338 失意の中
「…………クソが」
絞り出した陳腐な言葉は、空虚に響くのみ。ラコーダは、まるで俺の絶望を嘲笑うかのように、転移した先で不敵な笑みを浮かべていた。辺り一面に散らばる空艇の残骸。その無残な姿は、まるで俺の心を映し出す鏡のようだ。轟沈したイノセントヴィクティムの船首部分はぐしゃぐしゃに凹んでいた。
「どうやら、お前の大切な仲間たちは、もう二度と起き上がれないようだ。ああ、哀れな……」
ラコーダの言葉が、氷柱となって胸に突き刺さる。ミッシーやファーギだけじゃない。マイアの明るい笑顔、ニーナの優しい眼差し、リアムの頼りになる背中、メリルの毒舌なジョーク、アイミーの元気な声、ハスミンのお茶目な悪口、ジェスの冷静な判断力。彼らの顔が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
「ククッ……無様だな。だが、心配するな。すぐに、お前も彼らに会える」
死の宣告。時間停止魔法を何度も使っているが、全て不発。ラコーダの時間誤謬魔法の前では、俺ひとりが抵抗したところで、無駄な足掻きに過ぎない。それは分かっている。頭では分かっているんだ。
それでも、湧き上がるこの怒り、憎しみ、悲しみを、押し殺すことなどできない。
やつが使った魔法が分からない。以前と同じだ。ナノ秒での魔法の使用はクロノスですら感知できない。ゆえに、魔法を解析できないのだ。
――魔法ではなく、ラコーダ本体を解析できないかな?
心臓が、復讐の太鼓のように、高鳴り始める。
奥歯を噛みしめると、鉄錆びた味が口の中に広がった。握りしめた拳からは、生暖かい血が流れ落ちていた。
ラコーダはニヤニヤしながら俺を見下している。
「ふざけるな……絶対に、許さない! 仲間を弄んだ罪……テメエの命で、償ってもらう!」
咆哮と共に、俺は根源のファイアボールを叩き込む。全身の細胞が燃焼し、限界を超えた力を引き出すデストロイモード。全身を駆け巡る力は、仲間たちと共に過ごした日々の記憶がもたらすものだ。
「うおおおおおおおっ!」
蒼白い光が、漆黒の夜空を切り裂き、ラコーダの黒き渦に吸い込まれていく。しかし、ラコーダは平然とそれを受け止める。
「無駄だ、ソータ・イタガキ! 貴様ごときに、私の力は理解できん!」
ラコーダの言葉に、俺は更に怒りを燃やす。仲間たちの無念を晴らすために、絶対に負けられない。
時間停止魔法を使う。
……やはりラコーダには通用しない。
俺は、一度深呼吸をして心を落ち着かせると、次の攻撃に備えた。ラコーダの黒き渦は、確かに強力だ。しかし、必ず攻略法はあるはず。
『速度だ! ソータ! 奴の渦は、高速で移動する物体を捉えきれない!』
ミッシーの声が聞こえた。そうだ、奴の渦は、あくまで空間を歪める魔法。純粋な速度には対応できないはずだ。
『諦めるな、ソータ! 俺たちと共にあったお前自身を忘れるな!』
ファーギの声が聞こえた気がした。そうだ、諦めるものか!
俺は、これまで仲間たちと共闘し、数々の困難を乗り越えてきた。時には戦略を練り、時には力を合わせ、時には互いを励まし合った。その経験が、今の俺を支えている。
ラコーダの攻撃パターン、時間誤謬魔法の特性、そして自分の能力。あらゆる情報を瞬時に分析し、最適な戦略を立てる。
俺は根源の力を最大限に発揮し、スキル〝全身強化〟と〝超加速〟で高速移動を開始する。周囲の景色が、まるでワープするように流れ去っていく。
ラコーダの攻撃が、紙一重で俺をかすめた。
「無駄な足掻きを……」
ラコーダがそう言い終わるよりも早く、俺は背後を取っていた。そして、渾身の力を込めたファイアボールを、ラコーダの背中に叩き込む。
「ぐあああああっ!」
ラコーダの悲鳴が響き渡る。蒼い炎が、黒き渦を飲み込み、南極の夜空を焦がし尽くす。
しかし、ラコーダの力は強大だ。爆炎の中から、再び姿を現したラコーダは、激昂していた。
「この虫ケラがぁぁぁっ!」
激しい怒りのためか、ラコーダの時間誤謬魔法が暴走し始める。周囲の空間が歪み、時間が錯綜する。このままでは、巻き込まれてしまう。
『ソータさん! 気をしっかりっす! 今がチャンス!』
リアムの声が聞こえた。そうだ、今がチャンスなんだ!
