第1話 カンニングミキト
ミキト視点
「ミキト。カンニングしたでしょう?」
その柔らかで澄んだ声は、始業前の教室の喧騒を突き破って、俺の耳に届いた。
白い肌。規定通りのスカート丈。セミロングの髪を揺らしながら、美しい女性が木製の椅子に座る俺に声を掛けてきたのだ。彼女はこのクラスでは一番年上、19歳のお姉さん。学校中の生徒たちから委員長と呼ばれる優等生だ。
そんな彼女が、俺の名を呼び、罪の追及をしてきた。ちなみに、カンニングとは、テスト等で良い点を取るための不正行為のことであるのは言うまでもない。
「何のこと?」
平静を装い、とぼけてみせたが、
「とぼけたって無駄よ。わかるんだから」
彼女はそう言うと、俺のおでこを人差し指でツンと突付いた。
そう、確かに俺は、ある方法でカンニングをした。しかし、それを認めるわけにはいかない。認めてしまえば彼女の正義感によって、俺の罪は白日の下に晒され、先生方によって何らかの罰を与えられるに違いないからだ。
「あのねミキト。隠さなければ、今回は見逃してあげる。でも、このまま隠すつもりなら、先生に言いつけるわ」
「いや、俺は……」
「本当にやってない? 嘘はだめだよ? 嘘が死刑だった時代もあるんだからね」
「――はい。カンニングしました。ごめんなさい」
委員長の目から逃れられないということは、このクラスに居る誰もが知っていることである。ここはさっさと白旗を揚げるのが賢い選択だ。
「次はやっちゃダメだよ。私も鬼じゃないし、今回は見逃してあげるわ」
次の次だったらやってもいいのかな。
「あ、次の次もやっちゃダメだからね」
完全に思考が読まれている。彼女はとても優秀だ。
彼女の名は、ソフィア。選抜学級の生徒十三人の中で最年長で、非の打ち所のない人格者である。学級の中での第二の先生のようにして皆に慕われているし、学校全体のアイドル的存在でもあった。
平たく言えば、この学校の人気ナンバーワン。
この、超能力学校と呼ばれる個性が集まる場所にあって、最も尊敬されている生徒なのだ。
ちなみに、超能力学校というだけあって、人の持つ不思議な能力を育成するための場所なのだが、超能力だけを教えているわけではない。その他基本的な学習や、情操教育等も行う施設だった。
生徒数は、約十万と多く、そして、俺もその中の一人というわけだ。
この超能力学校には、生まれてから二十年未満の人々が集められた。二十歳前後で能力が安定期に入るのが理由だと誰かが言っていた。……誰だっけ。確か授業で……先生のうちの誰かだったと思ったけど、細かい事はどうでもいいや。
なんでそんな風に学生を集めているかというと、P計画という世界的事業のためなのだ。見ずに沈み切った青い世界に、巨大な超大陸を復活させるというプロジェクトは、間もなく本格始動するという。
そして、P計画の実行には、常に安定が求められているため、学生という身分のままP計画に関わることはない。年齢が低いほど超能力は不安定なのだという。
卒業した人々の中から選び抜かれた数十人は、『P計画』とかいう計画のために働く事になるらしいのだが、よくもそんな謎の計画のために働く気になれるよな、と感心するよ。厳しい仕事らしいから、俺は選ばれても辞退しようかな、なんて考えているのだが……。
とはいえ、計画に参加することは最も誇らしいこととされていて、かなりの報酬をもらえるらしいし、生活も保障され、老後のケアも充実しているから、どちらにしようか迷っているところでもある。
今、目の前にいるソフィアという女性は、在学中でありながら卒業後にP計画に関わることがほぼ決定しているらしい。それほど優秀な学生なのだ。
「……何よ? 私の顔に、何かついてる?」
ソフィアの方を見ていたら、そんなことを言われた。
「いや……別に……」
実際、深い意味があって見ていたわけではない。ぼんやりと眺めていただけだ。ただ美しいだけじゃない美人だから見ていて飽きることは無いが……。
まぁ、とにかく、俺は、そんな世界規模の計画のことなんかどうでも良くて、だからカンニングなんかしてしまうくらいに不真面目なのだった。
「ところで、ソフィア」
「ん? 何?」
「次の授業って、何だっけ?」
「次? 数学よ。ミキト、今日は宿題やってきた?」
「あ、やってない……」
「ミキト……貴方ねぇ……もうすこし、自分が学校の代表のような立場に選ばれてるって自覚を持ちなさい」
