第31話 ワンダの過去 ラニ視点
ラニ視点
「ねぇ、ラニ。あの時のこと、憶えてる?」
放課後の教室で、キリが僕に話しかけてきた。これは、今のこの発熱した星に、雪が降るほど珍しい出来事だ。
「あの時?」
「ええ、あの時」
一体どの時だ?
まだキリが小さかった頃の話だろうか。はたまた昔から引っ込み思案だったキリの何の面白みも無い過去の話だろうか。それとも、リンやファファの何かか?
「……もう! 憶えていないの? ワンダ先生が人を殺したとか殺してないとかで、騒ぎになった話。つい最近の話でしょう?」
「ああ! 僕がユーナと約束したあれか……」
「うん……。本当は、ラニなんかに頼むのは嫌なんだけど……私も、あの時は逃げてしまったけど……ワンダ先生が過去にどんなことをしていたか……知りたいのよ……」
「そうは言ってもな、キリ……今の僕の力で、ワンダ先生の過去は覗けないよ……」
「それなんだけどね、ラニ、催眠で、あなたの力を増幅させてみたら……どうかな……」
「そんなこと……できるのか?」
「うん、やり方は教わったから…………」
「驚いたな」
何となく不安だが、キリは、自信があるというような目をしていた。
迷ったが、キリを信用することにする。
「わかった。やってみよう」
「うん」
キリの手を叩く音が二回聴こえた時、何故か二時間が経過していた。その空白の二時間は一体……。
「ごめん、ラニ……私の催眠まだまだ低レベルで、時間かかっちゃった……」
「でも、失敗はしなかったんだろう?」
「それは、ラニの力がちゃんとレベルアップしてるかどうかでしか、わからないわ……」
「そうか……まぁ……やってみるよ……」
「ねぇ、ラニ。過去視って、どうやってやってるの?」
「基本的には、写真があったり、その人と縁のあるものさえ近くにあればできる。でも、毎日のように顔を合わせている人なら、何も持ってなくても、できる」
「そうなんだ」
「じゃあ……始めるよ……」
そして僕は、ワンダ先生の過去を覗こうとした。
☆
壁があった。僕の目は、その壁をいくつも突き破った。確かに能力は飛躍的に向上していた。
無機質な壁達を壊した先には、明るく広いバルコニーがあった。
その、海が見える陽あたりの良いバルコニーにあるテーブルで、少女は当時高価だった紙に、インクで何やら文章を書いていた。うまくいかない、という様子で整えてあった髪の毛を両手でぐしゃぐしゃにするワンダ。
「ワンダ」女性の声。
振り返った女の子。ワンダと呼ばれた女の子は、まだ僅かに幼さが残る年頃だった。キリと同じくらい……十六歳くらいだろうか。
「ワンダ、お茶でも飲まない?」
「あ、母さん」
ワンダの母は、ティーセットを、ワンダが座るテーブルに置いて、慣れない手つきで紅茶を淹れはじめた。
「母さん、そんなことは使用人に任せてしまえば……」
「そうもいかないわ。いい? ワンダ。この世で最も大事なのは経験なの。もちろん、敬虔さも大切なことだけど、とにかく経験。使用人にばかり任せておいては、民衆に示しがつかないわ。私は国王の妻として、何でもできなくてはいけないのよ」
「また……父さんのことで何かあっ……」そう言いかけた時、
ガチャン! バシャァ!
