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40、激高

 誰とも来ている様子の見えないシレンテに、ルースは不思議に感じて尋ねてみる。


「そういえば、シレンテ先生はご結婚なさっているんですか?」

「してないよ。していたらここに1人ではいないでしょう」


 シレンテの苦笑を見ながら、ルースは周りの様子を窺う。シレンテに話かけたがっているような女性は複数いるように見える。それはそうだろう。シレンテはこんなに格好いいのだから。邪魔をしないように少し席を外した方が良さそうだ。


「シレンテ先生。僕は飲み物取ってきますね」

「俺も行くよ」

「いえ、待っていてください。シレンテ先生は何が飲みたいですか?」

「じゃあ、ブドウジュースをお願いしてもいいかな?」

「はい」


 ルースはシレンテの近くから離れた。その瞬間からシレンテに寄ってくる女性を横目に、ルースは少し遠い場所まで飲み物を取りに行った。



 シレンテの分のブドウジュースと自分のリンゴジュースを持ったルースは少し遠回りをしながらシレンテの方へ向かっていた。



「お前がアエラス・クレアティオの息子?」



 不躾に声をかけられてルースは眉をひそめる。アエラスのことを呼び捨てるなんて何を考えているのだろうか。ルースは思いついたことがあり、彼の魔法をこっそり使う。


「そうですが……」


 誰だろうこの人は。同い年くらいに見える目の前の人をルースはただ見つめる。


「俺はイテル・イディオット。俺の父親がイディオット伯爵だ。イディオット伯爵の名に聞き覚えはあるよな?」

「いえ、ないですが……」


 普通に知らない。聞いたことがない。相手が自信ありげな分、少し申し訳なく思いながらルースは答えた。

 ルースの返事をきいた相手が顔をしかめた。


「え? 本当に知らないのか? 流石はどこの出か分からない子どもだな。それにしてもアエラス・クレアティオはちゃんと教えていないのか」


 苛つく気持ちがたまる。それでもルースは我慢しようと努めた。そんなルースをみてイテルは馬鹿にした顔をする。


「実際、お前はどこの出なんだ? 平民出身か?」

「……それを答える必要はないです」

「やっぱり言えないような出生なんだな」

「……」


 ルースは黙ってイテルを見つめる。ルースの出生をこの場で言えるはずがない。


「これだから血筋主義にするべきなんだ」

「……」


 その言葉をきいたルースは、かわいそうだな、とただただ相手を哀れんだ。恐らく、その言葉は彼自身のものではなく、親などの愚痴や教育の結果だろう。自分で判断している言葉には聞こえない。

 全てを疑うつもりで学べというアエラスの言葉を思い出す。それをこの子どもも知っていれば。そうすればこんなに愚かなことはせずに済んだだろうに。


「おい、何か言えよ」

「……君には血筋しか誇るべきものがない、ということですね」


 薄らと笑みを浮かべてルースは言う。おそらく教育の結果だけではない。先ほどから出生や血筋の話しかしない目の前の少年は、自分に自信のないことの裏返しでこんなことを言っているようにみえる。


「……そんなわけがないだろう⁉」


 相手はルースのことに苛立っているようだ。ルースは少し苛ついているものの冷静さを保っている。



「お前のように礼儀が知らないような奴がこんなところにいるのがおかしい」

「……」

「アエラス・クレアティオはもう天才じゃない癖に調子に乗ってお前なんかを連れてきて」

「……」

「救国者なんて称号も不相応だ」

「……」

「あんな魔法も使えなくなった過去の栄光に縋っているだけの人が」

「……」

「恋に溺れた愚か者が」



 ああ。駄目だ。ここで怒りを露わにすれば、アエラスに迷惑がかかる。

 不意にルースの頭にはアエラスの言葉が浮かんだ。


『ルース。君は好きなように振る舞って良いんだ』


 ルースは奥歯をかみしめた。さっきまで駄目だと思っていた気持ちが急速に静まった。


 きっと。きっと今のような状況のためにアエラスはその言葉をルースに伝えたのだ。



 バシャリと音が響いた。ルースの左手のグラスに入っていたリンゴジュースは空になっている。ルースは目の前のイテルにリンゴジュースをぶっかけたのだ。

 ぽたぽたとイテルの頭からリンゴジュースが流れる。呆然とするイテルにルースは威圧感をもって睨みつけた。


「黙ってきいていれば好き勝手ばかり言って。お父様のことを馬鹿にするのも大概にしてください」


 ルースの怒りを目の当たりにしているはずだが、イテルは濡れた髪をかき上げて嘲るように笑う。


「はは。『お父様』だなんて。まがい物の親子の癖に」


 ルースは口角を上げる。今のイテルの発言は完全に失言だろう。


「へえ。貴方はフィニス国王陛下の決定を疑うなんて不敬ですね」

「は? 俺はそんなことしていないだろう」

「いいえ。僕とお父様はフィニス国王陛下の名の下で親子として認められています。それをまがい物だなんて。フィニス国王陛下の承認を嘘と言っているようですね」


 フィニスの承認がある以上、アエラスとルースを偽物の家族とする根拠はない。血はつながっていなくても、本当の家族であるのだ。


「国王への反逆の意思があるのですか?」

「そんなわけ……」


 自信がなさそうに声が小さくなっていくイテルを見ながら、ルースはとどめを刺す。


「そういえば先ほど、実力主義を否定していましたね。それはやはり1番の実力者であるフィニス陛下への批判ですか?」

「……」


 何度もフィニスの名を出すのはフィニスに申し訳ないが、きっとフィニスも怒ることはない。このイテルという人物はそれくらいの発言をしている。

 救国者、アエラス・クレアティオを貶す発言。フィニスの名において決定されている事実を軽視するような発言。

 そして実力主義を勝ち上がってきた人々が一堂に会するこの場所でそれを否定するような発言。


 このように育てられた子どもを哀れに思うが、一線を越えている。許容できる範囲ではない。

 何より、アエラスへの暴言をこれ以上許せない。

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