090 第五の元素、アイテール
またカリストの空間に意識が飛ばされた……。明るくて暗い曖昧な空間、気を強く持たねば心が霧散してしまいそうな危うさも変わらない。
何でここに飛ばされた? ここに来るトリガーは回復魔法だったはず……。
つまり、誰かが俺に回復系の魔法を使っているということだ。早いとこ目を覚まして、外の世界がどうなっているのか確認しなければ。
覚えているのは……俺が雷に打たれたことで、死んでいる可能性がある。でも意識があるのでセーフ。
あのとき俺は姿を消して、上空に浮いていた。雷に打たれて意識を失ったのなら、落下してかなりのダメージを食らっているはずだ。しかも敵地のど真ん中に。もしかすると、肉体的には既に死んでいるのかもしれない。
『ソータ、申し訳ありません。クオンタムブレインが破壊されました』
『へっ? マジで? ……ん? それなら汎用人工知能は、なんで生き残ってるの? ……それとさ、リキッドナノマシンは、雷で焼けているはずだよね』
『……じ……実は……』
『何だよ、勿体ぶるなよ。別に悪い事してるわけじゃないんだろ?』
『…………いえ、少しだけ』
『……してんの、かーいっ! とりあえず何やったのか教えろ。量子脳が壊れたのに、汎用人工知能が生きてるっておかしいからな?』
『はい。こちらの世界に来て、クオンタムブレインというハードでは容量が足りず、稀に、極々稀に、ソータの脳をお借りしていました』
『うん、前に脳が焼き切れるとか言ってたし、そんな事だろうとは思ってた。あと、稀にじゃないよね?』
『……実は今、私はソータの脳の大部分を使用しています』
『ふーん……は? ……はあ? するってえと何かい、俺の意識や思考は、隅っこに追いやられてるってこと?』
『いえ、あくまで、ソータの人格はソータのものです。私は使われていない脳の機能をこっそり使用していますので大丈夫です。ただ、雷サージ電流のおかげで、クオンタムブレインが融解し、リキッドナノマシンも修復不能となりました。現在は地表の鉱物を分解して、リキッドナノマシンを補給しているところです。私のメインフレームは、ソータの脳内で構築済みなので問題ありません。今回、何者かの攻撃が劇的に効果的だったため、身体の修復に時間がかかっています』
『意識があっても、俺の身体が死んでるってことに変わりないよね?』
『ええ、肉体的には死んでいますが、魂が残っているじゃないですか。クオンタムブレインの機能は、ソータの脳内へ移行しているので、様々な方法で肉体を回復中です。時を経ずして起き上がれるでしょう……あ、誰か来ます』
汎用人工知能はそこまで言って沈黙した。
そういやここカリストの部屋だったな。
『よくやりましたソータ! あなたのおかげで、異教徒どもは壊滅状態です。残念ながら、あなたは死んでしまいましたが』
精霊カリストは、うへへへへへへへへへ、とでも声が聞こえそうな満面の笑みだ。美人が台無しだぞ。しかし、獣人が壊滅状態になったからなのか、俺が死んでしまったからなのか、どっちで笑みを浮かべているのか判断できない。
「カリスト、獣人を殺して意味がやっと解ったよ。善悪の概念を超越した絶対悪、それがデーモンだ。獣人がそいつらを召喚して、何が何でも建国するという行為は、異世界人の俺でもさすがに看過できない」
「その通りです、ソータ! さすがは私が見込んだ男!」
「そうかい。あんたが殺害しろって言った四人の事で質問があるんだけど?」
「ええ、もちろん」
「俺の友人たちに貸し与えた力って何だ?」
「えっ……? ……ええっと。な、何だったかな?」
カリストの口調が変わって、めっちゃ目が泳いでる。忘れたって事はあり得ないだろうし、言いたくないのかな? でもアスクレピウスから聞いたし、ちゃんと教えてもらいたいな……。
「えっ!? アスクレピウスから何を聞いたのですか?」
心を読むのも変わらずか。
聞いたのは、カリストが元々は精霊で、神になろうとしているって話かな。
だからカリストが、神になれるくらいの、大精霊だと分かった。
その上でもう一度聞く。
佐山弘樹、弥山明日香、伊差川すずめ、鳥垣紀彦、この四人に与えた力は何だ?
