311 エルベダンジョン
「それさあ、絶対に嘘だよね」
「何度も言ってるけど、私は真祖リリス・アップルビーの娘で、ダンピールなの!」
マスタールームに足を踏み入れた瞬間、ダーラが俺に詰め寄ってきた。何も言ってないのに、慌てて取り繕うような胡散臭さが漂う。そのおかげで、余計に怪しく感じられる。
でも、この必死さを見ると、ダーラは本当にリリスの娘なのかもしれない……。
人の立ち振る舞いは千差万別。胡散臭く見えても、本人は大真面目なのだ。
「もういいわ! これ見て!」
俺がジト目を向けると、ダーラは一瞬の躊躇いもなくナイフを取り出し、自身の左腕に深々と切り込んだ。
「うわっ!? 何やってんの!?」
思わず声が漏れ出た。ダーラは躊躇いも無くスッパリと切ったため、腕からぴゅーっと血が噴き出す。しかし、それは一瞬のこと。見ると、すぐにスベスベの腕に戻っていて、かすり傷ひとつ見当たらない。これはバンパイアの回復能力と見て間違いないだろう。
「どう? 信じてくれた? 私から闇脈が漏れていないのは、リリスの娘だからだよ。そのおかげで、魔力や闇脈を使う際の効率が、ほとんど完璧に近いの。ソータくんも同じでしょ?」
俺も同じって、何か知ってるのか……? まあそれは置いておいて。
「うーん……。率直に言うと、完全には信用できないな」
「なんで!?」
「なんでって、アメリカ軍人のダーラ・ダーソン少尉が、真祖リリス・アップルビーの娘だっていう話をすぐに信じるには無理があるだろ。逆の立場になって考えてみろよ」
「そっか……。んじゃさ、私が敵ではないと理解してくれたわけ?」
「ああ、もともと敵だとは思っていなかったよ。たとえ実在する死神の一員だとしてもね」
ダーラの正式な立場はアメリカ軍人である。異世界とのゲートが開いた前からそうだった。だから、彼女は仲間ではないが敵でもない。そういう認識を持っている。そして、ダーラがダンピールであっても、それは変わらない。
俺は血への渇望をコントロールするメリルやテイマーズの三人を見てきた。ダーラは軍という組織の中で活動できているので、ダンピールであっても血への渇望をコントロールできていると推測できる。
だから俺は、さほど警戒心を抱いていない。
『あ、あのう……』
ダンジョンコアからの念話だ。俺とダーラは部屋の奥へ目を向ける。台座があって、その上にまん丸い球体が乗っていた。ドアが閉まっていたときとは打って変わり、随分声が小さくなって話し方までおとなしくなっている。マスタールームのドアは開かないと思って、強気で話していたのだろう。
「ああ、ごめんごめん。こっちの話で夢中になってた。俺はソータ、こっちは――」
「アメリカ陸軍、ダーラ・ダーソン少尉。あなたにちょっと聞きたいこと、やってもらいたいことがあって来たの」
おん? ダーラは地上のデボンを助けるため、ダンジョンコアに助力を請いに来たんじゃないのか?
ダンジョンコアは弱々しい念話で返事をする。
『ボクの名はエーテリュクス。き、聞きたい事って……?』
壁も床も乳白色。ダンジョンコアも乳白色で、ほんのり輝いている。濃い蒼天を漂わせる白いボーリング球だ。ダンジョンコアにはいくつか会ってきたけど、色々性格があるんだな……。
あれ? 念話が聞こえなくなった。横のダーラを見ると、ダンジョンコア――エーテリュクスをじっと見つめたまま動かない。
ふーん。俺に聞かれないよう、念話を使ってふたりで会話中って訳だ。敵じゃ無いと言っておきながら、そういうことするかぁ? なんて考えていると、エーテリュクスに蒼天障壁が展開された。
交渉決裂ってとこか。
状況を冷ややかに観察していると、突如ダーラの姿が空間ごと歪んだ。
「うわっ!?」
俺の横にいたダーラはダンジョンコアの置かれた台の近くに現れ、長く伸びたカミソリのような爪で蒼天障壁を斬ったのだ。
おいおい……。蒼天障壁って、爪で斬れるもんじゃないんだけど。
でも、目にした光景は事実である。
『素粒子混沌を検知。ダーラが使用したのは混沌術です。ソータはもう使えますよ』
『へ?』
いまのは混沌魔法を術として使う混沌術なのか。俺はいま、混沌を感知できなかった。それだけ彼女の術の練度が高いという事でもある。
ダーラ・ダーソン少尉……。あんたも実力を隠してやがったな。デモネクトスも飲んでない。彼女は自身の魔力の使用効率が高いって言った。そこで気づくべきだった。彼女の気配を探っても、あまり強く感じない。そのおかげで、俺が勝手に思い込んでいただけだが。
「ダーラ、いつまでにらめっこしてんだ?」
たまらず声をかけた。蒼天障壁を斬ってから、彼女は立ちすくんで動かなくなっている。ダンジョンコア――エーテリュクスも、何をするでも無い。
