073 時間の引き延ばし
直下の下水道で爆発が起き、床が膨れ上がっている。
時間が伸縮する感覚に襲われ、視界に入るもの全てがスローモーションに変わった。
即座に風魔法で防御魔法陣と多重魔法陣を百枚ほど重ね合わせ、床に貼り付けた。
そのおかげで爆発の影響を抑えることができた。
時間が引き延ばされた感覚がなければ、俺はなにもできなかった。そうなれば多くの死者が出ていただろう。度々生じるこの感覚を考察したいが、今は下水道にいる獣人たちを先に始末しなければならない。
時間の感覚が戻ると、こもった爆発音が聞こえてくる。同時に、下水道が崩れる音も聞こえた。
グレイス、オギルビー、冒険者ギルドの職員たちは状況を把握できていないようだ。俺が何かしたとは気付いているようだが、具体的には理解できていない。
ギルドに居る者は皆、俺に質問したそうにしている。誰かが口を開く前に、俺が口を開く。
「あちこちで起こっている爆発は、下水道にいる獣人たちの仕業でしょうね。これから行ってきます」
そう言うと、オギルビーはハッとして応じた。
「了解した。冒険者に緊急召集をかける。あとから冒険者たちが追いかけるが、ソータ一人で先行しても大丈夫か?」
「いえ、冒険者たちは……、街中にある下水道の入り口を封鎖してもらいたいです」
「……分かった。おい、下水道の魔法陣と鍵を頼む」
かなり無理な要求をしたつもりだが、一呼吸置いて承諾された。オギルビーも俺の異常性に勘付いているのだろう。
火ネズミの件で下水道への入り口は固く閉じられているので、職員と一緒に下水道へ向かおうとするとグレイスもついてきた。
「大人しくギルドにいるか、屋敷に帰ってくれませんか?」
「お断りします」
グレイスの表情は真剣そのものだ。何があっても秘密を知りたいという風に見える。
「……仕方ないですね。でも何があるか分からないので、ご注意ください」
「それくらい承知の上ですわ」
ギルドを出て、定期点検用で設置されている下水道の入り口へ向かう。
表通りを歩き、路地裏に入ると窓のない石造りの小屋が見えてきた。その中に下水道へ続く階段がある。
職員が鍵を開けて入り、床にある防御魔法陣を解除した。
「ありがとうございます。俺とグレイスさんが入ったら、閉じてください」
「えっ? 出られなくなりますけど、大丈夫ですか?」
「ええ、平気です。お願いします」
デーモンに憑依された獣人なら、この程度のドアを破壊して出てくるのは容易いだろう。だが、街の人々、あるいは冒険者たちが興味本位で入り込むのは防がないと。
マンホールのような穴には、金属製の梯子が付いている。それを伝って、俺とグレイスは下水道に降りた。
「……」
下水の臭気に、グレイスは顔をしかめている。だが自ら行くと言った手前、文句は言えない。
「ここもシールド工法なのか……?」
「その、しーるどこうほうとは何ですの?」
「トンネルを掘る地球の技術だ」
「なるほど? こちらではモンスターテイマーが使役する、ヒュージワームが穴を掘ります。地球にも似たような技術があるのですね?」
「うーん? 結果的には同じだから、そう言えなくもないかな?」
でかいミミズのことかな?
