289 払暁の闘い
日が昇る前の払暁。薄明かりの中、俺たちはアメリカ軍基地で整列していた。
そのメンツは、ゴヤ率いるゴブリン軍千名と、スクー・グスローの大群。アメリカ軍からは、テラパーツの五名と実在する死神の二名。もっとも、デボンとダーラは実在する死神にも所属しているが、彼らはそれを明かしていない。
それと、昨日コテンパンにやられたメタルハウンド、六本脚、ロボット兵たちだ。これら人工知能が操縦する機械は、昨晩のうちにアラスカから増援が届いている。
残念ながら航空戦力はなく、陸戦が中心となる。滑降路が出来上がってないので仕方がないか。ただ、夜中に聞こえた、ミサイルか何かの打ち上げ音。あれがなんなのかよく分からない。部屋の中からは見えなくて、音が遠ざかる頃にようやく光点が見えた。どこかを狙ったミサイルの軌道ではなく、とにかく天を目指して駆け上がっていった。
あまりいい予感はしないまま、俺はその後熟睡。いまに至る。
それとは別に気になっていたので、朝一番でまずハセさんにそっちがどうなっているのか連絡を取った。スタイン王国のシュヴァルツ、および国境を挟んだフォルティスの両都市の人々は、ほとんどが既に浮遊城ソウェイルへ避難を完了していてホッとした。そろそろ、浮遊城ソウェイルが浮かび上がるそうだ。一番はしゃいでいるのは子どもたちだそうだ。ロボット兵たちはもはやおもちゃになっていると聞いて、思わず笑みがこぼれそうになった。
あの人数を誘導するなんて俺には到底無理だ。ハセさんの卓越した能力が身に染みる。
浮遊城ソウェイルはハセさんが操縦するのかと尋ねたところ、そうだという回答が返ってきた。オルズに連絡を取り、操縦権限を与えてもらったそうだ。その連絡方法は、竜神オルズと連絡を取れる魔導通信機。浮遊城ソウェイルの管理を任されている管理者ゴーレムが持ってきたとのことだ。
空間拡張された巨大な空間には、インフラの整備された街があり、移住してきた人々は概ね満足しているようだ。
竜神オルズはまだ浮遊城ソウェイルには戻っておらず、現在も冥界に滞在しているらしい。
俺の仲間たちのほうは、スタイン王国を挟んで、ザックリ北と南に分れている。
スタイン王国の王都ランダル。この南方には海があり、そこにエルフのインビンシブル艦隊が展開している。もちろん生き残りのデーモンを逃さないために。だがしかし、スタイン王国の南方にある海岸線はあまりにも長い。いくら優秀なエルフの艦隊といえど、その広大な海岸線全てをカバーすることは出来ていなかった。泳いで渡ろうとするデーモンは、海の魔物に喰われているそうだ。たしか交易船の船員がデーモンだったという話もあったが、デーモン化すると勢力範囲を広げようとしている節がある。
スタイン王国の北方、前線の街マールアは、修道騎士団クインテットによって封鎖されている。そこから北へ進めば、サンルカル王国だからだ。ここは南方と比べて国境線が短いものの、東にベナマオ大森林があり、北東には先日落とされた獣人自治区がある。そこからほど無い場所には、奴隷の街エステパもあったはず。ベナマオ大森林の中にあるから、正確な場所は定かで無いけれど。デーモンがベナマオ大森林へ逃げ込めば一大事という事で神経を尖らせているみたいだ。
後詰めでファーギたちのバンダースナッチ、その後ろからドワーフのサイレンスシャドウ艦隊が続く。ここがメインだ。一気呵成に、スタイン王国を落とす。レオンハルト・フォン・スタイン国王には悪いけれど、デーモンを封じ込めなければ、この世界がデーモンだらけになってしまう。
すでに冥界とのゲートは開いているのだから。
スタイン王国の北と南に頑張ってほしいところだが、もっと心配な場所が二カ所ある。
