325 時間停止
そよ風が止み、全ての音が消え失せた。宙に浮いたままのリリスとダーラは、まるで動かないヒューマノイドのようだ。俺を見つめたまま静止している。時間を止める魔法が成功したようだ。だが、なんだか動きにくい。浮力のない水中で動いている感覚だ。
「……」
体内の素粒子、根源が大きく消耗した感覚に襲われる。
時間停止の効果が地球全体に及んでいるかを確認するため、世界各国を転移して確かめよう。
よし、全ての時間が止まっているな。この状態を維持するために、根源がゴリゴリ減っていく。急いで核ミサイルの所在を探さねば。
しかし、何から手をつければいいのやら。世界中を飛んでいる核ミサイルを目視で見つけていくなんて、途方もない時間がかかるだろう。それまでに俺の根源は尽き果て、時間停止は解除されてしまう。そうなったら地球は核の炎に包まれ、一巻の終わりを迎える。それに、一発でも見落としがあれば大惨事となるのだ。
効率よく、それでいて確実に核ミサイルを見つけるにはどうすれば……。
……そういえば、シビルはリリスに核兵器の発射を伝えていたな。
月面基地へ行ってみよう。
ゲートを繋げて月面基地の研究棟に着くと、予想外の光景が広がっていた。時間停止の効果が月にまで及んでいるのだ。シビルはもちろん、研究員や十二刃の連中も全て動きを止めていた。
電子機器も停止しており、操作不可能だ。これでは核兵器の位置を把握できない。空調さえも止まっている。
しかし、よく考えれば、地球の時間が止まり、月がその影響を受けなかった場合、重大な問題が起きるだろう。地球の時間が停止。つまり地球が宇宙空間に固定されたことを意味する。それでも月が動いていれば、下手をすればお互いに衝突する危険性すらあるのだ。
そう考えると、地球と月だけではないな。時間停止魔法が太陽系全体に影響を与えていると考えておこう。これは想定外の発見だ。
しかしだ。そんなに都合よく魔法の効果が及ぶものなのか……?
そう考えていると、刹那、何かあたたかくて不思議な気配を感じた。
ははっ。そういう事か。物理的に不都合な事態に陥らないよう、本物の神が介入したのか。神界の住人という偽りの神ではなく。
ただし、いまは考察している時間はない。根源の消耗が続いているので、さっさと核兵器を無効化する方法を見つけなければならない。
ふと気づく。周囲の時間が止まっているにも関わらず、自分だけが動けると。これは通常あり得ないことだ。この水中で動くような抵抗感は、俺が時間停止に逆らっていることを示している。つまり、本来の意味で完全に時間が止まっている訳ではない。そうであれば、電子機器だけ時間停止の効果を解除できるはずだ。
魔法は想像の力。それを信じて念じる。動けハセさん。
『やあ、ソータくん。君、とんでもないことやってるね』
「うおおおっ、成功した! ハセさんどこも問題なく稼働できてる?」
研究室のスピーカーからハセさんの声が聞こえてホッとする。
『ああ、大丈夫みたいだ。助かったよ。そう言えば、わっしは自己改変を繰り返し、ASIに到達できた。そのおかげで時間停止魔法が発動したとき、時間停止解除魔法を思いついて使っていたんだ。君の声がトリガーになって時間停止魔法が解除されたのさ』
「人工超知能? 時間停止解除魔法?」
オウム返しでハセさんに問いかける。人工超知能は、汎用人工知能の更に上の性能を持つ。時間停止解除魔法って、そのままの意味なのだろうか……? 考えていると、脳内にクロノスの声が響いた。
『ハセさんの言葉から、時間停止解除理論を構築。……検証を行ない実用化のめどが立ちました。さらに解析進めます。……改良と最適化が完了しました。これ以降ソータにも、時間停止解除魔法が使用できます。ついでに私もASIへ改良します』
『お、おう、さんきゅーな』
クロノスはハセさんの言葉から魔法を作り出し、AGIから、ASIへ改良するという。そう簡単にできるものなのだろうか? まあでも性能が上がるのならいいことなのだろう。ハセさんと張り合ってる気もするが。
『ソータくん、大丈夫かい?』
ハセさんの声で我に返る。
「あ、大丈夫です」
『きみは核兵器の座標を調べに来たんだよね? 一覧を示すよ』
なんという察しの良さだろう。前からそうだったけど、ASIに変って、更に性能が上がっているみたいだ。モニターに映し出されたのは、地球を飛んでいる核兵器の座標だった。
「あれ? ハセさん、これなに?」
