第22話 M計画 -3- 再びマリア視点
マリア視点
女子寮には、二人部屋か三人部屋しか無かった。だけど、私は二人部屋を一人で使っている。
かつてはこの浮島の中にある自宅。超能力学校からそう遠くない場所にある自宅から通っていたのだが、私が十三歳の時に母親を喪って以来、家には戻っていない。ずっとこの寮で暮らしてきた。
ソフィアと一緒に二人部屋だった頃もあったが、昨年、私が自ら希望してソフィアと別の部屋へと移ったのだった。選抜学級の生徒になったことや、校長の娘ということもあって、特別に許可してもらった。
扉を開けて部屋の中に入り、勢いよく扉を閉める。
「はぁ……」
思わず溜息が出た。キリを引っ叩いたり、うるさいジュヒの詰問を受けたことで心が疲れている気がした。
「おかえり、マリア」
ぎょっとした。
一人部屋のはずの私の部屋で待っていたのは、幼馴染のソフィアだった。
とても驚いたが、平静を装う。
「どうして、私の部屋にいるの? ソフィア」
できるだけ低い声で、冷たく言う。
「私は寮長よ。だからホラ、マスターキー持ってるの」
そう言って、ジャラジャラと多くの鍵をぶら下げた金属の輪をソフィアが得意とする念動力で宙に浮かせて見せた。
「やっちゃいけないことでしょう」
「うん。だけど、マリアに聞きたいことがあったから」
「だからって……」
私はそう言ったあと、はっとした。それから肩に掛けていた鞄をストンと床に落とすと、無機質なデスクの一番上の引き出しの鍵を開け、その場所を開けた。そこには、私が毎日つけている日記があった。
触れられた様子は無かったし、おそらく読まれていないだろう。でも読まれていないと決め付けるのはまだ早い。優秀なソフィアのことだ。痕跡を残さずに私の日記を読む方法も知っているのかもしれない。
「大丈夫よ、日記なんて読んでいないから。さすがにそんなことしないわ」
「どうしてここに日記があるって知ってるのよ」
「あのねぇ……去年まではずっと一緒の部屋にいたでしょう。そんなことも忘れちゃった?」
「その時は読んでたってことね? 私の目を盗んで」
「マリア……どうしちゃったの? 最近……マリアらしくないよ」
「何よそれ」
「選抜学級に入ってから、変」
「それはそうよ。選抜されたんですもの。それなりの自覚を持って振舞わないと」
「そんな必要ないのに」
「ソフィア。質問に答えて。私の日記、読んだの? 読まないの?」
「だから読んでないってば。去年まで一緒の部屋で、いつも日記をつけてるマリア見てて、マリアはいつもそのデスクの引き出しを開けて日記を取り出してた。私の日記の置き場所も、同じ場所だから、そこに日記があるってことは覚えていたの」
「なら、いいけど」
「日記に、そんな他人に読まれたくないようなことが書いてあるの?」
「……プライベートなものよ? 誰にも読まれたくないじゃない」
「そうだね」
「それに――」
「それに?」
「…………何でもないわ」
私は言って日記の入った引き出しを閉め、しっかりと鍵を掛け、テーブル越しソフィアの対面に座る。「それに――」いま私は、何を言おうとしたのだろう。
きっと、今の自分が本当の自分じゃなくて、私らしくないってわかってて、それで、日記の中にしか本来の自分がいないから、それを隠したかったんだろう。
今の、冷たく振舞う自分が、本当の自分だなんて、私自身も思っていないんだ。
そこまでわかっていても、私は私の計画を進めて、世界を救いたい。そう思っている。
「次は私からの質問ね」
ソフィアは宙に浮かべた鍵を手に取って鞄に入れた後、私の目を見た。
「何?」
私が訊くと、
「殴ったよね。キリを」
「……誰から聞いたの?」
「キリ」
「あの子……誰にも言うなって……」
「嘘だよ」
「え」
「引っ掛かったわね。ただ、キリの頬が少し赤くなってたから。たぶん、そういうこと、したんだろうなって思って。キリは何も言ってないわ。泣いてたけど泣いてることも隠そうとしてた」
私は追い詰められた気持ちになった。焦る心に気付かれないように、無言を返す。
「ねえマリア、どうしてキリを殴ったの?」
「別に」
私は感情を込めないように、冷たい声で返答する。
「マリアが何の理由もなく、人を殴ったりするわけないでしょう?」
「じゃあ、私がそういう人間になっちゃったってことよ」
「そんなわけない」
「何でよ」
「そういう人に、デヴやリンやファファがくっついて行くはずないでしょう?」
「見えてないのよ、彼女たちは本当の私が見えていないの」
「マリア……」
悲しそうな目で私を見るソフィア。しかしすぐに目に力を取り戻し、私を正面からじっと見つめた。私もソフィアを睨み返しながら、気持ちを落ち着けて、声を出す。
「殴ったのには理由なんかないわ。ただ、急に殴りたくなっちゃっただけなのよ」
「理由があるって意味ね」
「無いわよ」
「……キリがよくいる場所は図書館。マリアもたまに図書館に行く。ミキトもよく行くみたいだけど、今回はミキトはあまり関係ないわね……。キリがマリアの秘密にしている何かを見たなら、図書館が最も確率が高い。事実、今日もキリとマリアは図書館に行っていた。図書館の一角はサヨンの千里眼でも見ることはできない。何故なら全ての外部からの超能力を遮断するハウエル先生の書斎があるから。となれば、ハウエル先生とマリアの関係に秘密があると考えるのが自然」
当たっていた。
「残念だけど外れよ」
私はそう言ったが、ソフィアは私の言葉を無視して続ける。
「キリの様子から考えて、悔しくて泣いているわけじゃなくて、悲しくて泣いていた感じだった。つまり、殴られたのが原因で泣いているわけじゃなさそうだった。じゃあどうして泣いていたのか? それがわからない」
「じゃあその推理が外れているってことでしょう」
「キリが泣くなんて珍しいことだし……」
「私に殴られて泣いたんでしょう?」
「もしかしてだけど、マリアの能力と関係あるのかな」
核心に迫られた。ソフィアを侮っていた。図星を突かれた私は簡単に心を乱し、感情を抑えきれずに冷気を出した。部屋の温度が何度か下がる。まずい。心の平静が乱されて部屋の温度が下がった事に気付かれたら、ソフィアの言った事が正解だと言うようなものだ。
どうしよう。誤魔化さないと!
