075 忠告
障壁を解除し、気を失ったままのグレイスを抱きかかえた。
下水道から出て最初に向かったのは冒険者ギルドだ。まだ街中で爆発が続いているので、下水道にいる獣人たちに対処するようオギルビーに伝えた。もちろん強敵ブライアンがいることも付け加えておいた。
その後はとにかくグレイス邸を目指して走る。人通りが全然無くなっているので、みんな避難しているのだろう。多くの建物が崩れ、きれいな街並みは見る影もない。
「……あれは」
ドワーフのおばさんが倒れている。
俺は駈け寄って抱き起こす。
「くそっ!!」
腹に穴が開いて、虫型デーモンが群がっていた。
直ちに光魔法を使って、虫型デーモンを全て駆除した。そして、生き返らせるために魔法を使った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「これ以上ニンゲンを甦らせてはいけません」
俺の意識はアスクレピウスの神殿に呼び出されていた。巨大な玉座に座るアスクレピウスは少し怒っているように見える。
「ソータ……気持ちは解ります。しかし先日も言ったように、世界の理をねじ曲げると、冥界の神ディース・パテルの逆鱗に触れます。前回、前々回はこちらで誤魔化しましたが、これ以上は難しいのでやめてください。あなたはもう戦争をやると決めたのです。死者が出るのは避けられません」
わかってるさ。
でも目の前で人が死んでて、俺が甦らせることが出来るのなら、やるべきだろう? それでもダメだというのなら――
「ダメです」
「……」
「そんな顔してもダメです……」
どんな顔しているのだ俺は?
「泣いているのが分かりませんか? ソータの心根が優しいことは分かっています。だけど、それでディース・パテルが世界を滅ぼしてしまっては元も子もありません」
泣いている? 俺が? もうニンゲンですら無いのに、そんな感情があるとは思えない。
頬を伝う涙の感触で、ようやく泣いていることを自覚した。
「分かりました……。今後は控えます」
「よろしい」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
屋敷に到着するまで、多くの遺体を見た。身体中が焼け焦げ、虫型デーモンが群がっている。ブライアンの野郎……、次は逃さない。
屋敷には人の気配がしない。大急ぎで中に入っても、誰も居なかった。
いつもならメイドさんや、ドワーフの軍人がうろついているのに。
おまけに誰かが押し入って、争った形跡まである。
壁に付いた飛沫血痕は武器の血振るいではな。斬られて飛び散ったものだ。
奥へ進んでいくと、血の海に沈むメイドさんがいた。
他にも息絶えた屋敷の人たちがたくさん居る。何なんだこれは……。
グレイスが裏切っていたとしても、屋敷の人たちまで手にかける必要があるのか?
一旦落ち着こう。情報が足りない。優先すべきは分かっている。
エントランスホールのカウチに座り、サラ姫殿下の気配を探るため集中する。
『サバイバルモードに変更』
『了解しました』
面から立体へ、気配の探知範囲を一気に広げていく。
――探れない場所がある。
三階から屋上に続く階段の近くだ。
俺は一気に駆け上がって、そこを確認する。
「パニックルーム……?」
壁紙が貼ってあるけれど、少しだけ継ぎ目がズレている。扉の形をしているので、ここが入り口だろう。
「サラ姫殿下!! そこに居ますか?」
大声を出すと、ドアが少しだけ開いた。
「ソータ、早く入れ」
顔を覗かせたボリスが部屋の中へ招き入れる。
銀行の金庫室のように分厚い金属製のドアは、鉛でも使っているのだろうか。ボリスは踏ん張って重そうなドアを閉めていた。
グレイスをカウチにぶん投げる。意識が戻っていないことを確認して、カウチごと神威障壁に閉じ込めた。
「ソータくん!!」
それが済むと、サラ姫殿下が抱きついてきた。と言っても脚にだけど。
パニックルームは結構広い。脚に抱きついたままのサラ姫殿下、長老たち、そしてエレノア、エルフのみなは助かったようだ。しかし、一様に疲れ果てた表情でもある。
屋敷の人たちがグレイスに駈け寄っている。障壁にぶつかって近づけないことが分かると、俺を睨み付けてきた。悪いけど、障壁は解除できない。こいつが目を覚ましたら、何をしでかすか分からないし。
「何が起こったんですか?」
「ソータ、ミッシーはどこだ?」
俺の問いには応えず、エレノアが聞いてきた。そういえばミッシーがいないな……。
「疲れてたみたいで、屋敷で休むって言ってました」
「……そうか」
カウチに座ったまま項垂れるエレノア。
「ミッシーは、どうしたんですか?」
「行方が分からい……」
何やってんのミッシー。休まず街中で戦っているのかな?