するとマスタールームの片隅に、空間の歪みができた。ゲートだ。その先には、どこかで見たような光景が。――――たぶんアラスカだ。
マスタールームに、ほこりっぽい熱風が吹き込んできた。地球を訪れてしばらく経つが、アラスカの地でここまで高温だとヤバいな。
「ダーラ、エーテリュクス、これ何のゲートなの? 地球と繋がってるっぽいけどさ」
「……」
『……』
返事がない。いまだに何か秘密の会話をしてるっぽい。
「うわっ!?」
「久し振りだなソータ。……娘に手を出してないだろうな?」
ゲートの向こう側に、真祖リリス・アップルビーの凛とした姿が浮かび上がった。吸血鬼の真祖とは思えない爽やかな笑顔を見せている。ただし、そばにいるダーラの姿を確認した瞬間、声音が一オクターブ下がった。目尻もつり上がって俺を睨んでいる。何かの誤解が生じているようだ。
「出す訳がないだろ! てかお前さあ、なんで神界とのゲートを――――」
言いながら思い出した。
神界へ来たがっていたな、真祖リリス・アップルビーは。
そうか、娘を使って神界へ来られるように画策していたってことか。
リリスはおもむろにゲートを抜けて、マスタールームへ入ってきた。彼女は特に何をするでも無く、俺とダーラ、そしてエーテリュクスを見ている。状況を確認しているのだろう。
『で、では、お知らせしておきます――』
エーテリュクスはマスタールーム内の全員に聞こえるように念話で話し始めた。
ダンジョンマスターは、女神アスクレピウスだそうだ。そして、ここで守っていたのは、神界から地球へ繋がっているゲート。このゲートは神々の力をもってしても閉じることができず、ゲートの位置を移動させるのが精一杯。それで、エーテリュクスに白羽の矢が立ったそうだ。ゲートを隠す役目を担うために。
ただ、ダンジョンとしての力はそれほど強くない。エーテリュクスはゲートの存在を隠すことで、他のことにまで手が回らないという。
そのため、今回のような事態――つまりラコーダの襲撃にも対処できないそうだ。
その上、神界におけるエルベの街は治安がよく、そもそもの戦力が少なかったそうだ。外壁は万が一を想定しての備え。
今回のラコーダ襲撃は完全にイレギュラーだった。
『質問いいかな?』
『は、はい、何でしょう?』
ひと言言っただけでおどおどするエーテリュクス。
『話を聞いてると、ラコーダが襲撃してきたように聞こえる。デボン・ウィラー大佐とダーラ・ダーソン少尉は、ラコーダを追ってきたってこと?』
俺はダーラを見ながら念話を飛ばす。彼女に聞く前に、エーテリュクスに答えさせる。
『そ、そうです。デボン・ウィラー大佐とは、アメリカ軍に潜入している軍神デボンの事ですよね? 彼はレブラン十二柱討伐の任を受け、活動を開始しています。他に何か質問はありますか?』
へぇ……。デボンは軍神だったのか。ダーラといい、デボンといい、存在を隠すのがうまいな。アラスカであったときは、ただの軍人にしか見えなかったのに。
『ソータ、お前を見ていると毎回思うのだが、状況を呑み込むのが早いな……』
呆れた声で話しかけてくるリリス。顔を向けると苦笑いしていた。
「いやいや、そうでもないさ。デボンの正体が神界における軍神だと判明して、いくつかの疑問が氷解しただけだよ。ダーラ、あんたはデボンを巧みに操って神界へ足を踏み入れた。そして、この街へとラコーダとデボンを誘い込んだってわけか。エーテリュクスもちょっと聞いてくれ――」
たぶんこの考えが無理のない筋書きだ。
そもそもラコーダは冥界の帝都エルベルトにいた。
そこにあった次元断層。あれはあまりにも不自然だった。誰かが強引にゲートを繋げようとして失敗したような感じさえあったからな。んで、その次元断層を作ったのがダーラだ。彼女は有利に戦えると言って軍神デボンを神界へと誘導した。
神界へ足を踏み入れたラコーダとデボン、ふたりの戦いは神界の平原へと場所を移す事となった。それだけなら、ダーラの関与は疑ってなかっただろう。しかしラコーダとデボンの戦いは、草原から遠く離れた神界のエルベへと移った。
神界の住人である軍神デボンは、エルベの街で戦うなんて当然嫌がるはず。
対してラコーダは、神界のエルベなんて知るよしもない。
ふたりの戦いが偶然エルベの街へ移動したと考えるのは、少しばかり無理がある。
真祖リリス・アップルビーを神界へ招き入れるため、ダーラが巧みに誘導していたと考える方が自然だ。
ダーラは何らかの手段を経て、ここに神界とアラスカを繋げる野良ゲートがあると知っていた。
そんな話をしていると、リリスが笑いはじめた。
『その通りだよ、ソータ。貴様には言ったはずだ、私はアダム・ハーディングを討つために神界へ行くと』
『ああ、そうだな。でもこれはやり過ぎじゃね?』
『何の話だ?』
