328 神のシステム
真祖リリス・アップルビーは、魔女マリア・フリーマンから話を聞き終えた。リリスは不敵な笑みを浮かべ、首を横に振る。彼女の隣にいるダーラは、未だ不安げな表情のままだった。
マリアは得意げに話しかける。リリスの表情に気づかないまま。
「分かったかしらリリス。 神界、黒霧界、混沌界、これらに住む住人は、神を詐称する詐欺師。あなたは混沌界のアダム・ハーディングを討ちたいのでしょ? 詳しい事情は知らないけど、そいつも同じ穴の狢よ」
リリスは呆れたように目を細め、マリアに話しかけた。
「ひとついいかしら」
「……?」
リリスの問いに、マリアは首を傾げる。
「浄化システムの存在は知っているわ。でもね、あれは全ての魂を神界へ運ぶものでは無く、悪い魂は消滅させられているのよ?」
「何が言いたいのかしら?」
「神界の住人は、魂の搾取ではなく、選別を行なっているの。ただ、それも限界に近づいているみたい。地球では人口――魂が指数関数的に増えているから」
「わたしが地球に追放されて千年。それくらい知っているわ。あなたも地球でそれを見てきたでしょ?」
「では何故、地球人類だけ人口が増え、異世界では一定数を保っているのか、あなた考えたことある?」
「……地球人が節操ないだけでしょ」
マリアはやれやれというジェスチャーをとる。おどけた態度のマリアに対し、リリスは真剣な表情を崩さない。
「……そうかもしれないわね。でもね、地球人と異世界のヒト族、彼らの遺伝子情報は同じ。獣人もほとんど変らない。同じニンゲンという括りの、エルフやドワーフ、ゴブリンやオーク、根本から違う彼はそもそも妖精族で除外ね。遺伝子情報はまるで違っているわ」
「…………」
「あなたもそうよ? 魔女の遺伝子情報はヒト族とは違う」
「変らないわねリリス。あなたの理屈っぽいところ。なかなか結論を言わないところ。ほんとに嫌いだわ……」
「私もあなたが嫌い。それはお互い様でしょ?」
「で、結局何が言いたいのよ!」
怒ったマリアを見て、リリスはようやく表情を崩した。ニヤニヤしながら、雑魚を見下すような目でマリアを眺めている。
「同族で殺し合う性質を持っているヒト族は、本来そこまで増えることは出来ない。異世界のヒト族は増えていないのに、地球だけっておかしいでしょ? 何故か? それは、混沌界のアダム・ハーディング、黒霧界のディース・パテル、彼らは地球の人口を増やすため、呪いをかけているから」
「……はぁ、続けて?」
「壊滅的な戦争が起きても、凶悪な疫病が流行っても、地球人類は困難を乗り越え、人口を増やす繁殖能力がある。これこそが呪いなの」
「……バカバカしい。さっきも言ったとおり、地球人は節操がないだけ」
「そうでもないわよ? 人類が増えすぎたことで、地球温暖化は急激に進んだ。その結果、人類は地球に住めなくなった。これがアダム・ハーディングとディース・パテルの目的。呪いによって地球人類は自滅。大勢死ぬことで、たくさんの魂が神界へ向かう」
「……」
「そうなると、ばく大な数の魂が、浄化システムに殺到するわ。アダム・ハーディングとディース・パテルは、浄化システムに対して飽和攻撃をやりたかったのよ。それこそ千年単位の長期計画で……」
「まさか、そんなこと……」
「飽和攻撃はすでに始まっているわ。そうなると神界では、浄化システムを正しく稼働させるため、多くの人員を割かなければならなくなるでしょ? その隙を突いて、混沌界のアダム・ハーディングと黒霧界のディース・パテルが、神界を滅ぼす予定だったの」
「……何でそんな回りくどい事をするのよ。いや、その前にリリス、あんた何でそんなに詳しいのよ!」
「回りくどい? あなたはたった千年くらいしか生きてないから、詳しく教えてあげなきゃ分からないでしょ? 混沌界と黒霧界は、はるか昔から何度も何度も神界と戦争しているのよ。地球と異世界のニンゲンを取り合ってね」
「ニンゲンを取り合う? いったい何を言ってるのかしら……、あっ!」
「分かったみたいね。冥界の住人はデーモンで、ニンゲンの肉を喰う。彼らデーモンの神として君臨するのは、黒霧の住人ディース・パテル。それと同じく、死者の都の住人はバンパイアで、ニンゲンの血を必要とする。彼らバンパイアの神として君臨するのは、混沌界の住人アダム・ハーディング」