腕を組んでミッシーが行きそうな場所を考えていると、ボリスが口を開いた。
トライアンフの団長、フィリップ・ベアー率いる獣人が屋敷を襲撃。サラ姫殿下を狙ってきたそうだ。部屋の奥で休んでいるシエラとスノウが確認したので、フィリップたちで間違いないみたいだ。あの二人は獣人自治区にいたからな……。
「ところでソータ、その障壁は何じゃ?」
「スキルです……」
ボリスに聞かれて、とりあえず誤魔化しておく。
「フィリップは俺も面識があります。奴のレギオンが帝都に入り込んでるみたいで、さっき交戦しました」
「そうか……それで、グレイス殿下はどうして障壁の中に入っているんじゃ?」
「……それは」
話を逸らそうとして失敗。んー、何も考えてなかった。グレイスのこと、なんて説明しよう。
この屋敷にサラ姫殿下が居ると獣人に漏らしたのがグレイスだと仮定。それを元に、フィリップたちが襲撃、という線か……? だとすると、屋敷の人たちは巻き込まれた可能性がある。だけど、どうだろう。この部屋に逃げ込んだ使用人たちが、襲撃されることを知っていた可能性もある。
何にせよ、今の状態で誰が裏切り者か判断出来ない。グレイスだけかもしれないし、複数人居るかもしれない。
仮定ばかりでは推論もままならない。つまり、裏切り者が誰なのか結論を出すことが出来ない。
ならば現状を整理しよう。
エルフ、ドワーフ、ゴブリン、三つの勢力がサンルカル王国の獣人自治区へ攻め入る。
それを牽引したのが、サンルカル王国の修道騎士団クインテットだ。
グレイスは、サンルカル王国の公爵令嬢で、修道騎士団クインテットの序列三位。
彼女は大物中の大物なのだ。
そのグレイスが裏切って、獣人に与していたと発覚すれば、同盟関係にヒビが入るどころか、白紙に戻りかねない。
ここでグレイスが裏切り者だと明かす訳にはいかない。これだけは確定だ。
「どうした?」
「いや、獣人退治で、グレイスさんと一緒に下水道に入ったんですよ。彼女は魔法を使いすぎて気を失いました。意識は戻ってませんが、回復魔法を使ってます。その上で安静にしてもらうため、障壁を張っています」
「そうか、……無事でよかった」
うーむ。最近、口から出任せが上手くなってきた気がする。良いことなのか悪いことなのか……、取り敢えず誤魔化せたようだ。
「外はどうなっていた? ミッシーが何処に居るのか心当たりは無いか?」
「外は酷い状態でした。――ミッシーとは会ってないです」
再びガックリと落ち込むエレノア。
マジであいつどこ行ったんだろう?