「ぁ…………」
ワンダは言葉を失った。
「ああああああ! ワンダ! ごめん! 私ったら、何てこと!」
つい先程までワンダが何かを書き続けていた紙は、紅茶染めになってしまっていて、インクが滲んで読めなくなってしまった。ポタポタとテーブルの端から色のついた水玉が落ちる。
「ごめん……取り返しのつかないこと……」
「大丈夫だよ、母さん。どうせ、うまくいってなかったし、逆に、紅茶まみれになってしまって、今の話をボツにする決心がついたわ」
そう言って、笑うワンダだった。
ワンダは手早くテーブルを拭いて、二人分の紅茶を淹れ直すと、母と自分の前に置いた。 「父さんと、何かあったの?」
「…………別に……いつものようにあの人は側室と遊んでるだけよ……別にあの人のことはどうでもいいんだけどね、ただ、暇で暇で仕方なくて」
「それで、また私の書いたお話を読みに来たんだね」
「まぁ、そんなところよ。どう? 何か新しいお話無いかしら」
「あるよ」
「どんな?」
目を輝かせるワンダの母。
「催眠術師の話。催眠術師の女の子がね、恋をするの。でも――」
「あああ! 待って、説明はいらないわ。あらすじなんか聞いちゃうと、損した気分になるのよ。そういうのはいいから、とりあえず読ませてよ」
「うん」
ワンダは一度部屋に入り、戸棚を開けて、紙の束を取り出して母親に手渡した。
表紙は白紙だった。
「あら? タイトルは?」
「まだ決めてないの」
「そう……」
しばらく、ページをめくり続けている母親だったが、ふと手をとめ、ワンダに語り掛ける。
「……ねぇ……ワンダ……唐突だけど……」
「何? 母さん」
「私のこと……憎んでる?」
「どうして? どうして憎むの?」
「だって、実の娘であるあなたのことを、こんな所に閉じ込めてしまっていて……本当は高い地位に立って民衆の憧れの的になれるような力があるのに、それを……」
「ううん」若きワンダは大きく首を振った。「私は平気だよ……世界を統一するために、私っていう跡継ぎの存在は、いらないんだよね……。それでも父さんと母さんは、私を産んで育ててくれたんだ。だから、憎んだりなんて、しないよ」
「ワンダ……」
「壊れていく王国の、隠された王女なんて、何だかドラマチックじゃない?」
「私には……そんな風に考えることは、できないけど……これを、ワンダに授けるわ」
母は、ワンダの腕に、銀色の腕輪をはめた。
「これは……?」
「それはね、ワンダがワンダであることを証明するものよ。文字が彫ってあるでしょう?」
「ワンダ……ストライクフィールド……」
「あなたは、誰が何と言おうと、ストライクフィールド王家の一人娘だから……どうか……誇りを持って生きてね」
それは、まるで、これから死ぬのだとでも言うような、口調だった。
「母さん……?」
「これ、借りていくわね」
先刻ワンダが渡した、物語が書かれた紙の束を持って、ワンダの母はワンダの部屋の外に出て行った。
強い潮風が、バタバタとテーブルに置いてあった紅茶色になった紙を巻き上げた。
★
そして、場面は少し変わる。ワンダの母と、ひげの男が何かを話していた。男の方は、国王というような容貌ではなかった。どちらかと言えば、胡散臭いタイプの金持ちのような男だ。
「最後に一つ、願わせて下さい」
「願い?」
「はい。娘が書いた、この物語を、一冊の本にして欲しいのです」
「そんなことで……良いのですか?」
「では、本にしてくれるのですね?」
「確かに、承りました……。しかし、この時代に紙の本とは……時代の流れとは逆行するような願いですな……」
「……全ての文化は、海の中に沈んでしまいました。その文化の復興の前に、世界が一丸となって『P計画』を進めなくてはならないのはわかっています。それでも、私は、せめて、娘の夢を叶えたい。
娘が望むのは、自分の書いたお話で、多くの人を幸せにすることです。知識の上でしか外の世界を知らない娘にとって、それは難しいことかもしれない……だけど、この水ばかりで何も無い世界でも、娘は恋物語を生み出した。それが、私にとっては何より嬉しいのです……だから……」
「わかりました。おそらく、世界最後の本となることでしょう」
「はい、よろしくお願いします」
★
王国は、崩壊した。
国王とその后が共に失踪した。
その日、ワンダが母の部屋を訪ねると、誰も居ない部屋に一冊の本が置いてあった。それ以外は、何も無かった。
「愛のおまじない……ワンダ、ストライクフィールド……作…………」
このタイトルは、キリが借りていてる本と同じタイトル、同じ作者だ。
ワンダは、その本を開いてみる。中に手紙が挟まっていた。
そこには、母の字で、短い文章が書かれているだけだった。