西のオーステル公国と、東のアルトン帝国だ。
スタイン王国では洪水寸前になるまで、アンチデモネクトスの雨を降らせた。それでもデーモンはある程度は生き残っているはずだ。それらをスタイン王国へ封じ込めるために包囲網を敷いた。
だけど完全ではない。西のオーステル公国は、デーモンへの対処が遅れている。
それに加えて、東のアルトン帝国。シュヴァルツやフォルティスの近くに、竜神オルズが創った大河が流れているが、簡単に渡ってくるだろう。デーモンなら浮遊魔法を使える個体も多いはずだし。
ここで考えられる可能性。それは、アンチデモネクトスの雨を避けきった生き残りのデーモンたちが、東のアルトン帝国を目指し、一気に雪崩れ込んでくるというもの。
アメリカ軍基地からみると、西のスタイン王国、東の王都ランダル、ふたつに挟まれているので、挟撃を受ける可能性がある。ただしここは山岳地帯。地の利があるとはいえ、標的にならないことを祈ろう。
朝ぼらけのなか、整列したままぼんやりと考えていた。
アメリカ軍の七名が一番前。ついでゴブリンの部隊。最後尾には俺。しかし全身にスクー・グスローが引っ付いている。
メタルハウンドは格納庫で最終点検中である。後から追いかけるそうだ。
正面の壇上で、ジョン・エイブラムズ中将の話が、長々と続いている。仕方がない。帝都エルベルトを攻め落としに行くのは俺たち千名とちょっとしかいない。アメリカ軍の武器を使わない俺やゴヤたちゴブリンを心配して、非常に細かいところまで指示を出しているせいだ。
ゴヤたちゴブリンは、神威障壁を張れるようになっていた。スクー・グスローの念話攻撃は相変わらず破壊的なものだった。アメリカ軍の七人にはスキルを付与した。強くはなったけれど、まだまだだろう。
ただ、デボンとダーラから感じた違和感はまだ抜けない。朝になってようやく気づいた。アラスカで会ったときの弱い雰囲気ではない。どちらかというと強者のオーラを放っている。何か隠してそうな気がするんだよなあ。
東の空からとうとう朝日が見えてきた。
「……来たか」
ゆっくりと息を吐きながら呟く。デーモンの気配は察知済みで、どれくらいの戦力なのかだいたい把握している。
逆光のせいで、東の山々に黒い影が見える。太陽はまだ半分くらいしか顔を出していないが、直接見ると眼が潰れる。だから手をひさしにして眺めていると、南の森からもデーモンが姿を見せた。
東と南から俺たちを十字砲火するつもりか。
素人分析をしていると、西の山脈と南の丘の上からもデーモンが現われた。
最悪だ。西のスタイン王国、東のアルトン帝国、双方のデーモンが連携しているってことだ。
東西南北、俺たちは逃げ場を失う形で全方位囲まれた。そしてようやく、アメリカ軍基地の警報が鳴り響く。
「くそっ!!」
壇上のエイブラムズ中将が、マイクを叩きつける。まさかこんな早朝から攻めてくるとは思ってもみなかったのだろう。ゴブリンの兵たちやアメリカの兵たちがざわめく。基地の建物内でも、慌ただしく人の動く気配が感じられた。
「エイブラムズ中将、昨晩言ったとおりです。いったんゲートでアラスカへ避難してください。デーモンは地球の通常兵器で倒せる相手ではありません」
壇上のエイブラムズ中将へ話しかけるも、聞いてくれる素振りではない。この頭でっかちめ。これは昨晩から一貫している。どれだけ危険だと言っても、彼はアメリカ軍の強さを信じていた。それは良いことなのだろう。しかし昨日は、最大火力のトマホークで障壁を破れなかった。今のままだと、彼らアメリカ軍は確実にやられる。