俺は、ラコーダの暴走する魔力に飲み込まれないよう、慎重に距離を取りながら、最後の攻撃に備える。
『クロノス』
『はい』
『ラコーダ自身を解析できるか?』
『やってみます。……ラコーダは冥界の住人でしたが、身体の組成が時間誤謬に代わっています』
『冥界の住人が神へ到るなら、身体の組成は迎魔になるはず。やつはもうひとつ先の誤謬界の住人になったってことか』
『そうです。ソータより完全に格上の相手ということに……』
『分かってるよ』
俺の身体は蒼天。誤謬界のひとつ下だ。
しかし、俺はやつより強力な素粒子が使える。
全身の力を、根源に集中する。残された魔力は、わずかしかない。だが、これで最後の一撃を叩き込む!
「仲間たちの想い……この一撃に込めて!」
蒼いファイアボールが、再び南極の夜空を切り裂く。それは、仲間たちの想いを乗せた、希望の光だった。
そして、その光は、ラコーダの心臓を貫いた。
「ば、ばかな……」
ラコーダは、信じられないという表情で、俺を見つめる。
その目は、次第に光を失っていった。
そして、ついに力尽き、ラコーダは地面に崩れ落ちた。
「やっと終わった……」
ヒュギエイアの水をかけ、息も絶え絶えに呟いた。
勝った。俺は、ラコーダを倒した。
しかし、勝利の喜びは、虚脱感にかき消されていた。
胸にぽっかりと空いた穴は、仲間たちの不在を、残酷なまでに突きつけてくる。
ひとりぼっち。
凍てつく南極の雪原に、俺だけが取り残された。
よろめきながら、俺は朽ち果てた空艇の残骸に近づく。無残に破壊された機体の一部が、鋭利な刃物のように雪原に突き刺さっている。
「……みんな」
声にならない声が、喉の奥で詰まる。
ファーギと初めて会ったのは、帝都ラビントンの冒険者ギルドだった。
『おい、その依頼は三人でも無理じゃないか?』
酒臭いドワーフのおっさん。屈託のない笑顔で、ファーギはそう言った。右も左も分からない俺に、この世界の常識や文化を教えてくれたのは、他でもない彼だった。
『おい、ソータ! 飯だぞ! 腹減って力が出ねえだろうが!』
いつも通り、大きな声でファーギが俺を食事に誘う。懐かしい響きだ。しかし、返事はない。
「……ファーギ?」
辺りを見回すが、そこには轟沈した空艇の残骸が広がっているだけだ。
そうだ、ファーギはもういないんだ。
ミッシーとマイアは、いつも美味しい料理を作ってくれた。
『ソータ、さっさと食え』
『ソータさん、疲れてるでしょう? これ、食べたら元気になるわよ!』
彼女たちの作る料理は、故郷の味を思い出させてくれた。異世界での不安な日々の中で、彼女たちの優しさは、俺にとって何よりも温かい光だった。
「ミッシー、マイア、あのシチュー、また作ってくれよ!」
思わず口に出してしまっていた。だが、返ってくるのは空虚な風の音だけ。
ニーナは、いつも静かに俺を見守り、励ましてくれた。
『ソータさんは、強い方です。きっと、この世界を救えるはずです』
彼女の言葉は、いつも俺に勇気を与えてくれた。
「ニーナ……俺は、俺はしくじってしまったよ……」
問いかけても、もう答えは返ってこない。
リアム、メリル、アイミー、ハスミン、ジェス……。
彼らの顔が、次々と脳裏に浮かび上がる。
楽しかった日々。苦楽を共にした日々。
もう二度と戻らない、かけがえのない時間。
「……すまない」
絞り出すように呟く。
みんなを守れなかった。
置いてきてしまった。
自業自得の結末。
顔が歪む。涙が止まらない。
そんな俺を、南極の凍てつく風が容赦なく冷やす。まるで、俺の罪を責めるかのように。
……いや、違う。まだ、諦めるわけにはいかない。
ふいに、心に小さな灯火がともる。
そうだ、蘇らせればいいんだ。
