329 時の支配者
千五百メートルの空の中、眼下に広がるのはヘルシンキの街並み。
時間停止魔法の発動と共に、再び太陽系全体の時間が止まったかのような感覚に襲われる。デストロイモード中とはいえ、二度も太陽系全体に時間停止の効果が及ぶとは考えにくい。俺の体内にある根源がそれほどのものかと疑念を抱かずにはいられないのだ。
だがしかし、これなら核兵器の無力化は元より、地球の温暖化も根本から解決できるのではないだろうか。
デストロイモードの長時間維持は不可能だ。それは感覚的に理解できる。やるならば、いまのうちに事を運ばなければならない。
まずは核ミサイルの無力化に着手しよう。
脳内にある地球のマップには、たくさんの核ミサイルが表示されている。現在飛行中のもの、発射前のもの、そしてすでに爆発を起こしてしまったもの。それらすべてが手に取るように把握できる。
ここでひとつ試してみたいことがある。冥導を使用する大魔法、イビルアイだ。これは以前、神界のエンペドクレスによって使用不可能にされた。しかしデストロイモード中の現在なら、その枷を打ち破れるかもしれない。
核兵器をすべて対象とする。
そのイメージでイビルアイを展開する。一点に留まらず、地球上の至る所を覆うべく、宙に浮かぶ巨大な目玉を千個創造し、均等に配置していく。
成功だ。イビルアイは問題なく展開され、千個の巨大な目玉が地球を覆い尽くす様は圧巻だった。
脳内地球儀からの操作は容易い。そう感じながら、イビルアイの効果を発動させ、核兵器の時間停止を解除する。
おお、これはすごい。
イビルアイは、ミサイルの推進力を上回る吸引力を有していた。飛行中のミサイルが徐々に軌道を変更し、直径五十キロメートルの目玉に吸い込まれていく。
その中は計り知れない空間が広がっている。核爆発が発生しようとも、放射能が放出されようとも、地球上に影響が及ぶことはない。
脳内地球儀に映し出されるのは、世界中の核ミサイルが、千個のイビルアイに次々と取り込まれていく様子だ。やがて、十五万発を超える核兵器は、すべてイビルアイに取り込まれた。
月面基地と魔女シビル・ゴードンの時間停止を解除し、彼女に念話を送る。
『シビル、地球の核兵器の行方を調査してくれ』
『えっ……? 何が起きたのかしら……。ああ! ソータさん、地球上の核兵器が跡形もなく消失しています。どのような手段を用いたのですか? いや、地球上に複数の冥導反応が……。これはイビルアイの仕業……、しかも膨大な数……。まさか、すべてがそこに』
『その反応を見ると、地球上の核兵器はすべて消滅したようだな』
『はい、イビルアイでなければ、こんなことは不可能ですし――ああ、これは……』
核兵器はすべて消え去った。シビルが言葉を失ったのは、恐らく十二刃の者たちや、俺の仲間がすべて命を落としたと悟ったからに違いない。現在、時間の流れているのは、俺とシビルだけだ。彼女はモニターを通じて、時間が停止した仲間たちを見守っているのだろう。
何か慰めの言葉を掛けたいが、時間は待ってくれない。デストロイモードが解除される前に、事を済ませなければならない。
次の課題は、地球温暖化の解決だ。
地球温暖化の直接的な原因は、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの増加にある。その数値は産業革命以降、右肩上がりに増加し続け、今や人類の存亡を危ぶむレベルに達している。
地球温暖化を即座に回避するため、最も効果的な手段は大気の組成を変更することだ。ただ、魔法で一気にやってしまうと、どんな影響が出るのか分からない。
どうする……。
勘で行動し、失敗してしまった。そんな結果になるやもしれない。これは博打と同じで、リスクが高すぎる。
以前、俺が調子に乗って地球温暖化を止めようとしたときは、魔法を使った感覚すらなかった。あれから数ヶ月が経過し、太陽系全体に影響を及ぼすほどの力を手に入れたが、それでも魔法で地球温暖化を止めることはできないのか……。
――――パキッ
いまの音は……?
