第12話 キリの長い一日 放課後編
キリ視点
放課後の教室。
私はいつも、委員長で寮長でもあるソフィアと一緒に、眠るルネを連れて寮へと帰るのだが、今日は、その義務にも似た習慣行動を実行することができない。
そのことをソフィアに伝えなくてはならなかった。
「ソフィア」
「ん? キリ? どうしたの?」
「私、これからワンダ先生と……居残り授業があるから、ルネをお願いしたいんだけど……」
「ええ、いいわよ。任せておいて。部屋のベッドに寝せておけば良いのよね」
「うん。お願い」
「お安い御用よ」
快諾してくれた。
「ありがとう」
そして皆が帰った後、一人椅子に座り教室に残っているとワンダ先生がやって来た。
「お待たせ」
ワンダ先生はピシャンと引き戸を閉じる。
私は、立ち上がって、「お願いします」と言って軽く頭を下げた。
先生は、私の方に向かって歩きながら、私の前の窓際二列目の席、つまりマリアの席の机を念動力を使って手を触れずにぐるりと半回転させる。そして長方形の机の、長い辺同士をくっつけて、向かい合って座る席を作った。
「さあ、はじめるわよ」
「はい」
先生が席に着いたので、私も座る。
「キリ。私は、キリに私が知っている催眠術を全てを教えるわ」
「……え」
「こわがっていても何も始まらないでしょう?」
「こわがるなんて……」
「こわいでしょう? 私もこわかったもの。自分がそうだからって、他人にそれを押し付けたりしたくないけど、絶対こわいはずなの。そして、催眠の力なんていらないと思ってるでしょう?」
「え……何で、わかるんですか?」
「私もそう思ったもの」
「先生も?」
「ええ。どうして人を操る能力を持って生まれてしまったんだろうって悩んでた」
私と、同じだ。
「それでね、キリ。今までもずっと思い悩んだと思うけど……もっともっと悩んでほしいの。そして、自分にどうして催眠の力が宿ったのか、考えてみて」
「そんな、どうして……」
どうして教えてくれないの、その理由を……と言おうとした。でも、その言葉を発したら怒られる気がして、飲み込んだ。
「キリの能力でしょう? キリが好きになってあげないで、どうやって使いこなすの?」
ああそうか、つまり、私が、自分が催眠術師だという自覚を持たなければワンダ先生は認めてくれないのか……。
「次回の美術の授業がある日の放課後に、もう一度きくわ。どうしてキリが催眠の力を持っているのか、ね」
次回の美術……七日後か……。
私はこくりと頷いた。
「……さ、それじゃあ、今日はこれだけ。本格的に催眠の訓練をするかどうかは、次のこの時間に決めるわ。いいわね?」
「はい」
「それじゃあ、気をつけて帰ってね」
「はい……」
私は、先生に一礼すると、いつもよりしっかりとした足取りで教室を出た。心はこんなにグラグラしているのに、どうしてちゃんと歩けるのかと考えて、普段は、ルネを寮まで歩かせるのに集中しているからだという事実に気付いた。
歩くという行為を意識したことはなかったけど、それと同じように、私は自分に無意識のうちに催眠をかけているらしい。自分はできない子だ、という催眠を……。
寮へと続く砂の道を歩いていく。
「私は……できる子だ……」
そんな事を呟いた。
「私はできる子だ。私はできる子だ! 私はできる子だぁ!」
夕暮れオレンジの空に響くように、自分に言い聞かせた。それで何かが変わればいいと思ったけど、心の何処かでやっぱり変わらないんだろうな、と思ってしまっていた。
もしも、七日後の放課後までに、私の決意が決まらなかったら、どうなるんだろう。やはり、見放されるのだろうか。
「ただいま」
寮に戻って、直接食堂に行ってご飯を食べた後、私とルネの部屋に入ると、ルネは起きていた。珍しいことだった。
「あ、お帰り、キリちゃん」
「ルネ? 珍しいね、こんな時間に起きてるなんて」
「うん。今日はなんか調子よくて」
「晩ごはんは? もう食べた?」
「うん。食べれる時に食べておかないと、また寝ちゃうから……」
ルネは、スケッチブックに鼻歌交じりに鉛筆で落書きをしていた。
「何描いてるの?」
私が訊くと、得意満面の笑みを浮かべて描いていたものを私に見せてきた。
綺麗な女の人の絵だった。それは落書きというようなレベルではなく、デッサンというものだ。
「これ、誰?」
「キリちゃん」
え?
