64、帰国後
アエラスとシレンテがスペス国の王宮にたどり着くと、シレンテは一度着替えてくるといい、家へと帰った。アエラスは着替えるのが面倒であったため、そのままフィニスの所へと向かう。
「ただいま、フィニス」
「アエラス。その顔は上手くいったんだな」
「うん」
「交渉結果は?」
「マラキアに全面的にこちらの要求を呑ませたよ」
アエラスはマラキアがサインをした書類をフィニスに渡しながらいう。フィニスは頷きながら受け取った。
「それでアエラス」
「なに?」
フィニスは声を潜める。その焦茶色の瞳には警戒が浮かんでいる。
「……何を壊してきたんだ?」
「壊してないよ! 穏便に、ちゃんと穏便に話をして帰ってきたから」
本当に穏便、といえるかは首をひねるが。散々脅して頷かせた。それでも、武力の行使をしなかっただけ、まだ穏便といえるだろう。
アエラスの言葉に、フィニスは意外そうな表情をする。解せない。アエラスのことを何だと思っているのか。
「アエラスが城を壊すか、街を壊すか、国ごと壊すか、シレンテと賭けをしていたというのに」
「ちょっと、何しているの」
「ちなみに俺は国に賭け、シレンテは街に賭けていた」
「ねえ、本当に何してるの? 後でシレンテもいるときにゆっくりその話をしようか?」
帰り道にシレンテが何も壊さなかったか、とぼやいているのが不思議だったが。
なぜ2人してそんな規模の大きい方に賭けるのか。ちなみにアエラスは自分が壊すとしたら城だと思っていた。
声をあげて笑ったフィニスはアエラスの方を見つめる。
「お前にしては堪えたじゃないか。城や街の1つや2つ、破壊してくるかと思ったが」
「いやー。年をとるって嫌だね。後始末を考えると面倒になっちゃって」
「他の理由は?」
アエラスを見透かすような焦げ茶色の瞳。その目に見つめられ、アエラスはボソリと答えた。
「……エリーが住んでいた城、ルースが住んでいた城だ。街にしてもそうだ。2人の思い出があるかもしれない場所を壊せなかった」
アエラスにとっては無意味な場所だけれど。自分にとって大切な人達が過ごしていた場所だ。もしかしたら、大切な場所があるかもしれない。そう思うと、壊せなかった。
「本当はもっと派手な報復をしたかったけれど……。まあ、全部要求を呑ませたからよしとするよ」
アエラスにしては上品な方法だが、自分も年を重ねた。感情だけで動くほどの無邪気さはない。
「アエラス。いや、アエラス・クレアティオ」
「はい」
フィニスが立ち上がる。そして頭を下げた。
「お前の働きに最大限の感謝を。正式な礼は公の場で」
「やめてよ。ほとんど私怨で動いているのに」
アエラスは慌てるが、フィニスは口元に笑みを浮かべた。それは少し困ったような笑みだった。
「俺に感謝をいう権利くらいは与えろ」
「……分かった」
アエラスは鞄に入っているものの存在を思い出し、取り出した。
「なんだ、それは」
「エリーの秘密。そしてルースへの形見」
「秘密……。まあ、エリーはあっただろうな。たまに遠くを見つめていた。何を知っていたのか、と何度思ったことか」
「エリーが遺したメモには、私かルースかフィニスが見つけることを想定していた」
「……ルースも呼んでから読むか」
フィニスが、アエラスの家に連絡を入れるように手配をする。それが終わり、戻ってきたフィニスは、アエラスが他に持って帰ってきたものに視線を向けた。
アエラスがピンクダイヤモンドのペンダントをフィニスへとみせる。
「フィニス、これ覚えてる?」
「ああ。お前と連名で贈ったペンダントだろう。エリーはちゃんと持っていたんだな」
「そうみたい」
アエラスがペンダントを見つめる。エリーが大切にしていてくれて良かった。本当に。ふわふわとした気持ちに支配される。
目の前のフィニスが呆気にとられたような顔でアエラスを見たため、首を傾げる。
「え、何? フィニス」
