293 デーモンは絶対悪なり
帝都エルベルトから逃げ出すため、ゴヤたちは全力で走っていた。深夜であるが、街のデーモンは活動しており、背後から迫るデーモンの気配がある。怪我を負ったゴヤは、先ほどソータにヒュギエイアの水をかけられ、救われたばかりだ。怪我が癒え、魔力も回復したが、彼らはなぜか反撃せずに逃げ続けていた。
「うわっ!」
ゴツゴツとした凹凸のある石畳につまずき、ヨアヴ・エデルマン大尉がつんのめった。体勢を立て直そうとするが、それも虚しく、彼は石畳に転がった。
「大尉っ!?」
リサ・キンバリー中尉が慌てて彼を抱き起こす。ヨアヴは石畳に顔を打ち付け、出血していた。この光景を目の当たりにしたテラパーツの他の三人も足を止める。少し先で、実在する死神のふたりとゴヤも立ち止まった。
「ワシらは魔法もスキルも封じられている! その程度の傷で遅れるなら、我々は皆殺しになるぞ!」
ゴヤは一喝した。彼らが反撃せずに逃げているのは、反撃が不可能になっているからだった。
ヨアヴは飛び上がるように起き上がり、駆け出す。手を貸してくれたリサに目配せをして、礼を伝えた。それ以上話す余裕などない。追いかけてくるデーモンの気配と足音は、どんどん距離が縮まっているのだから。
ニンゲンとしての能力だけで走りながら、ゴヤは疑問を抱いていた。
なぜ魔法とスキルが使えなくなったのか。
魔力を封じる魔封陣。能封殺魔法陣、魔封殺魔法陣、スキル〝能封殺〟と〝魔封殺〟。これらは非常に高度な魔法陣とスキルであり、木っ端デーモンが使える代物ではない。
「おいっ! お前たちの魔術とスキルは、まだ使えないままか?」
ゴヤは振り向かずに声をかける。
すぐ背後のアメリカ兵七名から「使えない」と返ってきた。彼らはソータが創りだした剣を持っているが、それで戦うことも出来ないだろう。ゴヤは気づいているのだ。ソータは彼らに何らかのスキルを付与していることに。その証拠に、彼ら七名の動きが極端に悪くなっている。
ゴヤは舌打ちしながら魔導バッグを開き、星界切断者、閃光発音筒、催涙手榴弾を取りだした。
「ワシら全員、魔法や魔術、それにスキルまで封じられていることは分かった。だが、手がない訳ではない。これから閃光発音筒、催涙手榴弾を渡す。こいつで反撃するぞ」
ゴヤは彼らの返事を待たずに、閃光発音筒と催涙手榴弾を投げ渡していく。その形は、アメリカ兵たちの知る物とほぼ変わらない。それに驚きつつも、操作法はすぐに理解できたようだ。
そしてゴヤは立ち止まった。
「うおぃ!? 逃げないのかよ?」
地面を滑りながら立ち止まったヨアヴ。彼はゴヤに抗議する。他の六人も同じく立ち止まった。そして全員の手には閃光発音筒と催涙手榴弾があった。
「このままじゃやられる。反撃するんだよ。それと注意事項がひとつ。いま渡したものを使って、デーモンを近づけるな。ワシが剣で切り捌く」
ゴヤはすでにゴーグルをつけ、星界切断者を抜いている。
「ちょ、それどういう意味――」
灰色のデーモンたちは追い付きつつあった。ゴヤはヨアヴの問い掛けに応じず、振り返りながら星界切断者を横一文字に薙いだ。
――――キイイィィィィィ
金属と金属がこすれるような音を立て、路上の空間に裂け目が広がってゆく。デーモンたちはその異変に気づいたが、裂けた空間は彼らの目の前だった。
全力で駆けていたデーモンは立ち止まることができず、次々とその裂け目に吸い込まれてゆく。
「今のは何度もできる技じゃない。閃光発音筒と催涙手榴弾を投げまくれっ!!」
星界切断者の威力に気を取られていたアメリカ兵たちが再起動する。
「これならいける!」