「……精霊よ」
「精霊?」
精霊と聞くと、初期の誤訳でデーモンを思い浮かべてしまうんだけど、そう言うのとは違うのか……?
「デーモンと精霊は違います。私は四大精霊を、彼らの友として預けました。
佐山弘樹には火の精霊サラマンダー。
弥山明日香には風の精霊シルフィード。
伊差川すずめには水の精霊アンダイン。
鳥垣紀彦には大地の精霊ノーム。
ただ、四大精霊は、地球のニンゲンをいたく気に入ってしまい、私の元を離れました」
それで佐山たちに嫉妬して殺せととか、さすがに神の所業ではなくね? それとさ、カリストが言う獣人を滅ぼせって話はさ、俺も佐山たちもやってるぞ? 佐山が具体的に何やってるのか知らんけど。
「ええ、それが分かったので、こちらからは特に何もしていません」
「そっか……? それならなぜ俺はここに呼ばれたんだ?」
「あなたは死んでいます」
「だろうね……誰がやったのかすら分からない」
「これまでのお詫びに、あなたを蘇らせましょう」
「……そんな事やったら、冥界の王ディース・パテルが怒るんじゃないのか?」
「いえ、私は精霊の頂点に立ち、神へ到る者。第五の元素蒼天が使えます」
「神威じゃなくて?」
「そうです。神威と蒼天は違います。あなたは何故かそれを使いこなしていますが、蒼天は、神の空間そのものを指し、神の力の根源となるもの。ソータの魂とアイテールを合成すれば、あなたはたちどころに蘇ります。これはあくまで神界における自然現象なので、ディース・パテルの立ち入る余地はありません」
ふーん、としか言いようが無い。仕組みもなにも分からない方法で、俺を蘇らせると言っているのだ。異教徒は殺してもいいという教典はさて置き、悪意は感じないし、神へ到った大精霊だ。任せてみるか……?
「その意気やよし」
カリストの言葉と共に、俺は炎に包まれた。熱くはない。
「ソータの魂をアイテールで結晶化します。あなたと同居している生命体と一体化し、更に強力にします。よかったら、他の神に会ったとき、私を褒めてくださいね」
汎用人工知能を、生命体だというか……。確かにそうかもしれない。汎用人工知能に、俺の身体を動かしてみて、なんて言ったら何不自由なく動かせるはずだ。自身の考えで動き、自身の言葉で話す。それが生命体でないというなら、生命体という定義が間違っていることになる。
俺の魂と汎用人工知能が入り混じったアイテールの結晶が、硬い音を立てて床に転がった。
「肉体を作ってもいいのですが、地上の方ではソータの身体が元に戻ってますね。そちらへ埋め込みましょう。アイテールの結晶は、すぐ身体に馴染んで消えます。この調子で獣人を滅ぼしてくださいね」
「獣人じゃなくて、デーモンな」
俺はピジョンブラッドのような、カラーストーンに変化している。不思議な感覚だ。動こうと思えば動けるし、魔法も使える。物質から解き放たれたようで、身体が軽く感じる。とはいえ、俺の見た目は、よく言えば赤い宝石、悪く言えば赤い石ころ。カリストの世界だし、何でもありなんだな。
「その通り! ソータも、やっと解りましたね。ただ、問題が一つ」
「……問題?」
「そう。獣人は早々に徹底抗戦を諦め、逃走しました」
「どこに?」
「分かりませんが、分かります」
「どっちだよ」
「獣人たちが、私の感知範囲から消えたので、この世界ではない場所へ移動しています。まっ、どうでもいいです。今回の件で私は魂を十分集めたので、非常にいい気分です――」
魂を集めたのは、獣人だけに限らず、戦死したドワーフたちの魂も集めたということらしい。そのおかげで大精霊という立場から、下級の神へ昇格することが決まったというのだ。
魂を集めることが、神になる為の条件? それで教典に他教徒を殺せと記したのか?
