089 魔法陣の神
ルー・ガルーたちとイオナ、それに脳をくりぬかれる予定だったニンゲンたちは、近くに着陸している巨大空艇にエレノアが連行していった。彼らを見送っていると、ゴヤたちが焼け落ちた家屋の裏から姿を現した。魔導通信で俺がここに居ると聞いてきたそうだ。
話を聞くと、トンネルから多脚ゴーレムが出てこなくなったらしい。おそらく落盤で潰した多脚ゴーレムが予備の機体だったのだろう。
ゴブリン軍、スクー・グスロー、マイア、ニーナ、全員無事でほっとする。
気になっていることがあるので、ファーギに声をかけてスワローテイルへ移動した。
「なんだ気になってる事って?」
操縦席に二人座って話し始める。機器類やメーター類はアナログだが、地球の航空機に負けてないからなあ。
「さっき言ってた識別魔法陣だ。あれってどういう仕組みなの?」
俺は人工知能のエンジニアでもあるので、どうしてもトロッコ問題が気になる。つまり倫理的なジレンマの問い掛けだ。功利主義と義務論の対立で正解がないとも言える。
他にもフレーム問題、暗黙知、色々あるけど、識別魔法陣が何をもって敵と味方を判断しているのか知りたい。
「はあ? お前、今更そんなこと聞くの?」
「えぇぇ……」
ファーギは呆れながらも、説明してくれた。
魔法は魔力を使って、様々な事が出来るけど、本人の能力で加減できる。
魔法陣は魔法と変わりないものも多いが、中には神が介在するものもあるそうだ。まさかね、と笑えないんだよな。だって何度も神と会ってきたから。
神が介在する代表的な魔法陣は、気配遮断、視覚遮断、音波遮断、魔力隠蔽、誘導、認識阻害、識別だそうだ。
気配、視覚、音波、魔力隠蔽、この四つは、ニンゲンや動物、昆虫や水生生物など、生き物に対して有効らしい。対して、ダンジョンにある罠、例えば、紐に引っかかったら矢が飛んでくるとか、踏むと爆発する爆裂魔法陣などは無効になるそうだ。
そんなもんじゃないの、と思ってしまう。毎度適当に魔法を使っている弊害だ。
しかし、誘導魔法陣はだいぶ違っていた。
誰をどっちに、どこからどこまで、という効力を判断するのは、魔法陣の神クロウリーの仕事らしい。
認識阻害魔法陣も同じく、誰にどこまで見せないようにするのか、という効力の判断を魔法陣の神クロウリーが行なっているという。
識別魔法陣ともなると、使った本人から見て敵なのか味方なのか、魔法陣の神クロウリーが直々に判断するという。
責任重大だもんな、……誤射で味方を撃っちゃったら大変なことになるし。
神の判断か。でも、……万の戦いでも、間違わないのだろうか?
他人の知覚、感覚神経や運動神経、果ては脳に影響が出るものにクロウリーという神が割って入る。ファーギが例に挙げた六つの魔法陣は、効力が強すぎると悪い影響が出る。それで神様がリミッター的な役割を果たしているのか。
識別魔法陣だけは、地味だけどチート気味の効果があるからな。使い道は限られているけど。
そういえば、絶対誘導魔法陣ってあったな。あれは神様的にどうなるのかな?
絶対って付いているし、あれで無限ループ作ったらやばいよね。汎用人工知能、そこんとこどうなの?
『はい……』
『あれ作ったの君だよね?』
『私はソータです。ソータは私です』
『禅問答で煙に巻くな』
「ま、簡単なとこだけだが、こんなもんかな? お前な、時間あったら帝都の学校で勉強してこい。ほとんど自己流だろ? 色々と出鱈目すぎるし。自分で作った魔法陣が神クロウリーに認可されたときは、嬉しいもんだぞ?」
「あ、魔法陣で認可制なの?」
「そうだよ! 認可されなければ、魔法陣が消えてしまうからな! お前な、ほんっっっとに、学校行け! こっちの世界の事知らなすぎる!」
「温暖化で地球が住めなくなれば、こっちに住むつもりだ。目先の問題が山盛りあるけど、解決できたら本格的に考えるわ。ミゼルファート帝国住みやすいし」
「おおっ! ワシと一緒に冒険したいのか?」
「ちげーよ!」
言いながらふと目をやると、汎用人工知能が反応した。
『識別魔法陣を確認しました。解析します……改善と最適化が完了しました』
『え、マジ?』
あれか。計器の一カ所が点滅して、そこに魔法陣が彫られてあった。
それより、汎用人工知能が作った魔法陣って、認可されてるのかな?