走り続けてくたびれた顔のヨアヴから、元気のいい声が発せられた。
そこからは一方的な展開となった。
空間の裂け目は、デーモンどころか、石畳までめくれ上がって吸い込んでゆく。閃光発音筒と催涙手榴弾で、まともに動けなくなったデーモンたちは、瞬く間に全滅した。
しばらくののち、彼ら八人以外、そこに立っている者はいなくなった。
「今のうちに飲め」
ゴヤは魔導バッグからヒュギエイアの水の入った小瓶を取りだし、アメリカ兵に渡していく。
彼らは瓦礫に隠れながら、次々とヒュギエイアの水を飲み干していった。
回復したヨアヴが問いかける。
「なあ、じいさん。俺たちは何で、魔術もスキルも使えなくなってんだ?」
「ワシらはいま、デーモンの力で魔法や魔術が封じられている。お前たちのスキルも同じだ……」
ラコーダのスキル〝能封殺〟と〝魔封殺〟によって。
「けど、お手上げって訳じゃないんだろ?」
ヨアヴはそう言いながら、閃光発音筒と催涙手榴弾を見つめる。地球の物とそっくりで、使い心地もそう変わらない。当然だ。ゴヤは地球の兵器を参考に、ゴブリンの里で造ったのだから。それは、メタルハウンドが攻めてきたとき、回収したものである。
「反撃できるのはワシの剣だけだ。その音と閃光、唐辛子だけでは、対処できる訳がない。ついさっきの話だろ? ワシらは魔法とスキルを封じられ、剣で刺された。逃げるが勝ちだ」
「……そりゃそうだけど。まあ、ソータがヒュギエイアの水をぶっ掛けるまで、その存在を忘れるくらい焦ってたことは認める。しかし――」
「しかしじゃないんだよ。ワシは以前、ベナマオ大森林でメタルハウンドと戦ったことがある。その時のアメリカ軍には、魔法の魔の字もなかったぞ。火薬を使った実弾兵器。それに慣れたおまえたちは、この世界でやっていけると勘違いしているだけだ」
「いーや、違うね。俺たちはテラパーツ。そっちの二人は、……たぶん魔術結社実在する死神、だよな」
ヨアヴはここまで同行した中で、デボン大佐とダーラ少尉が実在する死神だと確信していたようだ。テラパーツはアメリカ軍に属する魔術を操る組織。デボンとダーラの魔力の動きなどで推測を立て、カマを掛けたのだ。
「……ああそうだ」
デボンは両手を上げておどけた表情をする。ダーラはデボンの後ろで腰を落とし、ナイフを構えた。
「内輪もめは戻ってからやれ。どっちにしても撤退だ……。念話も使えない状態では、ワシの本隊とも連絡が取れないしな……」
ゴヤが出した結論に、アメリカ兵たちは従わざるを得なかった。現状彼らに武器が無いことは事実なのだから。それを見てゴヤは指示を出す。
「あそこを目指す」
ゴヤが指し示した場所は、建物がパウダー状に崩れ落ちている場所だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ゴヤ率いるゴブリンの精鋭部隊。彼らはリーダーのゴヤを欠いてもなお、作戦を推し進めるだけの能力があった。
彼らに課せられた作戦は陽動。
族長ゴヤ、それに盟友ソータ。彼らが動きやすいようにできるだけ派手に暴れ回っていた。
帝都エルベルトの建物はほぼ石造り。それでもスクー・グスローたちの念話攻撃の前に太刀打ちすることは敵わなかった。
指向性を持った念話が放射状に広がり、デーモンも建物も全てパウダー状に変えてゆく。
派手に敵対行動を取っているが故に、ゴブリンの部隊は集中砲火に晒されている。
それを行なうは、帝都エルベルトを守る衛兵たち。とはいえ彼らはニンゲンではなく、ホムンクルスを纏いしデーモン。彼らは、冥導魔法で攻撃を仕掛けていた。
