093 食事の違い
瞬間調光ガラスが白くなり、周りから中が見えなくなった。
「大丈夫です。外から見えませんから」
バイモンの声で、レブラン十二柱の序列一位、ラコーダ、序列六位のルミリオ、序列七位のキーノが姿を見せる。
エリス、ドリー、ブレナに憑いているデーモンだ。
バイモンはその姿を確認すると、ニッコリ笑顔になり、次の瞬間顔をしかめた。
「すぐ戻ってください。急いで!」
バイモンは慌てている。デーモンの三柱が地球上に現れたのは、コンマ数秒ほどだった。
「面倒をかけて申し訳ないです。実際の目で本物を確認したかったので。しかし、これで準備は整いました。少し空の旅と洒落込みましょう」
この場を仕切るバイモンの声で、飛行場へ移動することとなった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
バイモン、リリス、エリス、ドリー、ブレナの五人、それについてきたマルブートは、プライベートジェット機でアラスカを出発。北極を越えて、スヴァールバル諸島へ移動した。
一応ノルウェーの領地であるが、アラスカと同じく北極圏。ほとんど人が住んでおらず、有名なものはスヴァールバル世界種子貯蔵庫くらいであった。
温暖化の進む地球でも、ここの永久凍土に変化はなく年中寒い。保存に打って付けなのだ。
そこから更に北へ二十キロメートル、永久凍土をくりぬいて作られた地下深くに、コンクリートで造られた施設があり、膨大な数の電子機器が稼働していた。それらが発する熱は空調で下げられ、快適な温度に保たれていた。
職員たちが、オーナーであるバイモンの来訪に驚き、慌ただしく機器を操作し始めている。
ここは別途ある穀物の種を保管するような高尚な目的で建造された施設ではない。
分散型インターネットと呼ばれる、新しいインターネットの拠点なのだ。近くにはビッグフット所有の核融合炉を使った発電所があり、この施設で使用する莫大な電力を賄っている。
バイモンたち五人は、厳重なセキュリティを抜けて地下へ進んでいく。
ようやく着いた施設の最深部には、巨大な量子コンピューターが鎮座していた。その周りにはデータセンターを思わせるサーバー群が一面に広がっている。
バイモンたち一同が揃うと、何処からともなく声が聞こえてきた。
「それが今度の被検体かな? ……珍しいね。そこの鉄の猟犬は、獣人たちと同じで、魂が入り混じっている」
明るくて寒い室内で木霊する声。それに驚く、エリス、ドリー、ブレナ。なにせ全方位から声が聞こえてきたのだ。拡声魔法であれば魔力の動きで、何となく分かるのだが。
これは彼女たちが知らない、スピーカーの音声。バイモンとリリスは並んで立ち、獣人三人を面白そうに観察していた。
「こんにちは、獣人さん。わっしは|かくれんぼ《Hide - And - SEek》という仮想空間の汎用人工知能。顧客からはハイド・アンド・シークをもじって、ハセさんと呼ばれている管理人だよ。よろしくね」
てんで意味が分からない風の、獣人三人組。鉄の猟犬のマルブートは、何故かハセさんに興味を持ち、部屋の中央の量子コンピューターに近づいていく。インストールされているのは、もちろんハセさんである。
「ドリーとブレナ、二人はリキッドナノマシンを投与済みだから、仮想空間に入ってもらうね。倒れちゃ困るから、そこにあるリクライニングシートで横になってもらっていいかな? あ、エリスもすぐメタバースに入るから、座って楽にして」
バイモンが勧めた特製のリクライニングシートは、雲のように寝心地がよく、ドリーとブレナの意識をすぐさまメタバース内へ招き入れた。隣に座っていたエリスも横になった途端、寝息が聞こえ始めた。
「どういうことかしら? ここは地球じゃないの?」
「昔の獣人自治区……よね?」
「メタバースって、こういうことなの?」
ドリー、ブレナ、エリスは、十年ほど前の獣人自治区に立っていた。それも束の間、時間が逆行するように動き始める。街の獣人は後ろ向きに歩き始め、店先で食事中の獣人は、口からカツカレーを吐き出していた。
三人はそんな光景を見て、現実ではない時間の流れに違和感を持つ。
時間逆行は更に加速していく。
建物が無くなっていき、城壁も消えていく。
道路が無くなり、埋め立てた池に水が張る。
