298 鏡の世界
俺はゴヤたちゴブリンとスクー・グスローたちと集団転移した。行き先はベナマオ大森林の入口。草原と森の境界線がくっきり分かれている場所だ。
長い夜が明ける。淡い紫色を帯びた夜明けの空が、まるで巨大なキャンバスに絵の具を滴らせるように、徐々に暖かな朝日の色合いへと変化していく。
ここから続く小道は、紫色の巨大ドーム――帝都エルベルトへ続いている。
ガサリという音に振り向くと、そこにはたくさんの、ゴブリン特製猟犬が集まっていた。ひと目で分かったのは、メタルハウンドにそっくりだから。この森の中に十万体もの猟犬が潜んでいるのだ。
「まずはゴヤたちからだな」
「ワシらから?」
隣のゴヤが首を傾げ、その目に戸惑いの色が浮かぶ。強化するといったのは猟犬であり、ゴブリンとは言ってない。しかし、そういう訳にもいかないと俺は心の中で苦笑する。
こちらを監視しているアメリカ軍の無音ドローンを、念動力で握り潰す。警告だ。覗き見はするなという。
その上で俺は、ゴブリンと猟犬へ聞こえるように、念話を飛ばす。
『ゴヤ、夢幻泡影結晶を全員に渡しても平気?』
そこまで言ったところで、念話がざわついた。ゴヤを始めゴブリン一同と猟犬からも驚きの感情が伝わってきたのだ。
『おいおい、十五番目の魔素だぞ?』
ゴヤの声には驚きと懐疑が混ざっている。
『結晶なんて見たことないんだが……。しかし、出来るもんならやってみろよ』
彼は挑戦的な笑みを浮かべた。
ゴヤの許可を得て、いちおう証拠を見せる。手のひらの上に夢幻泡影結晶を生成してみた。ビー玉大の大きさだが、これを持つだけで魔法が強くなる。なんなら夢幻泡影魔法を使うことさえ可能だ。取得するのに時間はかかるけど。
『夢幻泡影結晶は、とてつもない力を内包している。各自に渡していくけど、肌身離さず身につけておくように。身体から離れたら、結晶が崩れるように設定しておいたからね』
大きなミスリル製のお椀を作り、そこに夢幻泡影結晶を生成する。ゴブリンたちは列を作って、順番に取っていく。おどおどしながらも。
小さなミスリル製お椀には、砂粒大の夢幻泡影結晶を生成。スクー・グスロー用だ。彼女たちはいつものように群がってきて、なんと口からのみ込んでいた。
その間暇なので、猟犬十万体の動力源をゴヤに聞いてみる。
『魔石だ』
やはりそうか。
『ちょっとさ、ゴヤの魔導バッグ貸してくんない? というか十万個の魔石が入る容量ある?』
『は? お前は何を言って――』
『いいからさ。これに十万個の魔石、入る?』
『あ? ああ、多分な』
ゴヤからぶんどるように魔導バッグを借りる。あまり時間がないので急いだ方がいい。晴れ渡っていた空に、不自然な雲が発生している。帝都エルベルトのデーモンが増えすぎて、神々に見つかってしまった可能性があるのだ。
念動力を薄く広げて、猟犬の位置を把握。魔石のある場所を確認して、全てこちらへ転移させた。ゴヤの魔導バッグの上に転移させたけど、少し座標がズレて魔石がこぼれ落ちた。
すぐに夢幻泡影結晶を十万個生成し、猟犬の中へ転移させてゆく。
まあ電池の入れ替えみたいなものだ。数が多いだけで、特に問題はない。猟犬がやられた場合、夢幻泡影結晶は砂と化す。盗難対策は万全だ。何ならこっちから自爆させることも出来るから、捕らえられた場合は爆弾として使用可能。
「よしっ! 準備完了!」
空を見上げると、突如として雷鳴が轟き渡った。その轟音は地面を震わせ、全員の背筋を凍らせた。
「……ソータ」
ゴヤの声と同時に、極太の雷が落ちた。
――――――――バリバリ
――――――――ドン
「ぬおっ!? なに!」
「どうする?」
「どうしよう……」
雲は急速に広がってゆく。
帝都エルベルトの冥導障壁は簡単に破壊され、街中を感電させながら地面の裂け目を通り抜けてゆく。神聖なる気配。辺りに神威が満ちている。されど神々の気配は無い。
以前、ベナマオ大森林に悪魔ネイト・バイモン・フラッシュを召喚したときは、神々の気配を感じたというのに。
今回の雷雲は、おそらく神が創った対デーモン用の兵器だろう。その根拠に、デーモンを取り逃がしている。初めの一発のあと、雨のように降りそそぐ雷は、少しだけ正確性に欠けている。そのせいで、帝都エルベルトの外に、デーモンが溢れ出る結果となっていた。
