319 別れ
俺たちは前日と同様、セレスト翁が経営する美しいホテルに宿泊した。
早朝から会議が予定されているので、今はその会議場へ向かう最中だ。
空は広く晴れ渡り、心地よい風が吹き抜ける。瓦礫に覆われたかつての街並みは、すでに面影を留めず、完璧なまでに元通りに復興していた。この街を基盤とする地下ダンジョン――エーテリュクスが、地表部分までもダンジョン化した結果である。
朝のこの時刻、大勢の人々が仕事へ向かう姿が見て取れる。ふと気づく。ビル群を抜ける中、彼らが一様に同一方向を目指していることに。彼らはどこへ向かっているのだろう。
「おっさん、なにキョロキョロしてんの」
隣を歩くアイミーに、やや意地悪な調子で問われた。
「呼び出されたのは、この街の合同庁舎だったよね」
「さっきミッシーがそう言ってたね」
「んじゃ、周りの人たち、みんな合同庁舎に向かってるのかな」
「あー、そうじゃねえの?」
アイミーの言葉を受け、改めて周辺を観察する。道路は片道二車線で、そこでは勇壮な馬型ゴーレムが曳く馬車が行き交っている。交通量はそれほど混んでない。逆に歩道の方が混雑していた。
朝食を提供する店が通り沿いに軒を連ねる。このあたりの光景は、日本で見かけるものと大差ない。
神界であれど、多世界解釈に則った他の世界の住人たちも、変わらぬ日常を過ごしていることが窺える。神様だ何だといっても、生き物に変わりはないと強く思う。
そうしている間に、合同庁舎に到着した。周囲はビルの群れが建ち並び、目の前にそびえる建物は特に巨大で、その存在感を放っていた。
受付を済ませると、衛兵が案内に出てきた。俺たちは彼に続き、最上階へと案内される。衛兵は重厚なドアの前で停止し、その先へ導いた。
ドアを抜けると、なんとも厳かな空気に包まれる。議会というより神殿のような雰囲気だ。赤い絨毯が敷かれ、歴史ある議員たちの肖像画が壁沿いに飾られており、大きなシャンデリアが天井から優雅に吊り下げられている。特筆すべきは、円形劇場を彷彿とさせる座席配置だ。それが一層、議会としての様相を際立たせていた。
「奥までお進みください」
衛兵はそう言葉を残し退場した。
俺たちが先に進むと、まばらな拍手の音が響き渡る。するとマイアがボソリと呟いた。
「にしても、気配は全く感じられないですね……」
「マイア、あれを見て」
ニーナが指を差している。少々無作法かもしれないが、気になるのも無理はない。というのも、議席には驚くべきことに。立体映像が存在しているのだ。日本でも技術的に可能だが、もし議会でそんな手法を駆使して出席した日には、世間の非難の的となるであろう。
ここ神界においては、そのような事情は一切ないようだ。各議席には立体映像で議員の姿が完璧に再現されており、合計五十席程度の議員席が用意されている。正面奥の議長席には、本物のセレスト翁が座っていた。
俺たちは彼からの招きで、前方に設けられた豪奢な椅子に腰を下ろした。
「では、軍神デボンによる一連の事件についての議論を、ここに開始する」
セレスト翁が木製のガベルを一打ちすると、会議が静かに始まった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
日の傾く夕方、俺たちはようやく議論から解放された。いまはバンダースナッチへ向かっている最中である。ビル街の歩道は、エーテリュクスが作った白い素材で整備されて歩きやすい。街の人びとは、朝と逆方向へ進んでいた。
ふと耳に入る。「いい葬儀だった」と。
なるほど。彼らは葬式へ向かっていたのか。あれだけ街を破壊していたんだから、やはり少なくない犠牲者が出ていたのだろう。
議会では色々話し合いが成され、軍神デボンはなんと、エルベの街で拘束されることとなった。この光景を見れば、仕方がないだろう。神界のエルベで無闇矢鱈に戦ったことで、住民に死傷者が出ているのだから。
