297 十八の魔素
|ウォルター・ビショップ准将は、俺の顔をじっと見つめ「何が悪いのか」と問いかけるかのような表情を浮かべている。
「彼らから俺は、命令違反してでも帝都エルベルトへ向かいたいと聞いて、それを承諾しました。しかし俺は彼らを助けることができず、後悔しています」
「だから、済まないと言っている。君に過失はないし、咎められることもない」
「そういう事じゃないんです。ではビショップ准将、あなたはこう言いたいんですか? テラパーツの四人は、志願して帝都エルベルトについてきた。だから彼らは死んでも文句は言えないと」
「軍とはそういうものだ」
「……」
言葉が喉に詰まる。亡くなった四人に対して、適切な言葉を紡ぎ出せない自分がいた。
それと同時に、特別な感情を抱いていない自分がいることに気づく。
鳥垣紀彦。彼が亡くなったときも、同じ感覚を覚えた。俺は人間としての感情を失っている。ただ冷徹に、亡き彼らに対する申し訳なさを、ロジカルに導き出しているだけで。
横に座るヨアヴ大尉とゴヤの視線をひしひしと感じる。彼らはなぜ、俺の顔をじっと見つめるのだろう。
「ソータ・イタガキ、君の心情は理解するが、これが軍の厳しい現実だ。命令に従い、遂行に失敗すれば死が待つ。この現実を受け止め、涙を止めてほしい……」
ウォルター・ビショップ准将の言葉によって、ようやく自分の涙で視界がぼやけていることに気付く。鼻水まで流れ出し、情けない姿をさらしていた。
その事実に気が付いた瞬間、堰を切ったように感情が溢れ出した。悲しみ、怒り、苦悩、切なさ、絶望感、そして虚無感が渦を巻き、身体が石のように硬直し、声帯が凍りついたかのように声が出なくなる。
「ソータ! しっかりしろ!」
耳元で響くゴヤの大声。彼が肩を掴んで強く揺さぶる。その声によって、ようやく現実に引き戻された。
「すまない……」
ゴヤの声が、混沌とした感情の渦から俺を引き上げる。泣いている場合じゃない。そう、自分に言い聞かせる。
「ソータ・イタガキ……」
隣からヨアヴ大尉の声がする。
「俺からも謝らせてほしい。軍を抜け出して帝都エルベルトへ向かうなんてウソをついてしまって……。ただ、デボン大佐の下でテラパーツが動いていたのは事実だ。その結果ああなっただけで、気に病む必要は無い」
ヨアヴ大尉の言葉は真摯なものだった。心からの謝罪を受け取り、彼と握手をする。
俺はローテーブルの上にあるティッシュで鼻をかみ、前を向く。そこにはじっと俺を見つめるウォルター・ビショップ准将がいた。彼は何か言いたげな表情をしているが、口を開かない。
両手でほっぺを叩き、気合を入れ直す。
「ビショップ准将、あなたは実在する死神に加入しましたね。でないと今回の作戦を認可する訳が無い。ここに残っているのも、根拠のひとつです」
「……」
俺の問いにウォルター・ビショップ准将は無言を返す。
少し目が泳いだので、おそらく図星。隣のヨアヴ大尉は知っていたのだろう。驚いていないのだから。
「無言は是と受け取ります。では、ビショップ准将、あなたはどの派閥に属しているんですか?」
俺は眉をひそめ、わざと思案するような仕草を見せる。
「アメリカといえば、バンパイア物のエンタメ作品の宝庫ですよね。ひょっとして……真祖リリス・アップルビーの一派?」
「……違う」
「へぇ……。否定するって事は、どこかの派閥に属しているんですね。そういえば、俺の能力や正体を探るって作戦でしたね。ということは過激派の魔女マリア・フリーマン一派ですか?」
「……それはアメリカの敵対組織だ」
「ということは、魔女シビル・ゴードンの派閥という事ですね……」
「そうだ。もうこれくらいでいいだろう。あまり話させるな」
「ではもうひとつだけ。今回の俺を探るという作戦はシビル・ゴードンの発案ですか?」
「彼女にソータ・イタガキのことを聞いても何も言わないからな。発案したのはダーラ・ダーソン少尉で、私が認可した」
「正直に話していただいて感謝します」
実在する死神の関与は無し。今回は完全にアメリカ軍の作戦だと分かった。
なんだかんだでウォルター・ビショップ准将は、自身が実在する死神の一員だと明かした。いつからなのかは分からないが、そこは重要で無い。
重要なのは、彼がどこまで知っていて、どこまで関与しようとしているかだ。
とりあえず、実在する死神が三つの派閥に分れていることは知っていた。ニューロンドンで大々的に発表されたからな。知ってて当たり前だろう。
ただし、デボン・ウィラー大佐が、ハッグの幹部で、千年以上生きていること。蒼天術術という、高難易度の術使いであること。レブラン十二柱の序列一位、ラコーダとタメを張る実力者であること。この辺りを知っているのか気になる。
