第9話 情熱のデヴ
「やば……また太っちゃった……」
三人部屋の隅に置いてある体重計に乗ると、前回乗った時よりほんの少し、体重が増えていた。
「あ、そっか。服着てるからだ」
呟いて、周囲を見渡してファファとリンが居ないことを確認する。また二人でどこかに遊びに行ったのだろう。私は下着姿になった。だらしない体型だと自分でも思う。
再挑戦。
「あっれぇ……?」
結局、太っていた。落胆しながら体重計を降り、服を着た。
確かに最近食べ過ぎたかもしれない……。
ファファが食欲無いって言うから「勿体ない」と思ってファファの分もご飯を食べてしまっていた。二人分食べてしまったら、それは太るわよね……。
私が生まれたのは、氷の上だった。今はもうこの星のどこにも存在しない場所。私が生まれて数年で、溶けて崩れてしまった氷河。
詳しいことはわからないのだが、私は氷河が崩れる時に一度死にかけているらしい。
まだ自我も芽生えない頃、割れた氷の隙間から落ちて、海に叩きつけられようとした私を助けてくれたのが、超能力者だった私のお祖父ちゃんだという。そのお祖父ちゃんは、その時に無理して力を使いすぎたから死んでしまったと聞いた。
生まれてすぐに、私に超能力があることはわかったのだけど、両親の希望で、十五歳になるまでは超能力学校に入れずに育てられた。お母さんもお父さんも、私にたくさんの愛情をくれて、そして約束の十五歳になった私を、心配そうに見送ってくれた。
私は、ここに来た当時は、まだ痩せていたのだけど、それからたった一年でこの有様……。
意志の弱い自分が嫌にもなる。
超能力学校に入ってすぐに選抜学級に入った私は、マリア姉さまと出会った。マリア姉さまは、どこか、故郷の氷河を思い出させてくれるから、大好きだ。頻繁に「近寄らないで」と言われるのが悲しいけど、それでもマリア姉さまからは奥底から優しい雰囲気が発せられているから、私は、マリア姉さまにくっついて歩いた。
私と同じ時期に選抜学級に入った幼い二人の女の子、リンとファファが、私にくっついて歩いていたので、必然的に、マリア姉さまに、私達三人が群がっていた。はじめのうちは、迷惑そうに顔をしかめているマリア姉さまだったけど、最近は、観念して、私に「近寄らないで」と言うこともなくなった。
ファファとリンは、一時期、私のことを「ママン」と呼んでいたけど、十六歳という若さでそんな風に呼ばれるのが嫌で「お姉ちゃん」と呼ばせることにした。
だけど、後になって、二人が他の女の子のことも「お姉ちゃん」と呼んでいるのを耳にして、二人にとって自分が特別じゃないように思えて、よくわからない複雑な気分になった。
私は音楽の授業が一番好きだった。
まだ選抜学級じゃなかった頃、皆が私の歌を褒めてくれて、「歌姫」という称号までもらった。
「太ってるからアイドルにはなれないね」とか、「その脂肪を擦り合わせることで美しい響きが生まれるのか」などという暴言にも似たことも言われたりしたけれど、太っているのは事実だから仕方ないな。
私は、生まれつき特殊な超能力を持っていた。それは発火能力というものだ。何も無い場所から炎を生み出すことができるのだ。その能力があったから、きっと私は選抜学級に入れたんだと思う。
「要するに油の入った樽だな」とか、「その脂肪分というか脂身が燃焼しているわけだな」とか、発火能力にまで太っていることで暴言を受けた。太っていることがそんなに罪なのだろうか?
