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ファミリア #魔女集会で会いましょう

作者: 鴎野水平線

陽当たりの悪い裏通りで、古本屋と服の修繕屋に挟まれ、剰え通りからちょっと奥まっているせいで全然目立たない小さな店が、魔女ソフィアのお城だった。

立地条件は芳しくないとはいえ、この街で唯一の魔法薬専門店であり、ソフィアにしか調合できない魔女の秘薬は効果抜群で、多少値は張っても定期的に購入したいというお得意さまのおかげで幸いにも生活は苦しくなかった。

ただし、値の張る魔法薬を作るには、希少な薬草や樹液、茸などが必須で、それらをどれだけコンスタントに入手できるかが魔法薬専門店の絶対の生命線である。

庭で栽培したり、山で採取すればよいという簡単な問題ではなく、最も適したタイミングを見極めて摘み取らねば普通の雑草に成り果てる類いの薬草は非常に多いし、一度にたくさん採るとダメになってしまうもの、他の薬草と一緒に持ち歩くだけで効果が失われるもの、または、獰猛な獣の巣にしか生えないものなど、薬材の調達は常に困難と隣り合わせなのだった。

そんなわけで、収穫の正しい時機を逃さないよう、ソフィアのスケジュール帳はいつも綿密な採取計画がびっしり書き込まれていた。

「今回のルートは、まず、日没までにながひげ岳のスダキ草。夜になる前にあさぎ谷へ降りて、月が昇るのを待ってマヨヒ苔の採取。夜明けには、ふえふき峠で朝露に濡れたコダマツリ花の蕾を採らなきゃならないから、夜通し歩くことになるわね。けもの避けの香木、まだ棚にあったかしら」

ソフィアは、ネコの使い魔フィリアに留守を託して、カラスの使い魔フォビアをお供に、朝早くながひげ岳に向け出発した。

結論から言えば、今回の薬草採取は、計画どおりにはまったく、運ばなかった。

留守居役のフィリアが僅かでも陽の射す場所で眠りたいネコの欲求に従って屋根の上で毛づくろいをしていると、フォビアが飛んで帰ってきてこう告げた。

「すぐにお湯を沸かす必要がありますよ」

フィリアは目を丸くして答えた。

「ずいぶんと早いお帰りですわね? ソフィアは、一緒じゃありませんの?」

「事情が変わったのです。ソフィアはあとから来ます」

「あらまあ。まさか怪我などしていないでしょうね」

「ソフィアはピンピンしてますが、厄介なことになりました」

フォビアが、本題をぼかすようなものの言い方をするのは非常に珍しいことだったので、事の大きさを察したフィリアは自慢の長いしっぽを一振りすると、店の中へ入った。

実際、ソフィアが持ち帰った「厄介ごと」はフィリアの予想を超えるものだった。

ソフィアが両手に抱えていたのは、スダキ草でもマヨヒ苔でもなく、薄汚れてぐったりとした人間の子どもだった。

ソフィアはテキパキと子どもの服を脱がせ、傷の有無を確認してから、温かいお湯で全身を拭っていった。フォビアとフィリアは邪魔にならないようにソフィアの後ろから見守り、もとい、覗き見ていた。子どもは男の子だった。

ソフィアに世話を焼かれているあいだ、男の子は目を開きつつも一言も発しなかった。フォビアは苦虫を噛み潰したような表情で行ったり来たりしていたが、フィリアは、少しずつ汚れが落ちていくとともに浮き上がってくる本来の端麗な容姿に惚れ惚れとしてしまった。

長めの漆黒の髪に、ふた粒の瑠璃を嵌め込んだ瞳。上品な浅黒い肌は、さかしま山脈の向こうの王国の人間であることを示している。ソフィアが脱がせた衣服の質からもそれは明らかだ。

