308 里3
神界の森は清浄無垢で、その美しさは筆舌に尽くしがたい。風も、水も、生き物も、全てが神聖な蒼天の輝きを纏い、息づいている。俺たちは、そんな神々しい森を力強く駆け抜けていた。
――――ズドン
何とも場違いな音が響き渡る。それも一度ではなく、二度、三度と続く。
「ソータ、あの方向は……」
「ああ、分かってる。急ごうか」
ミッシーの声に応え、俺たちはさらに速度を上げて走った。念のため、念話でリアムに確認を取る。
『リアム、今の爆発はどこだ』
『まだモヤがかかってるっす。けど、座標的にゴブリンの里らしき場所っす』
神界の地形は地上と変わらない。連続して起きた爆音は、ゴブリンの里から聞こえてきた。そこから立ち上る黒煙は、何かが起こっていると示している。
「煙が目視できて、だいたいの場所が分かった。集団転移するから、ちょっと集まって」
俺の声で、ミッシー、ファーギ、マイア、ニーナ、四人が集まってくる。
そして俺たちは里の近くへ転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
森の中から里を見下ろしていると、鋭い視線が感じられた。それは以前ダンジョンで出会ったスリオン・カトミエルだ。彼がなぜ神界にいるのかは分からないが、敵ではないことは確かだ。ミッシーが行方不明になった時、彼女はスリオンと共に修行やってたし。
俺たちはやっと、ゴヤたちと無事に合流できた。量子空間が浮いていたので何かと聞くと、ゴヤがデーモンを閉じ込めていると分かった。
「滅ぼしてもいい?」
「もちろんだ。すまんが頼む」
ゴヤはボロボロの姿で頷く。だいぶん厳しい戦いだったようだ。
俺は量子空間を神威の獄舎の炎で空間ごと焼き消した。
スリオンを含め全員から白い目で見られる。もう慣れたもんだ。
皆で里の地下施設へ移動し、ゴヤから事情を聞く。冥界の帝都エルベルトに戻ると、荒廃した街のみが残っていた。ラコーダ、デボン・ウィラー大佐、そしてダーラ・ダーソン少尉を探していたが、彼らも俺たちと同じく次元の裂け目を見つけ、神界へやってきたらしい。
神界へ誰も連れてくるなと警告したオルズ。あれはいったい何だったのか。やはり戒律的なものだろう。神界の住人と出会うことがあればイチャモン付けられないように注意しなければ。
ゴヤたちは神界にて荒れ果てた草原を捜索していた。そのとき三体のデーモンと遭遇し、彼らは撤退戦を強いられた。その後、何とか里に辿り着くことができたという。
そんなゴヤの話を聞き、俺はやるせない気持ちになった。生き残ったゴブリン兵はわずか二百名程度。スリオンの助けがなければ、全滅もあり得たという。
現在、俺たちはゴブリンの地下施設で休憩中だ。異世界のベナマオ大森林で見た地下施設と全く変わらない。広大な地下空間に作られた街だが、ただしニンゲンの気配は一切ない。照明などのインフラは機能しているため、この場所を拠点として、ラコーダ、デボン、そしてダーラを探すことに決めた。
ゴヤたちに帰る気はなく、俺たちの手伝いを申し出てくれた。多くの仲間がデーモンに倒され、スクー・グスローの数も大幅に減っている。彼女たちは勝手に増えるからあまり気にしてないけど。しかし十万のメタルハウンドが全滅していたのには驚いた。
最も理解し難いのはスリオン・カトミエルの態度だ。今、彼はミッシーと口論になっている。スリオンにはどうやらエルフ本国からの帰還命令が出ているらしい。しかしスリオンは修行を優先し、命令を無視している様子だ。
ゴヤは両名の言い争いを見て、複雑な表情を浮かべている。スリオンの助けがなければ全滅していたかもしれないという事実があるため、彼にエルフ本国への帰還を強いることはできないのだ。俺も同じ考えだ。スリオンという人物がどうであろうと、味方になれば心強いという下心もある。
人気のない地下の街で、ゴブリン兵たちは各々の家に帰っている。もちろん家族はいない。ここは神界のゴブリンの里だ。
けれど何とも不思議な光景だ。異世界と神界で、まったく同じ施設。これまで何度か見てきた光景だ。何か法則性があるのだろうか。それに、帝都エルベルトが無かったことも気になる。
