299 非常食
『猟犬一万に告ぐ。百体で組を作り、念話で連結して攻撃開始』
ゴヤは俺に聞こえるように念話を使った。
俺たちは西北、西、西南の三方向からデーモンの攻撃を受けているが、猟犬の使用する夢幻泡影障壁で、全て防いでいる。そこに隙間はない。
猟犬たちは、ゴヤの命令をどうやって実行するのか。そう思っていると、五千ずつに分かれて北と南へ移動を開始した。その速さは目を見張るものがあり、あっという間に視界から消えた。
『本体は駆け足で西へ進め。障壁そのまま。デーモンにプレッシャーをかけろ』
ゴヤの念話は冷静だ。大声でも小声でもない。
獣人自治区で合流したときも、共に市街地を進んだ。しかし現在のゴヤは、あの時よりも洗練された印象を受ける。
俺もゴヤと一緒に併走しているが、念話が聞こえなくなった。また眉間にしわが寄っているので、細かな指示を出しているのだろう。
しばらく進んで市街地を抜けると、城壁と城門が視界に入ってきた。これは地上にあったものとは異なる。おそらく増設したものだ。
……あれ? 何で城壁が必要になる。ここは冥界で、デーモンの世界だというのに。
ゴブリン兵は、ゴヤを先頭に城門を抜けてゆく。猟犬部隊は、浮遊魔法を駆使して城壁を越えていた。そんな魔法まで元から使えたのかな……? 夢幻泡影結晶に交換したことで、猟犬の性能が上がっている?
チラリとゴヤの顔を見る。無表情に見えるが、口元がひくついている。目も普段より大きく見開いている。端的に言うとビックリしていた。
聞くまでもない。猟犬たちは、浮遊魔法など使えなかったんだ。元々高度な魔法だから、使い手も少ない。それに、猟犬自体が、地上戦特化型だし。
ゴヤと俺の前を駆けていく猟犬たち。夢幻泡影障壁を張って、枯れた森を破壊しながら突き進んでゆく。黒線の数は相変わらず弾いていて問題ない。
俺たちはどんどん西へ突き進む。ゴブリンの精鋭部隊も同じ速さでついてきている。時速換算で五十キロメートルは出ているのに、どんな体力してんだよ。猟犬が森を壊しながら切り開いているとはいえ、足場は凸凹してるのに。
『本体は一旦停止』
ゴヤの念話でようやく止まる。黒線の攻撃は、まだやんでいない。どうするのかと見ていると、北と南から泡影幻想が大量に飛来。前方に展開された夢幻泡影障壁の前が、細かな泡で埋め尽くされた。
その瞬間、黒線の攻撃が止み、前方デーモンの気配が途切れる。
おいおい……。今の一撃で、万単位のデーモンが消えたぞ。
軽々しく渡した夢幻泡影結晶。ちょっとヤバいかも。いや、ゴヤの作戦もすごいな。本体は障壁を張って枯れた森を破壊しながら派手に進軍。めっちゃ目立っていたので、黒線の集中砲火を受けていた。
ゴヤは本隊を囮に使ったんだ。……おいおい、知将かよ。
『南北両部隊、夢幻泡影障壁を展開。本体の前方へ回れ。本体側の猟犬五万に告ぐ。百体で組を作り、念話で連結して攻撃開始。本体は西へ移動開始。あの山に登れ』
泡影幻想を使った事で、南北に猟犬がいるとバレた。その猟犬に障壁を張らせて目立たせる。それらが本体前へ移動すれば、デーモンたちは南北の伏兵がいなくなったと思うだろう。
しかしゴヤは、追加で南北へ半数の猟犬五万を移動させた。
これは気配の無いゴーレムだから出来ることだ。
戦争の勉強になるな、なんて思いつつも、この先俺が軍を指揮することなどない。ゴヤの指揮は、知識として知っておこう。
そうこうしているうちに、急勾配となっていく。どうやら帝都エルベルトとアメリカ軍基地を分ける山脈を登り始めたようだ。
ここでは浮遊魔法を使わずに登るみたいだ。猟犬もゴブリン兵も、地に足を付けて登ってゆく。ここでもあり得ない速さで山を登り切った。
デボン・ウィラー大佐とダーラ・ダーソン少尉はどこだ。戦っているなら、冥界の帝都エルベルトに動きがあるはずだ。そう思って眺めていると、傍らのゴヤから声が掛かった。
「ソータ、お前の言ったとおりだったな」
「うん?」
ゴヤは西の方を向いて、双眼鏡を覗き込んでいる。日は昇っているが、冥界の濁った空気で地上が見えるはずはない。あの双眼鏡は魔道具ってことか。
「百万と少し、デーモンの軍勢がひしめいている」