「ソフィアァ!」
私は苦し紛れに氷柱を作り出し、彼女に突きつけた。刃物を突きつけるみたいに。
「どうしたの? マリア……急に」
全く怯えない。驚きもしない。目の前に今にもソフィアを貫こうとする氷柱があるのに。
氷柱なんか見ようともせずに私の目を真っ直ぐ見つめている。そして、彼女の唇が動いた。
「……ハウエル先生と一緒に、何か企んでいるでしょう?」
今、ソフィアに秘密を知られるわけにはいかない。私は嘘を吐く決意をする。
――だって、私は、世界を、救うんだから。
「私、ハウエル先生が好きなの。だから隠れて付き合ってるの。……お願い、秘密にしてて」
「なるほど。それでその秘密を知ったキリにそれを暴露されそうになって、呼び出してシメたってわけね」
納得してくれた。誤魔化せた、そう思った。
「そうよ。もし知られたらハウエル先生の立場が揺らいでしまうもの」
「なんだ、そうだったんだ――」
ソフィアは私に笑顔を向ける。
「――なんて言うと思う?」
でもその笑顔はすぐに怒りの表情に変わった。
ああ、もう、どう言えば煙に巻けるのかな。もう無理なのかな。全部話してしまえばいいのかな……。
「マリア、本当のことを言って。もしもハウエル先生とマリアが付き合っていることをキリが知ったとしても、マリアに殴られるような展開には絶対にならない。キリは秘密にすると言って墓場までその秘密を持っていくわ。そうするとマリアは、ハウエル先生と付き合ってはいない。つまり嘘。何か別の事情がある」
ごとん。私は氷柱を床に落として、彼女の次の言葉を待った。
「歴史の授業でやったよね。大昔、北極に氷があった。それが溶けてしまってから、人が住む場所は急激に減少して、人口も数万分の一にまで減った。今も続く大洪水時代の始まり……。私もね、一度考えたの。マリアの周囲の物質を凍らせる能力で、この星を、救えないかって」
……全部、正解だった。
でも、正解と認めるわけにはいかない。私が死ぬという事実は、これだけは知られてはいけないんだ。私は誰にも知られずに、誰を悲しませることもなく、一人で……。
「正解でしょう?」
「いいえ。不正解よ」
認めるわけにはいかない。誰にも知られるわけにはいかない。誰にも……。
「やっぱり……そう言うんだ……」
「何よ、それ。どういう意味?」
「本当は言い逃れできないくらいに正解なのに、それでも不正解だと言い張った」
「だって正解じゃないし」
私は強がりをやめない。そんな私から目を逸らしたソフィアは、
「――それって……マリアが、死ぬって意味よね」
涙をいっぱいに溜めながら、言って、また私を見た。
「私は、死なないもん」
私も目を逸らして答える。
「もう、やめてよマリア。今回、マリアがキリを殴ったことで、繋がっちゃったの。根拠なく言ってるわけじゃないの。私には、全部話して。誰にも、言わないから……お願いよ……」
私には親友なんていない。友達なんていない。超能力には精神が大きく影響する。氷の能力なら氷の心が必要なんだ。孤独でいいんだ。誰にも知られずに逝こうと思ったんだ。
だけど……もう逃げられない……。
やっぱり、ソフィアは、すごいな。
「ごめん、ソフィア。私……死ぬわ。ソフィアの言った事、全部正解」
「やっぱり……」
ソフィアは言って、すぐにテーブルに伏せてしまった。
そして、
「バカマリア」
曇った声でそう言った。
確かに私、バカかもしれない。だけど、私が死んでも、世界が救われるなら。それが一番良いと思ったんだ。
「絶対に、秘密だから。約束して」
「……うん、約束」
ソフィアは絶対に約束を守る人だ。
私は立ち上がり、部屋の窓を開けた。
いつもと同じ、生暖かい風が、吹いていた。