俺だって、ただのほほんと基地にいた訳ではない。基地が谷間なので、周囲にアンチデモネクトスの雨を降らせてる。相当数のデーモンを倒すことができたはずだ。しかし全滅には至らなかった。デーモンは、どこかに隠れていた訳ではない。
やつらは、アンチデモネクトスの雨をかぶってもなお、生き延びたのだ。こんなに早く耐性がつくとは思ってなかった。つまりこれ以降、アンチデモネクトスの雨を降らせても、ほとんど効果が無い事になる。
前触れも無く、東の山頂から極太の黒線が飛来した。本来なら冥導を感じるはずだが……。
こりゃまずいな。あのデーモン、俺と同じように使用効率が百パーセントだ。
昨日の攻撃で堪忍袋の緒が切れたのか、デーモンたちは完全に俺たちを仕留めに来ている。そう思いながら黒線を板状障壁ではじき返す。空に向けてではなく、黒線を放ったデーモンに向けて。ついでに光魔法も追加して、灰色の太い線が山頂を吹き飛ばした。
目を覆わないといけないほどの閃光が見えて、先の尖った岩山が崩れていく。凍った氷が雪のように舞い、山頂の強風で吹き飛ばされていく。視覚ではすぐに見える光景も、百キロメートルも離れているのであと五分くらいしないと聞こえないはず。
「ソータ・イタガキ!! いったい何が起きた!!」
「デーモンの攻撃です。この世界に来ることができても、障壁一枚も張れないなら死に来たと同じ事ですよ? 生き残りたければ、意地も恥も捨てて逃げてください」
「ぐうううっ!!」
相当悔しそうにしているけど、事実だ。アメリカ軍基地は三十分せずに瓦礫と化すだろう。
いまは上手いこと障壁ではじき返しているけど、その数はどんどん増えている。
出来上がっている滑走路の上に、半径二百メートル、半円状のゲートを開く。その先にはアラスカの大きな滑走路と、貨物機が見えていた。このままじゃ進路妨害になるので、ゲートの向きを変える。
ニンゲンの兵士に混ざって、ロボット兵が見えている。俺たちが行ったときは隠していたのだろう。
俺はゲートをくぐり抜け、アラスカ方面から手招きをする。エイブラムズ中将、ビショップ准将、彼らに向かって。
ふたりとも憤怒の表情でゲートをくぐってきた。撤退を余儀なくされたことが納得いかないのだろう。あとに続くは残り少ないニンゲンの兵士や研究者たち。その後ろに四本脚、六本脚、ロボット兵が続いた。
ゲートが大きかったせいか、彼らの避難は速やかに行なわれた。その頃になると、ようやく周囲の山々から爆音が聞こえてきた。そのおかげで、彼らアメリカ軍の避難が早まった。
その間にも黒線での攻撃は続いている。射線でどこから攻撃しているのか一目瞭然なので、片っ端からはじき飛ばして反撃している。それでも黒線の数が減らない。デーモンの数は相当多そうだ。
最後のロボット兵をアラスカへ送り返し、俺はゲートを閉じた。これで一安心だ。
「おーい、ゴヤ。どう思う?」
「何だこのデーモンたち。今までにない大攻勢だ。西と東を突っついたのが良くなかったのだろう」
俺とゴヤ、ゴブリンの兵も特に慌てていない。兵たちはビシッと建ち並んだまま、身じろぎひとつしない。今回ばかりは、スクー・グスローたちはゴブリンの兵についている。彼女たちの音波攻撃は、なによりも強力だ。
ゴブリンとはいえ、軍というのは難儀だな、何て考えつつ、俺の意見を述べる。
「千人で東と南は守れるか? 多勢に無勢で圧倒的に不利だ。俺は西と北を守るつもりなんだが」
「ああ、大丈夫だ。こいつらデーモンは、最近ベナマオ大森林にまで出入りしてる。対処法は確立済みだ」
「とはいっても、アンチデモネクトスが効かない相手だ。気を付けろよ」
いったん基地を冥導障壁で覆う。すると全方位に陣取るデーモンから、動揺する気配が伝わってきた。と同時に黒線の攻撃がやむ。
