070 帝都動乱
ギルマスの判断は迅速だった。依頼を受けられるのは、Aランク以上の冒険者のみ。参加者は冒険者ギルドで振り分けられ、帝都ラビントン四カ所にある街道へ向かう。そこで軍の指揮下に入り、デーモンを撃退せよと、急ぎ足で伝えられた。
「なあ、あのトンネルを抜けてこられるのか?」
「私が見た限りでは不可能だと思う」
「だよなあ……」
誤報の可能性も完全には否定できないが、さっき目にした巨大な炎は見間違いではない。
「グローエット?」
「はいはーい! もう私たち獣人に憑依したデーモンと戦ってるよー。東側の城門は任せてちょうだい~」
……デーモンが侵入しているのは確実のようだ。獣人たちの行動が素早いな。
ミッシーや周りの冒険者もいま話したことを聞いていたようだ。グローエットはすでに認知されているので驚かれてはいないものの、その内容に周りがざわついている。
俺はすぐさま、今の話をオギルビーに伝えた。
「東側はそこまで人数を割かなくても良さそうだな。よし、ソータ、ミッシー、お前たちは炎が上がった西門に向かってくれ。それとこれ、軍から支給のあった回復薬だ」
オギルビーがカウンターに出した書類にサインをする。これで依頼の受注が完了する。だが、この小瓶は何だろう?
「回復薬?」
「ドワーフ軍から、ラビントンの冒険者ギルド全てに届けられたやつだ。さっき試したんだが、効果は抜群だぞ」
近くの女性職員が、何か強力な薬でもキメているのではないかと思えるほど、精力的に働いている。というかこの状態って……。
「助かります。ギルマスも飲んだ方がいいですよ?」
「お? おう」
俺とミッシーは小瓶を受け取り、冒険者ギルドを後にした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
デーモンに奇襲をかけられたというのに、ラビントンの人々は平静だ。特に混乱もなく、食料を積んだ馬車が行き交い、ドワーフ軍の多脚ゴーレムが整然と並んでいる。人々は、武具を店先に並べたり回復薬を陳列したりしていた。ヒュギエイアの杯で作った水は、民間にまでは配付されていないようだ。
この巨大都市には、上下水道が完備されている。上水道にヒュギエイアの杯と同じ仕掛けを作るか? ん~、だがそれが下水に流れ込んで、火ネズミが大量発生したりしないだろうか。
よし、この案は却下だ。
「ソータ、何だこの回復薬っていうのは? 透明なのは見たことが無いぞ?」
「ん? あはは~、それたぶん回復薬じゃなくて、ヒュギエイアの杯で作った水だと思う」
「ヒュギエイアの杯?」
そういえば、ミッシーにはまだ話していなかったな。
神威結晶の一件で話が大きくなり、皇帝陛下に国宝の模造品を作るよう頼まれた。小瓶に入っている水は、その模造品の効果でとんでもない回復力を持つようになっているはずと説明した。
「ふむ……。無断外泊して女郎屋にでも遊びに行っていると思っていたが、杞憂に終わって安心した」
女郎屋? ……風俗のことか!! いや、正確には風俗とは違うが。
「い、行くわけないだろっ!!」
あ、今の言葉、ミッシーは俺に聞こえないように呟いたつもりなのだろう。
しまった! 聞かれた!! とでも言いたげに驚いている。ふははは、お見通しだぞミッシー! 俺は地獄耳なのだ! というか杞憂ってことは、俺が女遊びしていないか心配だったのかな?
