3、誰にも制限する権利はない
「おっきい……」
馬車が止まり、二人は馬車から降りる。ルースは目の前の光景に、思わず心の声が零れた。アエラスの家を、ルースは呆然と見つめた。偉い人なのではないか、と思っていたけれど、まるで城のようだ。
「アエラス様って、王様なんですか?」
だって、城のようだ。城に住むのは王様だろう。そう思ってルースが問いかけると、アエラスを出迎えに来ていた使用人のような人達の顔色が変わり、慌てた表情を浮かべる。その一方でアエラスは面白そうに笑った。
「へえ、どうしてそう思ったの?」
「だって、お城のような場所に住んでいるから」
ルースがそう言うと、アエラスは楽しそうに笑った。
「あはは、そうかな。この家が大きいのは事実だけど、私は王ではないんだ。公爵っていう身分なんだ。公爵って知ってる?」
「偉い人!」
「あはは、まあ、確かに」
ルースの言葉に頷いたアエラスは、ルースに金の瞳を真っ直ぐ向けた。その表情は少しだけ弱々しく、不安げな色が混ざっているようにみえた。
「私が怖い?」
そう聞かれたルースは、迷うことなく金の髪を揺らしながら首を振った。
「怖くない、です。アエラス様、優しいから」
「良かった。ルースに怖がられたらどうしようかと思った。君は今日から私の息子になるんだからね」
アエラスの言葉に、アエラスの家の使用人は驚きで固まった。ルースは驚いている使用人に視線を向けた。使用人達の動揺にアエラスは気がついていそうだが、気に留める様子はない。アエラスは一番近くにいた人物に声をかける。
「ニクス、ルースを頼んだ」
「かしこまりました」
ニクス、と呼ばれた雪のように真っ白な髪、透き通る肌を持った男が答えた。彼だけは、アエラスの「息子」という発言にあまり驚いていなかった。
アエラスは家に背を向け、馬車の方向へと歩き出した。アエラスは、帰ってきたばかりなのに、どこかへ出かけようとしているようだ。ルースは、慌てて声をかける。
「アエラス様、どこに行かれるんですか?」
ルースがよほど不安そうな顔をしていたのだろうか。アエラスは優しい手つきでルースの頭を撫でた。
「ちょっと出かけるだけだよ。すぐに戻るから。本当なら『大人しく待ってて』とか、『静かに待ってて』とかいう場面なのかもしれないけれど、そんなことはいわない」
ルースは驚いてアエラスを見つめることしかできない。言葉を句切ったアエラスは、口角を持ち上げるようにして笑った。そのアエラスは自信に満ちあふれていた。
「君は何をしていてもいい。私の、アエラス・クレアティオの息子となる君を誰にも制限する権利なんてないのだから。好きなことを、やりたいようにしていい。もし、私についていきたいとしても、誰も止めない」
自身の透き通るような緑色の瞳がキラリと輝いたことをアエラスの瞳にうつる自分をみて悟った。アエラスの言葉は、あまりにも甘美だ。それでも、アエラスの纏う空気から、その言葉に嘘がないということも伝わってくる。アエラスは本気だ。本気でルースに何をしてもいいと言っている。
「まあ、行き先は王宮だから、あまりついてくるのはおすすめできないかな」
ぴしり、と驚いたルースは動きを止めた。王宮。本物の城。アエラスはそこに行くという。ルースは怯えながら後ずさり気味に首を振る。
「ぼくは、待ってます」
「そっか」
アエラスは、ルースの髪を軽く撫でた。そしてニクスの方を向いた。
「できるだけルースの希望に従ってくれ。それ以外はお前の采配に任せる」
「はい」
ニクスの返事を聞き終えたアエラスは、その場に混乱を残したまま、もう一度馬車に乗り込んだ。早く帰ってくるといいな、と思いながら離れていく馬車をルースは見つめていた。
◆
馬車の中でアエラスはルースのことを思い出してくすりと笑う。無邪気な少年だ。アエラスの公爵という身分を、偉い人などと直接的な表現で表されたのは初めてだ。
「それにしても……」
アエラスの表情が抜け落ちた。彼は虚ろな視線を外に目を向ける。
『悲しいときは、人によりかかっていいんです。人がいると落ち着きますよね?』
ルースはそう言っていた。アエラスは、似たような言葉を以前、聞いたことがある。
『悲しいとき、人に縋ってもいいのよ。あなたは負の感情をすぐに隠したがるけれど、私には隠さなくてはいいの。ほら、人の体温って安心するでしょう?』
その言葉は、アエラスの大切な。大切という言葉では表しきれない彼女の。
「エリーの言葉に似ていた……」
アエラスは顔を覆う。エリーはアエラスの最初の恋の相手であり、最後の恋の相手にすると決めている。アエラスにとって、エリーの存在は大きすぎる。しかし、彼女は。
アエラスは首を振る。考えても仕方がない話だ。もう、全部過去の話。自分の意識を逸らすためにアエラスは自身の頬を軽く叩いた。
思考を切り替えたアエラスはまた外を眺める。外を幼い男の子と親が手をつないで歩いているのが見えた。親子だろうか。それと同時に、自分が息子にすると決めた少年のことを思い出す。
「ルース……」
彼の髪を撫でたとき、想像以上の手触りの良さに驚いた。ずっと撫で続けたくなりそうな柔らかい髪だった。それと同時に、疑問が生じている。髪の状態からして、平民育ちとは思えない。
「ルース。君は一体、何者なんだろうね」