「やっぱそうか」
「何で西にデーモンがいると思った」
ゴヤは双眼鏡から目を離さず問いかける。
「さっき言っただろ。西にでかい街があるんだよ」
「ここから西? もしかして、フォルティスとシュヴァルツは、デーモンに落とされたのか?」
森の住人とはいえ、ゴヤは外の世界にも詳しいようだ。里の長だから、知ってて当然なのかも知れないけど。
「そそ、例のデモネクトス。スタイン王国はほぼ全土の国民がデモネクトスを飲んで、デーモン憑きになっていた。地上は今、北と西と南、三方向を封鎖中だ。ミゼルファート帝国、オーステル公国、ルンドストロム王国の三ヶ国で。事と次第によっちゃ攻め入ることになりそうだけど」
「……そんな事になっていたのか。これはもう、前回の獣人自治区を上まわる規模の戦闘になりそうだな」
「違えねえ……」
俺の目でも確認できた。西方面に地面を埋め尽くすデーモンを。
エルフの里から冥界へ行ったとき、巨大なデーモンを見た。あれと同じやつもいる。
「あ……」
猟犬の泡影幻想で、簡単に倒された。南北五万の猟犬が、デーモンへ攻撃を始めたのだ。
『撃て』
ゴヤの念話で、山頂の猟犬五万から、泡影幻想が放たれる。距離は三キロメートルくらい離れているが、射程内だったようだ。同士討ちにもならず、地上のデーモンを正確に滅ぼしていく。
百万のデーモンは、三方向から攻撃を受ける。数が多すぎて急に進路変更が出来ないという、袋のねずみ状態だ。奴らは泡影幻想で次々に滅んでいった。泡と一緒に消えるので、何も残らない。泡パ魔法は生き返ることの許されない、凶悪な魔法だった。
十五番目の素粒子、夢幻泡影。使用法を間違えるとえらいことになりそうだ。
「ソータ済まないが、西の方を見てきてくれないか?」
ゴヤからふと声をかけられる。眼下の景色を見ると、すでに片がついていた。十万の猟犬で、百万のデーモンを滅ぼしたのだ。
「そりゃいいけど、ゴヤはどうする」
「ワシらはいったん休憩して、東のエルベへ向かう」
「エルベって、冒険者ギルド世界本部がある街だよね。そこも怪しいってこと?」
「分からん。だから確かめに行く。デーモンが秘密裏の計画を進めているのなら、帝都エルベルトだけでなく、アルトン帝国全体が落ちていることになる」
「あ、そう言えばラコーダが言ってたな。帝都エルベルトより西はアメリカにくれてやるけど、帝都エルベルトより東はダメだって」
「ほう……。それなら東のエルベはすでに陥落済みだな。それでも確認には行かなければ。ワシらのベナマオ大森林と接しているからな、この国は」
「あーね。それとちょっと質問。帝都エルベルトを出るとき、城壁があっただろ。冥界なのに何でそんなもん必要なの?」
「……」
あれ? ゴヤは疲れた顔で目頭をもみ、そののちに呆れた表情へ変わった。
「ソータ、お前この世界の事、もっと勉強しろ。冥界とはいえひとつの世界だ。デーモンにも、それぞれの国があるんだ。つまり西から来ていたデーモンは、冥界の帝都エルベルトへ侵攻していたことになる」
「戦争仕掛けてたって事か……デーモンの国が。デーモン同士でもヒト族みたいに戦争するんだな」
俺は多世界解釈で考えていたはずなのに、デーモンはひとつの団体くらいにしか考えていなかった。冥界という世界があるのなら、デーモンの国があってもおかしくはない。あれだけ邪悪な生命体だ。ニンゲンを喰うため、戦争なんて簡単に起こるのだろう。
これまで見てきたじゃないか。
黒い粘体。ワニ顔。巨大なデーモン。そして今回、灰色のヒト型デーモン。
そうなると、レブラン十二柱という集まりは何だとなる。
あれはデーモン各国の代表者が集まった、地球でいう国連のようなものかもしれない。
序列というのは、その国力に応じてのものと考えるとしっくりくる。
「で、西への偵察は行ってくれるか? ワシらは東のエルベを偵察したあと、帝都エルベルトへ戻る。ソータとはそこで合流しようか」
「ああ、了解した」
西がどうなっているのか確かめないとさすがにまずそうだ。
浮遊魔法で浮かび上がる。ゴヤには視線だけで合図して、俺は垂直に上昇し始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
