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8 アンリエッタ・リーゲンイリス

「ずいぶんな商売をしているのね」


 紫髪の女性が、店主に金貨を渡そうとした瞬間に話しかけた。二人の視線がこちらに向いてくる。


「これ以上負けたら赤字、だったわね。いくら何でも吹っ掛けすぎじゃないかしら?」

「なっ、言いがかりはよせ。商売の邪魔だ!」


 店主は、女性が差し出していた金貨をひったくるように奪い取った。対する女性は、呆然としているように見える。しかしそれはほんの一瞬で、彼女はつりがちの目元をキッと鋭くさせると、私に向き直った。


「そちらの方、今のお話、詳しくお聞かせくださる?」

「え? ええ、相場なら、銀貨一枚でもお釣りが来るそうよ。要するに、ぼったくられたということね」


 女性は私の言葉を聞き、大きく息を吐いた。にこりと笑顔を作り、店主に言う。


「過ちは誰にでもあるもの。貴方を問いただすつもりはございませんわ。さあ、お釣りを渡してくださるかしら」

「金貨一枚、これ以上はナシだ!あんたに渡す釣りはねえよ」


 店主は白を切り通すつもりのようだ。まったく呆れた根性である。いったいどうするのかと女性の顔を覗き込めば、その額に青筋が浮かんでいた。


「そう、そうですの……。それは、残念ですわ」

「分かったならさっさと──」


 女性がふいに右腕を高く掲げた。指先にぼんやりと淡い光が集まりだす。驚いて固まる私のそばにスズハネが駆け寄ってくると、さっと腕を取られて彼の背後に隠される。


「夜な夜な枕を濡らして後悔なさい!このアンリエッタ・リーゲンイリスを欺こうなどとした、己の愚かさを!!」


(リーゲンイリス、ですって?)


 彼女の名乗りに驚いたのも束の間、淡かった光は、閃光ともいうべき眩さを放った。そしてその光が消えたころ、アンリエッタの手には銀色に輝くじょうろが握られていた。


「な、なんだそりゃ。驚かせやがって」

「貴方のような庶民に、分からないのは無理もないこと。でもすぐに思い知らせて差し上げますわ」


 アンリエッタはそう言うと、手にしたじょうろを傾ける。キラキラと輝く水が、酒場の床を濡らしていった。そのあまりにも地味な光景に、見物していた客たちは興味を失い引いていく。それでもアンリエッタは、床板に水を撒くのをやめなかった。店主すらも彼女の奇行を見飽きて店の裏に戻ろうとしたとき、バキッと何かが割れる音がした。


「嘘、でしょ」


 ただの床だったはずのそこには、小さな若木が生えていた。その若木は、みるみるうちに成長していく。一瞬のうちにアンリエッタの背丈を追い越した。


「な、なんだ!?いったい何しやがった!!」


 裏に戻ろうとしていた店主が慌てた口調で問い詰める。それにアンリエッタは高笑いで答えた。


「オーッホッホッホ!このまま天井まで突き破って差し上げますわ!!」

「た、頼む!頼むからもうやめてくれ!」


 若木は水を注がれれば注がれるほど成長していく。そろそろ天井にも届きそうになり、もう大木といって差し支えない様相だった。私とスズハネは、それを唖然と見つめている。それは周りの客たちも同じだった。


「金なら返すよ!宿代は取らない、だからやめてくれ!」

「あら、そうですの?」


 店主が金を返すと言った途端、アンリエッタは驚くほどあっさり水を撒くのをやめた。店主から金貨を返され、満足そうに笑う。


「そ、それで……この木はどうやったら消えるんだ?」

「わたくしに聞かれても。木こりでも呼んでいらしたらいかが?」


 アンリエッタが手を離せば、じょうろは光の粒となって消えてしまった。呆然とする店主に、彼女は「それでは、ごきげんよう」と手を振った。言葉通りご機嫌そうに。


「貴方のおかげで助かりました、お礼を申し上げますわ」


 スズハネの背後に居た私のもとへと歩み寄ると、アンリエッタは右手を差し出してきた。その手を握りながら、彼女を見つめる。つりがちの眉と目は勝気な印象を与え、少し長い髪はハーフアップにされている。貴族らしい風格の溢れる女性だった。