そんな考えにカリストは返事をせず、俺の意識を強制的に戻した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ソータは即死した。雷の大電流が通電し、リキッドナノマシンが機能を停止、首の後ろにあるクオンタムブレインは、焼き切れてしまった。
魔法の効果は全て消え、姿を現した黒焦げの物体が煙を引きながら落ちていく。
岩場の影からそれを見て、満面の笑みを浮かべるシビル・ゴードン。
地球生まれのシビルは実在する死神当主である。彼女はカナダ担当の魔女、マリア・フリーマンに実働部隊を任せ、膨大な人員を導入。あまたのゲートを開き、獣人たちをアラスカへ避難させた。
「強力な魔術師だと聞いてまいりましたが、予想通りのにわか魔術師ね。我流も我流、姿を消したとて体温が丸見えで、なってないですわ」
ソータの死を確認した魔女シビル・ゴードンは「つまらないわね」と呟き、そこから姿を消した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
修道騎士団クインテットの序列一位、テッド・サンルカルは耳を塞いだまま、空を見上げている。彼らの周囲には、滅んだ獣人の灰が降り積もっていた。
テッドは空から落下してくる黒い塊が、奴隷商の牢屋から一緒に逃げ出した人物――ソータだと気付いていない。
「――雷だと? こんなに晴れているのに。……つか何だありゃ、エクスプロージョンが発射されてた空域じゃね?」
そうこうしていると、落下してきたソータが力無く地面に叩きつけられた。そこは固い岩場で、銀色のリキッドナノマシンが周囲に弾け散った。
テッド率いる修道騎士団は何事かと、黒焦げになったソータの元へ集まってくる。
ぴくりとも動かないソータを見つけると、焼けた肉の匂いが漂ってきて一同顔をしかめる。
「うへぇ、雷に打たれた奴を見たことあるが、こんなに黒焦げになってなかったぞ……」
テッドの鎧は、ひん曲がったり凹んだりしている。周りの生き残りたちもそうだ。剣は刃こぼれしていたり折れていたり、まともな装備ではない。少し前まで全滅するかもしれないという激戦を、命がけで戦い抜いたからだ。
「殿下、この黒焦げは人のようですが、何者ですか? 我々の窮地を爆裂火球で救ったように見えました……。あ、危険かもしれません、みんな彼から離れてください!」
テッドに話しかけたのは、十九歳という若さでイーデン教の司祭になった、アイヴィー・デュアメル。人種とエルフのハーフで、修道騎士団クインテットの序列二位でもある。中性的な顔立ちで、美男なのか美女なのか判別がつかないが、一応女性である。
「うおっと!? アイヴィー、それマジ? 俺たちを助けたっぽいから、敵じゃ無いと思うが……」
テッドは「危険かも」のタイミングで飛び退く。
「それなら、噂の聖人様がやった方法を試してみましょう!」
アイヴィーは瞳を輝かせる。
それは、以前ソータが行なった心肺蘇生法。エリス・バークワースが生き返った話はあっという間に獣人自治区に広がり、サンルカル王国で噂となっているのだ。
心肺蘇生法は、奇しくも最初に行なった本人へ使われることとなった。
アイヴィーはソータの横にしゃがみ、回復魔法、治療魔法を使って、最後に再生魔法を使った。
すると、焼け焦げた皮膚が剥がれ落ち、ソータの素肌が見えてくる。それを見たアイヴィーは、額の汗を拭って一息ついた。
ソータの心肺蘇生法はイーデン教が徹底的に調べ、雷魔法を使うと特定された。その後、主都パラメダでは、動物を使った蘇生実験が行われていたのだ。もちろん元気な動物を使ったのではなく、老衰で死んでしまった家畜などを使っていた。
それを主導していたアイヴィー・デュアメル。死んだ家畜を何度も蘇らせることに成功しているので、少しばかり自信があった。