しかし彼らの冥導魔法は、いくばくかのスクー・グスローの念話攻撃によって、魔法自体が消されてしまう。そこへゴブリンたちが斬りかかってゆく。その剣捌きは達人の域に達しており、木っ端デーモンの敵う相手ではなかった。
スクー・グスローがふと動きを止める。
『あっれー? ごやじいじと念話が繋がらなくなったよー』
『スキル〝能封殺〟か能封殺魔法陣を使われたっぽいねー』
『あのでっかい気配が使ったのかなー?』
『あそこに近付かないようにしよー』
『そだねー』
相変わらず緩い会話をしながら、スクー・グスローたちが攻撃を始める。この辺りのデーモンは少々弱いのか、衛兵部隊も軽々と撃破されていた。
それからしばらくすると、ひとりのゴブリンが声を上げた。
「族長がこちらへ向かっている! デーモンに追われているから、部隊をふたつに分けて挟撃する!」
そのゴブリンは他のゴブリンと佇まいが違っている。屋根の上に立ち、気配は朧。そこに誰か居ると思って目を凝らさなければ見えないほど。有り体に言えば、忍者のような姿をしていた。
今回のゴヤの部隊は、四つに分かれている。戦士、魔法使い、影、斥候。声を発したのは影。
彼は屋根の上から指し示すと、ゴブリンとスクー・グスローたちは、ふたつに分かれて進み始めた。ひとつは真っ直ぐゴヤの方へ進み、ひとつは迂回していく。
正面から向かう部隊は、派手に街を破壊しながら進んでゆく。もうひとつの部隊は、音を立てず悟られないように迂回してゆく。
そして彼らゴブリンの部隊は、難なく族長と再会できた。
言葉はない。
ゴブリンの精鋭部隊は族長を取り囲み、周囲を警戒する。ついでのようにアメリカ兵七名も守られている。
遠くの方で、別働隊とデーモンが接敵したようだ。念話攻撃の音と同時に、砂の崩れ去るような音が聞こえてくる。
「すまん。助かったよ」
そこでようやく、ゴヤが口を開いた。
「何があったのでしょう……? 全員の魔力が感じられなくなっていますが」
堪えきれなかったのか、若いゴブリンが疑問を口にした。
「ああ、奴らに騙されたよ。あいつらは善人の振りをした、ただのデーモンだった――」
ゴヤは嫌な顔することなく、若いゴブリン兵に応じてゆく。
ゴヤを先頭に街を歩いていたところ、ヒト族の姿をしたデーモンから呼び止められたという。
その内容は「道に迷っている風だから案内してあげるよ」というもの。ゴヤは相手に警戒心を与えないように、その話を承諾したそうだ。飲み屋街から出店街と、ヒト族の振りをしたデーモンは機嫌良く案内していた。
そして彼らは、いこいの広場という噴水のある場所へ連れて行かれ、デーモンに取り囲まれた。
案内していたデーモンはゴヤに問う「なぜ身体から魔力が漏れ出ているのか」と。そのデーモンは笑顔で近付いてきて、ゴヤとスクー・グスロー、それにアメリカ兵の七名を交互に見ていく。
帝都エルベルトにて、魔力や冥導が漏れ出ているものはいない。それはこの街の人びとがデモネクトスを飲んでいるからだ。
しかしゴヤたちは、そんなもの飲んでいない。
ソータを含めゴヤたちは、デモネクトスを飲んでいなければ住人にバレてしまうと思い至っていなかったのだ。
これはソータにも責任の一端がある。彼は彼で、元から魔力の消費効率が百パーセント。外に魔力が漏れるような経験はしたことがないので、潜入前に気づいていなかった。
その時、街の真ん中の城が真っ赤に焼けて崩れ始めた。地震のような揺れと共に、噴水の底にヒビ割れができ、水が抜けていった。いこいの広場のデーモンは、それを見て侵入者の攻撃だと騒ぎ始める。
作戦が失敗に終わりそうだと悟ったゴヤは、そのときソータに念話を飛ばしていた。
