺りに滑らせ、淡く光る赤い印を指し示す。
「北の凍てついた森――『氷結の月影林』だ」
その名を聞いた瞬間、俺の頭の中に記憶が蘇った。
あの森の暖かな静寂、夜空に冴え渡る月光。
そしてそこに密かに生きる妖精やエルフたちのこと――。
◇
『氷結の月影林』――北の極寒に位置し、永世中立を誇る土地。
森の木々は極寒なのにも関わらず生い茂っており、今日も新たな命が芽吹いている。
北極星のように、真上に高く輝く月が見守るこの土地は、その力の恩恵を最も強く受ける場所だった。
そのため、この森では魔術が特に発展し、栄えていた。
だが、終焉の穴の影響は容赦なく、この美しい森もまた、凍てつき、霜で覆われたまま生気を失っている。
元来は妖精やエルフたちが静かに暮らす平穏の森も、終焉によって荒れ果て、妖精やエルフたちは生きたまま凍らされている、らしい。
そしてこの国を統べるのは、大魔女――エリザシュア・ルミナ。
彼女はただの統治者ではない。この地の魔術、自然の調和、そして妖精やエルフたちの平和すべてを司る守護者だ。
◇
ルナテミスは小さく息を吐き、俺に向き直った。
「エリザシュア・ルミナは、北の森の守護者であり、魔術と自然の秩序を維持する存在だ。」
俺は胸の奥でぞくりとした感覚を覚えた。
終焉によって凍てついた森を思い浮かべると、寒さだけでなく、かつての命の輝きが失われてしまった喪失感まで胸に迫る。
元々は永世中立を掲げ、争いや犠牲とは無縁の国だったはずなのに、樹木や土地までもが生命を削がれた。
そこに残るのは、静寂の中でかすかに光る氷の結晶と、凍らされた妖精たちの姿だけだ。
そして彼女は、わずかに目を伏せ、言葉を継ぐ。
「……そして、修一を此方の世界へと召喚する術式を編み出したのも、他ならぬ、あの魔女のおかげだ」
「そうだったのか……てっきり、ルナテミスがやったのかと思っていたけれど」
俺は思わず息を呑む。
あぁ、そういえば
――あの魔女にも、いつか礼を言わんとだな
みたいなことルナテミスが言っていたけれど、そういう意味だったんだな。
俺の心に、その時の光景がふっと蘇る。
すると、横から軽やかな声が割り込んだ。
「そりゃそうですにゃ~。ルナテミス様が魔術なんて複雑なもの、扱えるわけないじゃにゃいですか~!」
シャーリアが尻尾を揺らしながら、わざとらしく両手を振ってみせる。
「なっ……!?」
ルナテミスの顔がみるみる赤く染まった。
そこへ、さらにグラウスが静かなため息を吐く。
「……然り。
ルナテミスの魔術が何度暴走し、どれほどの被害を愚拙らが被ったことか……思い出しただけで背筋が寒くなる」
彼は苦笑とも諦めともつかぬ表情で肩をすくめた。
「おのれ、そちらめ! 好き勝手言いおって!」
ルナテミスは顔を真っ赤にし、机を軽く叩いた。
「ふ、ふんっ! 我は魔術などという狡猾な術に頼るものか! 戦場では、剣こそが真実を語るのだ!」
その声が談話室に響き渡ったあと、静寂が降りた。
数秒の沈黙――やがて、ルナテミスはふっと息を漏らし、肩の力を抜く。
ルナテミスは言葉を続ける。
「さて、話はこれで終わりだ。一刻も早く北の森へ向かうとしよう」
そういってルナテミスは部屋を出ていき、俺もその一歩後ろを離れないよう着いていく。
シャーリアとグラウスもすぐ後ろを歩いている。
シャーリアは相変わらず軽やかに、まるで道すがらの小鳥を愛でるかのように城の装飾に目をやり、笑顔を浮かべる。
対してグラウスは、戦騎士としての風格を漂わせ、手を背に組み、周囲を鋭い目で観察している。二人の対照的な様子に、俺は少し安心したような気もした。
やがて、大広間から続く長い廊下に差し掛かる。石造りの床はやや冷たく、足音が反響する。
天井には魔力を帯びたシャンデリアが吊るされ、淡い光が波のように揺れる。俺はその光に照らされ、無意識に手を握りしめる。
「ここを抜ければ……テラスだな」
ルナテミスの声が低く響き、俺の緊張を引き締める。視線を上げると、廊下の先にかすかに光が見えた。外光だ。
廊下を進む途中、窓際に設けられた小さな休憩スペースや、城の中庭に面した小さな中庭の噴水などが目に入り、過去の栄華を感じさせる。
やがて、廊下の奥に大きな扉が現れた。扉には精緻な彫刻が施され、城下町を見渡せる広間へ通じているらしい。ルナテミスが扉に手をかけると、軽い魔力の干渉でロックが外れ、重厚な扉がゆっくりと開く。
扉の向こうに広がったのは、城下町全体を見渡せる広いテラスだった。
冷たい風が頬をかすめ、終焉の影響が薄れてわずかに息を吹き返した城下町は、瓦屋根の光と影が交錯し、何ともいえない静謐さを漂わせている。俺は視線を巡らせながら、ふと口を開く。
「……で、『氷結の月影林』まで、どうやって行くんだ? まさか徒歩じゃないよな……転移魔術でも使うのか?」
そんなことを考えていると、ルナテミスが静かに手を掲げた。
合図か、と俺が思った瞬間、シャーリアが背後でふわりと光に包まれ、空気がざわめく。
次の瞬間、彼女の姿は鋭い爪と鱗、そして翼を備えた巨大な竜へと変化していた。
俺は思わず後ずさる。
「……え、ちょ、ちょっと待て! なんで竜がここに!?」
シャーリアはあっけらかんと笑い、説明を始める。
「みゃみゃーん! おらだよ、創ちゃん!