「私……こんなに美人じゃないよ」
「いいの。私にはこう見えるの」
どんな感覚をしているんだろう。私をこんなに美人に描いて……。
「キリちゃんはさ、もっと自分に自信を持っていいと思うよ」
ルネも、先生と同じことを言う。
「折角、私と違って長い時間起きていられるんだから……もっと、楽しそうにしてよ」
「私、楽しそうじゃないかな……」
「うん。だからむかつくの」
ルネの言葉が刺さって、ずきりと胸が痛んだ。
「そう……なんだ……」
「私が、キリちゃんのこと好きなんだから、皆キリちゃんのこと好きなはず。だから、もっと……ふぁ……あれ……また大事なところで眠くなっちゃった……ごめん、キリちゃん、おやすみ……」
「ううん、言いたいことはわかったから……ごめんね……ルネ」
机に伏せて寝てしまったルネを布団に運ぼうかなと考えたその時、タイミングを見計らったかのように、コンコン、といつものノック音が響いた。
「はーい」
返事をしながら扉を開けると、ソフィアとユーナが立っていた。
「あ……さっきはありがとう、ソフィア」
「どういたしまして。ねぇ、キリ。ルネ、どうしてる?」
「今ちょうど寝ちゃったところなんだけど」
「それは好都合ね! お風呂行きましょうお風呂!」
これもいつもの習慣だ。ルネが眠っている間に、ルネと一緒にお風呂に入るのが、ソフィアの楽しみらしい。最近では、それにユーナも加わり始めた。
プライバシーも何もあったものではないが、眠り続けるルネをお風呂に入れて一日の汚れを落としてあげようと思うのは自然なことだ。もちろん、眠っている間に、裸にされてお風呂に入れられていることをルネは知っている。知っていて許可しているのでそこまで大きな問題はない。
扉を閉め、四人で大浴場へと向かう。
私とソフィアは、ルネを大浴場まで運ぶ。自分の服を脱いで、ルネの服を脱がせ、半透明な引き戸を開けて、蒸気で白い靄がかかった広いお風呂場に足を踏み入れる。石造りの大きなお風呂場が、視界いっぱいに広がっていた。
「ここからは、滑るから……」
「うん」
私は、ルネを動かす力を遮断する。ソフィアに任せるのだ。私の力はソフィアに比べて正確さに欠ける。一番安全な方法を考えれば、ソフィアが一人で動かした方が良い。
珍しいことに、選抜学級の女子全員がこの大浴場に集結していた。とは言っても、百人以上が同時に入れるお風呂にたったの九人だ。だだっ広い豪華風呂にたった九人。贅沢だった。特別な学級の特権の一つと言える。
デヴとリンとファファは屋外の露天風呂にいて、マリアは室内の隅のお風呂で一人、湯に浸かっている。これは、たまに見られる光景だ。
普段絶対に無いのは、ジュヒが大浴場に来ることだ。ジュヒはサウナにいた。いつもはジュヒが大浴場に来ることはないのだが、昨日からジュヒの部屋のお風呂が壊れてしまっているらしく、直るまで大浴場に来ることとなったという。
ソフィアはゆっくりとルネを滑りやすい床の上に敷かれたタオルの上に寝せた。
「……今日は、どうするの? ユーナ」
「今日もいつもと同じよソフィア。毎日の繰り返しが重要なの」
何をしようとしているのかというと、簡単に言えば、美の追求だ。
最近、ルネを使って、美のプロフェッショナル的存在であるユーナが美肌についての講義をしているのだ。ルネの肌も私たちの肌も綺麗になって、いいことだらけだ。
「いい? 毎日言うけど、簡単に肌と言っても、体の部位、顔の部位によってそれぞれ洗い方を変えるべきなのよ」
私とソフィアは、うん、うんと頷く。
ユーナは、とても美しい人だ。しかも、その美しさというのは、努力で磨き上げられていて、嫉妬するくらい素敵な人だと思う。ただ、男性関係がだらしないのが素敵さを打ち消して余りあるくらいに最大最悪の難点なんだけど……。
