335 ファーギたち
南極の空は、漆黒の闇に覆われていた。吹雪が激しく、雪と氷の粒が、まるで光を吸い込むかのように白い渦を作っている。オギルビー・ホルデン率いるドワーフのサイレンスシャドウ艦隊もまた、デーモンの激しい攻撃に晒されていた。
――ドゴォンッ
旗艦イノセントヴィクティムの艦橋に、遠くの地平線から轟音が届く。
「今の音は、何だ!?」
「……エルフ軍の旗艦、サッドネスの艦橋が爆発しました!」
「はあ!? そんなバカな! もう一度確認しろ!!」
オギルビーは信じられない、という表情で、艦内通信機のスイッチを入れた。
「ファーギ! まだ準備はできていないのか!」
『すまん! 地球製の空艇は、まだ動かないんだ!』
魔女シビル・ゴードンから借りた宇宙船は燃料切れの状態だった。イノセントヴィクティムのドックで、ただの邪魔な鉄の塊と化している。しかし、ドワーフの工兵たちは諦めることなく、燃料系統の交換作業を続けていた。宇宙船の燃料を、空艇用の魔石に交換しようとしていたのだ。
「画像を映します!」
オギルビーが通信している最中、通信士が慌ててモニターのスイッチを入れる。映し出されたのは、エルフの旗艦サッドネスが墜落していく映像だった。艦橋にいるドワーフたちは、言葉を失ってしまう。オギルビーもまた、その光景に衝撃を受けていた。
通信機の先。ファーギは、突然黙り込んでしまったオギルビーを不審に思ったのだろう。『おい、どうしたんだ! さっきの爆音と関係があるのか?』と聞いてきた。
ファーギはイノセントヴィクティムのドックにいるため、外の状況を知ることはできない。通信機から、アイミーの声が聞こえてきた。
『おいジジイ、空艇発着場にみんな集まってるぞ! あそこからなら、外の様子が見えるはずだ。行ってみようぜ!』
そこまで言ったところで、通信は途絶えた。
オギルビーは、炎に包まれながら墜落していくサッドネスの映像を眺めながら、力なく艦長席に座り込んだ。
「加圧魔石砲、準備。目標、黒い立方体。三発同時に発射しろ」
艦長であるオギルビーの言葉に、副官が反対する。
「しかし艦長、この艦の加圧魔石砲は、シチューメイカーが使っていたものとは威力が違います。この距離で使用すれば、友軍に甚大な被害が出てしまいます!」
激しい吹雪によって視界は悪く、艦橋の窓から黒い立方体は見えない。しかし、レーダーには、冥導結晶の反応がはっきりと表示されている。距離は百キロメートル以上離れているはずだ。それなのに「友軍に被害が出る」とは、一体どれほどの威力なのか?
「友軍には、障壁を張らせればいい。多少の被害が出ても構わん」
「いえ、しかし……」
「デーモンが、あの黒い立方体から出現していることは明白だ。元を断たなければ、デーモンの数は減らない。やるしかないんだよ」
「……分かりました」
副官は渋々承諾し、「加圧魔石砲、三門、発射準備! 目標、前方の黒い立方体!」と、周囲の兵士たちに指示を出した。
「直射で一発、曲射で二発。あの立方体を二方向から同時に攻撃し、破壊するんだ」
「了解しました!」
「撃て!」
ドワーフ軍総司令官、オギルビー・ホルデンの号令と共に、加圧魔石砲三発が連続で発射された。
しかし――。
「艦長! 直射で撃ち込んだ魔石砲から、魔力反応が消えました!」
「見失ったのか? すぐに座標を――」
「いえ、そういう意味ではありません。弾頭の魔力が、消失したんです!」
「くっ! デーモンめ。曲射の二発はどうなっている!?」
「たった今、二発とも魔力反応が消失しました! 加圧魔石砲三発、すべて反応がありません!」
「一体、何が起きたんだ……! どうやって、無効化したんだ!」
オギルビーは怒りと焦りを抑えきれず、艦長席の肘掛けを強く握り締める。彼は、険しい表情で艦橋のクルーたちを見回した。
起死回生の一撃が、不可解な方法で無効化されてしまったのだ。
オギルビーは腕を組み、何か方法はないかと考え始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一方、ファーギたちは、イノセントヴィクティムのドックで騒いでいた。
「マイアとニーナだ!」
「ミッシーを助けたみたいね!」
