305 次元断層
バンダースナッチは帝都エルベルト北方ベナマオ大森林に着陸した。といっても、枯れ果てた森の空き地だ。いまはブリーフィングルームに集まって、話し合っている最中だ。
新たな素粒子が三つ使えるようになった訳だが、十八番目の根源魔法は、何をどうやっても使えなかった。使えるのは、十六番目の影絵遊戯魔法と十七番目の永遠回廊魔法まで、という結果だ。
「という訳でさ、みんなこれを肌身離さず付けておいて」
こぶし大の永遠回廊結晶を生成して、仲間に手渡す。
「なんだこれ? 魔石? これだと邪魔にならない?」
早速アイミーから苦情が届く。見た目は加工した魔石と似ている。大きさは俺の握りこぶしと同じくらいの球状だ。こんなもんポケットに入れてもかさばるだけだ。かと言って魔導バッグに入れちゃ、効果が無くなる。あの中はこの世界とは別の空間だからな。
「これは永遠回廊結晶だ。力のある素粒子……いや、魔素の結晶だから、空間魔法で小さくできる。盗難防止対策で、身体から一定距離離れると砂になるから気を付けて」
「おいおい、風呂に入るときも付けとけってこと?」
今度はハスミンからの抗議だ。文句を言ってくるのはテイマーズのふたり。
他のメンツは、いつものじっとりとした目で俺を見つめる。直接文句を言わないのは、他人がいる場所で見せなかったからだ。それに今回、この結晶が無ければ厳しい戦いになることが分かっているのだ。
「うん。このゴタゴタのケリがつくまでは、この小袋に入れて首にかけといてくれ」
持ち主から半径百メートル以上離れると砂になるように設定済みだが、それは黙っておく。アイミーやハスミンが知れば、風呂に入るとき絶対に外す。そして紛失したり盗られたりするって結末が想像できる。悪いとは思うけど、もう少しの辛抱だ。我慢してくれ。
永遠回廊結晶を小袋に入れていく。口を閉じてミスリルのチェーンを通してできあがり。仲間たちに渡していく。
「おいこらおっさん、どうしろってんだこれ」
ハスミンは上目遣いで睨みつけてきた。まあそうなるよね。
「小袋がもっと小さくなるように意識して、空間魔法をつかってみて」
「うわっ!? 初めて空間魔法使えた!」
首にかけた小袋がさらに小さくなり、驚きの声を上げるジェス。アイミーとハスミンの小袋も、同じく小さくなっている。ふたりは声こそ上げなかったが、目ん玉をすごい勢いで見開いて驚愕していた。テイマーズの三人は、これまで空間魔法が使えなかったのだ。
この三人だけかと思いきや、リアムも仰天している。しかし彼の場合、初めて使えたということではなく、発動時間の早さに驚いている。
仲間たちは様々な反応を見せていた。だけどこれで一安心。
冥導や神威、その上の、迎魔や蒼天を使われたとて、永遠回廊結晶を使った魔法で何とかなる。素粒子の容量たる大きさも申し分ない。
これから向かうのは、ダーラ・ダーソン少尉が発していたモールス信号の発信源。帝都エルベルトの街中で、例の壊れた噴水がある場所だ。空から見た感じ、あの太陽のような光による影響は出ていなかった。
ただしひとつだけ、前と違っていた。
枯れた噴水の少し上に、どの角度から見ても同じ形の裂け目があった。あれがおそらく、次元断層。冥界ではない、別の次元へ繋がる入り口だ。
「さて、準備はいいか」
俺の声に仲間たちが頷いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
集団転移魔法で、広場に到着。今回はバンダースナッチをファーギの魔導バッグに仕舞ってきた。いつもは空中で待機のリアムだが、冥界にひとり残していくのはさすがに危ないという判断だ。
目視で点呼を取って、仲間が全員いることを確認。
周囲は静まり返り、デーモンの気配はひとつも無い。
ラコーダとデボンの戦いで、周囲の建物は軒並み瓦礫の山と化していた。
心配なのはゴヤたちだ。千のゴブリン、万のスクー・グスローとメタルハウンド、それに百万のスチールゴーレム。彼らの姿はどこにもない。
仲間たちは周囲を警戒しながら待機している。俺のゴーサイン待ちだ。
「まだ行かねえのか、おっさん」
口の悪いアイミーは、少し緊張した面持ちである。他の皆もそうだ。これから行くのは次元断層。得体の知れない場所だ。
「ゴヤたちがいないか確認してたんだ。しかし、念話が繋がる範囲にはいないと分かった。とりあえず、全員で手を繋いで入ろうか」