例え、この雪原で遺体を捜すことが不可能でも。永遠回廊結晶が反応しなくても。
ラコーダの使った時間誤謬魔法。あの忌まわしい魔法は、時間を操作する。ならば、時間を巻き戻せば……。
「クロノス……なあ、クロノス」
『……どうしました?』
「時間を……時間を巻き戻せないか?」
『……』
俺の問いかけに、クロノスは沈黙した。彼女にも、それが不可能だと分かっているのだろう。
『ソータ……時間は、もう戻せません。起こってしまったことを、変えることはできないんです』
分かっている。頭では分かっているんだ。
それでも、どうしても、諦めきれない。
「……なら、教えてくれ。俺は、何のために戦ってきたんだ?」
虚空に向かって、問いかける。しかし、返ってくるのは、風の音だけ。
力なく項垂れる。
何もかも、失ってしまった。もう、俺には何も残っていない……。
絶望が、心を蝕んでいく。
その時だった。
かすかに、だが確かに感じる。
仲間たちの気配を。
……なんだ?
それとも、俺の心が、生み出した幻? とうとうイカれちまったか……。
顔を上げ、周囲を見渡す。
遠くの地平線の彼方。そこに、微かな光を見た。
「……まさか」
信じられない。けど、もしかしたら……。
希望の光を求めて、俺は走り出す。凍てついた大地を蹴り、風を切り裂いていく。
近づいてくる光。その輝きは、次第に強さを増していく。
そして、ついにその姿が、はっきりと視界に飛び込んできた。
ひとつ、ふたつ……いや、もっと多くの光。
それは、紛れもなく、空艇の姿。
ドワーフのサイレンスシャドウ艦隊。修道騎士団クインテットのオブシディアン。エルフのインビンシブル艦隊。
朽ち果てたはずの、仲間たちの船団が、今、目の前に現れようとしていた。
「うそだろ……?」
驚愕の声が、喉から漏れ出す。
幻覚か? それとも、これは夢なのか?
しかし、そのあまりにもリアルな光景は、俺の心を激しく揺さぶる。
風にたなびく、三国の国旗。慌ただしく動き回る船員たち。そして、九つの永遠回廊結晶の反応。
これは現実だ。
『ソータ、信じられないかもしれませんが……今、見えているものは、本物です』
クロノスの声が、興奮気味に告げる。
『ラコーダの使った時間誤謬魔法。あの魔法は、同盟軍の時間を未来に飛ばしていたんです。つまり、彼らは、この時間、今の時間へと飛ばされていた。ラコーダにとって時間誤謬は、扱いきれない魔法だったのでしょう』
俺は呆然と、クロノスの説明に耳を傾けた。
信じられない話だが、目の前の光景が、それを証明している。
『彼らは、時が来れば、必ずこの時代に帰ってきます。それが、まさに今なのです』
クロノスの言葉に、胸の高鳴りが最高潮に達する。
再会の喜び。奇跡への感謝。
そして、改めて確信した。
俺の戦いは、決して無駄ではなかったのだと。
「……ありがとう、クロノス」
こみ上げてくる感情を、必死に抑え込みながら、そう言った。
「お前がいなかったら……俺は、きっと」
『いいえ、ソータ。あなた自身の強さが、あなたを支えていたんです』
クロノスの言葉が、温かい光のように、心を包み込んだ。
深く息を吸い込み、空を見上げる。戦いは終わった。星空は、再び輝きを取り戻している。
俺は、仲間たちの待つ船に向かって、歩き出す。
一歩、また一歩。
雪原を踏みしめるギュッという足音だけが、静かに響く。
凍てつく風の中、新たな希望を胸に。
今度は、絶対に、お前たちを置いていかない。
仲間たちの待つ船団が、少しずつ大きくなっていく。
俺たちの物語は、まだ終わらない。
これからも、共に歩んでいく。
俺たちで切り開いた新しい未来へ。
まずは……土下座して謝ろう。これまでのことを。




