306 里
リアムは興奮を隠せないようだ。永遠回廊結晶を動力源に使ったことで、バンダースナッチの性能が飛躍的に向上したためだ。
俺たちは今、神界の上空二千キロメートルに位置している。完全に宇宙空間である。バンダースナッチはそんな場所で静止し、眼下には神々しい輝きを放つ神界が広がっている。地球よりもずっと美しい星だ。
この距離ならば、地上からバンダースナッチを視認するのは困難だろう。光学的な隠蔽に加え、外壁は外部と同じ温度設定にしている。さらに、永遠回廊障壁の展開も行っているのだ。
「さて、地上へ降りるメンバーを発表するぞ。ファーギ、ミッシー、マイア、ニーナ。以上!」
そう言った瞬間、バンダースナッチの操縦室が騒然となる。主にテイマーズの三人が不満の声を上げていた。
「メリル、分かってるよな」
「……はい」
永遠回廊結晶を持たせたとはいえ、万に一つの可能性がある。ダンピールの四人は、神界の蒼天を感じた瞬間に灰と化してしまう。絶対に連れて行くことはできない。それに、バンダースナッチを操縦するリアムも地上へ降ろせない。
「ただし、バンダースナッチに残る五人にも、しっかり働いてもらうからな。リアム、モニターを拡大してみてくれ」
その言葉でパッと笑顔になるテイマーズの三人。何ができるのかと楽しみにしているようだ。
モニターに映る丸い惑星がどんどん拡大されていく。まるで落下しているかのような速さで雲を突き抜け、地上部分の拡大画面となった。それでもまだ拡大は続く。最終的には、地面の砂粒一つ一つがモニターいっぱいに映し出された。
「何すかこれ!」
一番驚いているのはリアムだった。彼は日頃からバンダースナッチをいじくりまわしている。もちろんモニターの拡大性能も把握している。彼が声を上げたのは、モニターの性能が飛躍的に向上していたからだ。
「バンダースナッチは今、永遠回廊結晶で稼働してるだろ。それで様々な機器の性能が上がっているんだ。モニターの拡大性能も同様にな」
「ええ……、マジっすか」
「マジマジ。バンダースナッチの全てが強化されたり高性能化されたりと、いいこと尽くめなんだ。加圧魔石砲や神威神柱も性能が上がっているから、取り扱いには注意してくれよ。それでな……、これらの武器の操作を、上空に残る五人に任せたいと思っている」
「ここから地上への攻撃ってことっすね」
「うーん……。それもあるけど、他にもやることはあるからな。地上の監視とか、魔導通信機での連絡とか――」
俺とリアムの会話が続いている間に、テイマーズの三人は手際よく席に着き、コンソールパネルを操作し始めた。彼らは最近、バンダースナッチに乗りっぱなしで、その操作にはすっかり習熟していた。
武器庫がモニターに映し出される。そこにある暗黒晶石を混ぜ込んだ灰色の棒――神威神柱は、透明なガラスのように変化していた。
同様に格納された加圧魔石砲も、その色を褐色に変えている。砲弾となる加圧魔石もまた、透明なガラスのように変化していた。
これらの変化は永遠回廊結晶を動力源にした結果だ。
ニコニコしながら大量破壊兵器を眺めるテイマーズの三人。その目は好奇心と期待に輝いている。
――――俺は今回、自身に課した制約を破った。永遠回廊結晶による兵器の強化。これを使用することで、神界に破滅を招くかもしれない。使いたくはないが、神界と黒霧の双方の戦いには、すでに関与している。特に、黒霧徒に対しては、スチールゴーレムが相当数を殲滅してしまったため、報復の可能性もある。
そうなった場合に備える必要がある。神であれ悪魔であれ、地球人類の移住の邪魔はさせない。
幸い、バンダースナッチは俺の仲間が操縦しているから、大量破壊兵器の無計画な使用はないだろう。テイマーズの三人は時に危ういところもあるが、一線を越えることはないし、リアムに関してはさらに信頼できる。彼らに任せて問題はない。何か不測の事態が起きても、メリルが対処してくれるはずだ。
上空のバンダースナッチは万全の態勢を整えている。