「ソータ、酷い状態ってどれくらいか?」
ボリスが詳しく聞きたがっている。他のエルフや屋敷の使用人たちも、俺の言葉を待っている。
西の門と東の門は獣人の侵入を阻むことに成功。北はスクー・グスローが向かった。南はおそらくまだ交戦中と伝えた。街中で起こる爆発と虫型デーモンは、下水道から侵入してきた獣人の仕業だと最後に付け加えた。
部屋に居る全員が絶望的な顔になった。
地を這う虫型デーモン、ブンブン飛び回る虫型デーモン、一匹だけならそれほど脅威では無いが、数が多い。それが街中に居るとなれば対処が難しくなると分かっているのだ。
「街を見てきます」
「ソータくん行っちゃうの? 私たちを守ってくれないの?」
脚に引っ付いたままのサラ姫殿下を引っ剥がして片ひざをつく。
「ここに居れば安全です。念の為これを持っていてください」
スライムからもらった指輪を渡しながら、余計なことは言うな、と意思を込めて見つめる。いつもはポヤポヤしているけど、彼女はなかなかの切れ者だ。この前も視線で三文芝居を促してきたくらいだし。
俺の予想は当たり、サラ姫殿下は少しだけ首を縦に振った。
『スライムたち聞こえるか?』
『わーい! ソータだ!』
『ごっはん』
『ごっはん』
『ごはんは今度たらふく食わせてやる』
『やったー!』
『だけど一つ条件がある』
『ごはんのためなら!』
『いま重要人物に指輪を渡した。エルフの姫殿下だから、何かあったとき守って欲しい』
『ごはんのためなら!!』
『……姫殿下を食うなよ?』
『もちろんだー!』
『ごっはん』
『ごっはん』
スライムと念話をしていると、訝しむ表情でボリスが話しかけてきた。
「どうした?」
「いや、お守りを……」
「……わかった」
ボリスにも視線で伝える。この二人とのアイコンタクトが上手く行ってよかった。
「それじゃ行ってきます」
「無事に帰ってくるのじゃ」
エレノアが心配そうな顔で俺を見つめていた。
「ソータ、ミッシーをお願いします」
「分かりました……」
グレイスに追加で障壁を十枚張る。維持する為の魔力が跳ね上がったけど仕方ない。これでグレイスが何を喋っても、外の人と会話は出来ない。
重いドアを開けて俺は部屋の外に出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
冒険者ギルドに到着し、オギルビーに状況を聞く。
「南はおそらく大丈夫だ。しかし、スクー・グスローが全滅して、北のトンネルが突破されてしまった。北の城門で耐えているが、帝都中にいる虫型デーモンの対処で、冒険者も軍も手が回らない!」
狼狽しているオギルビーに、俺が持っているヒュギエイアの杯特製の水を渡す。それを一気に飲み干して、気持ちも落ち着いたようだ。そんな成分入ってないけど。
しかし、あのスクー・グスローが全滅? ゴブリンの里で増えているので、種族が滅んでしまったわけでは無い。少しだけ安堵しつつ、俺は何処へ向かうべきか考える。
ミッシーもファーギも居ない。俺一人で何処まで出来るか。
「ギルマス、獣人の戦力は何処に集中してます?」
「この二カ所だ」
バキバキの目になったオギルビーが地図の二カ所を指差す。
北と南か。
「下水道はどうなりました?」
「まだはっきり分からん。SとAランクの冒険者パーティーを複数送ったから大丈夫だと思うが……。火ネズミから始まった一連の騒動は、誰かが仕組んだものだろうな」
火ネズミの大量発生、東西南北のトンネルを同時攻撃、下水道の爆破および虫型デーモンの出現。これを全てグレイスが手引きしたとは思えない。他にも協力者がいるはずだ。
それに、人口九百万人の都市に攻め込むには、獣人たちの姿が少なすぎる。虫型デーモンのせいで、大きな被害が出ている。街は大混乱って事を考えると……。
これは周到に準備された作戦だ。トライアンフに勝つ気はない。少人数で攻め込み、街を混乱させる目的か。
しかし何が目的だ。
戦局をひっくり返すため、――サラ姫殿下とエグバート・バン・スミス皇帝を暗殺しにきたか。
トライアンフのフィリップは、サラ姫殿下の殺害に失敗した。
次は皇帝の首を狙う可能性もある。
俺はオギルビーにその事を伝え、テーベ城に向かって全力で走り始めた。