「そろそろいいかね? 君たち三人を呼んだのは、話さなければならないことがあるんだが」
ビショップ准将の疲れた声が聞こえてきた。そう言えばそうだ。ここは俺が問い詰める場では無かった。
俺たち三人が頷くと、ビショップ准将は話し始めた。
――――もう一度冥界へ行ってくれと。
その理由は、デボン・ウィラー大佐とダーラ・ダーソン少尉の援護、および冥界と異世界を繋ぐ裂け目の修復。
ビショップ准将が卓上のパソコンを叩くと、壁が上がっていく。そこには大画面モニターがあって、細かく分割された画像が写っていた。
「見て分かると思うが、これは帝都エルベルト。無音ドローンを使ってリアルタイムで撮影中だ」
二十分割されたモニターに、巨大なドームに囲まれた帝都エルベルトが映し出されている。冥導障壁は未だ健在。それに、大きな地割れもそのままの状態で残っている。
前と違うのは、地割れからデーモンが出てきていること。帝都エルベルトのニンゲンの姿をしたデーモンではなく、灰色のデーモンだ。こちら側にいたデーモンは、デモネクトスを飲み、ホムンクルスに憑いていた。そのため、そとに冥導や魔力が漏れていなかった。
しかし冥界から現われている灰色のデーモンは、モニター越しからも分かるほど、濃い冥導が溢れている。
俺たちは一時だが、あの地割れから冥界へ落ちていた。障壁に入ったまま民家へ激突し、中にいたデーモンを殺した。あのデーモンたちはニンゲンを食べていたため、咄嗟に滅ぼしてしまったが、特に強さを感じることは無かった。
それなのに、地割れから出てくるデーモンは格の違う強さを感じる。
これは拙い。
そう考えているとゴヤが口を開いた。
「あの高さを飛べる、強いデーモンが出てきているな。ビショップ准将、この画像を食堂のゴブリンとスクー・グスローに見せることはできるか?」
「やはり見せた方がいいか。戦意喪失するかと思って三人だけ呼んだんだが……」
なるほどね。それで三人だったのか。
「ベナマオ大森林のゴブリンを舐めないでほしい。さっさと食堂の奴らに見せろ」
躊躇するビショップ准将に、ゴヤは少し苛立って促した。
食堂各所に備え付けられたモニターが、帝都エルベルトの様子が映し出す。突然ではあったが、ゴブリン兵たちと、お片付けの手伝いをしていたスクー・グスローたちがモニターに注目する。
彼らはしばらく食い入るようにモニターを見つめ、喜びの声を上げた。いや、音は聞こえないので、その表情や仕草から察しただけだが。
ゴヤを見ると「ほらね」と誇らしげ表情をしている。
ゴヤは、チャンスとばかりに畳みかける。
「ビショップ准将、この画面は帝都エルベルトの北方を映すことは出来るか?」
「北方? ベナマオ大森林の方か」
「そうだ」
そう聞いてビショップ准将がドローンを操作する。あまり慣れて無さそうなのは、いつも使っているのは別の人物だからだろう。准将って高官だからな。
モニターのひとつの画面が、たどたどしい動きで北へ飛んでゆく。平原を抜けてしばらくするとベナマオ大森林が見えてきた。
「あっ!?」
「あっ!!」
ビショップ准将とゴヤが、ふたり同時に声を上げた。
画像が消えてしまった。
しかし、一瞬だけど画面が真っ赤に染まった。
「ビショップ准将、すまない。アメリカのドローンを敵判定したようだ」
「敵判定? 何が起きたのだ今のは……」
ビショップ准将の声には困惑が滲んでいる。ゴヤは、どこか楽しんでいるような表情を浮かべながら説明を始めた。
「さてね……。ワシらは以前、メタルハウンドなる敵に襲われ、里が壊滅した。アメリカ軍はその賠償をやると言ってきただろう?」
「うぐっ……たしかにそうだが、今の映像と何か関係があるのか?」
「ほれ、そこに立っているヒューマノイドや、ロボット兵。ワシらのゴーレムとそっくりなんだよ。ワシらは里を壊滅させられたあと、必死に復興してきた。そのときメタルハウンドの部品をたくさん見つけてな……、ゴーレムとして作り直し、大量生産に成功した」
ガーン、と文字が見えそうなくらい驚いているビショップ准将。日本でも六本脚のリバースエンジニアリングやってたくらいだし、ゴブリンたちも同じようにやっていたのだ。ビショップ准将はモゴモゴしているが口を開かない。一度は敵対して謝罪と賠償をやっているくらいだ。ここで文句を言ってはこじれると思ったのだろう。
「お前たちのドローンを味方判定するように変更した。もう一度見るか?」
ゴヤの声にビショップ准将は苦々しい顔で頷く。そして次のドローンが映し出した映像には、ベナマオ大森林に潜む見わたす限りの赤い光点だった。それはアピールだったのだろう。画像はすぐに暗い森へと変わった。
「……この短期間で、これだけのものが作れたというのか。しかし、時間的に考えると、たいした性能では無いだろう?」
