074 ブライアンふたたび
さて困った。死んではないものの、首だけの俺は、汚水と共にスライムにもみくちゃにされている。手足がないので、なすがままで抵抗できない。幸いにも、俺を食べようとするスライムが居ないので助かっている。
『身体は動かせるんだったよな?』
『はい』
『んじゃ、貯水湖に身体を落とすか……』
『申し訳ありません。サバイバルモードに切り替える隙を突かれました』
『たまたまだろ。気にしないでいいよ』
汎用人工知能が痛覚を遮断しているので、ストレスは感じない。だけどスライムは興味津々。俺の顔にくっついて来てくすぐったい。
ここからだとグレイスが何をやっているのか確認できないので、早いとこ首を繋げなければ。
身体を動かして貯水湖に落してみるも、スライムだらけの汚水で位置がはっきりしない。
「お?」
スライムがバケツリレー方式で、俺の身体を運んできた。
親切でやってるのかな?
『……で……き……たよー』
……スライムの言葉を翻訳してるのか。やるな汎用人工知能。
『ニンゲン、まだ生きてる』
『くっ付けたらいいかも?』
『みんなで運ぶぞー』
『おー!』
なんて声が聞こえてくる。というか念話だな……。
水まんじゅうみたいなスライムは口が無いので、意思の疎通は念話で行なっているのだろう。
『スライムたち、ありがとうね』
『うわっ!?』
『このニンゲン、僕たちの言葉が解るみたい』
『うっひょー』
『初めてだ、こんなニンゲン』
念話でお礼を言ってみると、大騒ぎになった。
彼らの念話が、大きな波のようになって聞こえてくる。
ただ、すごく透き通った念話だ。どこかの竜神様とは大違い。
悪意の欠片もなく、ニンゲンと話せたことを喜んでいる。
スライムたちが運んできた身体と首が合わさると、骨、血管、神経、筋肉などが繋がっていく。俺がニンゲンだというのは、もう自称としか言えないな……。首と身体はあっという間に繋がり、身体の感覚が元に戻る。
『うわー』
『つながったー』
『すげー』
『おもろー』
汚水の中で動き出した俺に、面白がる念話が届く。
ずっとこんな闇の中に居たんだから、スライムたちも暇だったんだろうな。俺はいい玩具になっている。
『スライムたち、たまには外に遊びに行けばいいんじゃないの?』
『ごはんー』
『中々見つからないー』
『お外怖いー』
引きこもりかよ……。スライム全体の特性なのか、あるいはスライムの種別で違うのか、その辺は分からない。
『ほんと助かったよ』
『へへー』
『どういたしましてー』
『今から遊ぶー?』
『ごめんな。いまちょっと忙しくてさ』
『えー』
『ざーんねん』
『んじゃまた今度だねー』
『ばいばーい』
あらためて汚水の中でもみくちゃにされる。
すごく人なつっこいな、スライムたち。
浮遊魔法で人工貯水湖から脱出すると、身体中からリキッドナノマシンが滲み出て汚水を落としていく。グレイスは宙に浮かぶ俺を見て、恐怖に慄いていた。
いや、違うな。
――失敗した、という感情が見て取れる。
そもそも何で、グレイスは俺を殺そうとした?
