第6話 最悪の男ラニ
ラニ視点
「やーいやーい、お前の母ちゃんサイボーグ」
大勢の男の子に囲まれて泣いている男の子がいる。あれ、これは誰の過去だっけ?
あの顔は――そうか、これはミキトの過去だ。ミキトは過去に母親がサイボーグであることを理由にいじめられていた。今でもサイボーグ差別は根強く残っているらしい。
僕はラニ。過去を見ることが出来る目を持っている。
時々、自分の過去を回想しようとすると、他人の過去が映ってしまうことがある。先天的に「過去視」を持っていることが原因なのは明白だった。
この過去視の力は、記憶を見るわけではなく、過去の事実のみを見ることができるというのが特徴だ。だから、本人が記憶していないことでも、見ることができる。
過去ならいつでも良いというわけではない。ある程度の時が過ぎて過去になったもので、対象の物体の運命が変わるような大きな出来事があった時の映像が映し出されるようだ。原理は僕にもわからないのだが。
それから、物体に限らず、人間の過去も見ることができる。最近は僕の能力も次第に安定してきて、ある程度時期を指定して、その時期に起きたその人や物にとっての大きな事件を見ることができる。
たとえば、この世界の辿ってきた歴史なんていうのも、いつでも見ることができるのだ。
信じてもらうために長々と説明してみせようか。
★
この星が温暖化してしまったことで、北極や南極の氷が溶けてしまった。
特に北極にあった水の量は、予想よりも遥かに多かった。
まるで、火山が噴火するように、熱水が噴出した。
今まで氷で蓋をされていたかのようだった。
そして大洪水。次々と水に沈んでいく島々。海面は上昇を続け、星の九十五パーセント以上が、水に沈んでしまった。未だに海面上昇は続いており、もうすぐこの星は、まさに水の惑星になるだろう。
星を捨てるか、このまま星に残るか。人類は決断しなければならなかった。
そんな時、パンゲアを造るという計画が立ち上がったのだ。
その名こそ――P計画。
つまりプロジェクトパンゲア。
人類にとって最大の財産である文化財的な建物や、膨大な量の書物等を全て失ってしまうことになる計画だった。
しかし、人類が生き残ること以上に重要なことがあるはずはない。
計画は進む。
目的は、パンゲアを造り、人が住める陸地を確保すること。所謂超能力と、人類が築いてきた科学文明の双方を使ってパンゲアを造ろうとした。まさに人類の総力を結集したプロジェクトだった。
しかし、計画が開始されて何十年かが過ぎても、パンゲアは一割も完成しなかった。超能力や、機械文明の全てを注ぎ込んでも、何百年もかかる計画だ。当然である。だが、地上の人類は、ようやく団結しているように見えた。
海底から土を掘り上げる機械が僅かに残った陸地にずらりと並ぶ。
ほぼ全ての大人が「P計画」と聞いて同じものを思い浮かべた。まるで計画が、人を支配しているようだった。その何百年かかるかわからない計画のために、人は、全てを懸けていた。
もちろん超能力を使って動かす機械が安定するはずもない。死者の出る事故も多かった。それでも計画は止まらない。
全ての人間は、P計画のために生きている。そんな時代になった。
そして、そのまま現在に至るわけだ。
★
能力を切って、目を開くと自習中の教室だった。
年齢も十八になった今では、自分の記憶というものは安定しているのだが、昔は色んな人間の過去の風景が望まなくても流れ込んで来たものだから、「自分」という存在がどういう存在なのか、理解するのに大変苦労した。
そのためか、それが理由ではないのかはわからないが、他人に言わせれば、僕は歪んでいるらしい。そんな自覚はないのだが……。
「リン、ファファ。何度も言うように、ラニはロリコンだから近付いちゃダメよ」
隣の席に座る学級委員長のソフィアにまでこんなことを言われる始末。ああ、そうだとも。ロリコンだとも。だが僕は、ロリコンであることに誇りを持っている!