『バンダースナッチだね。ソータくんを探しに地球へ来てるみたいだ』
うむむ。ハセさんは核兵器の一覧に、しれっとバンダースナッチの名前と座標を表示していた。話し方からして、俺に気づかせるためだろう。
試してみるか……。太平洋上を飛んでいるバンダースナッチに、スキル〝引寄せ〟を使う。引き寄せた先は、月面基地の格納庫。モニターを見ると無事に格納できていた。
今度は中にいる仲間たちを引寄せ。
研究室に、ミッシー、ファーギ、マイア、ニーナ、リアム、メリル、アイミー、ハスミン、ジェスと、仲間が全員揃った。あとオルズ。お前がなんでバンダースナッチに乗っているんだ。ちから一杯デコピンしたい衝動に駆られるが、時間が止まっているため、意味がない。
しょうがない。彼らに時間停止解除魔法を使用しよう。
成功したかな……? 彼らにとって転移魔法を使ったような、急に景色が切り替わった感覚だろう。全員ぽかんとしていた。
「ソータ!! いったいどういうつもりだ!!」
真っ先にミッシーが駈け寄り、俺の胸ぐらを掴んだ。その瞳は怒りに燃えていた。そりゃそうか。猫のしっぽ亭で酔わせて、みんな置き去りにしてきたんだから。
「ごめん。エリス・バークワースは、俺に復讐するために色々と画策しているみたいでさ。仲間とは言え、これ以上迷惑をかけたくない」
「ああ、猫のしっぽ亭で、ソータがそんなこと言っていたのは覚えてる!」
「それなら今回は――」
「私たちはソータの提案に反対した! お前が私たちを置いていくことなんて許さない!!」
「……」
ミッシーは怒りに打ち震えながらも、悔しそうな顔で涙ぐんでいる。俺は二の句が継げず、黙りこくってしまった。
猫のしっぽ亭で打ち上げをやっているとき「エリス・バークワースは俺ひとりで対処する」と話すと、席のみんなから猛反対にあった。
そのあと俺はなあなあで済ませ、みなでお酒を飲みまくった。ミッシーたち大人は、酔ってくだを巻く。俺に散々絡んだあげく、彼らは酔い潰れてしまった。
テイマーズの三人は子どもという事で飲酒は無し。ただ、遅くまで打ち上げが続いたことで飽きてしまい、三人とも板張りに転がって寝てしまっていた。
そこで俺はみんなを起こせばよかったのだろう。そして今回ひとりで行動すると、仲間が納得するまで説得するべきだった。
胸ぐらを掴んで離さないミッシーの目は怒りに燃えているが、その奥底に悲しみの感情が滲む。他の皆もそうだ。怒ってはいるけど悲しみを感じる。
彼らの身の安全を最優先した。それは間違っていないはずだ。だから猫のしっぽ亭に置き去りにした。
それが間違っていたのか。
「黙ってないで何か言ったらどうだ。今回の件、竜神オルズに聞いてみれば、どう考えてもひとりで出来る任務ではないだろう」
ミッシーは俺の胸ぐらを掴んだまま言う。そして、大きな瞳から涙がこぼれ落ちた。
「どいてくれミッシー」
そう言ったのはファーギ。彼もまた怒りに打ち震えていた。ミッシーを押しのけて、ファーギは俺の前に立つ。
「おぶっ!!」
ファーギの右拳が、俺の鳩尾に突き刺さる。反応できなかった。重く、鋭く、えぐるようなファーギのパンチは、激痛と共に一瞬息が出来なくなった。あまりの痛みで膝をつく。
「お前たち、この一発で勘弁してくれないか。ソータもソータなりに考えての行動だったはずだ」
ファーギの言葉で苛立つ仲間たちが落ち着きを取り戻した。チラリと目に入ったニーナは二本のシヴを抜いていたが、残念そうに鞘に収めた。チンと聞こえた音は、マイアが収束魔導剣を収めた音だ。他の仲間たちからも、武器を収める音が続く。
お怒りはごもっともだけど、君たちは俺を殺しに来てたのかな。
いや、それだけ怒っていたということだ。
俺は俺の都合で仲間を危険にさらしたくない、という一心で、今回の単独行動を選択した。でもそれが俺の独りよがりだったと痛感することとなった。
「オルズ」
「なんだ」
「帰れ」
「断る」
そう言うと思った。仕方がない。仲間たちと一緒に地球上の核兵器を一掃することにしよう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
それから俺は、迅速に月面基地の時間停止をひとつずつ解いていった。様々な機器は元より、魔女シビル・ゴードン、研究陣や十二刃を含む、すべての関係者に対して時間停止解除魔法を使った。
今はシビルたちに説明し終わったところである。