地球の時間は停止し、動けるのは俺だけ。空気の動きさえ止まっている。唯一動けるシビルは月にいるのに、なぜ音がする。そう考えながら辺りを警戒していると気配を感じた。
リリス、ダーラ、それとエリス・バークワースの三人だ。
魔女マリア・フリーマンだけは、時間停止の状態を保っている。しかし三人の時間停止はあっという間に解除されてしまった。
今回はエリスに効いたと思っていたんだけど、甘かったか。あと、リリスとダーラも時間停止を解除しやがった。こいつらは一体何者なんだ。
「ソータ・イタガキ、その力は何だ」
真っ先に口を開いたのはエリス・バークワース。語尾がいつもの「にゃ」ではなくなっていて、雰囲気まで変わっている。
ああ、もしかすると人格がキャスパリーグへ切り替わったのかな? 奴は俺の前方、約五十メートルの距離で浮遊魔法を使っている。
「力? 何のことだ」
「はっ、とぼけるな。貴様の存在は蒼天なのに、もっと上の魔素を使っているだろう?」
もっと上の魔素……? あ、エリスもキャスパリーグも、生粋の異世界人だ。素粒子という考え方がないのだろう。つまり時間停止を行なった素粒子、根源を指しているのか。
「ソータ」
「おう?」
五メートルほど背後から、リリスの小声が聞こえる。キャスパリーグに聞こえないように話しているみたいだな。これまで共闘してきた仲なので、後ろにリリスとダーラがいても気にならない。
「さっきも言ったが、キャスパリーグは星彩界の住人だ。神界の住人であるお前に、どうにか出来る相手ではない」
「それはもう聞いた。何が言いたいんだ?」
「助力してやろうか?」
「……俺たちは共闘中だ。確認する必要があんのか? さっさと手伝えボケが」
「ふっ……。その言葉、忘れるなよ?」
言質は取ったぞ、みたいな言い方、やめてほしいんだけどな。口には出さないけど。
なんて考えていると、リリスが大声を張り上げた。
「エリス、いや、キャスパリーグ! お前にはここで退場してもらう! 私とサシで勝負しろ」
凍り付くような冷たい声だ。というか、リリスが戦うんかーい、とツッコみたくなった。いや、ここで「エリス・バークワースを倒すのは俺だ」なんて意地を張る場面ではない。そういうのは正義の味方がやることだ。今はリリス単独でキャスパリーグを倒せばよし。難しそうなら手を貸す。
「何だ貴様、裏切ったのか」
「裏切る? 何を言っている、キャスパリーグ。お前は私が仲間だと思っていたのか?」
「……」
リリスの突き放す言葉で、キャスパリーグの表情が変わった。表に出さないよう、静かに怒りを湛えている。
――――ギイィ
まばたきをすると、リリスは五十メートル先のキャスパリーグにリリスが襲いかかっていた。速い。魔力の動きは無かったので、転移系のスキルか?