そう、ソフィアはもちろんだが、実は俺も十万人もの生徒がいる学校から十三人しか選ばれていない選抜学級の生徒で、特別な存在なのだ。正直、どうして劣等生の俺が選抜されたのか学校の七不思議に数えられるレベルの謎だと思うのだが。
「はぁ……」ソフィアは溜息を吐いて、「いいわ、今回だけだからね。私のを写して提出していいわよ」
パシンとソフィアの数学のノートが俺の頭にぶつかる音がした。
さて、ここで急ではあるが、俺の能力について語っておこう。実は俺は未来を予知することができる。先刻ソフィアに指摘されたカンニングというのも、未来を予知する能力を使って事前に問題用紙を垣間見たという事実だった。
つい先程、俺の目がとらえた未来では、数学の授業中、俺は廊下で正座させられるはずなのだが、ソフィアのおかげで宿題を忘れずに済めば、廊下で正座とかいう体罰も回避できるだろう。
俺はノートを受け取った。
「あ、ありがとうソフィア」
「その代わり、約束」
「へ?」
「カンニング、もうしないって約束!」
「はい! 約束しまぁす!」
俺は両手で彼女からノートを受け取ると、廊下で正座をさせられることのないよう、懸命に、ソフィアの解いた数式の解を書き写した。
★
しばらくすると、男の教師がやって来た。身長がとても高いので、身をかがめないと教室に入れない。時々、ドアの枠に頭をぶつけることがあるのだが、今日は大丈夫だった。
「おはよう。さて、宿題を集めるぞ」
開口一番、そんなことを言った。
教師の名は、バルザック。
強そうな名前の通り、強そうな体つきをしている。というよりも、実際強い。ムキムキである。
俺は、何とか休み時間のうちに数学の宿題を完成させることができたので、それを提出する。ソフィアに感謝だ。
「お。今日はちゃんと宿題やって来たんだな。ミキト」
バルザック先生は微笑んでそう言った。
「はい!」
笑顔で返してやった。
「さて、宿題を忘れた者は?」
「はい!」
バルザックの問いに手を真っ直ぐ天井に向かって伸ばすのは、ハサンという名の男。
ハサンは、俺よりも年上であることを疑うほど、頭が悪い。将来破産してしまわないか心配するほど頭が悪い。だけど、とてもいい奴で、俺の親友とも言える間柄だ。寮の部屋も二人部屋で同室なので、感覚としては兄弟に近いのかもしれない。
「よし、ハサン。宿題の採点が終わるまで廊下で正座だ」
「はい!」
ハサンはとても良い返事をして、走って廊下に出て行った。
「で、残りの皆は、採点が終わるまで自習していてくれ」
俺を含む十人分のそれぞれの返事が響いた。
教室には先刻出て行ったハサンを除く十二人がいたが、二人ほど返事をしなかった生徒がいた。二人とも窓際の席だった。一人はまだ昼だというのに眠っていて、もう一人は、ペンをクルクル回しながら窓の外、真っ白な雲が浮かぶ空を眺めていた。不良である。
この選抜学級は全員で十三人。年齢は、下は十歳、上は十九歳とバラバラ。しかし、ソフィアを中心に何とか崩壊をせずに一つのクラスとしてまとまっている。ソフィアは、言ってみれば学級委員長……いや、影響力から考えれば、生徒会長と言って差し支えないような存在だ。しかし選抜学級以外の大半の生徒は親しみを込めて委員長と呼んでいる。
「おいミキト」
不意に筋肉教師バルザックが、俺の名を呼んだ。
「何ですか?」
バルザックは、俺のノートをひらひらと振りながら、
「これだよ、この宿題。ソフィアのを写しただろう?」
何故かバレてしまった。
「ええと……」
俺は取りつくろう言葉をさがすが、
「ソフィアとミキトも、採点が終わるまで、ハサンと一緒に廊下で正座だ」
時間切れ……というか、最初から言い逃れなんてできなかっただろう。
「はい……」と俺。
「ごめんなさーい」とソフィアも不真面目そうに。
俺とソフィアは教卓近くの引き戸から渋々廊下に向かう。
「あー、ソフィア。あまりミキトを甘やかすな」
バルザック先生はそう言うと、俺の背中を叩くように強く押した。痛かった。体罰だ。
引き戸を開けて閉め、既にハサンが座っている廊下に出て、正座した。廊下はとても冷たかった。ソフィアも同じように正座。彼女は俺に宿題を写させたせいで正座させられているのだ。実に申し訳ない。