実はね、おらには『一度キスをした相手に擬態できる』魔術があるにゃ!」
俺の脳内は完全にパニック状態になった。
――な、なんだって!
……ていうか竜とそんな経験があるのか、シャーリアは……!?
思わず頭を抱える。
「まさか竜になったシャーリアの背中に乗って森まで行くわけじゃないよな……?
いやだぞ、いつ振り下ろされるか分からないし……死ぬかもしれんし……!」
その俺の慌てっぷりをよそに、グラウスもルナテミスも、シャーリア自身も、背筋を伸ばして笑っている。勇者の声が冷静に、しかしどこか優しく響く。
「安心せい、修一。死んだとしても、そちのことは我は、決して忘れぬ」
その言葉を聞いても、俺の心臓は爆発しそうだ。縁起でもないこと、言うんじゃねえ。
だが、もう選択の余地はなかった。
気がつくと、シャーリアの巨大な竜のしっぽに無理やり押し込まれ、背中へと乗せられている。手すりも何もなく、凍てつく風が全身を切り裂く。
竜の背中から見下ろす城下町は小さく、まるでミニチュアのように思える。しかし俺の胸は、恐怖と興奮でひりひりと熱を帯びていた。
「ぎゃあああああ!! ちょ、ちょっと待て!! 振り落とすなーー!!」
竜が翼を広げると、風圧が強まり、俺は思わず叫び声をあげる。
シャーリアの鱗が冷たく背中に触れ、竜の鼓動が伝わってくる。心臓が喉まで飛び出しそうだ。
ルナテミスは平然と俺の隣に立ち、静かに背を押して安定させる。
「さぁ、行くぞ。北の凍光の森へ」
俺は必死で爪を握りしめながら、顔を強張らせて視線を前方に向ける。
空気は冷たく、翼が生む風は鋭く、目の前に広がる地平線は、まるで未知の世界への扉のようだった。
竜が大きく跳ね、羽ばたくたびに体が浮き上がる。俺は心の中で叫ぶ。
(くそっ……でも、行くしかない……仲間と、世界を守るために……!)
そう決意した瞬間、背後でシャーリアの低く響く鳴き声が風を切る。
振り返ると、翼の間からグラウスとルナテミスの顔が見える。
二人もまた、この旅の覚悟を胸に秘め、『氷結の月影林』を見据える。
――俺はそんな姿を見ながら、恐怖と興奮が混ざり合った感覚の中、再び叫ぶ。
「うおおおおおおおおおおおお!! 」
◇ ◇ ◇
凍てついた森の奥、木々は厚い氷の衣をまとい、枝は風に揺れるたびかすかな氷音を立てる。
光はほとんど届かず、白銀の世界が広がる中で、異様な静けさだけが支配していた。
その森の中央、広場のような開けた場所にひときわ目立つ人物が立っていた。
黒いローブに深い紋様が描かれた魔女――エリザシュア・ルミナである。氷の光を受けて、緋色の髪が微かに輝き、瞳は凍った湖面のように冷たく光っていた。
その傍らには、腹を裂かれている状態で氷漬けされた男性の亡骸。
だが、彼の氷の表面をそっとなぞる。氷の冷たさと硬質な輝きを、まるで宝石のように慈しむ仕草に、森の空気はさらに重く張り詰めた。
エリザシュア・ルミナはゆっくりと手を広げ、凍てついた風に髪を靡かせながら、まるで舞踏会のように優雅に立つ。
声を発したとき、まるで氷の間から響く音のように澄んでいた。
「ふふ……そろそろ、創造主様がこちらへおいでになるでしょうね」
その口調は冷たく、しかし上品で、まるで茶会の席で微笑みながら話すような優雅さを伴っていた。
だが、その微笑みの奥には、殺意が澄み切った水晶のように輝いて潜んでいる。
「さぁ……いつでもおいでなさってくださいませ」
言葉の一つひとつに氷のような凛とした響きがあり、森全体がその声に耳を傾けているかのようだった。
「――すぐにでもこの世のすべての温もりを、わてちしが奪い去ってさしあげますから」
最後の言葉を告げると、リズムを崩さぬまま、エリザシュア・ルミナは再び静かに立ち、凍りついた大地の上で待ち構える。
森の奥深く、凍りついた枝々の影が揺れ、氷の世界に微かに不気味な反響を生んでいる。
創造主である田島修一が、どのようにしてここにたどり着くか。森はその答えをじっと見守るかのように、凍りついた静寂の中で息を潜めていた。