「魂と肉と血を奪い合っているのね……。神を名のろうとも結局、同じ穴の狢じゃない」
「大局的に見ればそうね。だけど、神界の住人の方がマシだと思わない? あなたはニンゲンの肉を喰ったり血を吸ったりしないでしょ?」
「何を言ってるの? バンパイア風情が……」
「確かに私はバンパイアだけど、基本、ニンゲンの血は吸ってないわ。まあそれは、また今度。いま大事なのは、魔女マリア・フリーマン、あなたのことよ」
「私? 何のことかしら?」
「あなたは過去、キャスパリーグに賛同し、異世界にデーモンを呼び寄せた。そのせいで地球に追放されたわね」
「ええそうよ。だから神々に復讐する。そのために、いけ好かない魔女シビル・ゴードンと手を組んでいるのだから」
「神に復讐なんてお止め。あなたが復讐すべきは、エリス、いやキャスパリーグよ」
「はぁ? あなた何をバカなことを……」
「あなたは地球に住んで長いから、多世界解釈って分かるかしら?」
「聞いたことある程度ね。平行世界とは違う、くらいしか分からないわ」
「まあいいわ。簡単に説明すると、ディース・パテルの住む黒霧界は六番目。アダム・ハーディングの住む混沌界は七番目の世界。キャスパリーグは八番目で、魔素、いや素粒子の力が強い星彩界の住人よ」
「はっ、エリスもそんな与太話してたけど、付き合ってらんないわ。あなた長生きしすぎてボケてるんじゃない? そんな世迷い言を話されて信用するとでも?」
「信用してもらうために話したんじゃないわ。あなたに教えてあげたの。組む相手を間違っていると。キャスパリーグと組んでいる限り、あなたは神を討てない」
「そんな事ない。竜神オルズはすでに討ったわ」
「はあ、オルズごとき神界の住人を討っただけで、何を得意げになっているのかしら……。あなたはアダム・ハーディングとディース・パテルと同じく、キャスパリーグに操られているの。気づいてないと思うけど」
「はあ? 操られてないし! てか、あなたは何でそんなに詳しいのよ!」
「このままじゃ平行線か。……仕方がない。私の素性を明かしてやろう」
「な、何よ……」
突如、凛とした威圧感を放つリリスに、マリアは思わず宙に浮いたまま一歩後ずさりした。
「私はアダムから生まれたわけではなく、彼にそう思わせているだけ。星彩界と呼ばれる八番目の世界から来た、高位の存在よ――」
「……ぷっ。あなたもエリスと同じで、ジャパニーズカルチャー、中二病に罹患しているの?」
「ふう……、だから言いたくなかったのだが、まあいい。忠告はした。あとは好きにすればいい。ただし、ソータの時間停止を解除しているエリス・バークワース、奴がどこにいるのか聞かせてもらおう」
「はっ、言うわけないでしょ――――ひっ!? ひぎゃあぁぁ!!」
マリアが突然絶叫をあげた。リリスのスキル〝絶対服従〟が発動したためである。マリアはエリス・バークワースの支配下にあったため、それを上回るスキルを使われて全身に激痛が走っているのだ。
全身の筋肉が硬直し、身体を仰け反らせるマリア。次の瞬間、浮遊魔法を維持できずに落下し始めた。
ダーラは慌ててマリアをキャッチ。白目を剥いて泡を吹くマリアの姿に、目を逸らした。彼女は苦しそうに痙攣していたが、助けることはできない。現在進行形で、リリスの〝絶対服従〟がエリスの支配を蝕んでいるためだ。
しばらくすると、マリアはダーラの腕の中で目を覚ました。
ダーラは何か探るように、マリアをじっと見つめる。
「母上さま、大丈夫です」
ダーラはそう言って、マリアの顔をリリスに向ける。
マリアは咳き込みながらリリスへ話しかけた。
「リリス。……私に何をした」
「あなたをエリスから解き放ったのよ」
「なるほど……、いまなら分かる。やはり私はエリス・バークワースに操られていたのね。助かったわ、リリス」
笑みを浮かべるマリア。しかし彼女は、リリスの支配下に置かれたことを認識していなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺はいま、ヘルシンキの上空にてエリス・バークワースと相対していた。異常事態である。何故かこいつに時間停止魔法が効かないのだ。