次元断層に入った瞬間、上下の感覚が無くなることも想定し、離れ離れにならないようにしておく。
後ろから右手をそっと繋がれた。肩越しに見ると、ミッシーだった。少しうつむいて頬を染めている。
……いやいや。いやいや、そんな場合じゃないっしょ。
そう思いながら、俺も顔が熱くなる。
「はいはい、こっちはあたしね」
左手をガシッと掴むマイア。少し上目遣いで俺を見つめていた。
「お前ら余裕だな。ワシは緊張してるってのに」
ファーギからの苦言で、ミッシーとマイアは互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。そんなことをしている場合ではないと、状況の緊迫さを再認識したようだ。
「最後に確認だ。こりゃダメだと思ったら、集団転移で全員脱出するからな。いちおうみんな神器があって、永遠回廊結晶もある。最低限の対抗手段はあるけど、だからと言って過信はするな」
ミッシー、マイア、ニーナ、ファーギ、メリル、リアム、アイミー、ハスミン、ジェス。全員で手を繋いで輪になる。
そして俺たちは、噴水にある空間の裂け目に足を踏み入れた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
次元断層に足を踏み入れた瞬間、予想外の光景に肩透かしを食らった。
「原っぱ……?」
「ここ気持ちいいね」
「冥界とは大違い。おいらたちの世界より神々しく感じるね……?」
アイミー、ハスミン、ジェスと、感想を述べている。マイアとニーナは両手を組んで膝をつき、祈りを捧げ始めた。
「ソータ、ここがどこか分かるか?」
ミッシーの声だ。手を強く握ったまま離してくれない。
「ああ、ここは神界だ……。メリル、アイミー、ハスミン、ジェス、さっき渡した永遠回廊結晶は、絶対に身につけといて。外したらたぶん死ぬ」
そよ風には強い蒼天を感じる。
足元の草。遠くに見える森と山。白い雲と青い空。全てが蒼天で出来た世界。
闇脈を纏うダンピールの四人が、素の状態で蒼天に触れたら即座に滅ぶだろう。偶然とはいえ、永遠回廊結晶を渡しておいて、心の底からよかったと思う。
「あ、ありがとうございます」
メリルの声は震えていた。その青ざめた顔には、死の危険から逃れた安堵と、まだ残る恐怖が入り混じっていた。『気にしなくていい』と言いかけたが、言葉を飲み込んだ。彼女の命を救ったのだ。その重みを軽く扱うべきではない。
オルズの言葉を思い出す。『神でないものが神界へ来ることは裁判以外では許されていない。ソータなら来てもいいが、祖父だろうと友人だろうと、絶対に連れてくるなよ?』
冗談交じりにフリかと伝えたら、ちゃんと否定されたんだよな。
しかし仲間たちが神界に足を踏み入れてしまった。今のところ何かが起こるでも無く、ただただ蒼天を感じるだけ。特に異変は感じない。そうなると『絶対に連れてくるな』という言葉は、この世界の法則などではなく、オルズが言った『戒律』に属するものだろう。
となると、この世界でもし、神々と出会うことがあるならば、その時は最大限に注意しなければならない。問答無用で攻撃される、あるいはあの理不尽な裁判へ送られる可能性も視野に入れておこう。
撤退はない。まずはゴヤを見つける。
「ソータ、あそこを見ろ」
ファーギの声で振り向く。彼はゴーグルをつけて森の方を見ていた。周囲の地形を見ると、ここが帝都エルベルトがあった場所と同じだと気づく。いま見えている青々とした森は、異世界でいうベナマオ大森林だ。
以前神界に来たときは、円形闘技場で戦っていて、まわりの風景を確かめることが出来なかった。けれど、いま見ると分かる。神界とはいえ、多世界解釈における量子の重ね合わせ状態にあるのだと。
「冥界も神界も、地上と同じ地形ってことか」
俺の返事に頷くファーギ。その言葉で仲間たちがハッとする。彼らも地形が同じだと気づいたようだ。分かりやすいのは山の形だ。
ただし、街まで再現されていない。これはおそらく、神界を構成する蒼天という存在が五番目の素粒子だからだ。異世界と同じ街並みが再現されるのなら、きっと神威の世界でなければならない。
しかし神威は、神々の間として使われていた。
うむう……。神々は神界へ来させないために、神威の世界を改ざんし、己が世界として個人活用しているということか……。
では神威の世界の住人はどこに?