ちなみに、この時間は本来、バルザック先生による数学の授業なのだが急に自習になったので、選抜学級の皆は、教室で各々自由に過ごしている。
勉強している人間なんて、ジュヒぐらいしかいない。ハサンはサボり、ルネは相変わらず居眠り。ミキトも寝に入ってしまっていて、サヨンとキリが読書。ユーナは爪を研いだり化粧をしたりしていて、デヴはマリアに話しかけ続けていた。そして残りの四人。僕とリン、ファファ、ソフィアがこうして雑談をしている。
「ロリコンって何?」
リンがソフィアに訊いた。
「ロリコンは病気よ。幼い女の子にしか興味がなくなってしまうというとても恐ろしい病なの」
待ってくれ。病気ではない。立派な性癖だ。
「でも、近付いちゃダメって言っても、ラニの席真後ろなんだけど」とファファ。
「僕もラニの斜め前だよ」リン。
席は特に決められていないが、毎日通う狭い教室だ。それぞれ自分の席を決めて座っている。教卓に向かって左側に窓があり、右側は廊下側になっていた。ハサンが廊下側の席に座ることだけは、先生の指示で決められていた。きっと、窓際に置いておいたら飛んでいってしまうと思われているのだろう。
と、そういえば、さっきからハサンの姿が見えないが、どうせ抜け出して空でも飛んでいるに違いない。不良だ。
最前列は左側から、デヴ、リン、ファファ。
二列目の左側から、マリア、ソフィア、ラニ、サヨン。
三列目の左側から、キリ、ジュヒ、ミキト、ハサン。
最後列の左側から、ルネ、ユーナ。
窓側が人気で、全体的に窓側に寄っている。
とはいっても、僕にとっては窓よりも重要なことがある。ファファとリンだ。ファファとリンが近くにいるので、僕の席は、ベストポジションだと言えた。
「変なことされたら、絶対叫んで助けを呼ぶのよ?」
というソフィアに、「はーい」と二人分の揃った良い返事。
さすがに頭ごなしの酷い言われようなので少しばかり言い返したくなった。僕は、ソフィアの過去というのも何回も見たことがあるから、それで反撃することにする。
「ソフィアだって、年下好きのくせに」
「なっ……」
「昔サヨンと、キ――」
「わー! わー! 何言い出すの! ていうか、そんなはるか昔の事! まさか私の過去覗いたの? 最っ低!」
面白い。あのいつも冷静なソフィアが慌てている。
まぁ、こういうことを言うから、歪んでいるなどと言われるのかもしれないな。
「ラニ……あなたねぇ……他人の過去覗くのやめなさい」
「先に散々僕の事を貶めておいてよく言うよ」
「だって、事実じゃないの」
そう、ソフィアの言った事は確かに事実だ。僕はロリコンだ。それはいい。しかし、僕が簡単にリンやファファを襲うと思われているのが心外なのだ。
「僕は確かにロリコンだ! しかし! ロリな娘には決して手を出さないと決めている。彼女たちはか弱い。それを遠くからさりげなく守ってやるのが僕の役目だ! 繰り返す。決して手は出さない。なぜなら僕はロリコンだからだ」
シーンとした。教室中が水を打ったように静まり返った。
ふ……僕の名台詞に言葉も出ないようだ。
「ラニ……気持ち悪い」
可憐なファファにそんなことを言われた!
だが、むしろもっと罵ってくれても良い。それはそれで最高だ!
さて、そんなファファの過去を覗いてみることにする。思えば、他のクラスメイトの過去を覗いたことはあったが、ファファの過去だけは今まで覗いた事がなかったな。
まぁ、メインディッシュとしてとっておいた……といったところか。
眠るフリをして机に伏して目を瞑り、ゆっくりと暗転した視界は、すぐに明るくなって、また薄暗くなった。ファファの過去が映し出される。
★
そこは、病院のような場所だった。多くの管に繋がれたファファがいる。年齢は、五歳ほどだろうか。今より更に幼い。
目を開いたファファは、目の前にいた白衣の研究員を、気付かれないように背後から、どこからか取り出した二メートルはあろうかという巨大な青龍刀で斬りつけた。
血が噴出して、死んだ。
反り返った刃から血が滴る。磨かれた床に赤い水玉が落ちて、跳ねた。
ファファの目は、今からは想像できないほどに濁っていた。予想外の過去。あの可愛いファファのことだ、もっと平和で、幸せで、ふわふわした過去があると思ったんだ。
なのに……こんな……何で……。
ファファは、更にその青龍刀で白衣の人々を次々と切りつけ、時には念動力で吹き飛ばし、鍵の掛かった分厚い扉をも切り裂き、進んでいく。魔法のように手から次々と巨大な青龍刀が現れ、消え、また現れ、爆発するようなものを破壊したのだろうか、爆炎を上げたりもしている。
走って走って、息を切らしながら、何度も背後を振り返りながら走って、見事ファファはその研究施設らしき場所からの脱出を成功させると、薄暗い路地裏にまで逃げ、青龍刀を破片にまで分解した。
破片が地に落ちる。そしてその場に倒れた。破片が彼女の左腕に刺さって血が出た。
ファファの居た研究施設があったのは大きな街だった。街の路地裏で、血だらけで倒れている少女を拾ったのは、一人の老人。現在の超能力学校副校長ハウエル先生だった。
☆
僕が目を開くと、現代に戻った。目の前には、ファファの小さな背中。その左隣にいるリンと楽しそうにお喋りをしている。僕は、今見たファファの過去の光景が信じられなかった。僕の過去視は、とても正確だから、偽りの記録を垣間見るなんてことは、無いはずで、だから……だったら……あれは、本当の、ファファの、過去なのか?