武器庫の画像から目を離さないテイマーズ。彼らの鼻息が荒くなってきて、少し不安を覚える……。
「ソータ、準備はできたぞ」
ファーギの声に振り向く。ミッシー、マイア、ニーナ、四人ともすでに装備を整えていた。
「ソータさんちょっと待つっす」
さて転移しようかというところで、リアムから待ったがかかった。
「どした」
「ベナマオ大森林にモヤがかかったようになってて、モニターで確認できないっす」
「マジで?」
「マジっす」
ゴヤと念話が繋がらないことと関係かありそうだ。
「わかった。じゃあ、行こうか。神界のベナマオ大森林へ。リアム、メリル、そしてテイマーズの三人には、上空から援護してくれ」
リアムたちが頷いた。
俺はファーギたちに近づき、集団転移魔法を発動させた。視界が切り替わり、俺たちは神界のベナマオ大森林に降り立った。
転移先に広がる森は、蒼天に満ちていた。木々が高くそびえ立ち、爽やかな風が頬を撫でる。神界の森の空気は清らかで新鮮だ。
「ここが神界のベナマオ大森林か……」
ミッシーが呟くと、ニーナが興奮した様子で周囲を見渡す。
「すごい! こんな場所、私たちの世界にはないよね!」
マイアも感嘆の声を上げる。彼女たちは森の美しさに目を輝かせている。この状況で、浮かれちゃいけないよな? と一瞬頭をよぎる。いやしかし、これは仕方ないか。こんなにきれいな森、俺だって初めてだし。
自戒を込めて俺は口を開いた。
「俺たちの目的は、ゴヤとの合流だ。時間はあまりない。今この瞬間、ゴヤたちに危険が訪れているかもしれない。それなのに森の美しさに心奪われ、ゴヤたちに会えませんでした、なんて事にならないように気を付けよう」
ファーギ、ミッシー、マイア、ニーナ、四人とも頷く。
続けて俺は話す。大勢のゴブリンとメタルハウンドの足跡を見つめながら。
「ミッシー、どう思う? この感じだと、ゴヤたちはゴブリンの里を目指してるよね」
「ベナマオ大森林と同じなら、方角的に合っている。しかし……」
「だよな……」
神界には本来あるはずの帝都エルベルトが無かった。ゴブリンの里も無い可能性が高い。それなのにゴヤたちは里を目指している。
そして念話も通じないままだ。
「とにかく確かめに行ってみよう」
「そうするか」
ミッシーの言葉に頷いて、俺たちは走り始めた。転移魔法は使いたくない。里の座標がはっきり分からないし、細かく転移してデーモンや黒霧徒に見つかったら面倒だ。
俺たちは美しい森の中を全力で駆け抜けていく。無事でいてくれゴヤ。その一心で走り続けた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一方で、ゴヤたちは神界の里に辿り着いていた。
満身創痍の顔をした兵士たち。ボロボロになった防具。元々千人いたゴブリン兵は半数にまで減っていた。万を数えたスクー・グスローも、同じく半数近くにまで減っている。そして、メタルハウンドは一体も残されていなかった。
ゴブリンの里は静まり返っている。清らかで深い森に包まれた広場に、石造りの独立した砦が幾つもそびえ立っている。しかし、地上には居住用の建物がなく、そこからは何の気配も感じられなかった。彼らの前に広がるのは、無人の里だった。
先頭を歩くゴヤはその光景に驚きながらも、ひとつの砦に向かって歩を進める。そして、念話を使わずに、大声で叫んだ。
「ワシらのと同じ地下施設があるぞ! 急いで避難せよ!」
その声には緊迫感が溢れている。ゴブリンの精鋭部隊やスクー・グスローたちはゴヤの指示に従い、速やかに里の地下へと駆け込む。
砦は里を囲むように立ち、ゴブリン兵たちは分散しながら効率良く地下へと入っていく。彼らにはスクー・グスローたちが引っ付いたまま付き従い、周囲を警戒している。
ひとつの砦で、ゴブリン兵たちの行列ができていた。中への入り口のドアが開かず、手間取っているのだ。
その行列の最後尾にいたゴブリンが、突然奇声を上げた。