呟くように、ワンダは読み上げる。
「ごめんなさい。今まで、ありがとう。ワンダは、私の大切な娘です。P計画、はじまりの夜に……」
周囲を見渡しても誰もいなかった。
「何、これ…………」
ワンダは、外に出た。
「おかしい……今まで外に出ようとすると、必ず誰かが飛んできて、私を元の部屋に戻そうとしていたのに」
父と母の姿は無かったし、それ以外の人間の姿も無かった。
誰もいない街を、一冊の本を持って、歩き回った。
「まるで、物語の中に、迷い込んでしまったみたい……これは……夢……?」
僕の過去視で見ているのだ。夢であるはずがない。
「誰か……誰か、居ませんか?」
返事をする者はいなかった。捨てられた街だった。
海岸沿いにあったこの王国は、『P計画』に全ての人員と財産を捧げるべく、街を捨てたのだ。
「母さん……父さん……? 何処に……?」
ただ建物が並ぶ街。もうすぐ廃墟になる街。
ひとりぼっち。
ワンダは歩いた。誰かを捜して歩いた。
街を出た。
並木道をひたすら歩いた。
そして、ようやく一人目と出会う頃には、もう、三日歩いた後だった。
「どうしたんですか、こんな所で、何を……」
その女の人は、ボロボロになったワンダの姿を見ると、慌てて駆け寄った。
「あなたは……?」
ワンダが掠れた声でそう訊いた。女は答える。
「私は、諸国を旅をしている者です……」
「この先には……誰もいないわよ……」
「知っています……世界は、一つになったのです」
「え……?」
「もう、国というものは存在しません。全てはパンゲアという大陸を造るために団結して……」
「教えて! 世界は今、どうなっているの?」
「どう……って……言った通りです……海岸に近い国々は全て、できるだけ高地にある国に吸収されていきました。ストライクフィールド家も、その一つです」
「吸収? そうか。そういうことだったんだ。それで、国が壊れるって言っていたんだ……」
「どうしました……?」
「いえ……ただ、どうして私を置いていったんだろうって……それが、わからなくて……」
「え? 何ですって?」
「いえ、こっちの話です……。ところで……食べ物を恵んで頂けないでしょうか……」
「食べ物……ですか。今の時代、食べるものは貴重です。何か価値のあるものと交換、というのではどうでしょう」
「え……?」
その女の顔は、ひどく歪んでいた。
良い人だと思ったが、良い人ではなかったらしい。
「たとえば、その銀の腕輪」
「ダメ! これは、母さんが…………」
「自分の命よりも大事ですか? その腕輪が」
「……それは…………」
ワンダは空腹に敗北し、その腕輪を差し出した。
女は、受け取ったその腕輪を見つめる。
「ワンダ……ストライクフィールド……? ストライクフィールドだって? いや……まさか……そうだ。たしかストライクフィールド家は跡継ぎがいなかった。だからすんなり隣国に吸収されたと聞く。だとすれば……この腕輪は……偽者か。お嬢さん、あなたの母上も相当なペテン師のようですね。居もしないストライクフィールド家の人間を捏造し、きっと多くの金をもらっていた。そして、その事実が明るみになることを恐れ、あなたを置いてさっさとこの街を出たんです」
そんな事実はなかった。ワンダは正真正銘、王と后の間に生まれた特別な子供だった。
「それで……食べ物は……?」
侮辱に耐え、生きるため、空腹を満たすために、ワンダは訊く。
女は、銀の腕輪を腕に装着しながら、信じられない言葉を吐いた。
「ああ、あいにく、食べ物は残り少なくてね。他人に分け与える分は持ち合わせていないんだ」
約束が違った。
食べ物と、ワンダの最高の宝物との交換のはずだった。
それを簡単に反故にしたのだ。
そしてワンダは、憎しみという感情を知った。殺意というものの存在を知った。
「よこしなさい!」
命令した。
「命令なんかできる身分かい? お嬢さん」
「私は、ワンダ・ストライクフィールド。正真正銘、ランド・ストライクフィールド王の娘です」
「甘いねー。ありえない話だけども、それが本当だとしてもさ、それを証明できる人はいないよね。そして、証明できるものも、持ってはいない」
銀の腕輪をちらつかせて、女は言う。
「あなたみたいな、人が居る限り……世界は、一つになんかなれない!」
その時が、ワンダが超能力に目覚めた瞬間だった。怒りという感情の昂りによって、目覚めたのだ。
「え? な、何?」女の体は、意思とは関係なく浮き上がり、「いゃあああああああ」勢いよく移動して並木道の中の一本の木に激突した。
女は、背中や後頭部を強打して、顔からドサリと地に落ちた……。
「え、もしかして……今の……私が……?」
