第28話 胸が痛い デヴ視点
デヴ視点
目の前の女の子が、叫んだ。
「滅べ滅べ滅んじゃえー! あはははは! 誰か私を殺してー!」
目の前の女の子を見て、私は戸惑いを隠せない。それでも抱きしめれば、元のファファに戻ってくれるんじゃないかと思って近付いた。すると、
「来るなああああ!」
とても大きな声で、拒絶。
私は思わず仰け反ってしまった。
「ファファ……?」
「嫌だ……来るな……私は……逃げるんだ。こんな場所……こんな、また実験される……また……やめて……こわいよ……助けて……」
錯乱するファファ。
私は、一歩ファファの方に歩み寄った。
「うわああああああああ!」
私を見て怯えるなんてと胸が痛んだ。
ファファは、今まで何もなかった手に、いつの間にか巨大な刀を握っていた。
あれ? なんだろう、これ……。
その刀を振りかぶったファファが見える。そのまま振り下ろせば、私が、斬れる。ゆっくりとした軌道でその輝く刃が落ちてくる。私は悲鳴を上げようとする。
「デヴ! よけて!」
目を閉じた。
「………………」
目を開けると、状況が全く変わっていた。少し青みがかって揺れる視界。
マリア姉さまが私に覆いかぶさるように倒れていて、綺麗に二つに割れた氷が落ちていた。
サヨンがファファを押さえていて、大きな刀は、床に落ちていた。
「よか……った…………」
リンの枯れた声が聴こえた。リンがゼエゼエと息を切らして座り込んでいて、私は元の位置から五メートルほど移動していた。
教室の机や椅子が散らばっていた。
「マリア姉さま……」
私に覆いかぶさるマリア姉さまは起き上がり、
「デヴ……大丈夫?」
意識が、なんとなくボンヤリとしている。だけど、外傷もほんの少しの擦り傷だけだった。
「うん……大丈夫」
ファファの方に目をやる。
「やめて! 放して! 死ね! 殺す! うわああああ!」
サヨンに取り押さえられ暴れるファファ。
「キリ! 頼む!」
「た、頼む? 頼むって何? 何を?」
「催眠よ!」
ソフィアが叫んだ。
「あ、あ、うん…………」
「世界終われえええええ!」
「いけない!」
ソフィアが、ファファの口に手を突っ込んだ。
「あうう……」ファファの声。
「痛ぅっ」ソフィアの声。
舌を噛もうとしたファファは、舌の代わりにソフィアの手を噛んだ。
「……キリ……早く…………」
「わ、わかった…………ファファは……だんだん……眠くなる」
原始的な催眠術で、ファファは簡単に眠った。真ん中に穴の開いた硬貨を目の前にぶらさげて左右に振ることで催眠効果を与えたのだ。
「潰れ、ちゃえ…………」
沈黙。
「このガキ……やっぱり猫被ってたんだ!」とジュヒ。
「ジュヒ! やめなさい!」ソフィアが止めた。
「でも……!」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
ジュヒを黙らせたソフィアは、指揮を執る。
「サヨン。ワンダ先生とハウエル先生の居場所は?」
「えっと……ごめん。見えるところにいないみたいで、わからない」
「じゃあ、図書館か職員室ね。ハサン、職員室までワンダ先生を呼びに飛んでくれる?」
「おう」
ハサンは、廊下まで走り、廊下の窓から、外に飛び出した。
「それから、図書館には、ユーナ、行ってくれる? ハウエル先生がいなかったら戻って来ていいわ」
「何階だっけ? ハウエルの書斎」
「三階よ」
「おーけー」
ユーナは部屋を駆け出た。
「キリはファファの様子を見ていて」
「うん」
「デヴ、立てる? リンが意識を失ってるから、診てあげて」
「う、うん」
私は、重い体を四つん這いで引きずり、リンの所に行く。頭を持って、膝の上に乗せる。リンは気を失ってはいるものの、命の危機というわけではなさそうだった。よかった……。
「あと、一応役に立たないとは思うけど、バルザック先生も呼びに行ってもらおうかしら……、ラニ、お願いできる?」
「わかった」
ラニはそう言うと、教室を出て行った。
「怪我した人はいないわよね?」
誰も手を挙げなかった。
「よかった……」
ソフィアが言ったが、
「ってソフィア……あんたが怪我してるじゃない!」
マリア姉さまがそう言った。確かにソフィアの手から血が流れ出していた。
