58、敵地
アエラスとシレンテがコスモ国へ行く日になった。アエラスは軍服を身に纏っている。真っ黒な手袋をはめているとルースがアエラスのところにやってきた。
「お父様、かっこいいですね」
ルースの褒め言葉に、アエラスは微笑んだ。
「ありがとう。いつもよりちゃんとして見える?」
「お父様はいつもかっこいいです」
アエラスはルースの頭を撫でる。嬉しそうに微笑んだルースはアエラスへ抱きついた。
抱きついてすぐ、ルースは真剣な表情を浮かべた。彼が特殊魔法を発動させる。ルースの魔法、保護魔法。それがアエラスに広がった。その温かな魔法をアエラスはただ受け入れる。
シレンテには、前日保護魔法をかけておいたらしい。1週間くらいは容易に維持できるというルースの能力には驚かされるばかりだ。
魔法をかけ終わったルースが、抱きついたままアエラスの方を見上げた。
「魔法、ありがとう」
「お父様。絶対に、絶対に無事帰ってきてくださいね」
「うん。勿論。戦争を仕掛けに行くんじゃないんだから」
「……僕が自分で対処できるほど大人だったら良かったのに」
アエラスはルースを抱きしめる腕に力を入れながら首を振った。
「それは違うよ。君が何歳になろうと、私のかわいい息子だ。仮に君の年齢がもっと大きかったとしても、私が動いたはずだ」
年齢なんて関係がない。
「私は君の父親なんだ。だから、君を守るのは私の役目だ」
他の誰も変わることはできない。アエラスの特権であり、アエラスがしたいことだ。
「だから行ってくるね」
「絶対に帰ってきてください。もしお父様に何かあれば、僕の手でコスモ国を滅ぼします」
ルースの考え方が自分に似てきた気がする。気のせいだろうか。アエラスは苦笑した。
「ルースの生まれた国を滅ぼさないためにも、ちゃんと帰ってこないとね」
「はい。ニクスさんと一緒に大人しく待っています」
「うん。そうして」
ちなみにコスモ国へ行くと伝えたとき、ニクスとは揉めた。めちゃくちゃ揉めた。
自分もついていきたいというニクスに対し、アエラスは残ってルースと共にいてくれと懇願した。アエラスは命令をすることもできたが、敢えてそれをせずに懇願を続けていたら、最終的にはニクスが折れた。
「ニクス、ルースをよろしくね」
「……はい」
アエラスはニクスに耳打ちをした。
「私の命よりも大事なものを預けるよ」
「分かっていますよ。一応もう納得はしましたから」
まだ少し不満げなニクスであったが、それでも頷いた。
「アエラス様の信頼を裏切らないようにします」
「うん。よろしくね」
アエラスが馬車へと向かおうとしたとき、ルースが思い出したようにアエラスを止めた。
「そうだ、お父様」
「どうしたの?」
「お母様の遺品、持ってくるんですか?」
「……可能であれば、そうしたいけれど」
その要求を、マラキアが呑むか分からない。アエラスはできるだけ持ち帰りたいと思っているが。
「お母様が、亡くなる前に言っていたことを思い出しました。『花の後ろに美がある』って」
「花、の後ろ……? 分かった。覚えておくよ。ありがとう」
アエラスは馬車へ乗った。ルースとニクスへ軽く手を振る。
「行ってくるね」
「お父様、行ってらっしゃい」
「どうか、ご無事で」
発車した馬車はシレンテと合流するために王宮へと向かう。アエラスは軽く頬を叩いた。
さあ、上手く交渉できるかどうかに全てがかかっている。
◆
「マラキア陛下っ」
「なんだ。そんなに慌てて」
「来客が、ありまして」
「誰だ?」
「それが……。アエラス・クレアティオ公爵です」
「はあ?」
コスモ国。城では、突然の来訪客に混乱していた。いや、客といっていいのか。
隣国の英雄、アエラス・クレアティオ。
コスモ国の人間にしてみれば、悪魔のような存在。コスモ国を一瞬で敗戦国へと突き落とした人間。
「なぜ、アエラスが……」
いや。なぜ来たのかは検討がつく。アエラスの暗殺失敗の件か。あるいは自分の息子、ベルノの件かだろう。
しかし、なぜという言葉が咄嗟に出たのは。アエラス・クレアティオ自身が乗り込んできたからだ。あのほとんどのことに興味がなさそうだったアエラスが来た。それが何を意味するか。
マラキアは唾を飲み込んだ。
部下が報告を続ける。
「シレンテ・フルヴィウス伯爵も一緒です」
「シレンテ・フルヴィウス……?」
学生時代に名前はきいたことがある。確か、アエラスに懐いていた後輩だったはず。よくは知らない。それでもあのアエラスがわざわざ連れてきたのだ。何らかの特殊な能力を持つのだろう。
「今はどこに?」
「とりあえず、会議室に通しています」
マラキアは早足でそちらに向かった。一体何をしに。どの件で。心当たりはいくらでもある。それでもアエラスが自ら乗り込んでいるほどの件か? わざわざ自分から?
マラキアは会議室の扉を開く。そこで見覚えのある水色の髪が目に入った。
「やあ、マラキア。久しぶりだね」
マラキアは目を見開いた。敵地の城にいるはずのアエラスは、まるで自室でくつろいでいるかのように悠然と座っていた。余裕めいた表情を携えて。