さて、しばらくの間、古くて黒い木の窓枠とくすんだガラス窓をぼんやり眺めていたら、不意に何か正体不明の『いやな予感』が俺の頭の中を横切った。
急に持病の発作のように、ぼんやりと心に重苦しさを感じることがある。そんなに頻繁にあるわけではないのだが、最近は三日に一度くらい感じる。
「何となく、いやな予感がする」
口に出して言ってみる。
俺の未来予知の能力が関係していると思われるけれど、その『予感』ってのが何なのか、はっきりとわかったことはない。たぶん、これは通常の俺の能力とは違うものだ。俺がもっている未来を視る能力というのは、こんなにぼんやりしたものじゃない。はっきりと映像イメージとして頭の中に浮かび上がるものなのだから。
「またいつもの予感? 当たったことないじゃない」とソフィア。
「ミキトの予感ってのは、全く当たらないよな。以前も『テストの出題範囲がわかった』とか言って、俺に教えてくれたけど、全然的外れでさ。揃って赤点さ」
ハサンがそう言うが、これに対しては反論したい。
「あの時は選抜学級の問題じゃない方を見ちゃっただけだ! そもそも、この『予感』っていうのは、たぶん俺の目とは別の、まだ目覚めていない何かの能力なんだ。俺の目の性能は悪くない!」
「頭が悪いんだよな、ミキトは」とハサン。
「何だと! 俺の頭が悪かったら、ハサンなんか大馬鹿野郎じゃないか!」
ハサンにだけは馬鹿と言われたくない俺だった。たとえ年上でもハサン相手なら言われたら言い返すことにしている。
「ああ、大馬鹿野郎だとも!」
ハサンは開き直った。
そこで、調停役の似合うソフィアが穏やかに言ってくる。
「ミキト落ち着いて……だいたい何度も言うように、カンニングなんて犯罪的よ。時代によっては死刑なのよ?」
「そうだそうだ! 最低だな! ミキト」
「ハサンは、ミキトを責められないと思うな……問題教えてもらっておいて」
「わかったよ、カンニングなんてもうしません!」
俺はそう言って、しびれてきた足をもぞもぞと動かした。木の板が足の甲におされて軋んだ音を立てた。それにしても、かたい床の上に正座なんて、ひどい体罰もあったものだ。ハサンとソフィアは、よくこんな姿勢に耐えられるものだ。歳をとると平気になるのだろうか。なんて、こんなことを言ったら二人ともぎりぎり十代だし、「まだ若い」って怒ってくるかな。
「ところで、ミキトが感じる、いやな予感って、どんな感じなの?」とソフィア。
「何となくだから、具体的には言えないけど……重苦しい感じ」
そう、何となくだから『予感』なのだ。俺の力が足りないせいか、あまりにも漠然としたイメージで、うまく言葉にすることができない。
「全くわからないってことだな」
「やっぱり使えないわね、ミキトの能力」
昔から、いやな予感は時々襲って来るんだ。
だけど、今まで実際に嫌なことが起こったことは……ほとんど無い。
一体、俺はどんな未来を見ているんだろう。まだ遠い未来だからボンヤリとしたイメージしか持てないのかもしれない。いつか、繰り返し襲う重苦しいイメージの未来の正体を、はっきりと見る日が来るのだろうか。
「それからさ、ミキト……私の答え全部丸写しじゃなくてさ、少しわざと間違えるとかしてくれないと……」
「ああ、そうか……でも、そんな小細工したら、バルザック先生もっと怒るんじゃないかな……」
「どうかしら……とにかく、やっぱり宿題は自分の力でやるべきよ。そうしないと力もつかないわ」
「そうだそうだ。ソフィアに見せてもらうなんて卑怯だぞ」
「いや、ハサン……堂々と言ってるけど、貴方もきちんとやってきなさいよ…」
「ソフィア、ハサンには何を言っても無駄だよ。バカだから」
「バカで結構だ!」とハサン。
「――うるさいぞ! 黙って正座していろ!」
教室内から、バルザック先生の怒鳴り声が響いた。
「ひゃ」ソフィアは肩を弾ませた。
「おこられた……」と俺が言う。
「おこられたね…………」とソフィアが申し訳なさそうな顔で笑いながら言った。
というわけで、結局廊下で正座させられてしまったわけだ。
つまり、未来を見ることはできたが、変えられなかった。
未来予知はできても、未来を変えることができない。
たびたび襲ってくる嫌な予感の正体も、全くわからない。
この能力は果たして意味のあるものなのだろうか?
そんな疑問が尽きない。
俺の名はミキト。決定した未来が見える。出席番号は七番目だ。




