第36話 不思議物質 ソフィア視点
ソフィア視点
ミキトが扉を開けて、ハサンと共に緑色の光の中に消えていった。
その緑色の光の眩しさに、思わず目を閉じてしまった。
「何、今の光……」私は、そう言って、もう一度扉を眺めた。
扉は閉まっている。
数秒経った。しかしミキトもハサンも戻って来ない。
どういうこと?
もしかして、ハサンが言うように、あの緑色の光に命を奪われたりしてしまったの?
「ハサン!」
隣にいたマリアが叫び、扉に向かって駆け出した。
私は反射的に、その腕を掴んでしまった。マリアの走る勢いに体を持っていかれそうになる。数歩歩いたところで踏ん張った。
「何よ! ソフィア! 放して!」
「待って、マリア。私も、一緒に行くわ……」
「あ……うん…………」マリアは頷き、扉の方を見た。
そして歩き出す。
私は、マリアよりも前を歩いて、ミキトがそうしたように、ドアノブをくるりと回し、扉を開く。
目の前は緑色に包まれた。
扉が軽い音を立てて閉じて、目が慣れると、緑色の光の中に立ち尽くすミキトとハサンがいた。部屋の中は、妙に暖かかった。緑色の光のおかげだろうか。
「よかった、二人とも……無事で……」とソフィア。
「あ……ああ……ソフィア……マリアも……」
ミキトが、眠そうな声でそんなことを言った。この緑色の光は一体何?
未だ、まぶしかった。もう一段階、目が慣れたところで、その発光する緑色の物体を見ると、それはタマゴのような形をしていて、大きさは、成人の人間が一人入れるほどの大きさだった。
「何……この光……」横からユーナの声がした。
「ハサンー。ミキトー。マリアー。ソフィアー。無事かー?」サヨンの声。
ユーナとサヨンの二人も、部屋に入ってきたようだ。
「ええ、全員無事よー!」
私は、必要以上の大声で、すぐ近くにいるサヨンに返事をした。
「よかった……皆生きてる……」これはファファの声。
どうやら、全員この部屋に来てしまったらしい。
もう一度、その不思議な物体に目を向ける。それは、先刻と全く同じようにそこに佇んでいた。
この物体は一体何? その疑問に答えられる人間が、私達の中にいるだろうか? いるとしたら……。
「ラニ!」と私は過去視の力を持つ変態を呼んだ。
「え? 何? ソフィア」
「緑色の物体、見える?」
「何だそれ? この光のことか?」
まだ目が慣れていないようだった。
「サヨンは見える? この緑色の光を発しているモノ」と私。
「ああ。見える」サヨンは答えた。
「中身……千里眼で透視できる?」
「やってみる…………」
しかし、
「中身とか……無いみたいだ。この緑の何かがギッシリ詰まっていて、高圧縮高密度で、少しの隙も無い」
よくわからないようだった。
「そう……ラニ、目は慣れた」
私は再びラニに話しかけた。
「ああ。タマゴみたいな形したのだよな」
「ええ。その物体の、過去を、見ることはできる?」
「試してみる」
ラニは、目を瞑り、過去視を試みる。
「………………」
ラニの過去視は、少し時間が掛かる。
過去視が終わるまでの間に、この不思議な物体について考えてみることにする。
まず、この物質がこの場所に置かれている理由だ。ここは、地下洞窟の最深部と言ってもいい。そもそも花壇に隠されたこの階段。あの雑草だらけの花壇を管理しているのは、ワンダ先生だ。それ以前はハウエル先生が管理していた。ワンダ先生が花壇を管理し始めたのが一昨年。
全ての変化は、一昨年という時期に集中しているように思う。一昨年は、ワンダ先生が選抜学級に関わるようになった年。つまり、ワンダ先生が黒幕ということ?
黒幕?
何の黒幕だろう?
『P計画』を隠れ蓑に何か別の大変な計画が動いている?
それは考えすぎだろうか?
ただ、マリアがハウエル先生と進めていた『M計画』なんてものがあったことを考えると、ありえない話じゃない。
不思議な物体をこの場所に置く意味は何?
この物体の役割は何?
この超能力学校のある島は、『P計画』のために絶対に沈まないと言われている。よくよく考えてみればおかしな話だ。海水の水位は上がり続けているのに、「絶対」と言い切れるほど、海から高い場所にあるとは言えない。しかし、海岸に行っても海面上昇を感じさせない風景を見ることが出来る。
つまり、この巨大な島は、実は浮島で、土を固めて水に浮くだけの浮力を持たせているのが、この物体なのだろうか。それも考えすぎだろうか?
