21、天才だった救国者
「ルース、おはよう」
「おはようございます」
「今日は、ステラが来る日だよね」
「はい」
ステラはニクスの妻だ。一般知識やマナーをルースに教えるように依頼しており、了承の返事をもらっている。
「緊張してる?」
「シレンテ先生に会ったときよりは、緊張していないです」
ルースの返事は素直なものであった。その遠慮のない感想にアエラスは思わず笑った。
「あはは。そっか。ステラは穏やかな方だから、緊張は要らないよ」
「ニクスさんと結婚なさっているんですよね」
「そうだよ」
結婚という言葉にルースは目を輝かせた。10歳くらいの子どもにとって、恋愛の話は非常に興味深いものだろう。それでも、結婚という言葉でアエラスの胸中に苦い感覚が広がった。
「ごめんね」
「なにがですか?」
アエラスからの急な謝罪にルースは首を傾げた。アエラスは申し訳なく思いながら言葉を続ける。
「君にあげられるものはみんなあげたいと思うけど、母親だけはあげられないんだ。ごめんね」
ルースは、緑の瞳をぱちりと瞬かせた。そして、アエラスの方に手を伸ばし、アエラスの服の裾を掴んだ。
「ぼくは、アエラス様がいればいいです。母親がほしいとは思っていません」
そう言い切ったルースを、アエラスは呆然と見つめていたが、ルースの髪をくしゃくしゃと撫でた。
「ごめんね、そんなことを言わせて」
空気を読ませてしまった。ルースの本音は分からないが、ルースは明らかにアエラスに気を遣っている。そのことはアエラスの中に影を落とした。アエラスが呟いた謝罪は、ルースには届かなかったようだ。ルースは不思議そうにアエラスのことを見ていた。
◆
ルースは姿勢を正して座った。そんなルースをみて、その女性は微笑む。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ステラは、きれいな女性だった。ルースは緊張しながらも挨拶をする。ステラはニコリと笑って口を開いた。
「今日は初回ですので、ルースくんの知りたいことをお話しましょう。何が知りたいですか?」
「世間的に見た、アエラス様について、教えてください」
ステラは、驚いたように瞬きをしたが、すぐに笑みを浮かべた。
「分かりました。アエラス様のお話をしましょう」
「いいんですか?」
ルースは、断られるかも、と思いながら聞いた。ステラがあっさり承諾したため、心配になってしまう。
「アエラス様から、ルースくんの希望をできるだけ聞くように言われているので、大丈夫ですよ」
そう言ったステラは、少し考え込んでから口を開く。
「それでは、ルースくんはどれくらい知っていますか?」
「全然、知りません。でも、ニクスさんが『魔法の天才であり、救国者である』って言ってました」
「そうですね。それでは、その話からしましょうか」
ステラが考え込んだあとに、ルースのことを見ながら話始めた。
「アエラス様は、自分の適性以外の魔法も使うことができます。それだけでも、天才だと思いますが、魔力量もとてつもなく多いです。また、特殊魔法では……。特殊魔法のことは聞きましたか?」
「はい。特殊魔法の説明も、アエラス様の特殊魔性の話もききました」
「それなら良かったです。その辺は私の専門ではないので。とにかく、それらの魔法の才があったので、天才と呼ばれていました」
魔法の才がある。それでもアエラスが魔法から手を引き、人前では基本的には使わないということをフィニスは言っていた。そして天才と呼ばれていた。過去形だ。何か事情がありそうだと思いながらも、ルースはもう一つの単語についても聞いてみることにした。
「それじゃあ、救国者っていうのは?」
「そうですね。ルースくんは、この国、スペス国と隣国のコスモ国で戦争が絶えなかったことを知っていますか?」
「戦争……? えっと、知らないです」
ルースは少し恥ずかしく感じながらも正直に答えた。ステラはそれを馬鹿にする様子は全くなく頷いた。
「分かりました。何年かに一度、スペス国とコスモ国では戦いがあったんです。力を使って相手を倒す。簡単にいうとそれが戦争です。それを終結に導いたのが、当時16歳だったアエラス様です。しかも、ほとんど自分一人の力で。そして作戦の立案がフィニス陛下だと伺っています」