答えはあれか……。
森の向こうの山をじっと見つめると、クロノスが拡大してくれた。そこには鉱山があり、俺たちと似たニンゲンが働いていた。ヒト族、エルフ、ドワーフ、獣人、ゴブリン、どれとも違う、別の何か。しかしその姿はニンゲンだ。
それに、彼らが泥まみれで働いている訳では無い。実際に動いているのは、ゴツゴツした岩のゴーレムだ。
察するに、神威の住民は、神界へ移住してきたのだろう。
「おい、ソータ!」
ミッシーの声で我に返る。彼女は手を繋ぎっぱなしで指を差す。
「おお? あれって俺が創ったスチールゴーレムか……?」
森とは逆方向の草原に、巨大なゴーレムが見えていた。身長は目測でおよそ二十メートル。大きな障壁の中でドンパチやっている。そのため音が聞こえてこない。
念話で確かめてみよう。
『おーい、おまえたち、神界に来てたの? あとさ、なにそれ合体してるの?』
『そうだ。ディース・パテルの軍勢と戦闘中だ』
『勝てそう?』
『勝つために合体したんだよ。おかげで百万から十万体に減ってしまったが、そろそろ殲滅できる』
ほむ……。合体したというのは、とりあえず置いといて。
冥界の神、ディース・パテルの軍勢だと? なんてもんと戦ってやがるんだ、あいつらは。とはいえ、俺の脳神経模倣魔法陣だからなあ……。何か訳があってやっているのは確実だ。
それに、以前神界へ来たとき、神々で戦争しているとは聞いていた。
神々の住む神界に、冥界の神が攻め込んでいる?
さっき戦った黒い煙。あれは迎魔の世界に住む黒霧。冥界では神と呼ばれる存在だ。
それらのことから、ディース・パテルは黒霧の住人と考えていいだろう。
ミッシーは双眼鏡を覗きながら話しかけてきた。
「あれはソータの創るスチールゴーレムに似てるな。すこし大きいのだが……」
「ああ、俺が創ったスチールゴーレムだよ。あいつら冥界の神、ディース・パテルの軍勢と戦ってるみたいだ。そろそろ倒せると言ってるよ」
「スチールゴーレムも出鱈目に強いな……」
そりゃそうだ。ボーリングの球くらいの夢幻泡影結晶を使ってるからな。それが十体集まって戦っているんだ。冥界の神々とはいえ、格下の迎魔ごときではどうにもならないだろう。
しばらくすると障壁が消えて、スチールゴーレムたちが集まってきた。身長二十メートルの、ひょろ長い体型をしているが、内包している力はとてつもなく強大だ。十万体もいるから、圧迫感も強い。
「何があったのか聞かせてくれるか?」
俺の問いに、一体のスチールゴーレムが歩み出てきた。
「ゴヤたちは、冥界の軍勢と戦っている。場所はベナマオ大森林方面。ラコーダとデボンは、西のアメリカ軍基地近くで戦っている。両者ともまだ戦闘中だ」
「冥界の軍勢? デーモンも神界に攻め込んでるってこと?」
「そそ。冥界の神々が陣頭指揮を取ってるよ」
「へぇ……。デーモンと冥界の神々ね」
「お前が知りたいことだよな」
この短時間で俺の知りたいことをすでに調べていたのか。優秀すぎて驚いてしまった。
「さんきゅ。助かったよ」
そう言って振り返る。そこには仲間たちが「どうする?」という顔で立っていた。