下水道の内壁はレンガ造りになっている。中央部に汚水が流れ、両脇に通路が設けられていた。ここは大きな下水道で、直径がおよそ十メートルもある。
全て耐水レンガが使われ、周囲の土壌に汚水が漏れないようになっているらしい。
魔石ランプなどはなく暗闇なので、ファーギ特製のゴーグルを装着する。グレイスも腰に下げたポーチからゴーグルを取り出した。
「よし、準備完了だ。スライムがいる人工貯水湖に向かおう」
「はい」
グレイスは、臭いで参っているようだ。俺は汎用人工知能が臭気を調整しているので、さほど気にならない。悪いとは思うが、黙っておこう。面倒ごとになりそうだし。
さっき見た地図を記憶しているので、迷うことなく進んでいく。
「むっ……。ソータ様、どうされますか?」
グレイスが獣人の気配に気付いた。
「捕らえて、目的を聞き出そう」
「承知しました」
俺たちは気配を消し、脇にある通路へ身を隠す。
「マジで鼻がひん曲がる! 獣人を舐めるなよ!」
「まあまあ、これで帝都が落とせるならいいんじゃないか?」
獣人たちの愚痴が聞こえてくる。彼らはまだ俺たちの存在に気付いていない。しかしなんだこいつら。デーモンの気配が完全に混ざり合っていて、まるで別の生物のようだ。
「ぐっ!?」
「おいっ!!」
獣人一人の気配に目標を定める。風の魔法で頭部周囲の空気を一気に抜くと、破裂音と共に派手な音を立てて下水に倒れ込んだ。即死だろう。
現場は見えていないのに、グレイスが俺の顔をじっと見つめている。何をしたのだと言いたげに。
魔力の使用効率が百パーセントなので、俺が魔法を使っても周囲にバレない。だからグレイスはこんな顔をしているのだ。
「クソッ!! 誰だこんなことをしやがったのはっ!! うぐっぅ……」
残りの一人をサイコキネシスで拘束して歩み出る。
兎獣人か……。全身が黒い革鎧で覆われ、両方の腰に短剣を差している。背嚢には、何か重そうなものが入っている。
ゴーグルを装着していないから、俺と同じく夜目が利くのだろう。
「ソータ様、その力は?」
「黙ってろ」
「……」
いい加減にして欲しい。
今は獣人の処置が優先だというのに。
「うぐ……」
兎獣人が何かのスキルを使ったようだが、サイコキネシスの拘束力の方が上回ったようだ。苦しげな顔で、俺を睨みつけている。
背嚢を開けて中身を確認すると、中には魔法陣が彫られた魔石が入っていた。大きさは野球のボールほどで、複数個入っている。
ギルドで売ったら一財産になるぞこれ……。
『爆裂魔法陣と、時間遅延魔法陣を確認しました。……解析と改良が完了しました。時間の設定後に爆発するようになっています。使用しますか』
『魔石を爆弾にしていたのか……。もう少し改良して、指向性を持たせてくれないか?』
『了解しました。……改良完了。魔力の使用量が増加しますが、大丈夫ですか?』
『上出来だ。ありがとう』
『えへへ』
『……ますますヒトっぽくなってきたな』
『どういたしまして』
「これで下水道の破壊工作をやっているのか?」
「さ、さあな……」
魔石を兎獣人に見せながら尋ねる。
「下水道にどれくらいの人数が潜入している?」
「言うかよクソが」
「……」
「や、やめろっ!!」
サイコキネシスで、兎獣人の首をもぎ取り投げ捨てる。さっき頭を破裂させた獣人からは、デーモンが起き上がってくる気配がないので、こいつもそうだろう。
しばらく様子を見ていると、死んだ獣人たちからデーモンの気配が消えていく。
完全にデーモンと同化しているからだろう。西のトンネルで遭遇した獣人たちもそうだったのかもしれない。念のため灰にしなくてよかったのかもな。
ボリスが使っていた収納空間魔法を使い、爆裂魔法陣つきの魔石を全て中に放り込む。
「さて、進みましょうか」
「……はい」
俺たちは緩やかな傾斜を下っていく。下水は全て人工貯水湖へ流れ込んでいるのだ。
しばらく進むと、ポツポツとスライムが見えはじめる。茶色い体が、やがて透明な水まんじゅうのように変化する。何を食べているのか分かったし、こちらに攻撃してくることもない。益虫というか益魔物だろうか。このスライムたちが、汚水を浄化しているのだ。
獣人の気配は感じられないので、どんどん先へ進む。
「でかいな……」
「……」
ネットで見たことがある浄水場をイメージしていたが、鍾乳洞の大空間に出た。四方八方から汚水が流れ込み、おびただしい数のスライムの上にかかっている。