状況が悪化している。このままだと、逃げたデーモンがこの世界に害を及ぼす。冥界から出てきた強いデーモンだ。対処も大変になるし、犠牲者も大勢出る。
――――――ドン
雲に目がけてファイアボールを放つ。もちろん全力ではないが、これまで使ったことのない威力で放った。そして指向性を付け加えた。爆発して、こっちに二次被害なんてシャレにならないし。
ファイアボールが雲の中に消える。
数秒ののちに、雲が晴れ渡っていく。そこには空を駆け上がっていくファイアボールの熱波が見えていた。
音もしなければ光もない。この使い方いいなと思いつつ、帝都エルベルトを包み込む巨大な獄舎の炎を放つ。これで帝都エルベルトのデーモン、及び外へ逃げ出したデーモンはすべて灰に変わった。その上で、ヒュギエイアの水を使って雨を降らせる。
討伐完了。神の創ったシステムより、人力でやった方が確実だな。
「ふう……。とりあえず間に合ったな。行こうか、ゴヤ」
『わーっ! なにやったのソー君!』
スクー・グスローたちが群がってくる。彼女たちにとってのデーモンは、滅ぼさなければならない敵だ。そのデーモンを一纏めに滅ぼしたのだから、喜んでいるのだろう。みんな笑顔でまとわり付いてきた。
「ソータ……」
「ぶはっ!? なに!」
喋るのも大変なくらい、スクー・グスローに群がられている。
「お前、今何やったんだ?」
ゴヤの声には驚きと畏怖が混ざっている。その目は、まるで未知の生き物を見るかのように俺を凝視していた。
「ファイアボールと獄舎の炎って火属性の魔法だ」
俺は淡々と答えるが、自分でも驚いていた。この力の大きさに。
「……今のが?」
ゴヤの声が震える。彼の目は信じられないものを見たかのように見開かれていた。
「そうだ」
「……」
詳しく話さない俺を見て、ゴヤは諦めたように肩を落とした。驚くとは思っていたけど、詰め寄られるとは思っていなかった。どこかに隠れて魔法を使えばよかったと後悔しつつ、帝都エルベルトを見やる。
廃墟になっている。生きているものは何もいない。しかしそれは地上部分だけだ。地割れは塞がっていないし、時が経てば再びデーモンが現われるだろう。神の兵器は壊してしまったので、ここはしっかり責任を取らなければ。
ゴヤはずっと俺の顔を見つめている。スクー・グスローが群がっているのに。それでも、今のファイアボールの事を知りたそうにしているので、現実的な話題へ戻そう。
「ゴヤ、作戦どうする?」
俺の言葉に、ゴヤは我に返ったように首を振った。
「そうだな……猟犬の性能がどれくらい上がっているのか知りたい。そういえばお前たち、夢幻泡影魔法がちゃんと使えるのか、指先のファイアで試してみろ。危ないから抑えて使うんだぞ!」
ゴヤの指示がゴブリン兵へ飛んだ。彼らは素直に従い、指先に炎を灯してゆく。この感じは夢幻泡影魔法で間違いない。
「凄いな、一発で使えるなんて」
俺の感嘆の声に、ゴヤは誇らしげに胸を張る。
「里の精鋭だ。魔法の扱いにも長けているからな」
俺はまだ怖くて使ってないので、コッソリ試す。うん。うまくいった。指先に小さな炎が灯った。夢幻泡影を感じるので、とりあえずは成功だ。クロノスが制御していると思うけど。
猟犬たちに、ゴヤからの指示が下された。各々の犬の鼻先には、夢幻泡影の繊細な炎がひとつずつ灯されていく。まだ早朝で、森の中は薄暗く、不明瞭な光が周囲を包んでいる。十万の炎は、幻想的でありながらも、何か妖艶な雰囲気を漂わせていた。
「ソータ、お前はどう動く?」
ゴヤの声に、俺は我に返る。
「俺はデボン大佐とダーソン少尉と合流したい」
「そうか。ワシらは、デーモンを倒すぞ。これだけの戦力が投入できれば、冥界のデーモンもビックリするだろう。とりあえずこのままだと、こっちに出てくるからな。ソータ、あの裂け目は塞げるんだろ?」
ゴヤの問いに、俺は少し考え込む。
「どうかなー……。ゲートと似てるけど、ちょっと違うんだよね。空間魔法で何とか出来ると思うけど、やってみなきゃ分かんないな」
「そうか。どちらにしても攻め込むけどな。転移だけお願いできるか?」
ゴヤたちは転移魔法が使えたはず。それなのに……。あ、十万の猟犬か。