「ゴヤたちの援軍として、俺たちはベナマオ大森林へ行こう」
「……ワシはそれでもいいが、ソータの目的はラコーダの方じゃないのか?」
ファーギはラコーダの方へ向かおうとしている。彼も俺の気持ちを察してくれているのだ。
「それもそうだけど、ゴヤたちも仲間だ。先に合流しよう」
「おう、そうするか」
神界への突然の来訪は、まるで嵐の中に放り込まれたようだった。羅針盤を失った船のように、俺たちはノープランの状態だ。しかし、バラバラに漂流するよりも、まずは全員で集まり、進むべき航路を決めるべきだろう。
仲間たちは頷いている。行き先はベナマオ大森林に決定だ。
「んじゃ俺たちはラコーダとデボンの方に行ってみるか。出来れば殺さずに制圧しておくよ」
スチールゴーレムの声だ。余裕を感じるのは、たったいま戦った冥界の神々が思いのほか弱かったからだ。それにラコーダは冥界の住人。強いとはいえデーモンだ。夢幻泡影結晶を使ったスチールゴーレム十万体で行けば、殺さずに制圧なんて容易いだろう。
「ああ、任せるよ。デボン・ウィラー大佐とダーラ・ダーソン少尉は、出来るだけでいいから生かしておいてね」
「分かった。それじゃあ、またな」
代表のスチールゴーレムがそう言うと、転移魔法であっという間に消えていった。
草原のまん中に残された俺たち。
さて、どうやってゴヤたちと合流しようか。
念話で連絡する方が早いよな。
「おいこら、おっさん!! いまのゴーレム、なんでおっさんと同じ声で喋るんだよ! それにあの数。他人がいないからって、ちょっとやり過ぎなんじゃね?」
そう言いながら脛を蹴ってくるアイミー。気持ちは分かるよ。俺もやり過ぎ感は否めない。けれど、ここで自重して、はいやられちゃいましたー、なんて事になるよりマシだ。大胆かつ慎重に抜け目なく行こう。仲間を失わないように。
「それでどうする? 出すか?」
ファーギが魔導バッグを開いている。
「出そう」
そう言うと、草原にバンダースナッチが現われた。
「んー? どういう事っすか?」
「バンダースナッチを改造するんだよ」
リアムの問いにファーギが答える。バンダースナッチの動力源は神威結晶だ。神界に置いて、つまり蒼天より格下の素粒子では圧倒的に不利となる。攻撃面でも防御面でも。そのため十七番目の永遠回廊結晶を使う。そうすれば攻防共に、性能アップできる。
動力源の切り替えはすぐに終わった。神威結晶を回収して、そこに永遠回廊結晶を置くだけだし。
気の短いハスミンが声をかけてきた。
「おっさん、ベナマオ大森林に転移魔法で行かないのか?」
「ああ、そうだ。上空から探った方が分かりやすいからな……」
「……はあ? ゴブリンの親分と合流するんだろ? 念話で聞けばわかるんじゃない?」
はてなマークいっぱいのハスミン。アイミーとジェスも同じ顔をしている。
テイマーズの三人には、まだ言ってない。
ゴヤと念話が通じないことを。
気づいているのは、ファーギ、ミッシー、マイア、ニーナ、メリル、リアム。俺と同じくすでに念話での連絡を試みた六人だ。彼らも俺と同じく、少し不安げな顔をしていた。