『そこのゲートを探すためとはいえ、デーモンの首魁ラコーダ、軍神デボン、このふたりをエルベで戦わせるとか、あんたに良心ってもんは――――無いよな。言ってる途中で虚しくなったよ』
いい子ちゃんな振りをしているけど、目の前にいるのは真祖リリス・アップルビーと、その娘であるダーラ・ダーソン少尉。バンパイアはニンゲンと比べると、根本的な考え方が違うからな。それはもうデレノア王国とルーベス帝国で、嫌というほど味わってきた。
すなわち、リリスとダーラは、エルベの街の人びとがどうなろうと知ったことでは無い。そんなとこだろう。
『ソータ、もう言うことはないか?』
『ねえよ!』
リリスの顔は「そんな事分かってただろう」とでも言いたげだ。ちょっとムカつくけど、言い返せない。言い返したところでどうにもならん。不毛の会話になるだけだ。
『では、戦場へ赴こうか』
『はい、母上さま』
『あ、おい、どこへ行くつもりだ』
『激戦区のベナマオ大森林だ。そこへ行けばアダム・ハーディングの行方くらい分かるはず。ではまた会おう』
リリスはそう言って、ダーラと共に姿を消した。魔力が動いた感じもしない完璧な転移魔法で。
『……』
エーテリュクスから視線を感じる。目玉はどこにもないけれど。
マスタールームに、俺ひとり残されている。どうしようこの空気。
『……あ、あの』
『どした』
『ダンジョンマスターに連絡したところ、ボクのこと、ソータくんに強化してもらえと言われて、どうしたものかと』
『ダンマスって、女神アスクレピウスだよね。念話で指示されたの?』
『は、はい』
『ふーん……』
強化するのはいいんだけど……。女神アスクレピウスがダンジョンマスターって話は、確認しておかねば。万が一ダンジョンマスターが、知らない奴なら強化なんてできない。今のところおとなしいけれど、エーテリュクスとは会ったばかり。頭から信用できないからな。
『エーテリュクス、俺と女神アスクレピウスを念話で繋げてくれる?』
『あ、はい』
これはいつも仲間とやっているやり方だ。誰かが中継して念話を繋ぐと、多人数で会話が出来るようになる。だいたい俺の役目になっているけど、今回はエーテリュクスの役目だ。
『ソータ、ついに神界にまで来てしまったのですね……』
この声は女神アスクレピウス。久し振りに聞いたな。
『ども。デーモン追ってたら来ちゃいました。いまエルベのダンジョンで、エーテリュクスからお願いされたんですけど……』
『ええ、概要は聞いてます。エーテリュクスの強化をお願いしたいのですが』
『蒼天結晶をそばに置けばいいかなと。どうでしょう?』
『……そんな事まで出来るように』
『色々とありまして』
『……強化の方法はそれでいいです。エルベの街が再建できて、地球と神界のゲートが隠せていれば問題ないです』
『了解です。ちゃっとやって、ラコーダをぶん殴ってきます。では――』
『近いうちに会いましょうか。これからのことも話しておきたいので』
『はい、分かりました。ご武運を』
『ありがとう』
念話を切って一息つく。女神アスクレピウスは、何かと戦っている様子だった。こっちの話をあまり詳しく聞かず、ほとんど丸投げされてしまったし。やっぱ戦争やってんだなぁ。
『エーテリュクス』
『はい』
『聞いてたと思うけど、ダンマスの許可が下りた。んでさ、その台座をもっと広くしてくれない?』
『は、はい』
まん丸いエーテリュクスの乗った台座は、一個分の広さだ。それがジワジワと広くなっていく。しばらくすると、だいたい畳二畳分くらいの広さになった。そこにドラム缶の形をした蒼天結晶を六個創り出すと、すぐに固定された。やったのはもちろんエーテリュクスだ。
『すごい……。こんな蒼天結晶、見たことが無い……』
稚気あふれるダンジョンコアはひとしきり驚きの言葉と感謝を伝え、蒼天結晶を吸収した。
その瞬間、ダンジョンコアが一回り大きくなる。
『もっと。もっと欲しい……』
『ああ、どんどん創るから、遠慮無く食ってくれ』
蒼天結晶を創り、エーテリュクスが吸収する。これを何度か繰り返していると、ダンジョンコアの大きさが三倍くらいにまで大きく膨れ上がった。内包するエネルギー量は計り知れないほどである。自分でやっておきながら不安になる。このダンジョンコアが暴走すれば、神界がヤバいと。
まあ、ダンジョンマスターが女神アスクレピウスだから平気だ。たぶん。
『そろそろいいかな』
『うんっ! ありがとうソータくん!』
『ああ、どういたしまして。それとさ、これから地上のデーモンを倒しに行くんだけどさ、手を貸してくれない?』
『もちろん! ボクは何をすればいいの?』
『えーっとね、地上部分をダンジョン化してさ――』
俺とエーテリュクスは、ラコーダを倒すための作戦を練りはじめた。