それは追々考えるとして、これからだ。俺たちは広い部屋に通されて、顔をつきあわせている。調度品は質実剛健。無骨な家具で揃えられている。
ゴブリン兵が、紅茶を運んできた。いい香りが部屋に漂う。誰もいない放置された場所に、なぜそんな物が置いてあるのかまったく不明だ。でも深く考えるのは止そう。
紅茶を口へ運び前を向く。テーブルを挟んで、ゴヤが難しい顔をしている。隣にはもっと難しい顔のファーギ。マイアとニーナも同じく、眉間にしわを寄せている。
みんなでしかめっ面になっているのは、ラコーダとデボンの行き先がさっぱり分からないからだ。
奴らが戦っていることは明らか。だが、決着がついたのかどうか、生死すら分からない。
たまらずファーギは魔導通信機を取り出す。念話を使わないのは、おそらくスリオンを警戒しているからだろう。
「聞こえるかリアム――――」
ここは地下施設だが、対策してあるのだろう。難なく上空のバンダースナッチに繋がった。ファーギは里の周囲に何かないかと聞いているが、芳しくない。モヤは消え去ったが、周囲はただの森で、近場には何もない。
ただし、奴隷の町エステパや獣人自治区は視認できるものの、不可思議な暗闇に包まれ、その内部を窺い知ることはできないようだ。そこからかなり離れた場所――ベナマオ大森林の中に大きな砦が見えているという。そこには、武装した神界の住人――神々が大勢集まっているらしい。
それを聞いたスリオンは、ファーギの魔導通信機を取り上げて話し始めた。
「東に街が見えるか? 帝都エルベルトより、もっと東に」
そんなスリオンを、ファーギが軽く睨んでいる。そりゃそうだ。無理矢理取り上げたんだから。すぐさまミッシーが駈け寄り、ファーギに頭を下げていた。
『誰っすか? まあいいけど、東の方って、エルベっすよね。見えてるっす』
「そこにも神々は住んでいるか? 何か起きてないか?」
スリオンは何が聞きたいのだろう。何か知っている風だが、情報を明かしてくれないからなあ……。俺たちが聞いても、さっぱり要領を得ないって訳だ。
『神々? ああ、神界の住人だから、神々ってことっすね。街はあるっすよ。人もいますけど、んー。……火の手が上がってるっす』
「何だと!」
スリオンは慌てた声で返事をして、一方的に通信を切った。魔導通信機をファーギに投げ返し、転移魔法で姿を消した。
いったい何なんだ……。ファーギを含め、部屋にいる一同、呆気に取られている。
さっきミッシーから聞いた話によると、スリオン・カトミエルは二千年以上の長命を持つハイエルフだと分かった。エルフでありながら、顔にはシワが刻まれ、年を感じさせる。その長寿が、彼の人となりに影響を与えているのだろう。尊大な話し方、傲慢とも取れる態度。他者の意見に頑なに耳を貸さず、固定化された思考の持ち主。前に会った際はすぐに別れたが、今回の交流で彼の性格がだいたい分かった。
ただ、彼は何か明確な目的があって動いている。転移先はおそらくエルベの街。行ったこと無いけど、異世界では冒険者ギルドの世界本部がある街だ。
「済まない。スリオンが勝手をしてしまって……」
ファーギに向かってぺこりと頭を下げるミッシー。同じエルフの取った行動とはいえ、彼女に非はない。
「ミッシーは気にしないでいいさ」
「しかし――」
彼女は申し訳なさそうにしている。気にしないでいいというのは、俺も同意。
「あいつが失礼なやつだと分かったところでだ」
「あたしたちの行き先は、エルベの街でいいですか?」
「どうするの、ソータさん」
ファーギ、マイア、ニーナと、矢継ぎ早に話しかけてきた。いやあ、スリオンに対して、みんな苛ついていたようだ。傲慢な振る舞いは、対人関係で何の得にもならないのに。いや、損得で計っちゃいけないか。人としてどうなのって話だし。スリオンが味方になったとしても軋轢を生むだけだ。勧誘しなくてよかった。
「ファーギ、その前に、リアムに確認してくれないか? エルベの状況を可能な限り詳細に把握したい」
バンダースナッチのカメラは、地上の砂粒まで拡大できる。行くならその前に詳しい情報を持っていたい。それに、ここにいるゴヤたちにも情報を共有しておきたいから。
「ああ、わかった。リアム、もう一度エルベを確認してくれ――」