それに加え、彼は魔導バッグに仕舞っていたラコーダを奪われている。これが拘束される決定打となった。
赤く染まった夕空を見上げて思う。この情報を得るまで長かったなと。
「すぐ向かうのか?」
ミッシーから聞かれる。向かうというのは冥界で、エリス・バークワースの居場所だ。
「いや、準備が必要だ」
デボンの救出に成功したことで、報酬となっていた情報を聞くことができた。セレスト翁が何故そんな情報を握っているのかと聞いてみたが、口を濁されてしまった。あの感じだと、誰かに口止めされているはずだ。当然ながら情報源は分からなかった。
「早めに行かないと移動するかもしれないだろ?」
今度はファーギに話しかけられた。いまは空艇の発着場へ向かっているので、ふたりとも俺の横を歩いている。
「あ、でも、あたしも準備が必要です!」
「マイアに同じく」
「私はいったんミゼルファート帝国で準備したいです」
「あ、んじゃオレもバンダースナッチの改造を――」
マイア、ニーナ、メリル、リアムと、次々に一度戻りたいと口にする。テイマーズの三人も、冥界でスライムの数が足りなくなると命取りになるから、一度確認しに戻りたいと言い出した。
嬉しいよ。一緒に冥界へ行こうなんて一度も言ってないのにさ。
でもダメだ。ここから先は俺の問題だ。仲間を連れていく訳にはいかない。仲間にデーモンの神を討ち果たす実力があったとしても、万が一を考えなければならない。俺はこれ以上、仲間に危険な目に遭って欲しくない。仲間だから手伝うなんて、ぬるい話じゃないんだ。
そう考えるのは、セレスト翁から得た情報がかなりヤバそうだからだ。
エリスは俺に復讐するため、希有な召喚師、悪魔を支配するものとなり、その能力を十全に発揮し、レブラン十二柱以上の力を持つデーモンを集めていると聞いた。
彼女は異世界にきて初めて出会った獣人だ。しばらく行動を共にし、心を許しかけていた。だけど俺は、エリスの内なる思いを見破ることが出来なかった。
その思いとは、セレスト翁からの情報で判明した。やつが女王キャスパリーグの生れ変わりで、過去の戦争で受けた屈辱に対し、復讐を企てていると。
そして、エリスをサポートしているのが、魔女マリア・フリーマン率いる過激派一派だそうだ。
「俺も一度、地球へ戻って準備してくるよ」
仲間の顔を見るために振り返る。よしよし、誰も疑問に思ってないな。いったん離れて単独行動に移ろう。エリス・バークワースの件は、冒険者ギルドから依頼が出ている訳じゃないからな。仲間は勝手に動けないって寸法だ。
「おっさん腹減った」
「せっかくだから晩飯食おうぜ」
「オレも腹減った。あそこに行こう」
テイマーズの三人は、俺と目が合った瞬間そんな事を言いだした。ジェスが指差したのはたぶん居酒屋だ。ミッシーとファーギに目配せをすると頷いている。そんなに心配することはないか。ここはいちおう神界だし。
「おっけー。今回は金銭的な報酬がなかったからさ、俺の奢りで食べに行こう」
そう言うとテイマーズの三人は大喜び。道行く人々から注目を浴びるハメになった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
慌てた様子で竜神オルズがエルベの街に姿を現した。暖かい夜風が飲み屋街を縫うように通り抜けてゆく。彼は周囲を慌ただしく見渡し、居酒屋「猫のしっぽ亭」の看板を発見した。夜更けの静けさが通りを支配していたが、店の前でひとりセレスト翁が佇んでいた。
「竜神オルズ、わざわざ足を運んでくれてすまない」
「気にするな。それよりも、何のために俺を呼び出したんだ? 何が起こったんだ?」
「うむ。……中へ入れば分かる」
セレスト翁の案内で、オルズは猫のしっぽ亭の扉を押し開けた。
店内の雰囲気は暖かい。木造の内装は、木のぬくもりを隅々まで伝えていた。どの世界にも共通する居酒屋の雰囲気は、地球のそれと変わらぬものだった。セレスト翁は、客のいない店内を大股で奥へと進んでいく。