「どうしたにゃ?」
エリスは、俺を見つめたまま、とてもいい笑顔を浮かべている。
しかしながら、彼女から、とてつもない何かを感じる。邪悪な、いや、形容する言葉が見当たらない。エリスはそんな笑顔を湛えたまま、俺の時間停止魔法を解除してきた。
即座に時間停止魔法を使っても、すぐに解除される。
エリスは時間停止の解除。俺は再び時間停止させる。それを繰り返しながら、核ミサイルは徐々に進んでいた。
「なんで時間停止魔法を解除する」
「ソータに嫌がらせしてるにゃ」
ふざけた物言いに言い返そうとしたその時だ。一部の空間で時間停止魔法がすっぽ抜けた感覚がした。
くそっ! 時間停止を全体解除せずに、小さな空間で時間停止を解除してるのか。しかも数が多い。
時間が動き出したのは、核ミサイルが飛んでいる空域だ。全て把握するのに時間がかかるけど、やるしかない。
時間が動き出した箇所を再度時間停止させていると、リアムから念話が入った。
『時間停止魔法が一部解除された。このタイミングだと、バンダースナッチでは対処できない。ごめん、後は任せた』
それが始まりだった。
地球上のあらゆる箇所で時間停止が解除されてゆく。
『ソータ! リアムの念話は聞いたか』
ミッシーからの念話は、絶望に打ちひしがれていた。なんとか慰めたい。そう思ったけど、まともに返事する余裕はなかった。
『ああ、聞いた……』
我ながら最悪の返事だと考えるも、それどころではない。
たくさんの細かい空間で時間停止を解除されると、そこから時間が動き出す。それはまるで、紙に着火した炎のように燃え広がってゆく。それらを全て時間停止で塞いでも、また別の箇所が解除される。俺とエリスの間では、時間停止と時間稼働の追いかけっこが繰り広げられていた。
拙い。全体で時間停止する余裕がない。
仲間たちが次々に死んでゆく。俺はただ、それを感じ取るだけだった。
「苦戦しているようだな」
この声はリリス。背後に三つ現われた気配のひとつからだ。振り向く余裕はない。
「いまも時間停止が解除されてんだ。何もしないなら黙ってろ」
すでにいくつかの核爆発が起きている。集中して対処しなければ、全ての核兵器が爆発してしまう。
「ソータ、お前の身体は蒼天だったな。五番目の世界の住人が、八番目の世界の住人に勝てるわけがない」
俺の身体が蒼天だと、なんでリリスが知っている。それに八番目の世界って、星彩界のことか? つまりエリスはそこの住人だと言ってるのか? いや、いまは適当に誤魔化しておこう。混乱するだけだ。
「はあ? 何言ってんだ……?」
「神界の住人が星彩界の住人に勝てるわけが無いと言っている」
あ、完全に知ってんな。なんで知っているのか気になるけど、いまは目の前のエリスを何とかしなければ。現在進行形で時間停止魔法が解除されているのだから。
『クロノス』
『はーい』
『サバイバルモードに変更できる?』
『んー、変更できるけど、エリスには勝てないと思うな~。デストロイモードで互角かな?』
こんな状況なのに、クロノスはのほほんと返事してくる。
『互角でもいいから、デストロイモードに変更』
『了解しました』
クロノスの声と同時に、身体がかっと熱くなる。全身に力がみなぎって、気持ちまでもが高揚していく。
脳内にバンと広がる太陽系。それを俺が俯瞰して見ている。
範囲が広すぎる。
そう思った瞬間、地球と月のアップに切り替わった。
俺はそのイメージに、時間停止魔法を使った。
「……」
またごっそり根源が減った。残り少ない。しかし効果は出た。目の前に浮かぶエリス・バークワースの動きが止まった。ようやく後ろを振り返ってみると、リリスとダーラ、それに知らない女性がひとり。胸にかかるオクタグラムのペンダントから察するに、魔女マリア・フリーマンだろう。なぜこの三人でいるのか分からない。全員時間が止まっているから聞きようもない。
時間は止まった。
これでいいのか。
仲間が犠牲になったとしても、地球が焼かれるのは見過ごせない。
納得いかない気持ちもある。しかしこれでいい。こうするしかなかった。
ミッシー、ファーギ、リアム、マイア、ニーナ、メリル、アイミー、ハスミン、ジェス、みんなすまない……。俺はみんなを助けられなかった。