その前にいたゴブリン兵が振り向くと、声を上げたゴブリン兵はすでに息絶えていた。装備も身体も強い酸で焼けただれ、地面に骨が転がっている。ものすごい量の白煙が噴き上がって、視界が悪くなっていく。
「くそっ、またかっ!!」
ゴブリン兵は振り向きざまに風魔法を放つ。白い煙の中に紛れる黒い影に向けて。
――――ズドッ
彼らはソータから十五番目の素粒子である、夢幻泡影結晶を与えられている。本来なら結晶のおかげで、五番目の素粒子蒼天如きものともしない。
しかし、残念ながら、ほとんどのゴブリン兵は夢幻泡影結晶の力を使いこなせなかった。あまりにも強力すぎたためだ。精鋭部隊とはいえ、無理なものは無理。夢幻泡影結晶を使えたのは、千名のうち百名ほど。
残りのゴブリン兵は、夢幻泡影結晶が保有する力を魔力として使うほかなかった。
たった今殺害されたゴブリン兵と、風魔法を放ったゴブリン兵。共に夢幻泡影結晶を使いこなせていない。
白煙から姿を現すデーモン。貴族然とした服装にヒト族とそっくりな顔立ち。ただし、金色の髪の毛から、二本の角が生えていた。大きさはヒト族と変わらない。
「逃がさないと言ったでしょう?」
デーモンが虫を払うように手を振ると、その場にいたゴブリン兵三十名は全て即死した。酸の煙によって。
ゴヤは離れた場所から、冷酷な殺戮の光景を目にしていた。彼は別の砦近くにいたのだ。
「追い付かれたか……。夢幻泡影結晶を使える者たち、あのクソデーモンをぶっ殺すぞ! ワシに続けっ!!」
ゴヤはそもそも夢幻泡影魔法が使える。ほんの少しだが。それでもソータからもらった夢幻泡影結晶のおかげで、強力な魔法が使えていた。
デーモンの前に転移してきたゴヤ。彼はデーモンと対峙して口を開く。
「貴様、モロクと言ったな。デーモンの分際で、よくもワシの部下を……」
ゴブリンの精鋭部隊や、スクー・グスローが半数に減ったこと。メタルハウンドの全滅。それらは全てモロク、ジトウ、イハク、三体のデーモンの仕業であった。この三体はよく見るデーモンと違い、ヒト族と見分けがつかない。灰色でも黒い粘体でもない。ただ一つ判別できるのは、頭から二本の角が生えている部分だ。
ゴヤの顔は怒りに染まり、牙をむき出しで睨みつける。後続の部下が駆け付ける前に、ゴヤは仕掛けた。神器星界切断者を抜き、モロクを袈裟斬りにする。
「ぬう……」
斬られる直前、モロクは白煙と化した。すぐさま風に乗って拡散していき、存在そのものが感じられなくなる。その様はまるでスキル〝霧散遁甲〟だ。しかしモロクの白煙は、強酸である。全くの別物だった。
「ジトウ、イハク、早く来い。場所が分かったから倒すぞ」
モロクの声が何処からともなく聞こえてきた。ゴヤに遅れてゴブリン兵が集まってくる。すると、砦の近くで警戒しているゴブリン兵たちが、一斉に白煙に包まれた。一カ所ではない。三カ所同時にだ。
この白煙は、モロク、ジトウ、イハク、三体のデーモンが、酸の白煙に変化したもの。
それに包まれると、あっという間に肉が焼け落ちて即死する。風魔法で吹き飛ばすことができず、火も水も土も、属性魔法は通用しない。それに煙なので、物理攻撃も効かないという、非常に厄介な特性を持っていた。
そのためゴヤたちは撤退戦を続けていたのだ。
あるかどうかも分からない、神界の里を目指して。
里に上物はなかったが、砦があって地下施設もあった。そこへ逃げ込もうとしたが、彼らはとうとう追い付かれてしまったのだ。メタルハウンド一万を囮にしたというのに。
「お前たち、ここから一番近いのは、奴隷の町エステパだ。ここと同じく建物は無いはずだが、地下施設はあるはずだ。今からすぐに逃げるんだ」
周囲を警戒しながら、ゴヤは指示を出す。しかし、残り百名のゴブリンは動こうとはしなかった。彼らにくっ付いているスクー・グスローたちも飛び立とうとしない。
「何を言ってるんですか族長。恰好つけるのもいい加減にしてください。俺たちも仲間の仇をとります。例えそれが、無謀な戦いであったとしても――」