「無事だったんだ。良かった……」
アイミー、ハスミン、ジェス。三人はドックの発着場から身を乗り出し、外の様子を見ていた。マイアとニーナが、ミッシーを連れて飛び去っていく。
眼下には、無数のデーモンが蠢いていた。黒い絨毯のように、雪原を埋め尽くしている。もし、あそこに墜落したら、ミッシーでも助からないだろう。
「ちょっと、あんたたち! リアムが空艇の準備をしているわよ! 早く行きなさい!」
メリルが、テイマーズに声をかける。シビルから借りた宇宙船は諦めたようだ。十人乗りの小型空艇に、リアムとファーギが乗り込んでいく。
「あなたたち、ファーギから帝都ラビントンに残るように言われたのに、ついてきたんでしょう? ちゃんと、ファーギの言うことを聞きなさい!」
メリルは、少し厳しい口調でテイマーズを叱る。
三人は確かに、ファーギからラビントンに残るように言われていた。しかし、転移リングを使って、こっそりついてきてしまったのだ。三人とも、まだ子ども。戦場に出すわけにはいかない。
ファーギの親心は、テイマーズに伝わらなかった。追い返しても、転移リングを使って戻ってくるのは目に見えている。そのため、ファーギは「必ず、俺たちと一緒に行動するんだぞ」と、念を押していたのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
イノセントヴィクティムの甲板に、ファーギたちが乗る空艇がせり上がってくる。
それは、従来の空艇とは全く異なる形状をしていた。揚力を発生させる翼がないのだ。全体は球体に近く、戦闘用というよりも輸送用といった雰囲気だ。
それはソータのアイデアを聞いたドワーフの技術者たちが、新たに開発した新型空艇だった。
操縦桿を握るのはリアム。副操縦士はファーギ。メリル、アイミー、ハスミン、ジェスは、球形の壁面に沿って設置された銃座に座っている。万が一のために、回復役として、多数のスライムが召喚されていた。
「加圧魔石砲で吹っ飛ばすみたいっすね。そのあと、オレたちは地上のデーモンたちを殲滅するんすよ」
リアムは、興奮気味にそう言った。しかし、ファーギは残念そうに首を横に振る。
「オギルビーから念話があった。加圧魔石砲三発、すべて何らかの原因で無効化されたそうだ」
「はあ? そんな、加圧魔石を無力化するなんて、不可能っすよ!」
「いや、それが事実なんだ」
「一体、なんでそんなことになってるんすか!」
リアムは席を立ち、ファーギに詰め寄る。
「リアム、バンダースナッチの倉庫に、何があったか覚えているか?」
「えっと……食料とか武器とか、たくさん積んであったっす。空間が拡張されてたから、物凄い量があったんすよ!」
「時間が止まっていた奴らは、いなかったか?」
「あっ!」
リアムは、一瞬で状況を理解したようだ。
加圧魔石砲三発は、時間停止魔法によって無効化されたのだと。
「そういうことだ……早く、出撃するぞ」
「いやいや、何を言ってるんすか! 時間停止魔法なんて、ソータさんくらいしか使えないはずっす。加圧魔石砲の弾頭を三発も時間停止するなんて、不可能ですよ!」
「リアム、分かっていないのか? ソータに匹敵する力を持つ敵が現れたってことだ」
「げっ!?」
リアムは驚き、口をあんぐり開けたまま固まってしまった。
「それでも、俺たちは戦うしかないんだよ」
ファーギの言葉に、リアムは覚悟を決めた。そして、新型空艇をゆっくりと上昇させていく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
イノセントヴィクティムから飛び立ったファーギたちは、想像以上に苦戦するドワーフ軍の姿を目にした。地上から放たれる無数の冥導魔法によって、ドワーフ軍の空艇が次々と撃ち落とされている。
小型で小回りが利く空艇とはいえ、あまりにも攻撃魔法の数が多すぎる。
戦艦のような強力な障壁を張ることはできない。そのため、デーモンの冥導魔法が直撃すると、簡単に障壁を貫通してしまうのだ。
「な、何すか、これ? たかがデーモンの魔法で、ドワーフ軍の障壁が破られるなんて、おかしいっすよ!」
リアムは、窓の外に広がる光景に絶句する。無数のドワーフ軍の空艇が、黒い煙を上げながら墜落していく。