この時代には、もう、超能力というものはそこまで珍しくはないものだった。とは言っても、超能力を扱えるのはほんの一握りで、人類の中では圧倒的少数だったのだが……。
女は完全に沈黙した。しかし、死んでいるわけではなかった。
ワンダは、女が起きる前に、女の手から腕輪を外して、自分の手に装着する。
そして、女の大きな荷物の中から、全ての食糧を抜き取ると、走ってその場を後にした。
少ないと言っておきながら、食べ物は、五日分はあった。
何度も振り返りながら、あの女が追って来ないか確認するワンダ。
しばらく歩いた後、座って、何日かぶりの食事を摂った。
結局、女は追って来なかった。
ワンダは、歩き続け、ようやく街に着いた。
その頃には、また、持っているのは、母が残した一冊の本と、母がくれた銀の腕輪だけになっていた。
「どきなよ、小汚い娘」老婆の声。
「わっ」
街の喧騒の中で、商売人の老婆にぶつかって、大事な一冊の本を、手放してしまった。ワンダは、キョロキョロと辺りを見渡して、見失った本を捜す。しかし、見つからない。
本は、ぶつかった老婆が引いていた車輪の付いた木製の箱の中に、落ちたのだ。
ゴロゴロと音を立てながら、老婆は遠ざかり、やがて、見えなくなってしまった。
大事なものを落としてしまったワンダは、呆然として、路の真ん中に座り込んだ。
「どうしたの?」
そんなワンダに差し伸べられたのは、浅黒い肌の少年の手だった。
「大事なものを……なくしてしまったの……」
また一つ、大事なものを失ってしまった、とワンダは感じていた。
虚ろな目をしたまま、少年の家に連れて行かれたワンダ。少年の母親は、息子が拾ってきた大きな落し物を見て驚いたが、すぐに風呂を貸し、食事を与えた。服までも用意してもらい、ワンダは何度も何度も感謝の言葉を述べた。
「これだけのことをしてもらって、何かお礼がしたいのです。私が持つ物の中で、きっと価値があるただ一つの物を、受け取って欲しい」
ワンダはそう言って、大事な腕輪を外して、少年の母に手渡そうとした。
しかし、受け取ってもらえなかった。
「この街はさ、古いだろう? 石畳に木製建築。自然の力を使った機械。無機質な文明の風を受けずに今まで過ごしてきたんだ。だから、基本的にこの街の人間は貧乏さ。そんな銀なんて珍しいものを持っていたら、目立ちすぎてしまってかなわない。私らは、今の生活を変えたくないんだよ」
それでも、何とか恩を返したいと思ったワンダは、しばらくの間、その家で働くことにした。
ワンダは、何でもこなし、すぐに人気者となった。
狩猟や採取、農耕に牧畜。
半ば原始的とも言えるような生活だったが、最も「生きている」を実感できるものだった。
目立つから、という理由で、銀の腕輪は緑色の絵の具で塗り、緑の腕輪になった。
★
四年後、街を出て行くきっかけとなったのが、ある噂だった。
ワンダが催眠術師で、多くの人間を催眠で操っているという噂だ。
普段から、時々、念動力等の超能力を使っていたので、疑いはますます強まった。
それで居づらくなって、その街を出た。
それからの二年、ワンダは放浪し続けた。
それまでの生活が役に立ち、食べ物に困ることはなかった。
そして、多くの街を過ぎ、最も大きな街に辿り着いた。
ワンダは、何となく立ち寄った、その街の博物館で、信じられないものを見つけた。
「愛の……おまじない……ワンダ……ストライクフィールド…………」
世界で最後に出版された本として、綺麗なケースの中に展示されていたのだ。
そこで、ワンダの旅はようやく終わることとなる。
「ワンダ・ストライクフィールド……だな」
老人は、ワンダの真横に立っていた。
「どちら様ですか……」
「ハウエルという名だ。君を、迎えに来た」
老人に連れていかれたワンダは、超能力学校の教師となった。
そして、母と父の死を、ハウエルから聞かされた……。
☆
僕は過去視を終わらせ、目を開いた。そこには、キリの顔があった。
「どう……だった?」
「ええと……簡単に言うと、ワンダ先生は、両親を殺していないことがわかった」
「本当?」
「ああ。ただ、ハウエルが言うには、二人とも死んでしまっているってのは、事実らしいが……」
「そう……なんだ……」
「キリお願いがある。このことをユーナに、伝えておいてくれ」
「うん」キリは大きく頷いた。「帰ったらすぐに伝えるわ! ありがとう! ラニ」
本当にうれしそうに、おとなしいキリらしくない、軽快な足音で、走り去っていった。
僕は、過去を見てしまう力のせいで、いつも最低、最低、最悪だと言われ続けてきた。
他人にお礼を言われるのなんて、何年ぶりだろうか。
悪い気はしないな、と思った。