33、代替できない
そこまで話したアエラスは、ルースとシレンテをほったらかしにしていたことに気がつく。慌ててルースに視線を向けると、興味津々な顔でアエラスを見ていた。
「ごめんね、つまらなかったでしょう?」
「いいえ。勉強になりました」
ルースの目がいつもより輝いているようにみえる。いつものアエラスはそんなに頼りないだろうか。自分の記憶を辿る。……確かに頼りないかもしれない。
「そうだ、ルース。お前は何歳だ?」
フィニスが思い出したように尋ねる。ルースはフィニスに緑の瞳を向けた。
「今年で10歳になります」
「アエラスの見立て通りか……」
ルースの年齢をきいてフィニスが考え込む。そしてアエラスに視線を向けた。
「アエラス。今すぐコスモ国に制裁に行くなよ」
「いつまで待てばいいの?」
「2年待て」
フィニスの発言の意図をアエラスは考えてみるが、検討がつかない。
「なんで2年?」
「ルースが社交の場に出るタイミングだ。そのタイミングで、お前の息子がコスモ国王の子だと諜報員に伝わるだろう。いや、伝わるようにする。その後は向こうから仕掛けてくるはずだ」
ルースは10歳。社交の場にでるタイミングは12歳。社交界には多くの人がいる。その中に間違いなくコスモ国からの諜報員は紛れ込んでいる。ルースの髪や瞳、顔立ちは目立つ。そしてアエラスの息子として紹介するわけだから、会場の人は一度は見るだろう。諜報員はすぐにマラキアへと伝えるはず。フィニスの言葉からも確信をもって伝わるように計画するのだろう。
アエラスの息子がマラキアの子どもであると知ったコスモ国がその後に大人しくしているとは思えない。
フィニスは口の端を持ち上げて笑った。
「向こうから仕掛けてくれた方が都合良い。こちらがどれだけやり過ぎても、向こうの有責にできるからな」
フィニスの自信に溢れた様子にアエラスは顔が引きつりそうになった。それはシレンテも同じだったのだろう。
「うわあ。俺、フィニス先輩を敵に回したくないです」
「そんなの私も嫌だよ」
アエラスはシレンテに同意した。フィニスの目が怖い。自分の義妹の子どもを雑に扱われて腹を立てているのだろう。まあ、アエラスだって自分の息子となったルースを大事にしなかったマラキアを許す気なんてないが。
「アエラス」
「なに?」
「いや……。やっぱり何でもない」
フィニスがアエラスの名を呼んだため、フィニスの方を見る。しかし、フィニスは言葉を飲み込んでしまった。アエラスは少し気になったが、それ以上の追求はしなかった。
「それでフィニス陛下」
「ルース、君が嫌じゃなければ、私的な場では叔父と呼んでほしい」
「分かりました、叔父様。僕が会うのに気をつけた方が良い人っていますか?」
「そうだね……。血筋主義のコスモ国と違ってスペス国は実力主義だ。その分、社交の場に出入りする人や爵位を持つ人の入れ替わりが激しい。だから諜報員は紛れやすいんだ。新たに爵位を得た人間の中で信用が取れていない人の名前を後で伝えよう」
「ありがとうございます」
実力主義である分、無能な人間は少ないが、その代わりに個人の出生の面で懸念が生じる。諜報員が紛れている可能性だって否定できない。今の国の上層部は先代の血縁者が占めている。つまり出生が明確な人間だけだ。それに対して、上層部以外は分からない。
「アエラス、どうせお前は人の出生まで一々覚えていないだろう?」
「うん。フィニスが覚えているからいいでしょう?」
アエラスはフィニスに比べて記憶力が悪いことを自覚している。フィニスの記憶力は異次元だ。一度みたもの、会った人のことは全て覚えているという。
適材適所だ。アエラスがわざわざ覚える必要はない。そもそも人に興味がないアエラスにとって覚えるのは苦痛だ。
昼の時間を大分使ってしまった。そろそろ帰らないとフィニスの業務の邪魔になりそうだ。シレンテも暇ではないだろう。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
アエラスの言葉に、ルースとシレンテも頷く。
「はい。それでは俺は魔法科に戻りますね」
「結構時間経っちゃったね。ありがとう、シレンテ」
「ありがとうございました、シレンテ先生」
アエラスとルースが感謝を伝えると、シレンテは軽く手を振って部屋から出て行った。
アエラスがルースの方を見る。
「それじゃあ、ルース。私達も帰ろうか」
「はい」
アエラスとルースが部屋から出ようとするとフィニスがアエラスに声をかける。
「そうだ、アエラス。少しだけいいか?」
「なに?」
フィニスは一瞬視線をルースへと送る。フィニスは少し黙り込んだあと、口を開いた。
「お前は、ルースがエリーの息子であるという事実を淡々と受け入れているように見える」
「そうだね」
「歓喜や悲嘆はないのか? だって、初恋の相手の子どもだろう?」
恐らくそれは先ほどフィニスが飲み込んだ言葉だ。
アエラスはぱちりと金の瞳を瞬かせた。フィニスは心配してくれているのだろう。エリーの血が流れた子どもが自分の子となったことへの歓喜や、逆にエリーと自分以外の男との子どもが目の前にいるという悲嘆。それを感じていてもおかしくないアエラスがあまりにいつも通りであるから、アエラスが気持ちを押し殺しているのではないかとフィニスは気にしているのだ。
アエラスはゆったりと首を振った。
「どちらもあまり。私にとってエリーは特別だ。良くも悪くも誰にも代替できない。それと同時に、私の息子の代わりもいないんだ。だから、例えルースがエリーの息子だろうと、マラキアの息子だろうと、関係がない。私の息子であるという事実は変わらないのだから」
エリーのことが好きだった。それでも、エリーの息子とエリーを重ねることはしたくない。エリーの代わりにはならないのだから。
世界で1番愛した人と世界で1番憎んだ人の子ども。その事実に何も思わないわけではないが、それ以前にルースはアエラスの息子だ。自分の息子だから大切にするのであってその他の理由は付属品であり雑音である。
「もちろん、私が父親面することをルースが嫌がるなら止めておくけどね」
アエラスの子どもはルースだけだが、ルースの本当の両親はマラキアとエリーだ。ルースがアエラスのことを父と呼ぶようになったとしても、その事実は変わらない。
ルースは慌てたように首を振った。
「僕は嫌がらないです」
「それなら良かった」
アエラスは安堵する。アエラスがどう思っていたとしても、アエラスの独りよがりであり、ルースの気持ちを慮ったものではないから。
「そういうことだから、フィニス。また明日」
「ああ。気をつけて帰れよ」
「うん」
アエラスがフィニスに挨拶した後で、ルースもフィニスに挨拶をする。
「さようなら、叔父様」
「ああ。またおいで」
「はい」