クラクラする視界。
頭を冷やそう、と思い、席を立ち上がる。
「……ラニ? 何処に行くの?」
隣の席のソフィアが僕に訊いた。
「ああ、ちょっと、トイレ行って来る」
自分でもわかるほどフラフラしながら、トイレに向かって歩く僕。
蒸し暑い廊下に出て、しばらくゆっくりと歩いた後、その背後から、とても冷たく、幼い声が聴こえた。
「ラニ」
その声は、僕を呼んでいた。
「ラニ」
返事をしなかったからか、もう一度僕を呼んだ。
ファファが話しかけてきたのだ。
ついさっきあんな過去を覗いてしまったので顔を合わせづらい。
「……な、何?」
振り返りながら、恐る恐る訊くと、
「覗いたよね、あたしの記憶」
あっさりと、恐れていた言葉が返ってきてしまった。
「ファファ……? いや、えっと……」
「覗いたよね? わかるよ? あたしには、わかるんだよ?」
どうする?
嘘を吐くか?
覗いてないと言い張るか?
あれこれと考えているうちに、何を答えても不自然になる気がして、無言になるしかなかった。
「過去を覗く目ね、そんな目、潰してやりたいわ」
不意に、目の前に、つい先程見た過去の光景でファファが持っていた青龍刀の刃が光った。
ファファが……僕に刃を向けていた。
学校に刃物はどうやっても持ち込めないはずだ。ましてこんな凶悪な武器は……。
落ち着け……こわがったら、負けだ。
歯を食いしばって悲鳴を何とか抑え込み、ゆっくりとファファに話しかける。冷静に。少しでも冷静に。
「そんな刃物、どこから……学校には持ち込めないはずじゃ……」
ちょっと、声が震えてしまった。
「私の過去を知ってるなら、わかるでしょう?」
そうか……ファファの能力。何も無い所から原子を作り出す能力があるってことは、その能力を研究するために、実験されていたってことか……。
そして逃げ出して、この学校に逃げ込んだ。もしも、その能力があることを知られれば、またあの何かを研究していた連中のところへ戻されてしまう可能性があるのかもしれない。
「そうだよ。私は、何も無い場所から想像で創造できるの。思い浮かべたイメージがそのまま形となって掌の上に現れる。で、ラニの目さ、もう、いらないかな?」
ぐい、と青龍刀をさらに突き出す。後ずさる。背中に何かが当たった。壁だった。壁が妙に冷たい。だが背筋が凍るような寒気がするのは壁のせいではないだろう。目の前の女の子が、僕に恐怖を与えている。
「い……やめてくれ。そんな……」
ファファは無言。口を真一文字に結んでいる。
向けられた刃が、また光る。
嫌な汗が、滝のように流れ出す。
こわい……。
目の前の少女が、こわい。
濁った目で、僕を見る目が、とてもとてもこわい。殺されると思った。
「――えへっ!」
急に弾けたように笑い出したファファ。
「えっ」
「なーんてね、冗談だよ冗談」
ファファはそう言って、手に持っていた青龍刀を原子レベルで分解した。青龍刀はそれまでそこにあったのが嘘のように霧散した。
「は、ははは……はぁ……なんだよ……ファファ、脅かすなよ」
安堵の溜息を吐く僕。ファファも「あはは」と笑っていた。
「でもね、次やったら、本当にそんな目、いらないよね」
ファファは笑顔を崩さずそう言って、くるっとUターンすると、いつものように廊下を駆け足。
――こわかった。
悪いことはするもんじゃないな、と思った。
「あと、リンに何かしたら、殺すから」
「はいっ!」
即答する。
振り返りながら僕に向けたファファの張り付いたような笑顔が、とてもとてもこわかった。
僕はラニ。過去を見ることができる。出席番号は、八番目だ。