『私は忘れてませんよ?』
『俺も全部覚えてるな……』
つまり、汎用人工知能がこれまで作った魔法陣は、認可されているということだ。これが何を意味するのか……。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
スワローテイルから戻ると、マイアが詰め寄ってきた。
「ソータさん! 何で魔導通信機で無事だと連絡しないんですか!」
かわいい顔してぷりぷり怒っている。そういえばファーギに連絡して、ゴブリン軍に連絡していなかった。
「すまん、今度からちゃんと連絡する」
「絶対ですからね!」
マイアに叱られていると、スクー・グスローたちが群がってきた。例によって一人のスクー・グスローが胸ポケットに入っていき、休憩という名の睡眠を取り始める。
ゴブリン軍は、デーモン憑きの獣人から散発的に襲撃を受けていたそうだ。ゴヤたちと色々と情報交換をしていると、エレノアがやってきた。
「ご苦労様。連絡事項がいくつかある――」
ゴブリン軍やマイアたちが整列して傾聴する。冒険者の俺は端っこに移動した。
救出した獣人を含むニンゲンとルー・ガルーたち、彼らは空艇に乗せて帝都ラビントンへ連れて行くそうだ。イオナだけが激しく暴れているそうで、厳重に拘束したという。
リアムは父親の仇討ちをするために、ファーギのスワローテイルに密航していたらしい。そのため無断で兵站部隊を離脱したので、厳罰に処される予定だった。
しかし、不測の事態が起きた。
イオナはシチューメイカーの妹。つまり、リアムの伯母だったのだ。それで事態は急転、リアムは帝都に戻って、イオナの尋問を手伝うことになった。
元からドワーフ軍は、技術者のイオナを疑っていたらしい。
その切っ掛けとなったのは、俺が弥山を救出したときに見た六本脚だ。その話がグレイスから皇帝に伝わり、ドワーフ軍で情報が共有されていたのだ。
これで確かになったのは、グレイスとイオナが連携して動いていないということ。
俺の手書きメモをグレイスは読んだはず。それをそのまま皇帝に渡すって事は、イオナを切ったのか、そもそもイオナの存在を知らなかった可能性がある。
獣人自治区の主要部は、すでにエルフ軍とドワーフ軍が掌握済みで、ここと同じく、スクー・グスローたちが待機している。朝の作戦でドワーフ兵がデーモン化した事へ対処するという。
現在は獣人自治区をほぼ制圧しているが、大きな問題が一つある。
それは、この街に住む百五十万の住人が、何処に消えたのか分からないこと。
住人が姿を消したのは、城門への攻撃が始まってからだそうだ。
「ソータ、お前は一人で動いた方がいいだろう? 獣人自治区の区長と、召喚師を倒してこい」
わざわざ俺が立っている場所に来て、エレノアが指示を出す。例によって俺の力がバレないよう、気を遣ってくれているのだろう。というか、だいぶ無茶振りされている気がするけど。
「はい。あ、そういえば――」
デーモンを召喚しているのは、エリスという猫獣人の可能性が高い事と、魔女シビルが率いる実在する死神という組織が関わっていると伝えた。
それを聞いたエレノアは、目ん玉を引ん剥いて驚き、ぴくりとも動かなくなった。しばらくすると「シビルシビルシビルシビル」と呟きはじめ、ブリキのロボットのようにぎこちない足取りで動き出し、巨大空艇に戻っていった。
「エレノアさん、どうしたのかな?」
「さあ? エルフは長生きだし、シビルという人物を知っているのかも? エレアさんの年齢は知らないけど」
いつの間にか近くに居たマイアに返事をしながら伸びをする。昨晩から寝ずに動いているので、疲れている上に、魔力が残り少ない。前みたいに神威を使っても魔力が戻らないから慎重に行かねば。
「んじゃちょっと行ってくる」
「……気をつけてくださいね?」