「ああ、了解した。おーい、出来るだけ集まってくれー。転移先でバラバラにならないようにしないと、孤立するかもしれないからなー」
大声で叫んで、ゴブリンの精鋭部隊、スクー・グスロー、猟犬を集める。
しばらくして点呼も終わり、俺たちは冥界へと転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
冥界に到着して空を見上げる。そこには切り取られたような裂け目があって、冥界ではない異世界の青い空が見えていた。塞がる様子は無い。
いったんこれを先に閉じよう。そう思ってゲート魔法を使用する。……反応無し。やはり別の方法でこじ開けた空間という感触がする。
ならばと、空間魔法を使ってみると、冥界の空に何もなかったように裂け目が閉じてしまった。よしよし。これで強いデーモンがお手軽に異世界へ侵入することは出来なくなった。
改めて、冥界の街並みを見渡す。
あの極太雷は、この街にとてつもない破壊をもたらしていた。強い電流が流れたことで、街の各所で大きな火事や爆発が起きている。そこは魔石や冥導結晶の保管庫である可能性が大きい。それに、感電死したデーモンがそこら中で黒い水たまりと化している。
『ゴヤ、この街はもう、生き残りのデーモンはいないかも』
すぐ隣にゴヤはいる。しかし念話を使っておく。ゴブリンの精鋭部隊やスクー・グスロー、それに猟犬にも伝えるためだ。
デーモンが蘇らないように、ヒュギエイアの水を生成。明るくなってきた冥界の空に打ち上げる。こっちの世界も朝だ。しかしながら、空気が濁っていて光もぼやけている。青い空なんてなくて、鉄サビのような赤茶色をしている。
気が滅入る光景だ。
打ち上げたヒュギエイアの水が破裂し、ざっと雨が降り出す。雨粒が落ちると粉塵が舞う。それくらい乾燥していた。
『ソータ、この街は二百年ほど前からあるのは知っているか?』
ゴヤから唐突に念話が届く。隣にいるのに。彼もまた、自身の兵に伝えておきたいのかもしれない。
『冥界のこの街がってこと?』
『そうだ』
『それは知らなかった。地上の帝都エルベルトが、二百年前から乗っ取られているって事と関係あるのかな?』
『ある。冥界はな、ワシらの世界の鏡とも呼ばれているからな』
『鏡?』
俺の問いに、ゴヤは深く頷いた。
『そうだ。ワシらの世界がデーモンの支配地域になると、冥界に同じものが出来る。森や側も同じだが、生育できなくて枯れてしまう。しかし石造りの街は、こうして残る』
『ほーん。まったく理解不能だ。けど実際に起こってる現象なんだよね』
獣人自治区の冥界は、確かに同じような街並みだった。多世界解釈で片がつく話だ。
『ああ。それでな、ここから一番近い街、街でなくてもニンゲンが住める場所といえばどこだ?』
ゴヤの質問に、俺は少し考えてから答えた。
『一番近いのはアメリカ軍基地。次はここから東。冒険者ギルド世界本部のある、エルベの街だよね』
『そうだ。地上のアメリカ軍基地がデーモンに落とされてしまうと、冥界にアメリカ軍基地が出来上がる。そこは当然、ロボット兵などの兵器も使用されてしまう結果になる』
ゴヤの言葉に、俺は愕然とした。
『え、ちょっと待って。そっくりになるのは、街とか森や川だけじゃないの?』
『いや、ニンゲンが作った家は、中まで同じ作りになる。それも精巧に』
ああ、ヤバい情報だ。アメリカ軍基地には、新型のステルス爆撃機があった。どんな武装してるのか知らないけど、最低でも核を積んでいる。
デーモンは動かすことが出来ないと思うけど、賢いやつもいる。さっきの黒線を放つデーモンは倒した。そのあと見てないから、しばらくは出てこないと思うけど……。アメリカ軍基地がデーモンの支配地域になるとヤバいな。
そんなことを考えながらも、辺りに雨音しかしないことに異変を感じる。そういえばと、全員に聞こえるように念話を飛ばした。
『ラコーダと、デボン・ウィラー大佐とダーラ・ダーソン少尉、三人の姿が見当たらない。あの程度の落雷でやられる玉じゃないからさ』
俺の言葉を受けてゴヤが忠告する。
『全軍そのまま待機、周囲の警戒を怠るな』
――――ズドン
ここから西へおよそ一キロメートル、猟犬たちの張った障壁に、黒線が命中した。