「フォビア、この子の服をおもちゃにしないで」

背中越しに主人に制され、粗末な布地の服を嘴でつつくのをやめたフォビアは、声をあげた。

「私は反対ですよ。見ず知らずの子どもの面倒を見るなんて絶対反対です」

「あら、わたしは悪くないと思いますわ。この子、とっても綺麗」

と、フィリア。

「美醜で判断するのはよしなさい。これだから雌のネコは。君は人間を育てる難しさを知らないでしょう」

「わたしが知っているのは、わたしたち使い魔はご主人が望むことを手助けするために、ここにいるということですわ」

のんびりした口調で本質を突かれ、フォビアはそっぽを向いた。そして不機嫌に言った。

「……言葉もわからない異国の子どもなんですよ」

すると、ソフィアがぱっと立ち上がって、両手を腰に当てて言った。

「そうなのよ。だから、フォビア、フィリア、まず言葉から教えてあげてちょうだい」

「わたしとフォビアで、ですか?」

「こんな、縁もゆかりもない子どもを、本気で?」

「あんな山奥で生きて出会ったのだから、縁もゆかりもあるのよ、フォビア。あなたもフィリアもそうして出会ったのが始まりだったじゃない」


夜。

悪夢を見ずにぐっすり眠れる薬湯を飲み、横になってすぐ寝息を立て始めた異国の少年を囲んで、ソフィア、フォビア、フィリアの三名はそれぞれの思いに耽っていた。

フォビアとフィリアは、自分がソフィアに拾われ使い魔になった日のことを考えずにはいられなかった。どちらも同族から弾かれ、孤立し、行き倒れ寸前のところをたまたま通りかかった魔女ソフィアに救われたのだ。

群れの中の個体としては二匹は弱く、自然界で生き抜くのは難しかった。野生動物から使い魔へ変わることで新たな生を得た二匹は、それから今までずっと幸福に暮らしてきた。

フォビアは、少年が人気のない山奥でうずくまっていた光景を思い出し、昼間の自分の発言を省みて、嘴を下げた。その嘴を、ソフィアは指で優しく撫でて言った。

「我儘に付き合わせてごめんなさいね」

「いいえ。フィリアの言葉が正しいです。使い魔はご主人の望みの手助けをする存在なのですから。第一使い魔でありながらその本分を忘れて大騒ぎして、己が恥ずかしいです」

フィリアは、フォビアの隣に寄り添い、優しく喉を鳴らした。

「この子に帰る家はないのでしょうか」

「今はわからないわ。ただ……」

眠る少年の手のひらを、ソフィアがそうっと開いてみせる。そこには小さなバツ印の傷跡が痛々しく残っていた。

「貴族が、小姓として連れてきた子どもにつける印よ。攫われたか、買われたか……。どちらにしろ、この子は逃げ出したんだと思う。そこにかえすわけにはいかない」

仮に故郷の生家に戻しても、売られた子どもだった場合、話が複雑になることもある。この少年が、より傷つく事態もあり得るのだ。

ひとつ、深く息を吸って、ソフィアは語った。

「私はね、慈悲の心で、あなたたちを拾ったんじゃない。家族が欲しかったの。この薬剤店は私のお城だけど、ひとりぼっちは寂しかった。すべて身勝手な我儘から始めたこと。だからこの子を助けるのも、ここで面倒をみるのも、結局は自己満足。私、この子と暮らしたいと思ったの」

もちろん、少年が自分の意思でこの店から出て行くと言う日まで、という期限付きになるが──それでも。

「ここは貴女の城。我々は貴女のもの。仰せのままに致します」

フォビアが恭しくこうべを垂れる。

「……まず、名前を聞かなきゃいけませんわね」

フィリアが、ソフィアの体に頬をこすりつけながら言った。

フォビアが聞いた。

「名前のない子だったらどうします?」

「名前はもう決まってるわ」

ソフィアが答えた。

「イデアよ」

フォビアとフィリアは顔を見合わせ、互いに微笑んだ。

「実に良い名前です」

「受け取ってもらえるといいですわね」

自己満足のためと言いながら、魔女ソフィアが惜しみなく与える情の深さとぬくもりを肌で識る二匹は、異国の少年の受けた傷がゆっくり癒されていく日々を想った。

イデア。この世の外側にある真実を意味する名前。

それは、この街で唯一の魔法薬専門店の──ソフィアの大切な城の、屋号だった。




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