リリスの両手から爪が伸び、十本のカミソリのように変化している。
それを鉤爪で防いだキャスパリーグ。彼女はリリスの攻撃に、特に驚いてはいない。
身体能力は互角と言ったところか。
キャスパリーグの鉤爪がリリスに届くことはなく、一進一退の攻防が続く。
ふたりとも器用だな。浮遊魔法の扱いに慣れている。細かいフェイントを交えて、しこたま剣戟が鳴り響くも、決定的な一撃が生まれない。何という速さだろう。デストロイモード中なのに、目で追えなくなってきた。
これでは魔法で攻撃する余裕もないだろう。意識を魔法に向けた瞬間、真っ二つに斬られる。それほどの速さだった。
完全に観戦モードに入っていると、ダーラの気配が俺の横へ移動してきた。
「攻撃しないんです?」
「え? タイマンでしょこれ」
「……ソータさん、意外と真面目なんですね」
「意外とって何だよ意外とって」
「ほら、ぬるいこと言ってないで、キャスパリーグに攻撃しますよ」
そう言ったダーラが姿を消す。またしても目で追えなかった。リリスはまだ分かるけど、ダーラはいったい何者なんだ……? リリスの娘と言ってるけど、なんか違う気がする。
改めて戦闘を観察する。一対二となった戦いは、互角から徐々に傾き始めた。
正面からリリスの爪を受け止めたキャスパリーグ。両手の鉤爪を使っていて、背後はがら空きだ。
そこへすかさず爪を振るうダーラ。彼女の目は赤く輝き、獲物を追うバンパイアと化していた。
キャスパリーグはそれを察して、軽々と避けていた。
ぶっちゃけ、あの三人の中に入れない。ダーラは俺に戦闘参加を促したが、無理なもんは無理。体術や魔法がうまくなったからと言っても、あの三人の動きは尋常では無い。刹那で攻防の入れ替わる戦闘空間に入り込めば、俺なんて瞬時にバラバラに斬り刻まれちまう。
それに、さっきからキャスパリーグに時間停止魔法を使っているけど、まるで効き目無し。一瞬でも奴の時間が止まれば、そこで勝負ありなんだけどなぁ。そろそろデストロイモードも終わりそうだし、どうするかな。
『ソータ、スキル〝超加速〟を使ってみれば?』
『うん? 効果あるかな?』
クロノスの声でふと思う。こいつまた思考を読んでやがると。
まあいいや。今に始まったことじゃないし。
「おっ!?」
思わず声が出た。スキル〝超加速〟を使ってみたところ、抜群の効果が現われた。
『どういう事?』
『ソータはいつも魔法ばかりで、スキルをあまり使わないですよね。それに加え、いま使っている魔素は根源。スキルは魔素に影響されますので、効果が上がっているのは当然です』
『ほほー、素晴らしい』
『かっこつけてもダメですよ。忘れてたくせに』
『やかましいわ』
クロノスは置いといてと。いやはやこれは驚いた。
リリスとダーラ、それにキャスパリーグの動きが止まって見える。ゆっくりと徐々に動いているのだ。
彼女たちと俺は、時間の流れが違う場所に立った気分になる。スキル〝超加速〟の効果がここまで高いとは思いもしなかった。これからは併用するようにしよう。
よし、俺も戦闘に参加しよう――は?
キャスパリーグの動きが俺と同じになった。奴もスキル〝超加速〟を使ったのだろう。
キャスパリーグの鉤爪で、リリスとダーラ、ふたりとも首をはね飛ばされてしまった。
ゆっくりと身体から首が離れてゆく。俺は彼女たちふたりに時間停止魔法を使った。
これで一安心。時間停止を解除した瞬間、冥導魔法の魂の叫びを使用すれば間に合う。例え砂になったとしても。
「うおっ!?」
五十メートル先のキャスパリーグが、瞬時に俺の前に現れた。鉤爪を振りかぶり、俺の首を狙っている。
しかし。
「ぐっ!?」
キャスパリーグの動きが止まって、苦しそうな声を上げる。念動力で掴んだからだ。
「くそっ!」
キャスパリーグはすぐに転移魔法で移動した。現れた気配は俺の背後。
――バン
板状障壁を張り、同時に瞬間移動でその場を離れる。追いかけるように障壁の割れる音が聞こえてきた。
だが、移動先にキャスパリーグが待ち構えていた。
「これでお仕舞いにゃ」
違う。エリスの人格で待っていたのだ。彼女はすでに魔法を発動させ、俺に向けて発射直前だった。