「い……」
「い?」
「いいから、さっさと行くぞっ!!」
ミッシーは顔を紅潮させながら、全速力で俺から離れていった。
「そういうことされると意識しちゃうだろ!!」
まあいいや。ミッシーは悠久の時を生きるエルフだ。俺は百年かそこらで朽ちるヒト族。種族と時間の壁がある限り、彼女とどうにかなることはない。
西の城門に近づいていくと、すでに戦闘が始まっていた。
ミッシーは城壁に登り、もう攻撃を開始している。ここからでも感じる不気味な気配は、デーモンのものに違いない。
「あれって、西側のトンネルか? うっわ、気持ち悪っ!!」
「そうみたいだ。ソータ、虫のデーモンくらい我慢しろ!」
城壁に登ってミッシーの隣に立つ。十メートルほどの高さだが、穀倉地帯が広がっているので遠くまでよく見渡せる。黒煙が立ち昇っているのはトンネルに作られた砦からだ。あそこがデーモンに攻撃されたのだろう。
虫型デーモンは、黄金色の麦畑から次々と姿を現している。片端からドワーフ軍の多脚ゴーレムに焼かれているのだ。しかし数が多すぎる。ミッシーの爆発する矢も健在だが、まったく追いつかない。
というかミッシー、君はこの前ゴキブリデーモンを見て、逃げ出そうとしていなかったか? あ、……なるほど、足が震えている。つまり痩せ我慢!
「おーい」
「またお前かっ!!」
いつもの衛兵さんがいたので声をかけてみると、邪魔するなと言わんばかりの返事が返ってきた。だが一応聞いておかないと。
「すみません、ここの麦畑ってどうなるんですか?」
「見ての通り虫デーモンごと焼いてる!! 手伝いに来たんじゃないなら、帰れ!!」
「分かりました~。あともう一つ聞きたいんですが、四カ所のトンネルを抜けてきたデーモンは全部虫でした?」
「いや、不明だ!!」
「了解です~、ありがとうございます!」
城壁に並ぶ兵士たちは、火炎放射器っぽい魔道具で虫型デーモンごと麦畑を焼いている。一匹でも街に入り込んだら大騒ぎになるのは必至だ。だからこそ、徹底して虫型デーモンを焼き払っているのだろう。
「んー」
「どうした? バレないようにソータの力を使えないのか?」
「それは何とかなるんだけど、……ちょっと気になることがあってさ」
ベナマオ大森林に行ったときに見た虫型デーモンは、ブライアンが操っていた。あいつが使役するのは大量の虫だ。広大な盆地にある四ヶ所のトンネルを同時に攻めさせることは可能なのだろうか?
そもそも、あれほど多くのデーモンを使役するなんて、本当に可能なのだろうか?
――召喚魔法?
いや、召喚魔法は、呼び出した相手と交渉しないと使役はできない。
「気になることって何だ?」
矢を連射しながら尋ねてくるミッシー。
「西のトンネルまで行こうと思うんだ」
「私も行く」
即答だった。何があるか分からないので、一人で行きたいのだが。いや、ミッシーはSランク冒険者だし、大丈夫だろう。ここはもう他の冒険者が集まってきているし、人手は十分だ。
「んじゃ、ちょっと断りを入れておくよ。おーい!」
「何だ! こっちは忙しいんだ!!」
「ごめんごめん、西のトンネルまで行ってこようと思ってさ。俺たち二人でここから走るから、後ろから攻撃しないでね!」
「かー! また面倒くさいことを……。いや、西のトンネルがどうなっているか、確認できるなら行ってこい!!」
「ああ。連絡するから魔導通信機貸して?」
「……軍の通信機だからダメだ」
「けち臭いな~。んじゃ行ってくる」
「すまんな……、一応軍規だからな」
「いやいや気にしないで」
話している間にも、どんどん冒険者が集結している。ここはもう過剰戦力とも言えるほどだ。軍と冒険者は、ほとんどドワーフで魔道具を使っている。そこらの魔法より高火力だろう。
「行くか」
「おう」
俺とミッシーは城壁から飛び降りた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
火の粉が飛ぶ麦畑のあぜ道を二人で駆けていく。ラビントンは城郭都市なので、周囲を全て城壁で囲んでいる。形は楕円形で、東西南北へ道が延びていく。
その道がなかなかの曲者で、トンネルまでかなりの距離があるのだ。