魔導通信機であれば、会話の内容がゴヤにも伝わる。人のことは言えないけど、ゴヤたちは無謀が過ぎる。前情報なしで神界へ入って、壊滅状態。それでも引き返さないとは……。その責任の一端が俺にあることも知っている。夢幻泡影結晶。あれを彼らに渡してしまったからだ。
ゴヤからは助かったと言われているが、結晶の力が過ぎて使いこなせないゴブリンも多かったと聞いた。申し訳ないと謝ったが、ゴヤは笑って済ませた。あれだけの仲間を失ったというのに。
「ソータ、ちょっといいか?」
そのゴヤが顎をしゃくって、ついてこいと合図する。是非もない。重要な話だと分かるので、俺はゴヤの後をついて行った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
案内されたのは、以前ゴヤと酒を酌み交わした酒場だった。神界と地上の違いはあれど、見た感じは同じ建物だ。もちろん客は誰もいない。ふたりで席について、顔をつきあわせる。
「ソータから貴重な結晶をもらったのに、ワシらは戦えなかった。それでだ。遠慮なく本題に入るが、より強力な結晶を生成できないだろうか? ワシらゴブリンとスクー・グスローは、ここを拠点にして、神界の攻略を進める。この世界にデーモンが入り込んでいるのは明らかだし、ワシらに戦える力を貸してくれないか……?」
あれ? 夢幻泡影より上の素粒子を使えると知ってる? いや、そこは重要じゃ無い。何をするつもりだ……、ゴヤ。
「……」
黙ってゴヤを見つめる。魔素関連の結晶体は、大量破壊兵器となり得る。だからこういう頼み方をされると警戒してしまう。腹に何かいちもつありそうだと。
「あ、いや、妙な考えは無いぞ。強い結晶があれば、地下都市の機能が全て稼働する。この施設はいま、最低限の能力しか使えてないからな。攻防共に心許ない。それに、この地に仲間の墓も作ってやりたいし、人手が足りないんだよ」
「……わかった」
「助かる。恩に着るよ……」
真っ直ぐ俺を見つめるゴヤを信じよう。彼の瞳は一点の曇りも無かった。そうとなりゃ、早いほうがいい。
「魔石で地下都市を稼働させてたよね。どこかに動力源があるってこと?」
「そうだ」
「そこに案内してくれる? あ、その前に――」
地下都市全体にまんべんなく、永遠回廊結晶を核にしたスチールゴーレムを作成する。ミッシーたちに何かいわれそうだけど、ここで自重しても意味がない。数は百万体。戦力として申し分ないはずだ。
「この気配は……」
店内なので外の様子は分からない。けれど俺の脳神経模倣魔法陣を使ったスチールゴーレムは、それなりの性能を持つ。それこそ気配を放つくらいには。
そのため急にたくさんの気配を感じて、ゴヤは驚いたのだ。その辺りを説明すると、ゴヤは呆れていた。うーむ。やっぱゴヤは器が大きいな。心の片隅に、俺のことを化け物扱いしないかという懸念もあったのだが。
「街の動力源として、でっかい永遠回廊結晶を創るから、おける場所に案内して?」
「あ、ああ、分かった」
こうして俺とゴヤは、地下都市の中心部へ向かうこととなった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一方、上空のバンダースナッチでリアムが慌てふためいていた。モニターを見ながら慌てて魔導通信機を取る。
「ファーギ! さっきのはエルフのスリオン・カトミエルで間違いないっすか?」
『ああ、そうだ。どうした、そんなに慌てて』
「何をそんなに悠長なことを言ってるっすか。エルベの街でスリオンが暴れてるっす。街全体を破壊する勢いで」
『あの野郎……、エルベに転移してたのか』
「それだけじゃ無いっす! 巨大なデーモンとヒト族、そしてエルフが入り乱れての三つ巴の戦いになってるっす!」
『はぁ? その特徴は、ラコーダとデボンじゃないのか?』
「そっす! ソータさんに聞いてたとおりの外見と能力っす。安全確保のため、地上から三万キロメートルくらい離れてるっす」
リアムとファーギのやり取りを聞きながら、テイマーズの三人は地上のモニターを見つめていた。メリルはコンソールパネルを操作している。彼女の見るモニターには、ガラスのように変化した神威神柱が映っている。いつでも攻撃できるように準備しているのだ。