「貴方さっき、リーゲンイリスと名乗ったわよね?」


 私の問いかけに、アンリエッタは目を輝かせた。胸をのけぞらせ、顎をくいと上げて、それはもう尊大な様子だ。


「ええ、そうですとも!わたくしこそが、四大貴族の一つにして、世界樹の守護者たるリーゲンイリス家が嫡女。貴族の中の貴族、アンリエッタ・リーゲンイリスですわ!!!」


 それはもう声高々に宣言するので、酒場中の視線がこちらに集まっていた。スズハネは軽く頭を抱えている。


「そ、そう。ということは先ほどの技は……」

「何を隠そう、あれこそが我がリーゲンイリス家の神器──」

「待て、とりあえずそこまでだ」


 スズハネはアンリエッタを遮ると、私たち二人を店の外に出るように促す。


「わたくしの言葉を遮るなんて、無礼ではありませんこと?」

「無礼で悪かったな。だが、あれだけの騒ぎを起こしたんだ、あまりここらに長居しない方がいい。話なら移動してからだ」


 なるほど最もな言い分であったが、アンリエッタは当然のように首を振った。


「申し訳ありませんけれど、そういうことならここで解散ですわ。わたくし大切な用がございますので」

「大切な用?」

「ええ、貴方には借りがありますし、教えて差し上げますわ。ご存知ないでしょうけれど、この下層部には、少し変わったお店がありますの。地下に隠れた秘密の店で、店員はバーテンダー一人だけ。そこで依頼をすれば、どんな無理難題でもたちまち解決してくださるとか」

「…………」


 私とスズハネの間に沈黙が流れる。なんだかすごく聞き覚えのある話だったからだ。


「わたくしはその店に赴くため、こうしてはるばる下層部に足を運んできたのですわ。知る人ぞ知る情報ですから、貴方たちもあまり口外しないようになさって」

「あー……アンタがその変わった店とやらに向かってるのは分かったんだが、なんだってあんなところに一泊してたんだ?」


 私の予想が確かなら、その変わった店──私が居候している店は、ここから目の鼻の先にある。どうして目的地を目の前にしてわざわざ一泊したのか、確かにそれは疑問だった。


「そんなの、件の店が見つからないからに決まってますわ」

「見つからないって、アンタにそこを紹介した奴がいるんだろ?聞かなかったのか」

「当然聞きましたわよ!でもあの男、『全部教えたらつまらない』だとか『探すのも醍醐味』だとかふざけたことばかり……!」


 アンリエッタがそれはもう忌々し気に呟く。私はつい苦笑いしてしまった。


「どうするの、スズハネ?案内した方がいいのかしら」

「そうだな……この女が紹介を受けた客なら隠すことでもないし、連れて行ってカミルに投げるか。客としてふさわしくないと判断すれば、アイツが上手く追い返す」


 小声でやり取りを交わす私たちに、アンリエッタは訝し気な顔をする。


「何ですの?さっきから二人でコソコソと」

「こっちの話だ。アンタ、要するに迷子だろ?俺たちが連れて行ってやる」

「迷子だなんて失礼な──って、今貴方、連れて行くと仰いました?まさかあの店の場所をご存じですの!?」

「ああ、自力で探すっていうなら止めないが」

「まさか!三日は彷徨い歩いたんですのよ!!ついて行くに決まっていますわ!」

「三日も?ずいぶん苦労したのね……」


 まさかそんなに難航していたとは思わず、つい同情してしまう。喜びで高笑いを上げるアンリエッタを連れ、私たちは目的地に繋がる裏路地へと入っていった。

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