「何だこれは……。酔いつぶれているのか?」
後を追ってきたオルズが、あきれた声を漏らす。ここは神界。さすがに畳ではないが、板張りの座敷でソータの仲間たちが、それぞれの姿勢で酔いつぶれていた。テイマーズの三人は未成年。なので酒は飲んでいないが、夜も更けたことで眠りに落ちていた。
その一団を眺めていたオルズの視線は不安げに動き始めた。
「セレスト翁、ソータはどこにいる?」
「わしは通報を受けて駆けつけたが、その時には既に彼の姿はなかった。それでお前を呼んだんじゃ」
「ちょっと待て、俺が疑われているのか?」
「お主はソータと親しかったはずだ」
「そうだが、彼が今どこにいるのかは知らない。もしかしたら先に帰ったのかもしれん」
「ふむ……、嘘はなさそうだな。それならば……、彼は仲間を残して単独で行動しているのか……」
オルズとセレスト翁が首を傾げていると、背後から店員の声が聞こえてきた。セレスト翁に通報したのは彼である。
「オルズ様、セレスト翁様、そろそろ店じまいの時間でして……。あ、いやいや、お代はソータ様から頂いております!」
言外に酔っぱらいたちをつれて帰れと言われ、オルズとセレスト翁は顔を見合わせる。ミッシーやファーギが横たわる座敷を除き、他の客は既に去っていた。数多くのテーブルは整然と片付けられ、丁寧に拭き上げられており、床の掃除も完了していた。あとは、ただ店を閉じるだけ。
「はぁ~、オルズよ、運ぶの手伝ってくれぬか……」
「――――あ、ああ」
オルズは少しの間を置いて返事する。
「どうしたんじゃ?」
それを気にしたのか、セレスト翁が訊ねた。
「いや……、ソータと念話が繋がらない。あいつどこまで遠くへ行ってるんだよ」
オルズはため息をつきながら応じた。彼は知っている。とてつもなく離れていたとしても、ソータとは念話が繋がるということを。
「ごほん……」
店員の咳払いにより、オルズとセレスト翁は、気まずそうな表情で浮遊魔法を発動させた。酔い潰れたミッシーやファーギ、隅っこで薄手の布団を掛けられているテイマーズと、ソータの仲間たち全員が宙に浮かび上がった。
「こやつらはわしのホテルに泊める。オルズはどうする?」
オルズはセレスト翁に呼び出されてこの場に駆け付けている。ソータが行方不明とは知らされずに。彼は一瞬だけ考えて口を開いた。
「そうだな……、目が覚めたら俺から彼らに依頼を出すとしよう」
「依頼……じゃと?」
「ソータ・イタガキの捜索だ。俺も同行する」
「お主はデーモン担当じゃろ? 離れても大丈夫なのか?」
「平気だ。レブラン十二柱のラコーダ、冥界のディース・パテル、この二体が我らの手にある。デーモンも黒霧徒も何もできないさ」
「それならいいか……」
ふたりは短い対話を交わした後、店員に頭を下げ、集団転移魔法を使ってその場から消え去った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
東京都文京区に潜む地下施設、六義園で、俺はウェブ会議に臨んでいた。画面は日本国首相の松本一郎と、その他の重責を担う大臣たちで分割されている。
「連絡が途絶えて久しいが、君の立場が内閣官房参与だということを忘れてはいないかね? もう少し自覚と意識、そして覚悟が必要だな」
「国交大臣、どうかご静粛に」
松本総理がなだめている。俺との連絡が長期間取れなかったことで、大臣たちの怒りが沸騰していた。松本総理だけはいつものようにポヤポヤしてるけど。
「それでは今後、状況を逐一報告するよう努めます。この度は、誠に申し訳ありませんでした」
カメラに向かって頭を下げ、回線を切った。
ふう、ようやく会議が終わった。とはいえ、さっきまで議会に出席していたし、身体が鈍ってしまいそうだ。