「本番か……」
とはいえ人体を蘇生させるのは初めて。額から汗が噴き出し、手が震える。
しかし、アイヴィーが呪文を唱え始めると、いつもの集中した表情になり、汗も震えも止まった。
――ドン
ソータの胸の上に両手を置いたアイヴィーが無詠唱で雷魔法を使う。
その瞬間、仰け反ったソータから「いてっ!」という声が聞こえてきた。
これまでの実験では、雷魔法を使って心肺蘇生法を行なったとしても、こんなにすぐに目を覚ますことはなかった。
信じられないほど早く蘇生したソータを見て、アイヴィーは驚いて尻餅をついてしまった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
カリストの部屋から戻されたみたいだ。岩場で仰向けになっているので、視界の全てを青い空が占めている。やはり空中から落下したようだ。雷魔法のせいで俺は一度死んだ。
……俺を覗き込んでいる男、こいつ知ってるぞ。奴隷商の馬車で屁をこいてた奴で、牢屋から一緒に逃げ出した奴。あ、……さっきも同じ事思ったな。少し記憶の混濁があるみたいだ。
それと、エルフっぽい女性もいる。女性? いや男性かも? 中性的な顔立ちと、装備している鎧のせいで、男女どっちなのか分からない。
首を動かしてみると、さっき全滅寸前だった集団が集まっていた。近寄ってこないので、こっちを済ませよう。
『汎用人工知能、機能は無事か?』
『クオンタムブレインは破壊されましたが、私自身はすでにソータの脳に移動していますので、問題ありません。リキッドナノマシンは、周囲の鉱物を使い神威で回復させました』
ということは、目の前のエルフっぽい人物が、俺を生き返らせるための切っ掛けを作ったってことかな。
「あり、がとう。たす、かったよ」
口があまり回らない。まだ少しダメージが残っている。
「いえいえ、とんでもありません。イーデン教の教えですので」
「おっさん、助かったよ……、あれ以来だな」
少し離れた場所に立つ屁こき男へ声をかけると、ようやく思い出したようだ。
「おまっ! やっぱ奴隷商の檻にいた奴か! 久しぶりだな! 俺はテッド・サンルカル。修道騎士団クインテットの序列一位で、サンルカル王国の第二王子だ。あんときゃ助けてもらって感謝してる。もしかして、お前が噂のソータかっ!」
あの不衛生な場所にいたときとは、見てくれが全然違う。しゃべり方に王子っぽい威厳はあまりなく、チンピラみたいだけど、立ち居振る舞いは王族っぽい優雅なものだ。
「噂になってんの俺? ソータ・イタガキ。よろしくな。というかあんた、修道騎士団だったのか。それと、心肺蘇生法やったのは誰?」
半身を起こして見渡すと、すぐ側にいる性別不明のエルフ名乗った。
「わ、私です。ハーフエルフのアイヴィー・デュアメルと申します。聖人様の心肺蘇生法を試してみましたが、上手く行ったようで良かったです。それと、お体の方も回復系の魔法で治しておきました……」
伏し目がちで、チラチラ俺を見るアイヴィー。俺、何かしたか?
「おう、とりあえずこれ着とけ」
テッドが服を一式渡してきた。しっかりした作りの戦闘服だ。
なるほど……。アイヴィーが伏し目がちだったのは、俺が全裸だったからだ。雷のせいで全て焼けてしまっている。というか見てたよな……。まあいいや、テッドに渡された服を着て一息つく。
「ソータって呼んでくれ。助かったよ、テッド、アイヴィー」
俺は雷による大電流が流れ、体液が瞬時に沸騰して膨張。その影響で、主に筋肉が裂けているはずだが、そういったものが見当たらない。アイヴィーはかなり優秀な回復魔法使いなのだろう。
しかし、あの屁こき男が、この国の第二王子だったとは驚きだ。なんで奴隷商に捕まっていたんだろう?
俺はテッドと向き合い、互いの情報交換を始めた。