「ソータ様、……これ以上、獣人の邪魔をしないで頂けますか?」
「ほーん、あんたが獣人を帝都に招き入れたって事か」
「ふふっ、そうですよ。あなたは危険すぎます。ニンゲンですら無いことが分かりましたし、獣人の国が復権することの妨げにしかならないっ!!」
そうだろうね。首を斬り落とされても元通り。平気な顔して貯水湖から浮かび上がったんだし。あと、グレイスが獣人の内通者だとわかった。
俺をもう一度殺す気満々のグレイスから、魔力が噴き出す。
無詠唱で飛んでくる魔力。
透明で煮えにくい刃は、風魔法だろう。
幾十も飛んでくるウインドカッターを、浮遊魔法で避けまくる。
ファーギのゴーグル様々だな。汎用人工知能の視覚調整が無くても、グレイスの魔力の動きが見えて軌道の予測が簡単にできる。
『……』
『……いや、いつも助かってるよ?』
『へへっ!』
なんてやってる場合じゃ無いな。ウインドカッターの数がどんどん増えていく。避けきれなくなってきたので、障壁を張ってはじき飛ばす。
いまので少しだけ間が開いた。念動力でグレイスを拘束し、呪文が言えないように口も塞ぐ。
「無詠唱って口を塞いでもダメなのな……」
見えない力で拘束されて、焦ったのだろう。より一層激しいウインドカッターが飛んでくる。だけど、グレイスの魔法で俺の障壁を破ることは出来ない。目で追いきれないほどのウインドカッターが飛び始め、しばらくすると唐突にグレイスが気を失った。
俺はグレイスを拘束したまま側に着地。彼女の体力を回復するため、回復魔法を使った。
「起きろ」
「……」
だいぶん衰弱している。後先考えずに魔法を使ったからだろう。
さて……。さっきグレイスが使った光魔法は、このためだったのかな?
人工貯水湖は、あらゆる方向から汚水が流れ込んでいる。その通路から、デーモン憑きの獣人たちがウヨウヨと出てきた。
その胸にあるデーモンの気配は到って平坦。獣人と完全に融合したデーモンだ。
獣人の姿が幾人か消えた。
俺はグレイスごと、三枚重ねの神威障壁を張る。
次の瞬間、五人の獣人が神威障壁に斬りかかってはじき飛ばされた。
大人数で一斉に襲い掛ってこないのは、賢い選択だ。
もみくちゃになったら、同士討ちの危険が高まるし。
障壁の中にグレイスを入れたまま、浮遊魔法で人工貯水湖のまん中まで飛んでいく。
このままでは拙い。
そして予想通り、デーモンの火球が飛び交い始めた。
アホだとしか思えない。
メタンガスの濃度が高いのに、わざわざ着火しやがった。
『うひゃー』
『みんな沈めー』
『かーちゃーん!』
鍾乳洞で大爆発が起こり、天井の鍾乳石が雨のように降ってくる。
獣人たちが火だるまになり、慌てて人工貯水湖に飛び込んでいく。
『スライムたち、大丈夫かな?』
『だいじょぶー』
『僕たちなかなか死なないからねー』
そっか。ちょっと心配したけれど大丈夫そうだ。
『おーい、念話が出来るヒト族ー』
『なんだ』
『いまの爆発、君がやったのー?』
『いんや違うよ?』
『んじゃ誰ー?』
『獣人たちがやったんだよ。そこに落ちてるだろ?』
『うひっ!!』
『……何か嬉しそうだな?』
茶色や透明なスライムたちが、赤く変化していくと、人工貯水湖まるごと発光し始めた。暗い闇が赤い世界に変り、人工貯水湖に逃げ込んだデーモン憑きの獣人たちが悲鳴を上げる。
スライムが獣人を喰らい始めたのだ。
「こわっ……」
さっき余計なことしなくてよかった。
鍾乳洞に来た獣人の半数近くが、赤くなった人工貯水湖に逃げ込んだ。奴らは為す術もなく、スライムに喰われていく。エグい……。たぶんあれは強酸だろう。獣人たちの身体が、煙を上げて焼けていく。悲鳴が途絶えることには、骨すら残っていなかった。
生き残りの獣人は、およそ五十人。だけどかなり負傷者が多い。あの中に統率しているやつがいるはずだが……。
――――見つけた。ブライアン・ハーヴェイ。
負傷した獣人を、元来た通路に避難させている。虫型デーモンを引き連れていないのは、どうしてだろう?