さて、発火能力というのは、とても危険な能力だと思うけれど、今現在、私の能力はそれほど危険なものではない。能力の発動に高度な精神集中が必要なので、夢を見ていて誤って発火するなどということはないのだ。
覚醒状態で目を瞑って、意識を集中させないと少しも発火しない。しかも、炎を出すことのできる範囲はせいぜい半径二十メートル以内で、しかも握りこぶしくらいの大きさの炎を数秒間出現させるのが限界。
半径三百メートルを長時間凍結させることのできるマリア姉さまはやっぱり凄いんだな、と思う。私と同じ発火能力を持つのが、バルザック先生らしいのだが、詳しくは知らない。バルザック先生に興味があるかと言われれば、それは……あったけど……。
★
ある日の放課後のことを思い出す。
私は時々、放課後の音楽室で歌を歌うのだ。その日も、一人で壁につぶつぶ空いた穴を見つめ、太鼓を抱えて歌を歌っていたのだが……その日は、いつもの違うことがあった。
パチパチパチ。
私が何曲目かの歌を歌い終えた時、背後から拍手が聴こえた。振り返ると、そこにいたのは、バルザック先生だった。
「いい歌だ」
「あ、ありがとうございます」
「実に、情熱的だ」
バルザック先生はそう言って、じっと私を見つめると、私に向かって真っ直ぐ歩いてきた。
何故か頭を撫でられた。そして、
「キスしてもいいかな」
そんなことを言った。突然すぎてわけがわからない。
「い、いけません、先生……私は生徒です」
こわい。助けて……誰か。
「教師? 生徒? そんなものは関係ない。俺は超能力者で、君も超能力者だ」
「言っている意味が……わからない……です……」
「意味? そんなもの、無いっ」
「や、やだっ!」
私は、拒もうとしたが、男の人の力に敵うわけがない。バルザックは大きくて強かった。
「ぅ…………」
私を力強く抱きしめたバルザック先生。少し苦しい。
「バルザック先生……何を……」
「おそらく君の発火能力が、俺のハートに火を点けた!」
変な事を言っていた。
「やめて……ください……」
「炎が出せるものなら出してみろ! それを押さえつけて余りあるほど、俺のハートは燃えている!」
「い、意味のわからないこと、言わないで下さい」
「いくぞ!」
「……いやぁ!」
口を塞がれた。
「……ん……ぅぅ……」
無理矢理唇を奪われた。
「あ……あ……あ…………うわああああ!」
悲鳴に似た声を上げながら私は、抱えていた太鼓を放り出して、音楽室を飛び出して、走った。いつもの通学路を走った。伏せる猫の形をした岩がある辺りで一度転んだ。その後も女子寮まで全力で疾走。何度か転びながらも、怪我は一つもしなかった。
「はぁ……はぁ……」
息を切らせて汗かいて、短い髪もぐしょぐしょに濡れて乱れて、床の上に倒れ込んだ。
すぐに寮の玄関に横たわる私を見つけたソフィアが、
「あれ? どうしたのデヴ? そんなに汗かいて……」
どうしよう、と思った。ソフィアに相談するべきかもしれない。でも、音楽室での出来事を報告したりしたら、バルザック先生の立場が危うくなってしまうんじゃないかな。それは可哀想だ。迷った末に、
「ちょっと、ダイエットをね……最近太ったし」
ダイエットということで誤魔化そうとした。
「そうなんだ。あ、実は私もちょっと最近やばいのよね……私もやろうかしら。ダイエット……」
「そんな……ソフィアでやばかったら、私なんて終わってるじゃない」
「……あ、そうだわデヴ、お風呂入ったら? 今ちょうど大浴場のお風呂入れるようになったわよ? そんな汗だくじゃ気持ち悪いでしょう?」
「あ、うん。そうする……よい……しょ……」
私は重たい体で、のそのそ立ち上がり、フラフラと大浴場へと向かった。
本来、大浴場の使用時間は、学級ごとに区切られていて、選抜学級の生徒の使用時間はいつも一番最後ということになっていた。選抜学級の授業が、他の学級の授業時間よりも遥かに長いためだ。
だけど、その時の私みたいに、心からお風呂を求めていた場合は、特別に入ってもいいことになっていた。つまり、形骸化したルール。
あの日、音楽室で会ったバルザック先生のことは忘れよう。悪い夢を見ていたんだ……。
★
回想を終えて、体重計から降りた私は服を着て窓の外を眺める。オレンジ色の大地の向こうに水平線が見えた。
不意に扉が開いて、
「ただいま! デヴ姉」
「ただいまぁ!」
ファファとリン。
可愛いルームメイト二人の声がした。
「おかえりなさい」
私はいつものように、笑顔で迎える。二人が私に向かって突撃してきた。
私はデヴ。太っている。出席番号は、一番目。