『その距離を保て。絶対に見つからないように、隠蔽能力を強化して待機しろ! こっちは地上から移動して探ってみる』
「了解っす!」
ふうと一息ついて、リアムはどかっとシートに座る。バンダースナッチの性能が上がったことで、これだけの距離が離れても地上の様子がはっきりと分かる。彼の見るモニターには、エルベの街が破壊されてゆく姿が映し出されていた。
逃げまどう人々。いや、この場合、神々と称するべきか。しかし神界の住人とはいえ、街中での破壊行為に慌てふためいて逃げまどっている。
レブラン十二柱のラコーダ。
アメリカ陸軍大佐デボン・ウィラー。
ハイエルフのスリオン・カトミエル。
三者の戦いは熾烈を極める。
猛り狂う炎が立ち昇るかと思えば、次の瞬間には凍てつく氷と化す。
凍り付いた炎が動き出して蛇になる。
蛇は雷と化して、周囲を感電させる。
水を伝い、地面を這い、空を焦がしながら、雷が立ち昇る。そこに現われたのはラコーダ。身長十五メートルほどある巨大なデーモンだ。彼は宙に浮かびながら地上を見る。
そこに立つのはデボン・ウィラー大佐。特殊繊維の軍服はボロボロになり、黒焦げになった箇所が目立つ。両手に持つミスリルのナイフは刃こぼれし、いつ折れてもおかしくない。彼はすでに満身創痍であった。
しかしその隣に立つものが居る。スリオン・カトミエルだ。彼が大剣を一振りすると、青白い炎が吹き出した。狙うはラコーダ。超高熱の炎は火炎放射のように伸びていき、ラコーダに直撃した。
上空で大爆発が起きた。衝撃波が街の建物を破壊してゆくほどの爆発だ。
一瞬だけ時間ができた。そう思ったのか、スリオンはデボンにヒュギエイアの水をぶっ掛けた。デボンはみるみる回復していった。
そこに直撃する黒線。
間一髪、スリオンの障壁が間に合って、ふたりは無事だった。
リアムたちバンダースナッチの一同は、そんな光景をモニター越しに見ていた。
「リアム! あの三人、どうなってんの?」
たまらず声をかけるアイミー。皆モニターを食い入るように見つめている。リアムはモニターから目を逸らさず応じた。
「ラコーダとデボンが戦っているって情報は、ソータさんから聞いたとおりっすね。その戦いにスリオン・カトミエルが乱入。彼はデボンの味方をしてるっす」
「でもさリアム、デボンって地球人だよね? ラコーダとタイマン張れるくらい強いっておかしくね?」
次に声をかけたのはハスミン。彼女は首を傾げながらモニターを見ている。
「ソータさんも、デボンが何であんなに強いのか、いまいち分からんって言ってたっす。ただ、デボンは蒼天の魔術的な使い方、蒼天術の使い手だから、純粋な地球人じゃ無いかもっす」
「そうですね……。神界を構成する蒼天を術として使うなら、デボンは神界の住人という可能性も」
リアムに続いて口を開いたのはメリル。彼女は密蜂として活動しているので、情報通でもある。そしてこれまでの情報を鑑みると、デボンは最低でも神々に連なる人物であると推測できた。
リアムが魔導通信機を操作すると、すぐにファーギが応答した。リアムは今起きていることを事細かに伝えていく。現状報告が終わろうとしたとき、メリルの大声が響いた。
「リアム!! 急速回避運動お願いっ!!」
その声と同時に、バンダースナッチの赤外線感知システムがけたたましく鳴り響いた。
ほぼ宇宙空間に漂うバンダースナッチへ向かって、スリオンの放った青白い炎、いや、熱線が迫っていた。
「うおおっ!?」
リアムの操作が間に合い、間一髪で熱線を回避。
「ちょっ!? これって狙われてるんじゃ?」
ジェスの叫び声だ。確かに彼の言うとおりで、第二、第三の熱線が飛んでくる。リアムは応じる余裕もなく回避運動に専念していた。そこに再び、メリルの声がする。
「モニター見て! スリオンがこっち見てるわ!!」
そう言われてもリアムはモニターを見るどころではない。しかし、他から声が上がる。
「ヤバッ!! マジでこっち見てる!!」
「まさかバンダースナッチが見えてるの?」
「ここって宇宙空間だよっ!?」
アイミー、ハスミン、ジェス、三人とも、モニターに釘付けになって叫んでいた。