とりあえず拘束しよう。
念動力で、ブライアンを掴もうとすると、姿がかき消えた。そして別の場所に現われる。また瞬間移動か……。ベナマオ大森林であいつと遭遇したとき、これで逃げられたんだよな。
何度か捕まえようとしたけど、全て避けられた。
「お前とはタイマンやりたくねえって言ったろうが。地上に虫型デーモンを放った。そっちに行った方がいいんじゃないか?」
不敵な笑みを浮かべるブライアン。
それならばと、風魔法で空気を抜いても避けられ、土魔法で石を飛ばしても避けられる。水球に閉じ込めようとしても結果は同じ。
大きめの神威障壁に閉じ込めることには成功。しかし、すぐに瞬間移動で抜け出されてしまった。
魔法ばっかりじゃダメっぽい。
かと言って、俺に使えるスキルなんて無いし。
「……げほっ」
グレイスが意識を取り戻した。
同じ障壁の中なので彼女は安全だけど、もう少し眠っててもらおう。
風魔法で空気を抜いて、グレイスの意識を飛ばす。
そういえば、……光魔法使ってみるか。
『調整は出来ています』
『ありがとな』
呪文なんて分からないので、グレイスの光魔法をイメージする。
すると俺の周囲に光の粒が現われ、渦巻いていく。
視界が真っ白になると、俺はそれを鍾乳洞全体に広がるように解放した。
逃走中の獣人たちに光の粒が当たると、そこが灰になって広がっていく。三歩と進むこと無く、全身が灰となって通路にまき散らされた。
ブライアンはそれを全て避け、瞬間移動でどこかへ消えた。
また逃した。ブレナ、ブライアン、この二人はちょっと厄介だな。こいつらが来ているという事は、フィリップ・ベアー率いるトライアンフの獣人が帝都に攻め入っていることになる。
獣人自治区最大のレギオン。たしか総数二千人とか言ってたな。
この街の戦力に対して少ない人数だ。しかし、街に入ってゲリラ的な動きをする獣人は厄介だ。街の住民を守りながら防衛するこちらは不利になるかもしれない。
『おーい、ニンゲーン』
『どうした』
『ごはん、ありがとねー』
『ごはん……? あ、ああ、あれね』
『お礼にこれあげるー』
水中から飛び出したのは神聖な気配漂う指輪。宝石の代わりに小さな神威結晶がはまっていた。
獣人たちは全て逃げ出した。辺りは静寂が支配する。
『……』
『どしたのー? それいいやつだよー?』
『……ああ、分かってる。だけど、どうしてこんなものを?』
『そりゃーねー、ここには色んなお宝が沈んでるからさ。それで僕たちを呼び出せるよー。デーモンおいしかったから、いつでも呼んでねー』
『俺は食べないけどな……。あっ! この指輪さ、俺の知り合いに渡してもいい?』
『えーやだー』
『……まえここに来てた、テイマーズって奴らなんだけど、知らない?』
『知ってるー! たまに呼び出されるから、指輪無くても平気だよー。ニンゲン、君の名前を教えてー。いつでも助けに行くから!』
『ソータ……』
『わーい! ソータ、これからよろしくねー!』
ううむ。どうしても俺に渡したいみたいだ。あと、テイマーズが呼び出して使役しているのは、ここのスライムだったのか……。
『分かった。何かあったら頼むよ』
『やったー!』
『ごっはん』
『ごっはん』
『ごっはん』
彼らの純粋で悪意の無い透き通った念話が押し寄せてくる。それは、デーモンを食べられる事への期待からだ。
小さな子どもが、アリを踏み潰して喜んでいる場面が重なった。
おっかねぇ……。
俺はブライアンを探すため、グレイスを神威障壁に入れたまま移動を始めた。
「いやいや、まてまて」
グレイスが裏切っているのなら、屋敷に居るサラ姫殿下が危ない。何か起きてからでは遅い。急がねば。
俺はグレイスの屋敷に向かって走り始めた。