胸ポケットで眠っているグローエットをそっと出してマイアに渡し、俺はトライアンフ本部に向かって歩き始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ホールに戻ると、エルフ軍が地下通路を調べていた。俺が出てきた通路は、障壁ごとイオナを外に出したので、大きな穴が開いている。その先に研究施設があるので、大人数が中に入っているようだ。
脳をくりぬかれる予定だったニンゲンたちが、大勢見つかって保護されている。彼らは一応拘束され、エルフの巨大空艇へ連れて行かれた。
通路の一つから、微かな血の臭いを感じる。
「おっ、おい、勝手に入るな」
「まてまて、あいつは冒険者の遊撃隊だ。エレノアさんが言ってただろ」
俺の肩に手をかけて止めようとするエルフ兵に、上司っぽいエルフが声をかける。
「あ、すみません。この先にデーモンがうじゃうじゃ居るので、入ってこないようにしてください」
「え、あ、はい」
エルフ兵の手をゆっくりどけて先へ進む。
レンガ造りのトンネルは酷く古く、これまでの通路と比べて随分広い。
枝分かれしたトンネルを迷わず進んでいく、血の臭いを頼りに。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この街で最大の建築物は、警告にある城壁だ。それは王都パラメダへ通じる街道を封鎖している。
長い時間をかけて、難攻不落の城壁に改築し、今回ドワーフの攻撃をものともしなかった。
街に張り巡らされた地下通路もそう。元からあった地下道を修繕して、作り直したのだ。
これらは獣人の悲願である建国のため、区長ドリー・ディクソンの主導で、長年行われてきた一大開発。もちろん計画は極秘裏に進められ、情報が外部に漏らさないよう徹底されていた。
その城壁と接している岩山をくりぬき、戦時に作戦本部として使う大きな部屋が造られていた。
「シビルさあん……、エルフとドワーフが、ここまで本気だとは聞いてませんよお~」
その部屋で泣き言を漏らす筋肉隆々のゴリラ獣人、ドリー・ディクソン。身長三メートルの巨躯がカウチに座ると、ギシリと悲鳴をあげる。
向かいに座っているのは、ハッグと呼ばれる魔女の一族、シビル・ゴードン。実在する死神を率いる人物である。
艶のある金色の髪の毛に、透き通る青い瞳。均整の取れた体から、艶やかな魅力が匂い立つ美人だ。
彼女は、魔女カヴンの一族と共に、この世界から追放された古代人の末裔でもある。
シビルはドリーの泣き言を風に柳と流し、横でお座りをする鉄の猟犬、マルブートを撫でながら優しい声で言った。このマルブートは以前アラスカの地で、デストロイモードになった汎用人工知能が策を講じた個体でもある。
「機械の身体とはいえ、エリスのおかげで現世に戻れたのよ? もう少し我慢しなさいマルブート。……そういえば区長、獣人の避難は済みましたよ? 今頃はリリスの案内で、現地の連絡員と共にアラスカの街を乗っ取っているはず。心配しなくても大丈夫よ」
「そうじゃないんですよう……。私たちはここで、……この地で建国したいのです。獣人王国は、女王キャスパリーグの復活で成されると伝承がありますし」
「悪魔を支配するものとして覚醒した、エリス・バークワースを担ぎ上げたい気持ちは解ります。しかし彼女はまだ未熟ですし、それに……」
エリスは精神的に不安定。彼女はアリスが死んだことで、一度壊れた。その事でエリスは悪魔を支配するものとして覚醒した。そこまではよかったのだが、彼女の頭には復讐の文字しかない。ソータを殺害するためにだけ、綿密な思考を重ねているのだ。
その他にはまったく興味を示さず、自身に憑依させたデーモン――レブラン十二柱のラコーダとばかり話している。
そんな状態で、切り札となるエリスを、このまま戦争に参加させる訳にはいかない。