城門からトンネルまで、およそ十五キロメートル。ドワーフの魔道具が強力だと言っても、攻撃範囲は精々五百メートルだ。結構走ったので、もう背後から攻撃される心配はないだろう。
「鬱陶しいな……魔法で一掃するぞ?」
ミッシーの声がちょっと甲高くなっている。ゴキブリデーモンが俺たち目がけて、黒い雲のようになって襲ってきたからだ。二人とも障壁を張っているので、直接のダメージはない。だが生理的な嫌悪感までは拭えない。
「魔力は温存しといて。俺がやる」
ミッシーと俺に神威障壁を張る。走りながら全方位に向けて、火の魔法を使った。
「おいっ!?」
「ごめん、加減が分からなかった」
俺たちの周りで大爆発が起きて黒煙が渦巻く。一瞬にして夜になったのかと錯覚するほど暗くなった。俺たちは全力疾走中なので、闇をすぐに抜け出した。
走りながら後ろをちらりと見ると、キノコ雲ができている。
火の魔法の範囲が広すぎて、爆轟が発生したようだ。
『火魔法を改良します。以降は火の魔法に加え、爆轟として使用可能です』
『あれ? そんなこともできるの?』
『データがあれば可能です』
『火魔法を変な使い方したから調整したってこと?』
『そうです』
『助かるけど、……ほどほどにね』
俺たちは神威障壁のおかげで無傷だが、城壁まで被害が及んでいたらどうしよう……。
よし、デーモンのせいにしよう。
「集中しろソータ。そろそろ到着するぞ」
「おう」
トンネル入り口にある砦が焼け落ちている。ここに駐屯しているはずのドワーフ部隊が誰一人いない。死体すら見当たらないって、どういうことだ?
骨までゴキブリデーモンに喰われてしまったのか……? もし、そうなっていたとして、生き返らせることはできるだろうか?
『不可能です』
『……だよな』
「くっさ!」
グローエットが胸ポケットから顔を出している。たしかに油臭い。ミッシーも不快そうな顔をしている。おそらくトンネル内の侵入者を焼くための油の匂いだろう。貯蔵タンクがあったと思しき場所を中心に、爆発した跡が残っている。
ここを虫型デーモンが抜けてくることは不可能なはずだが……。
「ソータ!」
「ああ」
壁のようにそびえ立つ外輪山の岩壁。遥か上空にポツポツと気配が現れた。それらからはデーモンの気配がするので、これまで隠れていたのだろう。
山越えをして、この砦を破壊。
トンネルから虫型デーモンを招き入れたのは奴らかもしれない。
俺らが来たからなのか、すさまじい勢いで駆け下りてきている。
ミッシーが風の魔法で攻撃を始めると、獣人が悲鳴を上げながら転がり落ちてくる。
二千メートルはある岩壁なのに、ミッシーも相当目がいいな。
しかしデーモンを宿した獣人たちは滑落死せずに着地し、すぐさま立ち上がって襲いかかってきた。
俺はそいつらを全員障壁に閉じ込め、中で火の魔法を使った。
魔法の炎だ。燃焼に必要な酸素がなくても、障壁の中で業火が荒れ狂う。
デーモンを宿した獣人たちは、その中であっという間に燃え尽きて灰になっていく。
『障壁と火魔法の組み合わせを確認しました。……改善と改良が完了。以降は獄舎の炎として使用可能です』
『……助かるよ』
ミッシーは一心不乱に魔法を使い続けている。岩壁の上にあるデーモンの気配が、かなり多いからだ。落ちてきたデーモンに一切構わないのは、俺が後始末すると分かっているからだろう。暗黙の了解で連携できるようになってきて、ちょっと嬉しい。
しかしこの獣人たち、エルフの里や冥界で見た奴らと姿が違う。ワニ顔ではなく、獣人の姿のままなのだ。それに、デーモンの気配がえらく平静というか、……まるで完全に制御しているような感じがする。
ジーンとシェールのレギオン、ゴライアスの面々は途中から制御不能になったように感じたが、こいつらはそうではないのか。
「――っ!? ミッシー逃げろ!!」
音も気配もなく、姿を消したまま上空から落ちてきたブレナ・オブライエン。
俺の視界に入ったときにはもう遅かった。
彼女の青く光る短剣が神威障壁を破り、ミッシーの首に突き刺さった。
「ミッシー!!」
時が停止したかのように感じられた。
ミッシーの身体が緩慢に崩れ落ちていく。その首から噴出する血飛沫が、赤い花弁のように舞い散った。