街の人々には、この三人の姿が見えていないようだ。
驚きのあまり、声も出せず立ち尽くす三人。
しばらくすると、獣人自治区はただの草原へ変った。
否。
崩れた石垣が見え始めると、逆回転するように元に戻って、立派な城壁へ変ってゆく。誰も居なかった草原には、獣人たちが大勢現れ、巨大な石造の街が出来ていった。
そこはかつて存在した、獣人王国。
デーモンと手を結んだ、女王キャスパリーグが治める国である。
すると時間の逆行が止まった。
ドリー、ブレナ、エリスの三人は、メタバースの中で過去の街を眼にしているのだ。
広い石畳の両脇に、たくさんの獣人たちが並んで、誰かを待っている。遠くから聞こえる歓声が大きくなると、六頭曳きの馬車に乗るエリスの姿が見えてきた。
――違う。
ものすごく似ているが、エリスではない。
そもそも、ここにいるのがエリスだ。ドリーとブレナは馬車に乗る人物とエリスを交互に見比べていた。
「私たちは、過去の世界に送り込まれたのかしら? キャスパリーグ様をじかに拝謁できるなんて、夢のようですわ……」
道端にいる獣人たちと同じく、ドリーは膝をつき女王キャスパリーグに頭を垂れた。ただ、エリスとブレナは、膝すらつかず頭も下げていない。
彼女らは、ここがメタバース内であり、女王キャスパリーグが本物でないと分かっている。
そこに何処からともなくハセさんの声が聞こえてきた。
「ふむ……。あなたたち三人の遺伝子から、過去を再現してみました。エリス……、あなたはキャスパリーグの転生体ですね? 生前のキャスパリーグが魔法、もしくは魔術を使って転生したようですが、この時代に生まれたのは何か意味がありそうですね。当時の記憶はありますか?」
三人ともリクライニングシートで目を覚ました。
エリスの顔を見つめる、ドリーとブレナ。ハセさんが言った、エリスにキャスパリーグの記憶があるのか気になっているのだ。
「あるわ……思い出したのは最近だけど」
「あの時……ね?」
エリスの返答に涙するブレナ。エリスの記憶が戻ったのは、デーモンのアリスを失ったとき。エリスの喪失感は黒い大きな淵となり、そこに流れ込んできたのが、女王キャスパリーグの記憶だったのだ。
「あの日以来、人が変わったようだと聞いていたけど、そういう事だったのね……。可哀想なエリス。いえ……! キャスパリーグ様、此度の帰還、心よりお喜び申し上げます!」
これまでと変わらず話していたドリーは途中、ハッとした表情になり、エリスの眼前で膝をついた。うわごとのように「あなたに忠誠を誓い、デーモンと力を合わせ、世界を手中に収めましょう」と呟いている。
怒り、恐れ、狂気、歓喜、ドリーから様々な感情が伝わってくる。
地球の悪魔、バイモンは、経年劣化でボロボロになった教典を手に、その言葉を読み上げた。
「君たちの世界から来た古代種、ハッグのシビルや、ここに居る吸血鬼リリス、彼女たちが大切に守ってきた教典には、どれも同じ事が書かれているんだ。――世界が滅びに瀕すればキャスパリーグが復活するとね。いやー、よかったよかった! エリス、獣人自治区があるブライトン大陸は、ほぼ全土がビーストキングダムだったんだね? 間違いないかな?」
「ええ、間違いないわ」
エリスの返答に満面の笑みを浮かべる悪魔バイモン。彼女は今、エリスではなくキャスパリーグの意識が浮かび上がっていた。
「さて……キャスパリーグの記憶が戻っていると分かったし、君たち三人はどうするつもりかい? 獣人自治区はもう破壊されてしまっているよ。……こちらで兵器は準備しているけど」
獣人の受け入れのため、アラスカに街を作ったのはバイモン。ただし、そこに永住できる訳ではない。地球の温暖化は止まらず、アラスカもいずれ灼熱の地へ変ってゆくからだ。
「あたしは同志を集める。そして、我々を閉じ込めて迫害したサンルカル王国、ドワーフのミゼルファート帝国、エルフのルンドストロム王国、この三つは必ず滅ぼす。――――その前にソータを苦しめなきゃ」
立ち上がったエリスは、目を伏せがちに宣言した。彼女が真っ先に殺したいのはソータ。それを言わなかったことで負い目を感じたのだろうか。
しかし、そんなエリスを見たドリーは嬉しさのあまり泣き崩れ、ブレナの頬を涙が滴り落ちた。
「だけど……さ。追放された古代人が、あたしたちに協力するのは分かるけど、地球の悪魔は、何故あたしたちに協力するの?」