天井までおよそ十メートルある。鍾乳石の長さから、ここは数万年前からある空間だと分かる。人工貯水湖は非常に広く、対岸までは見通せない。大都市である帝都の汚水を一手に引き受けているのだから、当然の広さだろう。
人工貯水湖の方は、継ぎ目のないコンクリートのような素材で作られている。超巨大なプールで深い。スライムがいる汚水まで十メートル以上あるので、落ちたら大変だ。
しかし気まずいな。獣人二名を殺してから、グレイスは口をきいてくれなくなった。今さらデーモンを殺しても俺は何も感じないが、少し刺激が強すぎたのかもしれない。
だからといって、手加減などしないけれど。
「この空間が下水道の中心部か。あそこの大きな下水道はベナマオ大森林に流れ出てます。獣人たちはそこを遡上して侵入してますね。グレイスさん、どうします?」
ここに到着するまでに、何度も爆発音が聞こえている。地上は大騒ぎになっているだろう。死傷者も出ているに違いない。
「……」
「なんだ、やる気がないのなら帰れば――」
「いえっ! やります!!」
金色の髪を振り乱し、青い瞳で俺を睨みつけてくる。ちょっと煽りすぎたかな? しばらく俺を睨んだあと、グレイスは深呼吸をして呪文を唱え始めた。
何をするつもりだろう? ここには巨大な人工貯水湖と、うじゃうじゃいるスライムくらいしかいないのに。
ゴブリンの里で見た光の魔法を使うつもりらしい。呪文を唱え始めると、グレイスに魔力が集まっていく。光の粒子が周囲に漂い始め、俺たちを中心に少しずつ渦を巻き始めていく。
前髪が揺れているのは風のせいではなく、濃厚な魔力のせいだ。相変わらずとんでもない魔力だ。
そして光の魔法が一気に放たれた。
人工貯水湖の空間を、白い光の粒子が覆い尽くしていく。
目を開けているのも困難なほど明るくなっていく。
鍾乳洞を覆い尽くす光の粒子は、周りにある通路へ侵入していった。
しかし、何の手応えもない。デーモンに憑依された獣人は、周囲にはいなかったようだ。
もっと遠くにいるのだろう。
俺の気配探知能力はいまいち精度が低いので、もう一度探ってみよう。ミッシーなどに何度も驚かされているし、集中しないとはっきり分からないのが欠点だ。
「……助かったよ、グレイスさん」
「い、いえ……足を引っ張らないか、気が気でならなかったので」
「そんなことはないさ。光魔法はデーモンに効果抜群だし、頼りにしてますよ」
「……はいっ!」
珍しいな。光魔法でデーモンを滅ぼせなかったからなのか、グレイスの声が緊張で裏返った。
「今の一撃で、獣人たちに気付かれたはず。正念場ですよ」
「承知しました!」
グレイスはいつもより緊張している。こんな場面には慣れてそうだけどな。
デーモンに憑依された獣人なんて、ただの人喰いだ。善悪の問題ではない。奴らは絶対悪だ。見かけたら殺す。それでいいじゃないか。
それなのに、グレイスは怯えたような表情を見せている。
「ちょっと集中するから静かにしてください」
「は、はいっ!」
ずっとこんな感じだと疲れる。いつものように、俺の力を探ってくれている方がまだマシだ。
まあいいや。
地面に座り、気配を探る。
平面から球体へ。
感知できる範囲を一気に拡大する。
『サバイバルモードへ移行します』
『頼む』
脳に過大な負荷がかかったようだ。
なにせ、広大な帝都全体の気配を探っているのだから。
ドワーフ、ヒト、エルフ、スクー・グスローの気配を排除する。
魔物の気配を排除する。
デーモンの気配だけに集中する。
……クソが。
気配が獣人と完全に混ざり合っていて、判別できない。
とりあえず地下の下水道だけに範囲を絞る。
冒険者はここには入るなとオギルビーに伝えたので、一応大丈夫のはずだ。
「あれ?」
風景がおかしい。
首のない俺の身体を、俺自身が見ている。
傍らに立っているのは、剣で俺の首を斬り飛ばしたグレイスだ。
胸ポケットからグローエットが慌てて飛び出す。
それを見たグレイスは、グローエットを真っ二つに斬り割いた。
風景がぐるぐる回る。
ああ、これは前に首を斬り落とされたときと同じだ。
首がなくなった身体から、リキッドナノマシンが吹き出している。
時間が引き延ばされた感覚の中、俺の首は人工貯水湖へ真っ逆さまに落ちていった。




