19、何も知らなかった
返事をしたルースが、部屋から出て行くのを見届けてから、シレンテはアエラスをジッと見つめた。
「アエラス先輩。さっきの話、まだ終わってないんですよね?」
シレンテは確信している。ここで話は終わっていない。アエラスはまだ隠している情報がある。シレンテはアエラスをじっと見据えたが、彼は何も分からないとでもいうように笑って見せた。
「なんのことかな?」
「とぼけないでください。さっきの話だと、フィニス先輩がアエラス先輩に申し訳なさそうにしていることに説明がつきませんよね。ルースくんを部屋からわざわざ出したんだ。帰ってくる前に教えてください」
アエラスは、シレンテの方をみる。シレンテが見つめ続けていると諦めたように口を開いた。
「ねえ、シレンテ。世間は私のことを『かつて天才だった人物』というよね。君はどう思っている?」
「……。アエラス先輩は、魔法の道を捨てました。その意味では、過去形で相違ないと思います。しかし実際のところ、貴方が天才なのは変わっていないんじゃないか、と思います。貴方の特殊魔法といい、貴方の魔力量といい」
「そう、だよね」
アエラスは静かに声を発した。そして凪いだ瞳で微笑んだ。
「それじゃあ、魔力量が以前と違うとしたら?」
「え?」
「光魔法を無理矢理使ったあと、私の魔力は半分しか戻らなかった。今持つ魔力は常人より少し多いだけだ。私を天才たらしめる要素は、ほとんどないんだ。過去形で、間違っていない」
その話をきいたシレンテは背筋が凍る気がした。思わず口元をおさえる。声を発しようとしたが、上手く声が出せない。それでも無理矢理口を開いた。
「まさか、そんな……。フィニス先輩が罪悪感をもつわけだ……」
「別にフィニスのせいじゃないって言ってるんだけどね。彼は気にしている」
「それは、そうでしょう……」
フィニスは、アエラスに罪悪感を抱かずにいられないだろう。王の座に近かった、アエラスとエリーとフィニス。その中で有力だったのは、アエラスであったが、彼が魔法の道へ進まなかった段階で、アエラスが王となる可能性はほとんど消えた。そして、その原因の一つを作ったのは、フィニス自身だ。
アエラスを遠ざけておいて、自分が王になったというのは、フィニスにとって、アエラスを裏切ったように感じるだろう。もっとも、アエラスは王座に興味なかっただろうが。
「それにしても……」
シレンテは、自分の顔を両手で覆った。まだ衝撃が抜けきっていない。シレンテは絞り出すように声を出した。
「俺は、何も知らなかったんですね……」
「それは、言っていなかったから」
「何も知らないのに、貴方のことを非難した。貴方を一方的に責め立てた」
「別に気にしていないよ」
「ごめんなさい、アエラス先輩」
シレンテは、赤紫色の瞳でアエラスを見つめる。その瞳が揺れているのをみて、アエラスは困ったような笑みを浮かべた。
「君が謝ることは何もないよ」
「いえ、あります。俺は、貴方が踏み込ませてくれないことが寂しかった。貴方がなんで魔法を捨てたのか、教えてくれないことに、裏切られた気分だった。だからこそ、貴方に八つ当たりのように言葉をぶつけました。申し訳ありません」
アエラスは困ったような目でシレンテをみた。そして、少し考え込んだあと、口を開いた。
「分かった。君の謝罪を受け入れるよ。それじゃあ、一個お願いがあるんだけど、いい?」
「はい。貴方の願いなら、善処します」
「もし、私が死んだら。ルースのことを頼んでもいい?」
「は?」
シレンテは呆然とアエラスを見つめる。この人は。なぜ自分が明日にも死ぬかのようなことを言うのか。
「貴方は、死ぬ気ですか?」
「いや、そんなつもりはないんだけど」
「でも……」
アエラスは、元々浮世離れした空気だったが、今日久しぶりにあって、それを見せられた気がする。そんなシレンテの不安を表情から読み取ったのか、アエラスは明るく笑った。
「そういうのじゃないよ。ただ、子どもを引き取ったからには責任が伴うでしょう?」
「責任」
「うん。人生は何が起こるかわからないんだから、最悪の事態を想定しておかないと。もし、ルースが成人する前に、私に何かがあったら、君が引き受けてくれない?」
「嫌、と言いたいところですけれど、分かりました。他でもない、貴方からの頼みですから。その代わり、アエラス先輩。貴方は、生きることにもっと執着してください」
「……肝に銘じるよ」
あくまで肯定はしないアエラスに、シレンテは泣きたくなった。約束をしろと縋りたかった。それでも、シレンテにはそんなことできない。アエラスとの縁を一度切った自分がそんなことをして、何になろうというのか。
シレンテは俯くことしかできなかった。