しかし、不思議と、リアムたちの乗る新型空艇には、攻撃魔法は飛んでこない。
それもそのはず、この機体には、気配遮断魔法陣、視覚遮断魔法陣、音波遮断魔法陣、魔力隠蔽魔法陣、冷却魔法陣、加熱魔法陣など、周囲から発見されないための魔法陣が、これでもかとばかりに刻み込まれているのだ。
本来は、偵察任務のために開発された機体だ。搭載されている魔石は、主に魔法陣の効果を高めるために使われており、攻撃能力はほとんどない。
それでも、彼らがこの機体を選んだのは、ファーギの指示に従った結果だった。
「攻撃すると、こちらの居場所がバレてしまう。メリル、アイミー、ハスミン、ジェス。タイミングを合わせて地上に攻撃を加え、すぐに離脱するんだ。これを繰り返して、デーモンの数を減らしていく。タイミングを合わせることだけは、絶対に忘れるな」
ファーギの言葉に、四人は頷く。彼らが座る銃座には、ファーギ特製の強力な魔導砲が設置されている。
「アイミー、ハスミン、ジェス、準備はいいわね? それじゃあ、打ち合わせ通りにいくわよ。せーの、撃て!」
メリルの合図と共に、四つの魔導砲が火を噴いた。空艇の四方向から放たれた極太の金色光線が、地上のデーモンたちめがけて放たれる。
着弾。
しかし、爆発音は聞こえなかった。音も、振動もない。ただ、太陽のように強烈な光を放つドームが、雪原の上に広がっていく。その光が雪原を照らした瞬間、世界が変わった。光の中にいたデーモンたちは跡形もなく消滅し、雪は一瞬で水蒸気へと昇華した。熱によって雲は消え去り、凍てつく冷気は熱波へと変わった。すべてが一瞬の出来事だった。
静寂の中、黒い大地だけがそこに残された。
ファーギの魔導砲のエネルギー源は、永遠回廊結晶。ファーギは、またしても強力な兵器を開発していたのだ。
「デーモンの数を考えれば、ソータも文句は言えまい」
ファーギは小さく鼻を鳴らした。三国同盟軍には、すでに多くの犠牲者が出ている。今ここで使わなければ、いつ使うんだ、と言わんばかりだ。
「うわあああっ!」
「攻撃したら、すぐに移動するんだ! 忘れてたのか!」
突然、空艇が急上昇し、ファーギはシートに強く押し付けられる。他のメンバーも、慌ててシートベルトを締め直し、肘掛けに掴まって耐えていた。
この空艇は、魔法陣の効果によって敵からは見えないはずだった。
はずだったのだ。
――ズドォンッ
「うわっ!?」
「うひっ!」
「きゃっ!」
ジェス、ハスミン、アイミーが、驚きの声を上げる。
デーモンの魔法が直撃したのだ。空艇は大きくバランスを崩す。しかし、神威障壁が自動で展開され、機体への致命的な損傷は防がれた。
「ちょ、ちょっと! デーモンからは見えないはずじゃなかったの!?」
メリルは、珍しく声を荒らげる。
「そのはずっすよ。魔法陣の強化は、神威結晶でやってるんですから」
「それなのに、なんで……?」
メリルは納得できない、という表情でファーギを見つめる。
その時だった。再び轟音が鳴り響き、空艇が大きく傾く。
「やっぱり、見つかっているな。完全に」
ファーギは険しい顔で窓の外を見ながら言った。窓の外では、地上から放たれた冥導魔法が飛び交っている。先程の攻撃では、すべてのデーモンを倒しきれていない。むしろ、デーモンたちは、この空艇を狙い撃ちにしているかのようだ。
「どういうことか分かりませんが、デーモンたちには、オレたちの姿が見えてるみたいっすね」
リアムはそう言うと、急旋回を始める。彼は、高速で複雑な動きを繰り返すことで、デーモンたちに狙いを定めさせない。
しかし……。
「げっ!?」
空艇の前方に、黒い壁が出現する。いや、正確には壁ではない。無数の黒線が、まるで壁のように彼らの行く手を阻んでいた。
リアムの操縦技術がどれほど優れていようとも、慣性を無視することはできない。急停止すれば、乗組員が怪我をしてしまう。最悪の場合、死んでしまうかもしれない。リアムは焦燥感に駆られる。
「転移リングを使うんだ!!」
ファーギの叫び声と共に、六人のドワーフは姿を消した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「いってぇ……。転移したはずなのに、何かにぶつかったぞ」