瞬間移動が間に合わない。
それならエリスの魔法を封じよう。
スキル〝魔封殺〟を使用。
エリスの魔法が消え去り、不発に終わった。
彼女は諦めずに次の魔法を発動させようとするが、すでに魔法は封じている。
「ソータアアアアッ!!」
次の瞬間、エリスの絶叫と共に、スキル〝魔封殺〟の効果が消えた。
そんなのありかよ。気迫でスキルの効果を消すとか聞いたことねえし。
あ、デーモンの能力をコピーしたってやつか。その中にスキルを解除するスキルがあったのかもね。
そんなこと考えても、目の前の事実は変わらない。
エリスは次の魔法を発動させていた。
素粒子の星彩を感じる。
リリスが言っていたな。エリス、いや、キャスパリーグは星彩界の住人だと。俺の身体が神界の蒼天なら、キャスパリーグの身体は星彩で出来ている。つまり俺より強い力を持っているわけだ。
エリスの魔法が何か知らないけれど、とてつもない圧力を感じて危険だ。地球が丸ごと吹っ飛びそうな予感さえある。
そこへ俺は、スキル〝魔封殺〟を使用。
エリスの魔法を使用不可とし、膨れ上がった星彩の行方を探る。
このまま破裂しても、素粒子がばら撒かれるだけで問題ない。
エリスは苦しそうな顔で耐えているが、どれくらい持つかな。
時間をかけたくないので、さっさととどめを刺そう。
彼女と俺の速さは同じくらい。
いまのこの一瞬だけ、エリスが苦しそうな顔で動きを止めた。
そこで俺は根源の力を使い、エリスの周囲に質量場を展開する。すると空間そのものが粘性を帯びたかのように歪み、エリスの動きが急激に遅くなった。苦しそうだった表情は驚きへと変わっている。
質量場は目に見えないが、その効果は明らかだ。エリスの周囲の空間が重力に引き寄せられるように歪み、彼女の動きを束縛している。これは単なる重力操作ではない。空間そのものの性質を変え、質量の概念を操作する、より根源的な魔法だ。
メフィスト。やつの使ったヒッグス粒子がこんな形で役に立つとは。
まあいい。例え彼女がどんな世界の住人であろうとも、質量は必ずある。いつもより重くなれば、どんなに強くても動きは鈍る。
案の定エリスの動きは遅くなった。これは叫んだくらいではどうにか出来るものでは無い。さらにヒッグス粒子の量を増やしていく。エリスは浮遊魔法で浮かんでいるが、それも質量の増加で耐えられなくなったのだろう。吊り下げていた紐が切れたように、落下していく。地上まで千五百メートルだ。
しかし相手は、エリス・バークワースならぬキャスパリーグだ。彼女がヘルシンキの街に落ちたとしても、そんなにダメージを与えられないだろう。
サラ姫殿下の治療のとき、魔封陣から絶対魔封陣を取得している。この魔法陣を多重魔法陣と共に、エリスに山のように貼り付けた。これでもう奴は魔法が使えない。
それに加え、能封殺魔法陣と魔封殺魔法陣も、多重魔法陣で重ねていく。
これらは根源を使っているため、星彩を使うエリスではどうしようもない。彼女は落下しながらも、俺を睨み付けている。何も出来ないからだ。
そんな顔をされてもな。
とどめを刺すため、灰も残さず焼いてしまおう。根源で、獄舎の炎を使う。
エリスの周囲を六面、障壁で囲む。彼女は慌てふためくが、魔法もスキルも封じているため、どうにもならない。鉤爪で叩こうとも、あんなに細い腕では無理だ。
そこに俺は炎を発生させた。赤い炎が白へ変わり濃い青へ変わってゆく。
その時にはもうエリスの姿はなく、灰も残さず完全に燃え尽きていた。
……あとは魔女マリア・フリーマンを始末して、首が飛んだリリスとダーラの蘇生か。バンパイアばっか汚えよな。生き返っても、お咎め無しとか。
そういえば……、ニンゲンの蘇生は、女神アスクレピウスから、きつく禁じられていた。その理由は、冥界の神、ディース・パテルが怒って暴れるのを防ぐため。
そのディース・パテルは現在時間停止中で無力。
そうか。別にもう気にする必要はないんだ。
『シビル、仲間たちがどこで死んだのか、座標を教えてくれ』
念話を飛ばしていると、エリスを燃やし尽くした獄舎の炎が、ヘルシンキ元老院広場に落ちたところだった。




