ミジンコにも満たない存在
雨の降る日曜日、ふとこんなことを思った。
俺なんかミジンコにも満たないゴミみたいな存在だ。
居てもいなくても何も変わりゃしない。
仕事は回るし、勿論地球も回る。
朝が来れば夜も来る。
戦争だって終わりゃしない。
なんにも変わらないさ。
「まぁそう言うなよ兄弟」
俺の中の何かが囁く。
「そりゃお前は取るに足らない存在さ。悠久の歴史や宇宙の広大さから見れば取るに足らないゴミみたいな存在さ」
なんだ、慰めに来たんじゃねぇのかよ。
「まぁいいじゃねぇか。お前はそうやって自己憐憫に陥ることすら無意味な存在なのさ」
おいおい。少しは慰めてくれよ。
俺は心の中でそう呟く。
「無意味な存在だったら、「無」なんだから、失うものは何もねぇじゃねえか。失うものがないってのは強いもんさ」
馬鹿にすんな。
俺にだって失ったら怖いものの一つや二つあるさ。
「ははっ。だったらいいじゃねぇか。それだけ、お前にも生きてる意味、価値があるって事じゃねぇか」
俺の中の「何か」がそう笑いながら去って行った。
手塚治虫先生の不朽の名作「火の鳥」【鳳凰編】に、ふと、ミジンコが出てきたことを思い出しました。