「それにしても……ルネの肌もずいぶん綺麗になったわね……」
そう。元々は、ソフィアがルネの肌が荒れてしまっているのを気にしたことから始まったのだ。そこからユーナという先生を得て、ルネの肌の美しさのレベルは飛躍的に上昇した。
「油断しちゃダメよ。継続しなきゃ美しさは維持できないんだからね」
ユーナは言いながら、ルネの身体を洗い始めた。
私達は、そのユーナの動きを食い入るように見つめていた。少しでも自分が体を洗うときの参考にしようというのだ。
「んぅ……」
ルネが少し動いた。
「ひゃ!」
ユーナがそれに反応して飛び跳ねるようにルネと距離を置いた。
ユーナは、寝ているルネは平気なのだが、起きている時のルネが恐ろしいらしい。何かトラウマでもあるのだろうか。
体を洗い終え、湯船に浸かる。デヴとリンとファファの三人が外に出て行った。それを確認してだろうか、マリアが出て行った。マリアが出て行ってすぐに、ぐったりとしたジュヒがサウナから出て、水風呂に浸かった。そしてすぐに、出て行った。
私たちも湯船から上がり、再び体や頭を洗った後、外に出る。
ルネに服を着せると、私はいつものように、ルネの額をパシンと叩いて、起こす。
「うぁ……あ……キリちゃん……何……?」
「お水、飲んで」
水分を摂らないと、ルネの体調がおかしくなるので、水を飲ませる。
「はぁい」
ルネは寝ぼけたまま、コップ一杯の水をごくごくと飲み干すと、一つ息を吐いて再びパタンと眠ってしまった。
「ゴクゴク……っぷはぁ! やっぱ風呂上がりはコレよね!」
甘い炭酸飲料を飲み干したソフィアがそう言った。
未成年であるし、超能力者はアルコールを摂取することも禁止されているので、決してビールなどではない。未成年飲酒、ダメ絶対。
「いやいや、やっぱりこっちでしょう! ね?」
と、牛乳コーヒーを飲み干したユーナが私に向かって同意を求めるように言った。私もユーナと同じものを飲んでいたからだった。
「ええ」
私は応える。私もどちらかと言えば牛乳コーヒー派だ。炭酸が苦手なのだ。
しばらく休憩した後、四人で私とルネの部屋に向かう。そして、いつものように部屋の前で別れた。
「じゃあ、キリ、おやすみ」
「うん。また明日」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
扉は開いて閉じられた。
ルネの歯を磨いてあげた後、ルネの布団を取り替えてやり、そこにルネを寝かせる。
どこかボンヤリとした意識で、すぐに眠れそうだった。だけど、私の習慣としていることは、あと一つだけ残っていた。その習慣とは、就寝前の読書だ。
部屋の明かりは消し、私は二段ベッドの下の段で、蝋燭の明かりを頼りに、昼間図書館から持ち帰った恋愛小説の表紙を見た。薄っぺらい本だから、すぐに読み終わると思って選んだものだった。
「題名は……『愛のおまじない』作者は、えっと……ワンダ・ストライクフィールド……ってまさか……ワンダ先生?」
ワンダ先生、小説まで書いていたのか。
驚きながらもページを捲る。
「私は、他人を催眠で操ることができた……」
パタン。
はじめの一行を声に出して読んで、すぐに私はその本を閉じた。また明日、読もうと思った。今日のようなぼんやりとした頭で読んで良い本ではない気がした。
偶然手に取った本が催眠について書かれていて、しかもそれが、ワンダ先生が書いた本だなんて……。もしかしたら、本は読み手を選ぶのかもしれないな、なんてことを思う私だった。
目覚まし時計が鳴るようにセット。
蝋燭の明かりも消した。
今日は、いつもよりとても長い一日だった。人生で最長と感じられるような一日が、ようやく終わる。目を閉じた。なんだか今夜は、よく眠れそうだ。
私はキリ。趣味は読書。出席番号は、五番目。