一人のゴブリンが、ゴヤの言葉を否定する。ここに集まった精鋭中の精鋭百名は、意を決した表情で佇んでいた。周囲からは他のゴブリンたちの悲鳴が響き渡る。生き残りのゴブリンは、三体のデーモンによって、次々に殺害されてゆく。
「……残れば死ぬぞ」
「水くせえな、族長! 夢幻泡影結晶があるんだぜ? まだまだ使いこなせてないけど、力を合わせりゃ一矢報いることもできる!」
血気盛んな若いゴブリンは、やる気満々である。恐れを知らないのかと心配そうな表情を浮かべるゴヤ。しかし彼は、仲間のゴブリン兵の気持ちを尊重した。
「分かった……。幸いにもここの地形は、ベナマオ大森林と同じだ。生えている木の場所や本数まで。いつも訓練しているワシらにとって、地の利はある。お前たちに命じる。死なないようにして、デーモンを殺せ。まずはモロクから殺るぞ」
「おうっ!」
百名のゴブリン兵が返事をする。その頃には生き残りのゴブリンは半数近くの二百五十名ほどに減っていた。
「お前たち……済まない」
里の周りにある独立した砦。そこでは、次々と酸の煙でゴブリン兵が殺害されている。
ゴヤはそれを見つめながら姿を消した。精鋭のゴブリン百名も次々に姿を消していく。彼らはソータと同じ、姿を消す魔法陣の組み合わせを使用したのだ。気配遮断、視覚遮断、音波遮断、魔力隠蔽、冷却魔法陣、加熱魔法陣の六つを。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
急いで砦に入ろうとしていた数十名のゴブリン兵が崩れ落ちた。彼らは酸の煙によって無残に焼けただれて死んでしまったのだ。
そこに姿を現すモロク。彼は周囲を見渡し、ゴブリンの殲滅状況を確かめていく。ジトウとイハクは順調にゴブリンを倒している。彼は満足げな表情で、他の砦を見渡してゆく。
「……」
モロクは一点を見つめて首を傾げた。そこにいたはずのゴヤたち。彼らの姿がなくなっている。モロクは更に異変を感じる。視界が真っ白に染まり、何も見えなくなったのだ。彼はすかさず酸の煙と化し、その場を離れようとした。
しかし、どこへ行こうとしても何かに遮られる。転移魔法も効果がなかった。
モロクはゴヤの時空間魔法、量子空間の中に閉じ込められていた。しかしそんな事、モロクは知りようがない。突然の白い空間と移動制限で、彼は冷静さを失った。
「これは神威を使った魔法か。ふふっ……。ゴブリンごときが、神威を使えるとは思いもしなかった。だが、タネが分かれば対処は簡単!」
モロクは神威と同等の迎魔を使用。四角い立方体量子空間を打ち破った。
そこには、協力して量子空間を維持するゴブリンたちが無防備で立っていた。
「ははっ! ゴブリンよ、まさか神威が使えるとは思ってもみなかった。しかしこの通り。私は無事に地上へ戻った。ではこれまで通り、酸の煙で焼き殺して――――」
――――ゴツッ
モロクの言葉は最後まで続かず、首が地面に転がり落ちた。立ったままの身体は、表面が酸の煙に変化したり元の貴族のような服装に変化したりと、変化を繰り返している。
「い、いったい何が――」
地べたに転がるモロクの首は、そう言ったまま動かなくなる。彼の頭部は黒ずんでいき、あっという間に黒い水たまりと変化した。
「一体倒すでも、被害が多すぎる……」
空間をずらして閉じ込める量子空間。本来なら外部からも内部からも干渉できない。しかし、モロクの使った魔法は、周りを取り囲んだ精鋭のゴブリン兵、三十名近くを殺害していた。迎魔で量子空間を打ち破ったときの魔法に巻き込まれたためだ。
それを見てもゴヤは諦めず、モロクが実体化した瞬間を狙った。切ったのはもちろん、神器星界切断者である。
地面に広がっていく黒い液体を見つめながら、ゴヤはため息をつく。そして彼はヒュギエイアの水をぶっかけた。
「あと二体。ジトウとイハクか。お前たち……、ここからが正念場だ。死ぬなよ……」
一体のデーモンを倒すのに、戦力の三分の一を失った。ゴヤは自信を失った顔つきだ。しかしそれも一瞬のこと。彼は両手で自分のほっぺを叩き、残り二体のデーモンへ向けて歩み始めた。




