51、できることから
場所を移動し、アエラスは自宅にある執務室にいた。シレンテはアエラスの研究室を使っており、ルースはニクスとともに勉強に励んでいることだろう。
目の前にいるフィニスが、アエラスの机に大量に書類を置いた。
「アエラス。これが溜まっている書類だ。その中でも緊急性が高いものがこっちだ。目を通せ」
「うわあ。遠慮ないね」
「コスモ国への対応が変わったから、全部案を練り直しだ。まさか魔法の無効化をしてくるとは……」
そこまで言ったフィニスがアエラスの方を呆れた目で見つめてきた。
「そういえば、アエラス。襲撃の当時、護衛がいなかったらしいじゃないか」
「あー、うん」
アエラスは決まりが悪くなって目を逸らしたが、フィニスは追求を止めない。
「今は増やしたんだろうな?」
「それは勿論」
「何倍にしたんだ?」
「えっと……。ゼロには何をかけてもゼロだよ」
「は?」
フィニスが声を荒げた。アエラスはフィニスの方を見ないようにした。彼の声が怖い。
「お前は、相変わらず……」
フィニスの呆れと怒りの混ざった声をきいて、アエラスは弁明する。
「今回の件は流石に私だって反省しているよ。自分の力を過信しすぎていた」
「ああ。そうだな。お前が力を持っていることと、護衛を置かないことは別問題だ」
「肝に銘じるよ。それに今は改善したから。ルースも家にいるんだから、ちゃんとしないと」
アエラスはようやくフィニスの方に向き直る。フィニスの表情はただアエラスを案じるものであった。
「アエラス。俺の決断は間違っていたのかもな」
「何の話?」
「やはりお前を王にした方が良かったかと思って」
「珍しく弱気だね」
「そりゃあ弱気にもなるだろう。昔なじみはもうお前しかいないのに、お前も俺を置いていこうとするのだからな。王という席に縛り付けておいた方が良かったかと思う」
フィニスが目を閉じたのをみて、アエラスは申し訳なくなる。それでも先ほどのフィニスの発言を放置はできず、口を開いた。
「君が王になったことに何の間違いもないよ。『救国者』である私を王にしないことで、権力を分散させる。元々そういう狙いだったでしょう? それに君の方が国のことをよく考えている。私が王になったらそこまで上手くできなかったよ」
フィニスがアエラスに視線を戻す。その焦げ茶色の瞳を見つめながら、アエラスは自嘲するように笑った。
「以前、君が言っていた通りだ。私はこの国に対する愛も情もない。たまたま生まれたからいるだけ。それだけに過ぎない」
「そうか……」
「フィニス。君の方こそ自覚して。私達の代で王に相応しかったのは君だけだよ」
「……」
「私がまだ若かったころ、君は裏で猛獣使いって言われていたよね? 懐かしいなあ」
特に幼いころは酷かった。懐かしく思ってアエラスは笑みを浮かべたが、フィニスはしばらく黙り込んだ。そしてポツリと呟く。
「お前の荒い気性は、今ではほとんど見ないな」
「がんばって抑えこんだ時期があったからね」
若かった頃の話は少し気まずい。アエラスにはあの頃の燃え上がるような情熱も、ひたむきさもないのだから。
今の自分は別に嫌いではないが、つまらなく、平凡な人間だと思う。
それでも、フィニスが先ほど言っていたように、目を塞がれてはいけない。
自分を大切に思ってくれる人たちを、守りたい。
そのためには、今できることから。
「フィニス、この書類のここなんだけど……」
「ああ。それか」
◆
アエラスが全ての書類に目を通したところで、フィニスは帰っていった。2時間くらい経ったということを確認してから、アエラスはシレンテの元へと向かう。
「シレンテ、順調?」
「あ、アエラス先輩」
シレンテは手袋をはめていた。魔法を無効化されるナイフに触らないためであろう。アエラスが来たことにきがつき、シレンテは慎重にナイフをトレイの上に置いた。
「順調じゃないです。何かの金属と成分が一致しないか調べましたが、少なくともスペス国にある金属とは一致していません。コスモ国の特有の金属ならお手上げですね」
ナイフということは金属に練り込まれていると思っていたが、それはシレンテも試したようだ。
「植物の汁でも塗られているのかな」
「ああ。なるほど。植物で魔法を無効にしそうなものとかありました?」
「私はきいたことない。君の方が最近の魔法事情に詳しいでしょう?」
「あんまりスペス国で魔法を無効にする方法を研究する人はいませんよ。むしろ如何に魔法の力を活かせるか、が重視されますから」
それはそうだ。魔法を持つスペス国でわざわざ無効化しようと考える人は少ない。少ないが、いないこともない。
「ソムヌスなら知っているかも。学校の卒業研究のテーマが近しいことだった」
「あ……。貴方の弟の?」
「あれ、シレンテ。友達じゃなかった?」
ソムヌス・クレアティオ。アエラスの弟。今は名字を捨てる、と本人は宣言したから正確には姓のないソムヌスだ。アエラスはソムヌスが望めば貴族に戻れるように準備はしているが。
ソムヌスは他の人と目の付け所が違っていた。他の者が魔法の威力をどうやって強めるかを研究するところ、ソムヌスはどのように魔法の威力を弱めることができるかをテーマとしていた。
シレンテと仲がよかったと認識していたが、違っていただろうか。
「俺がアエラス先輩に暴言を放ってから、少々気まずくなりまして……」
「……なんか、ごめん」
シレンテがアエラスだけではなく、フィニスやソムヌスとも連絡を絶っていたことを知らなかった。申し訳なくなるアエラスに、シレンテは首を振った。
「ソムヌス、今何しているんですか?」
「記憶消し屋」
「……え?」
「商売だよ。記憶消すっていう。ソムヌスの特殊魔法を利用した商売」
アエラスの言葉に、シレンテは瞬きを繰り返した。
「え、爵位を手に入れられるくらいには優秀だったでしょう?」
「それは勿論。でも、ソムヌスが望まなかったから」
彼には実力があった。それは弟という贔屓目なして言い切れる。それでも、この社会が嫌になってしまったようだ。