「……お前のその顔をみてもエリーが惚れなかったのが不思議でしかない」
フィニスが小声で言ったため、アエラスまで声は届かなかった。アエラスはフィニスの方に身を乗り出す。
「え、ごめん。聞こえなかった。もう一度言って」
「エリーが大切にしていて良かったな」
「うん。良かったな。本当に」
勝手に頬が緩む。フィニスはまた何か言いたげな顔をしていたが、結局何も言わなかった。
しばらく部屋には沈黙が流れた。フィニスが何を考えていたかは知らないが、アエラスは過去のエリーに思いを馳せる。
がちゃっと扉が開く音がした。
「お呼びですか?」
「ルース」
アエラスを視界に捉えたルースが目を見開いた。そしてアエラスに駆け寄る。
「お父様! 無事で、良かったです。お帰りなさい」
「ただいま、ルース」
ルースがアエラスをみて目を輝かせた。それをみて、アエラスは微笑む。
「多分、マラキアはこれ以上ルースに干渉してこない。スペス国に戦争をしかけることもない。解決だ」
「……お父様、ありがとうございます」
「ルースのためならこれくらい、何回でもするよ」
「いえ。もうこれが最後にしてください。僕のために、命を懸けるようなことは止めてください」
ルースが強い意志の宿った目でアエラスを見つめる。アエラスは胸をつかまれたような思いだった。
いつまでも、ルースは庇護下にいてくれない。アエラスが抱きしめていたくても、その中から飛び出していってしまうのだろう。
「……それじゃあ、1つだけ約束して。君が世間に何と呼ばれようと、私の息子である事実は変わらない。学校に行き始めた後もそうだし、卒業してからもいつでも助けを求めてね」
ルースは「天才」と呼ばれるようになるだろう。かつてのアエラスのように。
アエラスと違って、ルースは優しい子だ。シレンテに伝えたことと同じだ。ルースもきっと、苦しめられる。
「絶対に助けてって言って。そうしたら私の持つ力の全てを使って、君を助けるから」
「……? 分かりました」
ルースは不思議そうにしていたが、はっきりと頷いた。アエラスはルースに微笑みかける。
この子は本当に優秀だから。先ほどもルースの保護魔法に助けられた。
保護魔法のお礼を口にしようかと考えたアエラスだったが、結局は心に留めた。わざわざ改めてお礼を言えば、ルースの保護魔法が発動する事態となったことを悟られてしまうかもしれない。余計な心配はさせたくない。
ルースがフィニスとアエラスを交互にみながら、口を開いた。
「それで僕を呼んだのは、どうしてですか?」
アエラスがフィニスの方をみる。フィニスが頷いたのをみて、ペンダントと手紙を手渡した。
「これは……」
「おそらく、エリーが君に遺した物だ」
ルースがぱちりと瞬きを繰り返す。そしてアエラスから受け取った。
「お母様が……」
呆然とした顔で呟いたルースは、ペンダントを窓の方にかざした。太陽の光を浴びてキラリと光った。
「お母様の髪色に、似ていますね」
「やっぱりそうだよね。エリーがコスモ国に嫁ぐときに私とフィニスが贈った物なんだ」
「え、お父様と叔父様が……? そんな大切な物を僕が持っていて良いんですか?」
「君に、持っていてほしいんだよ」
ルースの翡翠のような瞳がアエラスを見つめる。その様子をみて、アエラスは笑みを浮かべて頷いた。
「お母様……」
ルースが涙ぐみながら呟いた。宝石のような輝きを光った瞳が伏せられるのを見ながら、アエラスはルースの頭を撫でる。
アエラスは、もう謝らない。母親をあげられなくてごめんと以前は言ったが、今は言わない。
ルースにとっての母親はエリーだけ。それが伝わってきているから。謝るのはルースの思いも否定することになる。
「手紙は、自分一人でいる時に読みな」
「はい」
エリーがルースのために紡いだ言葉。気にならないと言えば嘘になる。しかし、ルースのための言葉だ。踏み込まないことも大事だろう。