いずれにせよ、本当に、この学校の秘密や謎に迫る物体であることには間違いなさそうだ。
「ソフィア……」とラニの声。過去視が終わったようだ。
「ラニ。何かわかった?」
「この場所に、ハウエル先生とワンダ先生が出入りしていることはわかった。そういう映像が見えたけど、でも、それくらいしか……」
「そう、それで十分だわ。この場所が……本当にこの学校の秘密を握っているってことね……どうやら私達は、見てはいけないものを見てしまったようだわ……」
もう一度その不思議な物体を見る。
不思議な物体にフラフラと歩み寄る影が見えた。その緑色の石のようなものに触ろうとしているようだった。
「リン! ダメ!」
私は叫ぶ。どうしてだろう。触ってはいけない気がした。
しかし、声はリンの耳には届いていないらしく、ふらつきながら、物体が置いてある台に左手を置き、触れようと、右手を伸ばした。
私は、冷静に念動力を発動させて、リンを引き剥がそうとしたが、何故かリンは引かない。念動力を念動力で相殺し、少しずつ、その不思議物質に手を近づけていく。
「誰か! リンを止めて!」
私がそう叫んだ時、一つの大きな影が、リンをその物体から引き剥がした。
安堵した。と同時に、焦りのような感情が生まれた。
その影の正体が、バルザック先生だったからだ。
かつて大きな戦争があった時、前線を踏み荒らした小隊のその先陣、最前線の中の最前線で戦っていた男で、ここに招待なんてしていないのに何故か現れてしまった。
急に、フッと暗くなる。緑色の光を放っていた物体は、誰かが掛けた布のようなものに覆われ、光は遮断された。その布を掛けた誰か、とは……ワンダ先生だった。
暗くなった世界に目が慣れた頃には、私達十三人の前に二人の先生が腕組をして立っていた。
「あ……あの……」
私は必死に言い訳をさがしながら言葉を紡ごうとしたのだけれど、
「まず、ソフィア。言い訳はいらないわ」
ワンダ先生にあっさり看破されて、いらないと言われた。
「ソフィア、正直に答えてね。まず最初に質問だけど、どうしてこの場所に来たの?」
そう言ったワンダ先生は、真っ直ぐ私を見据えていた。
「それについては、ハサンが……」
「ハサン」ワンダ先生はハサンの方を向いた。
「はい!」
「いつ、この場所の存在を知ったの?」
「ええと、二十日くらい前の……昼休みに、リンと一緒に飛んでる時に、花壇のところに穴が開いているのが見えて……」
「……やっぱりその日か。その日はちょうど一般生徒が善意で勝手に草むしりを始めて……」
ワンダ先生は片手で頭をおさえて、反省した様子で、
「ああ……雑草だらけにしてしまっていた私のミスだわ」
「あの、先生」とマリア。「こんなことを言うのは、いけないのかもしれないですけど……この学校の秘密を、教えて欲しいんです」
ワンダ先生はフゥと溜息を吐いて、
「いいわ……」
そしてワンダ先生は語り出す。
「この緑色の石は、二年前にこの場所に運ばれてきた。目的は、超能力者の力を増幅させるため。この石は、超能力的な力を目覚めさせたり、増幅させたりする力を持っている。近くにあるだけで、共鳴するように超能力者の力が上がる。特殊な超能力が覚醒する確率も高くなる。
だから、この石を学校の地下に置くことで、計画に必要な能力を育てることができると考えた。成果はすぐにあって、特殊な超能力を持つ生徒は急増したわ。
もちろんこれは、校長先生は絡んでいなくて、ハウエル先生の独断で秘密裏に進められた計画なの。だから生徒にも知られるわけにはいかなかった。
都合の良いことに、地下には過去の研究所や教会があって、石を隠すには好都合だった。それでもここを見つけてしまうんだから、さすが私達が選んだ生徒達ね……教会で引き返す人ばかりなのに……」
ワンダ先生は、私達十三人の顔を見渡して、更に続けた。
「この不思議な石の正体は、『願いの力』を封入したものだと伝えられたりしているけれど、実のところ、わかっていないわ。きっとこの先もわかることは無いでしょうね……。この石は人や生物の肌に触れると、その触れた生物の身体の中に取り込まれ、不思議な力を宿すことができる。
私の過去視も、この石の欠片のおかげで手に入れたし、もともと持ってた催眠能力の精度や威力も飛躍的に上がった。人間の努力というものを嘲笑うかのような存在よね……。
でも、良い事ばかりでは決してなくて、石を身体の中に取り込み過ぎると、目や髪が鮮やかな緑色になったり、運が悪いと昏睡状態になって二度と目覚めない、なんてこともある。
さっきのリンは、危なかったわねたぶん触れてたら……もうずっと目覚めない身体になってたわ」
「じゃあ、ルネは――」