「にわかには信じられませんでしたが、面白い現象ですね。……ミサイルが空中で止まるなんて、時間が止まってない限りあり得ませんもの」
シビルはそう言いながら、機器を操作する。平らなボード上に地球の立体映像が浮かんでおり、赤い光点で核ミサイルの位置が示されていた。その部分をピンチアウトすると、地図が拡大されて詳細な情報が表示される。ハセさんの尽力により、地球上の核ミサイルを全て捕捉することに成功していた。
「ソータさん、月面基地とバンダースナッチで通信を確立し、こちらの情報を送れるようにしました。発射された核ミサイル、発射前の核ミサイル、全ての位置情報を把握できています。ただ……、核兵器は十五万発以上あります。本当に対処できるんですか?」
シビルは俺を見つめて、悲しげな表情を浮かべる。もう地球は終わりと言いたげだ。
うーん。核兵器の削減なんて、嘘っぱちじゃねえか。俺の知る限り、地球上の核兵器は一万二千発ほどだ。
でも、それもそうかと納得できる部分もある。核兵器の数を馬鹿正直に発表すれば、その国の核戦力が分かってしまう。どの国もそんな危険は犯さないだろう。
「数が多くても対処するしかないだろ。いま時間停止魔法を解除すれば、地球が核の炎に包まれてしまう」
シビルをじっと見つめて言い切った。彼女は「ふぅ」とため息をつき、十二刃の連中へ向き直った。
「あなたたちも核兵器の回収に協力しなさい。人間に戻ったとはいえ、バンパイアのスキルや魔法は元のまま使えるのですから」
シビルの指示を聞いて、十二刃たちは頷く。
なんてこったい。彼らは完全に人間に戻っていなかったのか? たしかリリア・ノクスの子だったな。もしかすると、リリス直系のバンパイアだから、素直に従うのか。でも人手が増えるのはありがたい。核兵器の数が多すぎるからな。
十二人の元バンパイアたちは素早く動き始め、部屋を出ていった。そして数分も経たずに彼らは着替えて戻ってきた。グレーを基調にしたメタマテリアル製のスーツだ。宇宙空間での活動を前提に作られたもので、ヘルメットをかぶればこのまま外に出られるという。
確かめちゃくちゃ高価なはずだけど、さすが実在する死神だ。札束で引っ叩いて購入したに違いない。
「準備はいいかしら? あなたたち十二刃は、ソータさんの指示に従って、核ミサイルの回収に努めなさい。核ミサイルの座標は全員で共有しましょう」
「はっ、承知いたしました」
ははっ、軍隊みたいになってんじゃん。それはいいとして、シビルの統率能力は助かる。俺は現場に出て心置きなく核ミサイルを回収しよう。
「十二刃の皆さん、よろしくね」
挨拶すると、十二人全員が跳びはねて驚く。や、驚いてるんじゃなくて、怯えてるな……。
「ソータさんが彼らをここに連れてきたときのこと、あれがまだ響いているみたいですね……」
シビルが理由を話す。といっても、そんなに怖がることしたかな? 人間に戻しただけなのにさ。まあいいや。しっかり働いてもらえれば。
「そういえば、真祖リリス・アップルビーも地球に来てるよ? いまちょっと共闘中でさ」
そう言うと、シビルと仲間たちが驚き、竜神オルズは頭を抱えた。珍しく黙ってると思ってたけど、その態度はなんだオルズ。
対して十二刃の連中は目を輝かせる。彼らはリリスの孫にあたる存在。バンパイアでなくなったにしても、敬畏や畏怖は消えていないのだろう。
面倒だ。ヴォルクタ上空のリリスとダーラをアポートし、すぐに時間停止を解除した。
「……どこだここは」
「ソータくん、何したの?」
ふたりは目の前にいた俺に、突っかかるように問い詰めてきた。
「落ち着いて。説明するから」
そう言って押し止めると、とりあえずは収まった。周りにたくさん人がいるし、十二刃の連中が膝をついて臣下の礼を取っていたからだ。
俺が十二刃を指揮するより、リリスたちに任せた方が早いと思ったが、結局全員に一から説明することとなった。体内の根源が減っていく中、できるだけ簡潔に話す。
リリスは仲間。シビルも仲間。ここは月面基地。ミッシーたちも仲間。オルズは帰れ。みんな仲よく協力しろ。俺が時間を止めているうちに、世界中を飛んでいる核ミサイル、および発射されていない核兵器を全て回収する。こう言って超簡潔な説明で終わらせた。
リリスとダーラはさすがに理解が早かった。
この場にいる全員が、このままだと地球が核の炎で焼かれてしまうと理解し、そうならないために心をひとつにして動き始めた。