ある程度大きな基地を全て冥導障壁で覆うなんて、並みのデーモンには出来ない。それこそ、取り逃がしたニャッツォクラスでなければ。
彼らデーモンはそれで勘違いしたのだ。ここに大物のデーモンがいると。
「これじゃ出れないだろ? ワシらが通れるように、穴を開けてくれ」
「おっけー」
ゴヤはまったく気負いしてない。それどころか獰猛な笑みを浮かべていた。ゴヤはゴブリンの軍を率いて冥導障壁を越えていく。挨拶などしない。また生きて会う自信があるのだ。
さーて。準備は整った。西から来るデーモン、つまりシュヴァルツやフォルティスで、浮遊城ソウェイルに収容出来なかったニンゲンのなれの果て。彼らはアンチデモネクトスの雨すらくぐり抜けてきた強敵である。気合を入れなければ、数で圧倒されてしまうだろう。
いったん冥導障壁を解除し、浮遊魔法で一気に空へ駆け上る。冥導障壁を張り直すと、またしてもデーモンから動揺する気配を感じた。そんな事でいちいち驚いていたら、大したことないデーモンだと思われてしまうぞ……。
――――ゴッ
「うごっ!?」
頭部に激痛が走る。頭蓋骨が陥没し、脳漿が飛び散り、頸骨は圧迫骨折。背骨はくの字に折れ曲がり、肺臓は破裂した。俺は地面へ向けて凄まじい勢いで落下していく。
――――嗚呼。即死級の不意打ちを食らった。しかし俺はニンゲンではないと感じる瞬間だ。
体内にヒュギエイアの水を生成し、瞬時に回復する。地面まであと十メートルくらいで浮遊魔法を使った。落下によるダメージは全身に及ぶからな。治すのに少し時間が掛かる。
空を見上げると、大きなハンマーを持ったデーモンが浮かんでいた。
「ニャッツォか……」
神殿の地下で取り逃がした巨大デーモンだ。俺に気づかずに接近するなんて……。いや、これは驕りだ。気を引き締めていかねば。
「はーっはっはっはっはっ!! お前洞窟にいた奴だな!!」
ニャッツォは身長十メートルほどの巨漢。浮遊魔法で宙に浮いているが、重さを感じさせない。軽やかな動きで俺に肉迫する。気づいたときには俺の顔をハンマーが捉えていた。
今度は顔面を粉砕された。わずかに反応できたので、打撃の力を逃したけれど、一般人ならもう二回は死んでいる。魔法やスキルを使う隙を与えないつもりだろう。
再度体内にヒュギエイアの水を生成して、回復させる。
するとニャッツォの表情が変わった。
「お前なんで死なない……?」
「さあ?」
簡単に種明かしするかよボケ。
なんて思っているうちに、ゴルフショットのようにハンマーで撃ち抜かれた。
こりゃ拙い。俺用の対策を立てて来ている。これまで隠していなかったから、と言うのもあるけれど、こうまで先手先手でやられると、じり貧だ。
もう一度ヒュギエイアの水を生成して回復し、冥導障壁を張る。
――――ゴッ
またハンマーで殴られた。俺の身体は障壁に叩きつけられ、実質ハンマーで殴られたのと同じダメージを食らう。しかし時間は稼げた。俺は今、特大ホームランのように空を舞っている。
今のうちにニャッツォの時間を止める。
「がはっ!?」
「愚か者め……。我らがひとりだとでも思ったか」
背中に強烈な打撃を受け、肺の空気を吐き出す。息を吸い込もうとした瞬間、俺の顔が水に包まれた。まん丸い水球だ。肺の中に空気はない。空気を吐き出す余裕はなく、その水を思いっきり吸い込んでしまった。
「油断、慢心、自惚れ、思い上がり、ニンゲンの汚いもの全て持っているわね、あなた……」
勝ち誇った表情で俺を見つめる女。初めて見る顔だが、その禍々しい雰囲気からデーモンには違いない。ニャッツォと共同戦線を張るくらいだから、レブラン十二柱のひとりかもしれない。
呑気にそんなことを考えながら、俺の意識はそこで途絶えた。