キリがはっきりした声でそう言ったが、言いかけた言葉は遮られた。
「ううん。ルネが眠っているのは、この石のせいじゃない。ルネ自身の意思の所為」
「そう、ですか……」
「百パーセントの保証は出来ないけど、この不思議な石をルネに与えれば目覚める可能性はあるわ。でも、その逆の可能性もある……それから、瀕死の人を助ける力はあっても、死んでしまった者には石は反応しないから、扱いには注意が必要なの……。
それと、ソフィアの考えている通り、この石は万能物質で、実はこの島が浮島で、その浮力を生み出しているのも、この場所の他にいくつか存在する不思議な石のおかげ。
だから、この石が消滅したら、島ごと沈むでしょうね。選抜学級の皆には、一度ここに来てもらう予定ではあったから、このことを知られても問題は無いんだけど……時期が少し早すぎるから計画がずれてしまうわね……」
「計画……?」
「P計画を、一気に終わらせる計画よ。あなた達十三人はその為に選抜されたのよ。私とハウエル先生で何十通りかのパンゲアを作る道筋を考えてきた。マリアの『M計画』は、私も知らなかったけど……。あ、道筋っていうのは、たとえば、リンも見たわよね……私が図書室で落としてしまったファファのことが書かれた黒いファイル……」
「あ、うん……」リンは頷く。
「あのファイルに書いてあったと思うけど……ファファの能力を増幅させることで大陸そのものを作り出す……。無から物質を創り出すことができるということは、大陸や島を創り出すこともできると考えた。そのためには、ファファの能力の正体を知ることから始めなくてはならない。もしもファファの能力によって創り出されたものが、ファファが死んでしまって消えるとしたら、ファファの能力に頼り切った時、同時に世界も終わってしまうと言える。
ファファの能力を研究する必要があった。しかし、研究なんてしようものなら、暴走は必至。だからファファの能力についての実験は凍結してきた。ファファが実際に暴走してしまった時、大陸を生み出すだけのエネルギーを持っていることは確実となり、『F計画』と呼べるような計画が生まれているのが、現在の状況。
『F計画』は、その危険性から考えて、実現は何年も後のこと。そしてファファの能力の研究についても、しばらくは行われることはないわ」
「なにそれ……それってつまり、いずれファファは実験の対象になるってことじゃない!」
とデヴが憤りをあらわにした。
ファファは黙っている。
「デヴ」とワンダが優しく呼びかける。「もちろん、ファファを使った計画は最終手段よ。他に道が無くなった時の保険のようなものなの。この星に、いきなりそのような巨大な物体を生み出すことは、危険なの。だから、『F計画』はファファがやりたいと言い出さない限り……」
「――私、やるよ」
ファファは力強く言った。
「ファファ? 嘘……でしょう……?」とデヴ。
「もちろん、今は嫌だよ。実験なんてされたくない。だけど、この学校を卒業した後なら、どれだけ実験されても、研究されてもいいよ」
「何で、何でそんな……こと……実験されるなんて辛いよ……? 苦しいよ……?」
デヴが、ある意味で暴走しているように見えるファファを止めようとする。
「ねえ、デヴ姉……私、今まで自分の能力が、この大洪水の世界を救えるなんて、考えた事なかった。でも、一つの可能性として、私の命が奪われないで、多くの命を救う方法があるって言われたら、飛びついちゃうよ……。私だって、皆が幸せになれる世界を望んでいるんだから……」
「ファファのバカ! そんなところはマリア姉さまの真似しなくて良いのよ! ファファが辛い思いをするのが、私は嫌なのよ」
「デヴ姉、ありがとう……その気持ちだけで十分だよ……」
「ファファ……」デヴはまだ納得がいかない様子で、悲しそうだった。
ワンダ先生は、なおも続ける。
「ファファ。ありがとう……ハウエル先生にも伝えておくわ」
「でも、ワンダ。一つだけいいかな? 計画の名前なんだけど、『F計画』じゃなくて、『H計画』にしてほしいな。私の名前、アルファベットだと『HUAHUA』だから。お父さんとお母さんがつけてくれた、大事な名前だから」
ワンダ先生は深く頷いて、また続ける。
「次にリンについて……」
「え? 僕?」
リンが驚いた顔をしてワンダ先生を見た。
「ええ、リンの能力は瞬時に移動する、瞬間移動の力。リンがその力を身に付ければ、この星ではない、どこか別の住みやすい環境の星に行くことが可能かも……」
と、そこでリンがワンダ先生の言葉を遮る。
「ワンダ先生。僕は違うよ。僕が持ってるのは、瞬間移動じゃなくて、時間を止める能力なんだ」
「え?」
驚いた。いくら超能力とはいえ、そんなことが可能なの?
