20、アエラスの魔法
「戻りました」
ルースが戻ってくると、アエラスもシレンテも黙り込んでいた。二人の間の重い空気にルースは首を傾げる。
ルースを見たアエラスが思い出したように口を開いた。
「それじゃあ、最初に言った通り。二人とも、私のことを裏切れないように、魔法を使うけれど、いい?」
「拒否権なんてないですよね。別にいいですけど」
「魔法? アエラス様の風魔法ですか?」
それが何の関係があるのだろう。不思議に思うルースをみて、シレンテがアエラスをまじまじと見つめた。
「え、アエラス先輩。ルースくんに貴方の特殊魔法について何も教えていないんですか?」
「え、うん。授業の第1回として、君が教えてよ」
シレンテが呆れたような目でアエラスを見た後、ルースに向かって口を開く。
「この世に、特殊魔法があるというのは知ってる?」
「はい。ニクスさんの雪を見せてもらいました」
「それじゃあ、アエラス先輩も特殊魔法をお持ちなのは?」
「少し、聞きました」
シレンテは、頷いてルースに向かって話を続ける。
「アエラス先輩が持つ魔法はあまりにも特殊だ。その魔法は、人の心に干渉するんだから」
「人の心に?」
「人の心に芽生えた感情。それをなくすことができる。風できれいさっぱり吹き飛ばすように」
アエラスが二人から目を背けた。その様子をみて、ルースは、アエラスが自分の力を忌々しく思っているんじゃないかと考える。
「アエラス様」
「……なに?」
「なんで、世界を滅ぼせると思ったんですか?」
それは以前、アエラス自身が口にしていたことだ。
『とても、危険なんだ。下手すれば、世界を滅ぼせるくらい』
そう言ったときのアエラスは、自分の魔法を疎ましそうだった。
そのルースからの言葉で、シレンテが目を見張り、アエラスとルースを交互に見やる。アエラスがルースの方を見た。その瞳は。ゾクリとするほど暗い色をしていた。
「全員の、生きる意志を、この世への執着を消し去れば、世界に人はいなくなる。世界なんて簡単に滅ぶ」
「それでも、アエラス様はそんなこと、しないでしょう?」
アエラスがそんなことをするはずがない。何の疑いもなくルースは信じている。アエラスがルースの瞳から目を逸らさずに見つめた。
「君は私へ高い評価をつけすぎていない?」
「ただしい、評価です」
アエラスは、ニコリと笑ってルースの頭を撫でた。ルースは、アエラスに向かって嬉しそうに微笑み返す。
「でも、ごめんね。フィニスとの約束なんだ。だから、私は君にも魔法を使わないといけない」
「いいですよ」
アエラスがする必要あるということに反対はしない。ルースはアエラスを見つめる。アエラスは苦しそうに顔を歪めた。
「それじゃあ、さっきの話を口外しようとする気持ちを全て消し去る。今後も、芽生えてくることがないくらいに」
アエラスは、ルースに手をかざした。生ぬるい風が、心の中に吹いた感覚がした。しかし、それだけであった。不快感も嫌悪感もない。よく分からない感覚に、ルースは首を傾げた。
「はい、終わり。シレンテもこっち来て」
そう言ったアエラスは、近づいていたシレンテにも手をかざす。
「はい、終わったよ」
「アエラス先輩。さっき言ってた、裏切れなくなるって何ですか?」
「『さっきの話を口外しない』とできる限り条件は絞っているはずだけど、少し加減を間違えると、私に対する話全てに適用される可能性があるからね。まあ、滅多にないけど」
「今のは大丈夫でしたか?」
「うん」
アエラスが姿勢を正す。シレンテに向かって微笑みかけた。
「じゃあ、シレンテ。ルースをよろしくね」
「分かりました」
◆
フィニスの執務室に急な来客があった。来た人の名をきいて、フィニスは迷うことなく中へ通す。
「こんにちは、フィニス先輩。いえ、今は陛下でしたね」
「シレンテ。別に昔の呼び方で構わない。それにしてもお前がここに来るとはな。アエラスと絶縁してから、俺とも連絡をとらなかっただろう?」
「貴方達がそろって隠し事をしていたのが、気に食わなかったので」
「それで、アエラスから聞いたのだろう? 感想は?」
「感想というか、疑問はあります。その女性はどうなったのですか?」
「アエラスには聞かなかったのか?」
「だって、あの人興味ないことはすぐ忘れそうじゃないですか」
「まあ、確かにな」
フィニスは、面白そうに笑った後で、試すような目でシレンテを見た。
「お前なら、どうする?」
「亡くなった人がいなければ、死刑にする必要はないので、幽閉とか、修道院送りですか?」
「まあ、そうだよな。普通は」
フィニスの含みのある言い方に、シレンテは首を傾げた。
「違うんですか?」
「彼女の処分はアエラスとエリーに委ねられた」
「それは、人選ミスですね……」
聖人のように慈悲深かったエリーと、そんなエリーには異を唱えないであろうアエラス。この二人が組めば、どんな結果になるかはわかりきっている。
「それじゃあ、今も普通に生きているのですか?」
「ああ。勿論、咎めなしとはいかなかったが、罰としては極めて少ないと考えられるな」
「相変わらず、甘いですね」
「まあ、アエラスは、愛が絡むと判断を鈍りがちだ。あいつは愛をしている人間に酷く寛大だから」
自分がエリーに恋をしていたという事実があるから。愛や恋を持っている人間に同情してしまう。最も、興味をもつわけではなく、すぐに忘れるだろうが。
「そういえば、ルースくんと会いましたよ」
「ああ。俺も会ったな。それで、どう思った?」
「賢い子だな、と思いました」
「それは俺も思った」
「良い子だとは思いますよ」
「ああ。悪い子には見えなかった」
「ええ。だからこそ、不可解です。なんであのレベルの子がその辺にいるんですか? 光魔法といい、あの顔立ちといい、知能といい、捨てるには惜しすぎません?」
「そうなんだよな……」
フィニスが橙色の髪をかき上げた。そして目線を落とす。
「作為的にすら、見える。実際、アエラスはあの子に出自とかを問いただすことはしていないんだろう?」
「アエラス先輩が、何も気がついていない可能性は?」
「それは、どうだろう。流石に何かは気がついているんじゃないか?」
考え込んでいたフィニスが、急に目を見開く。そしてシレンテを凝視した。
「ルースって、誰かに似ていると思わないか?」
「え、誰かって、誰ですか?」
フィニスは、周囲を見渡して、誰もいないことを確認する。そして、声を潜めた。
「エリーに、似ていないか?」