「戦争を、終結。それをたった一人の力で?」
そんなことが可能なのだろうか。ルースはこの世に人がいっぱいいることを知っている。その人達が戦うとして、一人で終わらせることができるのだろうか。
「はい。アエラス様が戦争に介入してから、死者はほとんど出ずに終結させたそうです」
「それは、どうやって、ですか?」
「アエラス様の特殊魔法です」
「相手の心に干渉できる。感情を消せる、あの魔法ですか?」
「ええ。アエラス様は、敵国軍全ての人間の戦意を喪失させたのです。たった一人で何度も続いた戦争を終わらせた。アエラス様は、間違いなく『救国者』です」
人の心に干渉。それも大人数。それにより戦争を終わらせた。アエラスはすごい。でも。それでも……。
「アエラス様は……」
アエラスの名を呼んだルースをみて、ステラはぎょっとした顔をした。それでもルースは今にも泣き出しそうなのを堪えることができない。
「アエラス様は、苦しくなかったんでしょうか?」
自身の特殊魔法について話すアエラスを思い出す。アエラスは苦しそうで、忌々しそうだった。
「……どうでしょう。私にあの方のお気持ちを推し量ることはできません」
返答を濁したステラであったが、ルースが真剣に見つめ続けていると小声で教えてくれた。
「それでも、アエラス様の中に、国を守ることでエリー様を守ることにつながると思っていらしたとすれば、苦しくなかったと思います」
ルースは緑色の瞳を何度か瞬かせた。アエラスの過去の話をすると、当然のようにエリーの名が出てくる。それほど、エリーはアエラスの人生に大きな影響を与えているということだ。ルースは一度口を開こうとしたが、すぐに閉じた。しばらく考え込んだあとで、再び口を開く。
「ぼくは、アエラス様にとっての『特別』にはなれるんでしょうか?」
エリー以上の存在になることを望んでいるわけではない。それでも、エリーほどアエラスにとって重要な人物となれるのだろうか。
その言葉に、ステラは驚いたようにルースを見つめた。そして、穏やかに微笑んでみせる。
「ルースくんは、アエラス様にとって特別ですよ。アエラス様は今まで、養子の話なんて全く出ていなかったのに、ルースくんを養子にしたんですから」
「そうなんですか?」
「ええ。だから安心してください」
それを聞いたルースは安心して口元が緩んだ。それをみたステラも微笑み返してくれたが、彼女の表情は少しだけ陰っている気がした。
◆
その日の夕方。王宮から帰ってきたアエラスの元にステラが来ていた。
「アエラス様」
「どうしたの、ステラ」
「ルースくんのことなんですが」
「何か問題あった?」
アエラスからの視線を受けて、ステラは少し目を伏せた後に言葉を発した。
「ルースくんに、ちゃんと大事に思っている、と伝えていますか?」
「え、どうだろう……」
『自分の息子だから好きに動いていい』とか『傷つけたくない』とかは言ったと思う。しかし、そこまで直接的な言葉を口にしただろうか。
アエラスの表情を窺っていたステラはため息をついた。
「今日、ルースくんの希望でアエラス様の話をしました。そのとき、ルースくんが自分はアエラス様の特別になれるのか、と言っておりました」
「……」
ステラの言葉に、アエラスは黙り込んだ。ステラはアエラスを気遣う様子であるが、口調に迷いはない。
「アエラス様、それを伝えるのは、貴方の役目です」
「そう、だね。肝に銘じるよ」
「そうなさってください」
「分かった。報告、ありがとう。これからもよろしく頼むよ」
アエラスの言葉に頷いたステラはアエラスの執務室から出て行った。アエラスは、自分一人の部屋で思わず顔を手で覆う。
「そんなことを、ルースに言わせている時点で、親として失格なんだろうな」
特別に思われているか、なんて。それは、上手くルースに伝えられなかっただろうアエラスに全責任がある。アエラスは頭を抱えた。
ルースは年齢も分からないと言っていたが、十歳ということにしてある。自分が十歳のときは、どうだっただろうか。よく思い出せない。
それでも、十歳という多感な時期に、自分は彼を傷つけることなく、歪めることなく、悪影響を及ぼすことなくいられるのだろうか。
「怖い、怖いな。ルースを傷つけてしまうのが、恐ろしい。エリー。君なら、どうしていたんだろう」