「時間を止める……? そんな、いえ……過去視未来視があるのなら……存在するのかもしれない……でも瞬間移動ではない……とすると、『R計画』は無理……か……」
ワンダ先生はそんな風に呟き、もう一度私達十三人を見渡すと、右手を一度天井に向かって伸ばし、何かを掴み取るように握りこむと、その拳を胸の前まで降ろして止めた。何かの儀式だろうか。それとも超能力を発動させるために必要な動きだろうか。
私の耳に、キリの「催眠の準備だ」という小さな呟きがきこえてきた。それで私は身構えた。
「あなた達十三人によって、短期間でパンゲアを作る計画。それに関する全ての計画を総称して、プロジェクトパンドーラーと呼ばれているわ!」
ビシッと私を指差して、力強く言い放ったワンダ先生。
「プロジェクト……パンドーラー……?」
思わず呟いてしまう私。
「そうよソフィア。希望の名を冠した大計画。たった十三人が世界を変えるのよ」
皆、黙ってしまっていた。ここは、最年長で、学級委員でもある私が、皆の気持ちを代弁しなくてはならないのかもしれない。でも、どうすればいいんだろう……。こういう異常な状況になった時の対応の仕方を、私は知らない。
「あの、ワンダ先生……それで、私たちは何をすればいいんですか……?」
委員長としては最大限に情けない言葉が出た。大事な場面でなんて体たらくだ。今まで委員長を名乗っていた自分が恥ずかしくなるほど情けない言葉だ。
「先生、一つ質問していいですか?」と、キリ。
「何? キリ」
「先生は、私の能力が催眠能力であることを、どうやって知ったんですか? 知る方法があるんですか?」
「そうね……教えておいてもいいかもしれないわ。実は、ハウエル先生が、未来視の力を持っているのよ。正確に言うと、『未来の可能性を視る』力。潜在的に大きな力を持つ者のリストの中から、ハウエル先生の未来視と、私の過去視によって、特別な能力を持つ可能性がある生徒を選び出したのがこの選抜学級なの。
実際に、ラニ、キリ、マリア、ハサン、ファファ、リン、デヴ、ミキト、サヨンが基礎能力とは違う特殊な力を持つに至った。人によっては、この緑の石に関係なく発現した人もいるみたいだけど」
「私からも……質問」と言ったのはマリア。
「何? マリア」
「プロジェクトパンドーラーのこと、お父さんは……」
「もちろん秘密裏に進めているわ。プロジェクトパンゲアでは校長先生がトップだけど、プロジェクトパンドーラーではハウエル先生がリーダーよ」
それはつまり、どういうことだろう。よくわからない。
ワンダ先生の語る言葉が、突拍子もないものばかりで、全然頭に入ってこない。私の推理で当たっている部分も少しだけあったけれど、大部分がわけがわからないことだらけだ。
P計画? M計画? F計画? R計画?
全部まとめてプロジェクトパンドーラー?
それが『真のP計画』だとでも言うの?
ハウエル先生の未来視?
未来の可能性を視る?
つまり、現在特殊な力を持たない私も、ユーナも、ルネも、ジュヒも、選抜学級の全員が特殊な力を持っているということ?
特殊な力に関わる不思議な緑の石?
正体不明の願いを叶える力?
駄目だ。混乱してしまっていて、何も深く考えられない。
畳み掛けるようにワンダ先生は更に言葉を発する。
「――さて、種明かしをしたところで、あなた達は選択しなければならないわ。ここに全ての記憶を置いていくか、私達と戦うのか、プロジェクトパンドーラーに参加するか……どうすればいいか、あなた達ならわかるわよね……全てを理解した上で、どう動くべきなのか」
私は――。