その時だ。若いデーモンが、ゴヤに斬りかかってきた。ゴヤは当然ながら反撃しようとした。
だが、ゴヤのスキルは使えなかった。慌てて魔法を使おうとしたが、時すでに遅し。魔法を使う前に、ゴヤは腹を刺されてしまったのだ。
同行していたアメリカ兵の七名は、突然の出来事で動けなかった。
そこに現われたのが、レブラン十二柱のラコーダ。彼は皇帝レオナルド・ヴァレンティヌス・アルトンと名乗り、お前たちからなぜ魔力が漏れているのかと問いただしたそうだ。
「結局、ソータのヒュギエイアの水で助けられたんだが……」
ゴヤの声は低くて暗かった。それは、デーモンの邪悪さが身に染みて分かったからだろう。
話を聞き終わった若いゴブリンは怒りに打ち震える。拳を握りしめすぎたのか、両手が白くなっていた。
「つまり、ここのデーモンは善人の振りをしただけ。その辺にいるデーモンと何も変わらないってことですね」
「そう言うことだ。くれぐれも騙されるなよ……」
ゴヤの言葉に若いゴブリンが頷く。その瞳には怒りと共に決意がこもっていた。
『お話終わった~? 治すからそこに立って~』
スクー・グスローの念話だ。彼女たちが指差す石畳に何かの魔法陣が描いてある。非常に複雑でかつ緻密。それはまるで半導体のように、虹色の光を放っていた。スクー・グスローが石畳に彫った能封殺魔法陣と魔封殺魔法陣である。
これらは逆の効果もあるので、いまのゴヤたちなら、封じられた魔法とスキルが使えるようになる。
そんなにゆっくりもしていられないので、スクー・グスローたちは早くしろと促す。
とはいえ八人だけだ。
魔法陣の上をサッと歩き終え、ゴヤたち八人はスキル〝能封殺〟と〝魔封殺〟の解除を終えた。
『ソー君大変みたい。助けに行こー』
月夜の中空を羽ばたくスクー・グスローたちの念話が響く。辺りのデーモンは全て滅び、立っているのは彼らだけだ。
ゴブリンの精鋭部隊が千。
スクー・グスローが五千。
アメリカ兵七名。
ゴブリンの精鋭部隊の当初の目的はかく乱。これは成功裏に終わっている。しかし、ゴヤたちの目的である帝都エルベルトの冥導障壁の解除には到ってない。それどころか、ソータの安否も分からなくなっていた。
あご髭をなでながら迷うゴヤ。
「よし、かく乱作戦は中止だ。ワシらで冥導障壁を解除しに行こう。いこいの広場が怪しい。あの噴水のヒビの割れ方は、中が空洞でないとああはならない。近くにはソータとラコーダがいるはずだから注意して進もう。スクー・グスロー、さっきの能封殺魔法陣と魔封殺魔法陣を彫りながら進めるか?」
「進む速さが少し遅くなるけど、平気ー?」
「大丈夫だ。魔法とスキルが使えなくなる方が、より深刻な状態になるからな」
「わかったー! それとゴヤじいじー、仲間を呼んでもいいー? もう冥導障壁の外に来てるからー」
「スクー・グスローの援軍か。もちろんいいぞ! よーし。それじゃあ出発! アメリカ兵の七名は、ゴブリンの部隊で護衛しろ!」
ゴヤが指示を出し終えると、アメリカ兵の七名も動き始める。彼らは彼らで役に立ちたいと思っているようだが、やはり足を引っぱっていた。この世界の言葉を取得しているからと言って、この世界に慣れているという訳では無い。
「護衛って何だよ!? 俺たちも前を歩かせてくれ」
そう言ってヨアヴ大尉が前へ進み出ると、ゴブリンの兵士が行く先を塞ぐ。アメリカ兵の七名は、ゴブリンの精鋭部隊千名の真ん中を歩かされることになっていた。
行く先は分かっている。いこいの広場だ。アメリカ兵の七名は目配せをし、ゴブリンの部隊を離れていった。
そしてゴヤは、その事に気づいていなかった。