「性能はメタルハウンドより上だ。ワシらのゴーレムは、地球人のロボットより昔からある。あんなに複雑な構造にしなくても、魔法陣で制御できるからな」
がっくりと肩を落とすビショップ准将。そこにゴヤが声をかけた。
「ベナマオ大森林に、猟犬を十万体待機させている。再びワシらが冥界へ行くのなら、今回はあれを連れていく。秘密裏に行動が出来なさそうだからな……」
別の画面には、地割れからどんどん出てくるデーモンが映っている。冥導障壁のおかげで、神々に悟られずに。帝都エルベルトはわりと広い。放っておけば、とんでもない数のデーモンになりそうだ。
俺はゴヤに問いかける。
「猟犬でいけそう?」
「あれくらいのデーモンならいける」
自信ありげだ。ゴブリン語に切り替えて、もう一度ゴヤに話しかける。
「猟犬の強化する?」
「お、付与出来るんだったな。頼む!」
「実はさ、魔力の上の魔法や魔術があるって分かってさ――」
「お、十八の魔素のことか?」
「あれ? ゴヤ知ってるの?」
「知ってるも何も、ワシは十五まで使えるからな? 魔素が足りなくて使える魔法は限られているが」
「えぇ……、マジで?」
俺が覚えたのは九番目の時間誤謬魔法と時術までだ。それより上を知っているのなら、あの強さも頷ける。
「ソータはいくつまで使えるようになったんだ? お前のことだ、十八番目まで全て使えるんじゃないか? ああ? いや、お前さっき死にかけたな」
「ついさっき、九番目まで使えるようになった。それまでは五番目の蒼天魔法までだったよ」
そう言うとゴヤは天を仰いだ。
「ワシらは古い妖精族でな、綿々と受け継がれてきた法と術がある。お前、見れば理解出来るんだろ」
「あ、ああ。何で知ってんだ?」
「たった今、自分で言ったじゃないか。ついさっき九番目が使えるようになったって。五番目から九番目まで一気に使えるようになるなんてあり得ねえからな。おおかたラコーダが使った魔法で覚えたんだろ?」
「あ、ああ、そういうことか……」
「お前、たまに脇が甘いから気を付けろよ? それと、十番目から十五番目まで見せてやる。ヒュギエイアの水で世話になってるしな」
そう言ったゴヤは、次々と指先に炎を灯していった。その数六回。ゴヤは息を荒くし汗だくになり、ヒュギエイアの水を取りだして一気にあおった。それだけ使用条件が厳しいのか、それともゴヤの素粒子の保有量が少ないのか。
『新たな素粒子、空界魔法、心海流転、運命織機、虚空蜃気楼、鏡界反映、夢幻泡影、合計六つをマルチタスクで解析します。……解析と最適化が完了しました。これ以降、ソータは、六つの素粒子を使った魔法が使えます』
『さんきゅー』
『少々お待ちください……空術、心海術、運命術、虚空術、鏡界術、夢幻術、六つの術も使用可能です』
『おおっ、助かる……んだけど、使えないよね~』
『特訓しましょ!』
『いや、そんな時間――』
『時間止めましょ!!』
『……うーん、また今度ね』
『ぶうっ!』
そう言われましても……。
ふむ。しかし、もう訳が分からんな。神威、冥導、闇脈、蒼天辺りまでは、何に関係するのか理解していたが、一気に増えすぎだ。
これまでは、神々、デーモン、バンパイア、神々を構成する素粒子と、何となく推測できてきたが。
しかし、細かく調べている時間的な余裕はない。俺は最終的な着地点、人類を安全に移住させるという目的を優先する。
「どうだ?」
ヒュギエイアの水で回復したゴヤから声がかかる。
「ああ、使えるようになったよ。ありがとね」
「まあいいってことよ。これが終わったら、また一献かたむけ――」
「あーゴヤ、それ以上言うな」
ダメダメ。縁起でも無い事言うなって。
「知らない言語でいつまで話をしているんだ……?」
ウォルター・ビショップ准将の声で、俺とゴヤは我に返った。
「ちょっと作戦を話してたんですよ」
とりあえず誤魔化しておく。するとゴヤが話し始めた。
「ワシとソータは、いったんベナマオ大森林へ行く。そのあと帝都エルベルトへ攻め込む。ヨアヴ大尉は留守番だ。コッソリついてきても、見捨てるからな」
あれ? そんな話したっけ? でもまあ、猟犬の強化しなきゃいけないし、ついでにと言っちゃ悪いけど、ゴヤたちも強化しよう。
ビショップ准将はゴヤの言葉に、やや押され気味である。
「あ、ああ、そうか……」
それを見たゴヤはたたみかけた。
「ビショップ准将、あんたが言ったんだろ? ワシらに、もう一度冥界へ行ってくれと。デボン大佐とダーソン少尉の援護、および冥界と異世界を繋ぐ裂け目の修復。それに加え、帝都エルベルトに溢れているデーモンの討伐。だろ?」
こうして俺とゴヤたち、それにスクー・グスローが、再び帝都エルベルトへ向かうことになった。