俺は研究職だったはずだ。なのに、身体を動かさねばと考えていることに笑いそうになる。異世界で身体を動かしっぱなしだし、身体が蒼天化した余波なのだろう。
ふと視線を感じる。
「……」
「……」
パソコンの向こうでカンペを持っているのは、伊賀忍者の門田為助三曹だ。今回のウェブ会議で話が穏便に済んだのは、彼の持つカンペのおかげだ。その隣には岩崎一翁陸将補が佇んでいる。
久し振りの対面だったが、岩崎さんは「説明はあとだ、とにかく首相と話をしろ」と言って、席に無理矢理座らせられたのだ。
「ひとまず終わりました。地球の現状がここ一ヶ月で大きく変わったことで、移住を急いでるんですよね?」
「ああ、その事なんだが板垣くん」
「はい、なんでしょ」
「ゴーレムを増やしてもらえないかね」
「ええ、大丈夫ですよ――えっ、あれ以上必要ですか!?」
「実は――――」
ドラゴン大陸のスチールゴーレムたちは、また勝手に増えているという。たしか神威結晶を核にしたスチールゴーレムたちが増やしてたな。魔石を核にしたスチールゴーレムを。
しかし岩崎陸将補が言うには、魔物の襲撃でスチールゴーレムが減ってきているそうだ。ドラゴン大陸に魔物はあまり居ないはずだが、なんでだろ?
聞いてみると意外な答えが返ってきた。
自衛隊がドローンで確認したところ、東の海岸から多種多様な魔物が上陸しているという。位置を聞くとハマン大陸の南方、ゼノア教国方面からだそうだ。
その国に行ったことはないけど、空を飛んでいるときに何度か見た。デレノア王国の大陸統一で版図を拡大する中で、南側ではゼノア教国だけが勇者たちの攻撃をはじき返しているのだ。海を挟んで南へ行くと、すぐに大魔界大陸がある。あそこはもう神に許された悪魔、ネイト・バイモン・フラッシュによって平定されているだろう。
だから、大魔界大陸から魔物が逃げてきてるんじゃ無いかと聞くと、そうではないらしい。遠距離ドローンで確認したところ、ゼノア教国の沿岸部から魔物が海へ飛び込んでいるらしい。
「目的はまだわからん。魔物を使ったハラスメントなのか、あるいは何かの事故か。そもそも自然現象という線もある」
「どっちにしても、一度赴いて増やしておきます。くれぐれも言っておきますけど、化石化燃料の持ち込みは禁止でお願いしますね」
「ああ、分かってる」
「それと、地球の現状なんですが……」
俺はモニターを切り替えて、世界各国のニュースを映し出す。
「仕方がないさ。母なる地球を捨て、他の世界へ移住する。この事に対して拒絶する者も一定数いると分かっていた」
日本は随分前から対策が取られ、沿岸部に大きな堤防が作られている。温暖化による海面上昇に備えるためだ。幼いときの記憶だけど、浦賀水道を巨大堤防で封鎖するという工事が始まったとき、大規模なデモや妨害工作がはびこり、連日のニュースで報じられていたことを思い出す。
それに、日本を丸ごと大きな堤防で囲うなんて、あまりにも非現実的な話だ。大都市ではない小さな町では、山岳部への引っ越しが推奨された。もちろん法整備が行なわれ、住宅の建て替え費用が補助金として支給されていた。
あの時も思った。この辺りは海に沈むから引っ越しなさいと言われているのに、頑として話を聞かない人がいると。生まれ育った地を離れたくない。死んだとしても。
そう考える人はそこそこいるのだ。
それは日本だけじゃない。今見ているモニターには、水浸しになった町が写っている。建物の屋根に登って救助を待っている人々。ゴムボートで救出に向かう人たち。彼らは今何を思うだろうか……。
分割された画面は二十。全て別の国だ。そして、全ての画面に水没した町が映し出されていた。
全員助けることは出来ない。だからせめて日本人だけでも助かって欲しい。
しかし、ドラゴン大陸へ移住した日本人は、いまだ人口の一割にも満たなかった。
16章、これにて閉幕です。次話より17章、終章が始まります。
ここまで読んでいただき、心より感謝いたします。