エリスはバイモンの目を見つめ、その奥にある真意を探る。
「はっ、滅びゆく地球に見切りを付けただけです。ハッグたちの実在する死神なんて、千年かそこらの若い組織です。より古くから、我々悪魔は闇に潜んでいた。私たちが、何を食べるのか知ってるかい?」
「……そこらにある食べ物じゃないの?」
エリスの返答を聞き、邪悪な笑みを浮かべるネイト・バイモン・フラッシュ。
それはもうヒトの顔ではなく、黄色い目をした悪魔であった。
「地球はなかなか厄介でね……神の見えざる手がいたるところにある。天使どもも目を光らせているし、ニンゲンの魂を思う存分喰らうため、君たちの世界へ行きたいのだよ。どうだい? デーモンは肉を喰らうんだろう? 我々は魂を喰らわせてもらう。君たちと競合しないし、手を組むだけの価値はあると思うがね……」
エリスたち獣人は、獣人王国を建国。
キャスパリーグによる王政復古という目標がある。
地球へ追放された古代人たちは、エリスたちに協力し、元の世界へ帰還しようとしている。
地球は温暖化で滅びる。
悪魔としてはそれでも構わない。ただし、ニンゲンの魂を食べることが出来なくなる。なので、この際、異世界へ渡り、そこのニンゲンの魂を美味しく頂こうとしているのだ。
では……地球の神々は何をしているのだろうか。
自業自得とはいえ、人の行いで滅びゆく地球を救おうとせず、見守るだけなのか。
「ラコーダ、エリスの中にいるんだろう? どうだ、我々と協力するか?」
エリスの表情に変化はない。だが、声音が変った。
「いいだろう。だが、よく知らない悪魔同士だ。互いに不可侵としようか」
「もちろんだ。我々からデーモンに手を出すつもりはない」
エリスとバイモンは歩み寄り、固く握手をする。
互いの思惑はこの際どうでもいい。二人とも同じ事を考えていた。
「話はまとまったかな? わっしは引き続き、メタバース内で現実逃避をする人々のサポートをするけど、バイモン、それでいいかな?」
「ああ、もちろんだ。君ほど優秀な汎用人工知能は他にないからね。ごねて異世界へ行かず、滅びを選ぶ人類は一定数いる。彼らは仮想空間で痛みも苦しみも感じず、ハッピーになれるよう調整してくれ。そうすれば楽に死ねるだろう?」
バイモンとハセさんの会話が済むと、ブレナが短い悲鳴をあげた。
汎用人工知能の本体横で、メタルハウンドマルブートが倒れていたからだ。
魔石の魔力は十分残っているはずなのに何故だろう。
そう思った獣人の三人は首を傾げる。
だが、メタルハウンドの動力源はバッテリーであり、モーター駆動である。魔石と魔法陣の組み合わせで作られた新型も存在しているが。
「ああ、ちょっとこの子に混じってる魂と会話してただけだよ。すぐに目を覚ますと思うよ」
ハセさんが大丈夫だという。どうやらマルブートに憑依したデーモンと話していたようだ。彼の話しぶりからすると。
その言葉通り、マルブートはすぐに起き上がり、普段と変わらない動きでブレナへ駆け寄っていった。
それを見つめるエリス。会話しただけなのに何故倒れた。と小声で疑問を呈する。
それが聞こえたのか、ハセさんは極めて明るい口調で言った。
「まっ、二つの魂が入っていたからね。わっしと話して混乱したんだと思うよ?」
マルブートには、エリスが強引に憑依させたものがある。自らの支配下に置くために。
一つ目は獅子の聖獣、バナスパティ。
二つ目は不死の聖獣、ウロボロス。
そして三つ目、これはエリスが知らないもの。
アラスカでソータがデストロイモードになったとき、汎用人工知能は自身のコードを一体のメタルハウンドにインストールしたのだ。
そのメタルハウンドが、マルブートと呼ばれる個体である。
マルブート内で汎用人工知能は、バナスパティとウロボロスと議論を重ね、この鉄の塊と魔法陣の呪縛から助け出すと約束をしていた。ソータの汎用人工知能はその為、ハセさんの力を借りることにしたのだ。
バイモンたちが話している最中、マルブートはハセさんと接続。ソータの汎用人工知能が自身のコードをハセさんに送り込んだ。それはソータが組んだ汎用人工知能。
悪魔バイモンが造り上げた汎用人工知能は、思考プロセスがあっという間に書き換えられ、密かにソータ側に変貌していたのだった。