シビルはそれを口にせず、ドリーを見つめる。
「やはり撤退ですか……」
ドリーはシビルから視線を逸らし、どうにか言葉を絞り出した。天を仰ぎ何とか堪えたが、瞳から溢れ出た涙が床に落ちていく。
それを見て、氷の微笑を湛えるシビル。
彼女の胸の内には、この世界への復讐心で満たされている。獣人王国の復権など、ただの足がかりに過ぎないのだ。
まずは悪魔を支配するものをしっかり教育し、憑依しているラコーダごと、意のままに操る。シビルはそうすることで、この世界を滅ぼし――果ては神々を討つ計画なのだ。
「区長、徹底抗戦なんてすれば、今の戦力じゃ簡単に滅ぼされますよ? ドワーフの技術者を引き抜いても、空艇を作れなかったんですよね? 空からの攻撃がある限り、勝ち目はありません。今は地球へ避難し、我ら実在する死神の戦力を整える方が先です」
「……分かりました」
「あの魔術師は、わたくしにお任せください」
シビルはそう言って、アラスカへ続くゲートを開く。ドリーがそこをくぐっていくと、周囲に人がいないことを確認し――――シビルは醜く顔を歪め、ゲラゲラと笑い始めた。
その手には、ビー玉のような魔石がいくつか握られていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
血の臭いを辿って、地下トンネルを随分歩いた。レンガ造りのトンネルは、進めば進むほど古くなっている。所々落盤していたので、相当古いのだろう。
地上部分はすでに獣人自治区の外、西側にある山間の荒れ地まで来ているはずだ。
西側は修道騎士団クインテットが来ているはずだ。しかしグレイスの件があったので、本当に来るのか疑われている。だけども、おそらく来ている。確実に血の臭いが濃くなっているし。
さらに進むと、大人数で戦う剣戟が聞こえてきた。俺は魔法陣四種類を使って姿を消し、足を速めていく。
トンネルを出ると、廃墟と化した城の中庭だった。
ここも随分と年代物だ。崩れた城壁が雨風で侵蝕され蔦が這っている。遺跡と言っても過言ではない。
戦っているのはもっと西の方なので、崩れ掛けの矢狭間から外を覗いてみた。
「だいぶ劣勢だな……」
修道騎士団は、五千人で獣人自治区に来ているはずだ。しかしヒト族――修道騎士団の屍山血河が見えている。生き残りはおそらく百もいない。今は風化して崩れた砦で防衛戦をしており、彼らの命は風前の灯火となっていた。
対してワニ顔の獣人が、五千以上もいる。獣人の死体がほとんど無いことから、初めからこの人数で戦ったのだろう。
浮遊魔法で空を舞い、上空から確認。
――ドンッ
姿を消したまま、爆裂火球を放っていく。
すると、ワニ顔の獣人たちが大混乱となった。そりゃそうだ、何もない空中から、突然爆裂火球の雨霰なのだから。
統率している獣人に直撃させると、瞬時に灰と化した。すると、他の獣人たちは蜘蛛の子を散らすように逃走し始めた。
面倒いけど、一人たりとも逃すわけにはいかない。
風魔法と火魔法で火炎竜巻を発生させ、ワニ顔獣人を巻き込んで全て灰にしてゆく。
「ふう、……疲れた」
獣人を壊滅させたが、魔力が枯渇寸前。気を失う前に、神威に切り替えた。
修道騎士団は大丈夫かな? 彼らは何が起こったのか分からず、キョロキョロしている。
少し近付いて見てみると、知った顔があることに気づく。
奴隷商人の馬車で、屁をこいていたやつだ。
あいつ修道騎士団だったのか。というか、あいつ指揮官だな。とても高そうな鎧と剣を装備している。
久し振りだし、挨拶でもしに行こうかな。なんて考えたけど、タイミング的に、何が起こったのか根掘り葉掘り聞かれてしまうな。このまま空を飛んで、一旦ゴヤたちと合流しよう。
そう思って向きを変えると、身体が硬直して仰け反った。
オゾン臭!? まずい!
次の瞬間、雷が直撃――――視界が青く染まった。