冥界の空には微細な粉塵が舞っていて、見通しが利かない。ファーギ特製ゴーグルをつけて、ゆっくり飛んでいく。もちろん姿は消している。
全滅させられたデーモンは、あそこに駐屯していたのだろう。後続のデーモンが、細い糸のように西へ続いていた。放っておけば、またたくさんのデーモンが集まってしまう。帝都エルベルトは、いま壊滅状態だ。やつらも地上からの極太雷を目撃したはず。
ここで一気に攻め込まれちゃ困る。
俺は姿を消したまま地上に降りて、様子を探る。でかいデーモンが多い。これから到着するのが本隊かもしれないな。
ということで、夢幻泡影魔法でスチールゴーレムを創り出す。脳神経模倣魔法陣は、もちろん俺のもの。動力は夢幻泡影結晶で、盗難対策もやっておく。
数は一万。枯れた森の中に、スチールゴーレムが前触れも無く現われた。すごいな夢幻泡影魔法は。
『おい、俺たち全員に、自爆用の魔法陣も付けておけ』
創ってすぐ、俺の声で念話が届いた。スチールゴーレムからだ。
神威結晶のときよりはるかに早く起動し、かつ流暢な喋り方。理解力も高い。得体の知れない冥界で戦うのだから、スチールゴーレムは自爆用の魔法陣を要求してきたのだ。
『自分で言うのも変だけど、俺らしい考え方だな。全員の夢幻泡影結晶に、爆裂魔法陣を彫った。これでいつでも自爆できる』
『ああ、助かる。この街道沿いにデーモンを滅ぼしていけばいいんだよな。そのあとどうする?』
自分と同じ声の念話は、奇妙な感じがする。
『西にはフォルティスとシュヴァルツがあるのは知ってるよな。俺は先行していくから、ふたつの街のデーモンは全滅させておく。問題は、地上のスタイン王国と同じ広さにデーモンが散らばっていること。お前たちには、そいつらを各個撃破してもらいたい。終わったら集合な』
『単純だな。地上の方は心配ないのか?』
おおぅ。さすが夢幻泡影魔法のスチールゴーレム。心の片隅にある懸念を口にしやがった。
『心配だけど、仲間に任せてるからな。大丈夫だ』
『そっか。んじゃ俺たちは一万で西へ進軍する。お前、気を付けろよ? お前、たまに無茶するからな』
『ああ、分かってる。頼んだぞ』
姿を消して空へ舞い上がる。てか、あいつら俺より優秀じゃね? 夢幻泡影魔法恐るべし……。
『私がついてます!!』
『そうだな。クロノスがいるから、俺も優秀な振りができる。これからも仲良く頼むね』
『えへへ~。改めてよろしくねっ!』
なんて喋りながら飛んでいると、フォルティスとシュヴァルツが見えてきた。古びた街と現代日本のような高層建築物。ふたつの街は大きな川で分かれていた。これは竜神オルズが地上で川を創ったからだ。しかし、巨大な橋が架かっていて、デーモンたちの往来があった。
この世界で初めて水を見た。
フォルティスの東側。つまり帝都エルベルト方面に、たくさんの巨大デーモンが集まっている。中には普通サイズのデーモンもいるが、圧倒的に巨大デーモンが多い。
「……何だあれは」
思わず独り言を呟くほどの衝撃を受けた。巨大デーモンの身長は目測で約四十メートル。巨木に匹敵する。その大きなデーモンが、干物になったニンゲンをかじっていたのだ。
あまりにも残酷な光景に身体が震える。怖いからではなく怒りからだ。怒りにまかせてファイアボールを――。
『ダメです!!』
『……そうだった。すまん』
思わず全力のファイアボールを放ちそうになっていた。以前聞いたクロノスの説明が正しければ、冥界なんて一発で滅んでしまう。ゴヤたちがいるんだ。それは避けなければ。
いったん深呼吸して冷静になる。
奴らはニンゲンを非常食にしている。では、そのニンゲンはどこから入手している。数多のデーモンの胃袋を満たすためとはいえ、地上から攫ってくるだけだと、大変な騒ぎになるはずだ。
……そうでなければどうする。
想像はつく。デーモンは俺たちと同じ事をやっているのだ。
冥界のフォルティスとシュヴァルツ。この街、あるいは周辺地域のどこかにあるはずだ。
ニンゲンを養殖している場所が……。
やるせない気持ちのまま、俺は捜索を始めた。