ファーギは額から血を流しながらも、意識を保ち、周囲を見回す。リアム、メリル、アイミー、ハスミン、ジェス。五人は、近くの雪原に倒れ、意識を失っていた。
よく見ると、そこは雪に覆われた、小さな山の頂上だった。吹雪が激しく、視界は悪い。足元は凍りついた地面で、砕けた岩が散乱している。時折、突風が吹き荒れ、細かい砂利が顔に当たって痛い。遠くには、デーモンの軍勢の姿が、霞んで見えた。
空から落下した衝撃で、周囲の雪は彼らの体形に沿って大きく凹んでいた。衣服は雪で濡れ、凍りそうな寒さだ。空は厚い雲に覆われ、雪が容赦なく降り注いでいた。
ファーギは立ち上がろうとするが、足元がふらついた。転移に失敗し、地上に叩きつけられた衝撃が、まだ残っているようだ。彼は歯を食いしばりながら、仲間たちの無事を確認する。そして、この危機的状況から、どうやって脱出するかを考えた。
ふと気配を感じたファーギが声をかける。
「あんたも転移リングの効果を妨害され、地上に落とされてしまったのか……」
ファーギから少し離れた岩陰に、一人の女性が立っていた。ヘルミ・ラックだ。吹雪が激しく、ファーギは彼女に気づかなかった。
ヘルミは、勇者タケウチのグランウォールによって押し潰されたはずだった。本来なら、そこで死ぬはずだったのだ。しかし、タケウチは彼女がバンパイア化していることを失念し、ヒュギエイアの水をかけなかった。そのおかげで、彼女は蘇生し、ルイーズを探して、この地へやってきたのだ。
「……その通りよ」
白いローブに白い手袋。彼女はまるで聖職者のようだが、ファーギは、その声に聞き覚えがあった。
「どうした? 怪我でもしているのか?」
ヘルミの顔は苦痛に歪み、見ている方が辛くなるほど苦しそうだった。ファーギは心配になり、駆け寄ろうとした。しかし、次の瞬間、彼は足を止めた。
「へぇ、呪詛返しリングが光るなんて、初めて見たな。ああ、思い出したぞ。お前は、ヘルミ・ラック。あの時の軍師か」
ヘルミの呪いを、ファーギの指輪が跳ね返したのだ。そのせいで、彼女は苦しんでいる。
「ぐっ……」
ヘルミは苦しそうに喉を押さえながら、ゆっくりと膝をつき、地面に倒れ込んだ。雪に埋もれ、完全に息絶え、そして、みるみるうちに、彼女の体は干からびていった。それを見ていたファーギは、ヒュギエイアの水を取り出し、カラカラに乾いた彼女の体にかけた。
「もう、お前とは縁を切るつもりだったんだがな……。またしても、助けられてしまったな……ソータ」
ファーギは吹雪の中、遠くを見つめながら呟いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「みんな、起きたか?」
ファーギは、近くに倒れていたリアム、メリル、アイミー、ハスミン、ジェスを、ヒュギエイアの水を使って回復させた。
彼らが着ている防具は、ビスが外れたり、紐が切れたりしていた。
「さて、これからどうしようか? 転移リングが使えないどころか、ゲート魔法すら使えない」
ファーギは仲間たちを見ながら、言った。
「おそらく、地上に落ちた兵士を逃がさないように、対策されているんだと思うっす。ムカつくけど、デーモンも馬鹿じゃないってことっすね」
リアムはそう言うと、神器であるミムを構えた。
「瞬間移動も封じられているようね。仕方ないわ。力ずくで突破するしかないわ」
メリルもまた、神器ヴァルを手に取った。
「私は皆の盾になるわ」
アイミーは、神器ヘイムを構える。
「オレは、全力で攻撃するぜ!」
ハスミンは、神器ベリを握り締めた。
「オイラだけ、ちょっと場違いな気がするけど……頑張るよ」
ジェスは、神器ブラギを構え、静かに弦を弾き始めた。
もちろん、テイマーズが召喚したスライムたちも、彼らのそばに控えている。
「おらあああっ! クソッタレのデーモンども、かかって来い!!」
ファーギは、神器ガルムを高く振り上げ、周囲を取り囲むデーモンたちに突撃した。
風は強く、雪も多い。視界は悪く、旗艦イノセントヴィクティムがどこにいるのかすら分からない。転移リングは使えず、ゲート魔法も瞬間移動も使えない。
神器を携えた六人のドワーフは、圧倒的な数のデーモンたちに立ち向かっていった。