夢幻泡影結晶が動力源に切り替わっているので、猟犬たちの障壁はびくともしていない。黒線が次々と飛んできているが、たった一枚の障壁で耐えている。それどころか、他の猟犬が前に出て、泡パーティーの泡のようなものをぶちまけていく。
泡パ本来のものであれば、噴き上がって観客に降りそそぐ程度。しかしこれは魔法だ。ふんわりではなく、勢いよく飛んでいった。そこにデーモンがいるのかどうか、山なりになっていて視認できない。
クロノスの声がする。
『夢幻泡影を使用した魔法、泡影幻想を感知。解析します……。改良と最適化が完了。これ以降ソータにも使えます』
『さんきゅ。てか、あの泡どんな効果があるの?』
『泡の中に敵を映し出し、泡が消えると同時に敵も消えます』
『はあ? いよいよ魔法が理解出来なくなってきたな。夢幻泡影魔法って十五番目の素粒子だっけ……』
『魔法ですから、感覚で使えますよ。……ソータなら』
『うん、まあいいや。いつもありがとね』
『どういたしまして~』
魔法について考察をやっている暇はない。猟犬たちは障壁を張りながら、西へ進んでゆく。デーモン発する黒線は完全に封じられている。その隙を見て、猟犬たちの泡が飛んでいく。
黒線の数は見る見るうちに減っていき、いつの間にか飛んでこなくなった。
どうやら黒線を飛ばしていたデーモンが全滅したようだ。
何も言わないゴヤをチラ見すると、目を閉じて眉間にしわを寄せていた。
ふむ……。俺たちとの念話と、別チャンネルかな。ゴヤは猟犬に指示を出しているようだ。ゴヤを中心に、ゴブリン兵が隊列を変えてゆく。スクー・グスローは、数十体ずつゴブリン兵の背のうへ乗っていく。
『ソータ……。西といえばアメリカ軍基地なんだが』
ゴヤの声に、俺は我に返る。
『うっわ、そうだった。ちょっと確認取ってみる』
たった今、冥界の仕組みを説明されたのに。
慌ててアメリカ軍の通信チャンネルで問いかける。
『ソータ・イタガキです。ウォルター・ビショップ准将いますか?』
『お前また通信をハッキングしたのか!』
准将の声には怒りと諦めが混ざっていた。
『ああ、いや、そうです。いや、そうでなくて!』
『はあ~。何だ。落ち着いて話せ』
『あ、あれ? そっちにデーモン行ってません?』
『来てないぞ。その前に、お前が張っていった障壁をなんとかしろ。出入りできなくて困っている』
そういえば、蒼天障壁を百枚重ねで張りっぱなしだった。あの強度ならラコーダクラスのデーモンでなければ破れまい。
つまりアメリカ軍基地は安全だ。
『ああっと、すみません。勘違いしてました!!』
『おいっ! 何が起きている!』
『また今度説明しまーす。今忙しいんで――』
通信を切った。さっと情報を整理しよう。
この場所は冥界で、帝都エルベルトとそっくりな鏡の街。実際にデーモンが住んでいた。
デーモンの支配する異世界の地は、冥界に同じものが出来る。それは森や川に街と多彩である。
ここから西にあるアメリカ軍基地が陥落していなければ、もっと西からデーモンが来ていることになる。
それは、フォルティスやシュヴァルツの街。更に西へ行けば王都ランダルがある。三つの街は一時的にとはいえ、デーモンに支配された。
つまり冥界の帝都エルベルトより西には、フォルティス、シュヴァルツ、王都ランダル、三つの街にそっくりなデーモンの街が出来上がっているという事になる。
考えていると、黒線の攻撃が再開された。猟犬たちは障壁を張ってしのいでいるが、さっきより数が多い。泡影幻想で反撃する間もなく、そこに留まっていた。
すると北西と南西からも黒線が飛んできた。猟犬は素早く障壁を張って耐える。
明らかに数が多くなっている。
仮にアメリカ軍基地がデーモンに支配されていたとしても、この数は合わない。
敢えて念話を使わず、ゴヤに話しかける。
「ゴヤ、ちょっといいか?」
「なんだ」
ゴヤの声には緊張が滲んでいた。
「西から来てるデーモンは、数百万に達する恐れがある。スタイン王国はデモネクトスで汚染されていたから、そこから来る可能性があるんだ」
「ほう……。楽しみだな」
ゴヤの目が輝いた。戦いへの渇望が見て取れる。
「いや、撤退しねえのかって話なんだけど?」
「する訳がないだろ」
俺を見つめるゴヤは、歯をむき出しにして笑って見せた。その表情には、戦いへの熱意と、何かを証明したいという決意が混ざっていた。