先刻ファファが舌を噛みそうになったのを阻止したからだろう。
「違う。これは怪我じゃない」
「ソフィア……」とマリア。
「ファファは誰も怪我させたりなんかしていない。教室の備品も壊していない。刃物を振り回したりしていない」
「ソフィア……それはさすがに……」
「いいわね、マリア。何も起きてない。いいわね?」
こうなるとソフィアは頑固だ。意地でも何もなかったと言い張るつもりらしい。
「あの、ソフィア。あたしは何をすればいいのかな?」
ジュヒがソフィアに訊く。
「黙って座ってるのが一番だわ」
確かに。
ジュヒは不満げではあったが、無言でおとなしく自分の席に座った。
マリア姉さまは教室を走って出て行き、ソフィアは更に指示を出す。
「あ、ミキトとサヨンは、机と椅子を端に除けて、広い空間を作って。あと何か敷くもの、リンのロッカーに布団があるからそれを借りましょう」
「ああ」
「わかった」
「ジュヒ、邪魔だからどいて」
とミキト。
「え、だって座ってろって」
「空気読めよ」
「……ごめん、ミキト」
結局ジュヒが立ち上がる前にジュヒとルネごと無理矢理全ての机を窓際に除ける。そしてサヨンが、リンのロッカーから布団を取り出して教室の床の上に敷いて、ファファとリンを寝せた。
その二人の側には私とキリ。
ばたばたと足音が響いて、どこかからマリア姉さまが戻ってきた。
「ソフィア、手、見せて」
「うん……」
どうやらマリア姉さまは、保健室に行って、救急箱を借りてきたらしい。
今度はコンコン、と窓をノックする音が聴こえた。ハサンが窓の外からノックしていた。
マリア姉さまが開錠して、窓を開ける。
ハサンはワンダ先生を背中に乗せてきていた。
「どうしたの? 何があったの?」
教室に降り立ち、ワンダ先生が訊く。
「ファファが……その……少し……精神が不安定になって……」
ワンダ先生は教室をぐるりと見渡すと。二つほど頷き、
「だいたいの事情はわかったわ」
本当だろうか。更にワンダ先生は、「私のせいね……」と小さな声で呟いて、ファファに駆け寄った。
「キリ、何か催眠はかけた?」
「睡眠誘導だけです」
「そう。だったら、このまま全て忘れさせましょう」
「え……ワンダ先生! それは!」キリが珍しく大きな声をだした。責めるような声。
忘れさせるって、どういうこと?
記憶を消してしまうということ?
書き換えてしまうということ?
催眠ってそんなこともできるの?
だったら、私の記憶ももしかしたら……。
――私の馬鹿、今はそんな事を考えている時じゃないだろう。
自分のことよりもリンとファファのことを心配しなくては……。
「キリ……わかるでしょ。記憶を消さないと。このままファファがもう一度目覚めたら、きっとまた……」
「嫌です! させません! 私、ワンダ先生の書いた本読みました! 他人の記憶や心に手を加えてはいけないって、書いてたじゃないですか!」
「ファファのためなのよ……」
「それでも! 私はそんなこと、許せない!」
「何と言ってもらってもいいわ。私が最低の女だとでも思えばいい」
「そん……な……」
キリとワンダ先生が何か争っているようだけど、よくわからない。催眠術師同士でしかわからない何かがあるのかもしれない。
「ねえ! ねえ! 皆、ちょっと! 外、見て!」
またジュヒが喚いている。今度は何だろう。
「外?」
ミキトとサヨンが、外を見る。
「何も無いぞ?」
サヨンが言うと、
「違う、上よ、上! 空!」
「空……? げ……何だ、あれ?」ミキトが驚いて、「ちょ……ソフィア来てくれ」
マリア姉さまに怪我の手当てをされているソフィアを呼んだ。治療はちょうど終わったところだった。何事かと思い、私も、重い体を窓際へと運ぶ。ハサンもワンダ先生もキリもマリア姉さまも外を見る。
ハサン、サヨン、ジュヒ、ミキト、ソフィア、マリア姉さま、私、キリ、ワンダ、教室の意識ある人間全員が、窓際に立った。
「冗談じゃねぇ……」とハサン。
視界にあったのは、巨大な隕石だった。近付いているのか、どんどん大きくなっている。
「ずっと感じていた嫌な予感は……これだったのか……?」
ミキトが呟く。
私を含む力なき選抜学級生徒たちは、ただ唖然として空を見つめているしかなかった。




