287 ゴヤ
あそこはベナマオ大森林の最南端だ。ゴヤたちはなぜここへ来たのだろうか。ここは谷間の平地とはいえ、北側に向かってなだらかに降っている。大きな木はもっと先にあるのだが、ゴヤたちがいるのは低木が生えている場所。姿が丸見えの状態にある。
そんなことを考えながら、ビショップ准将のモニターを見ていると、基地内の兵たちが慌ただしく動き始めたのが見えた。
――――ズドン
突然、大きな音が鳴り響いた。どうやら基地内に設置された榴弾砲が兵たちによって発射されたらしい。
警告なしかよ……。ゴブリンもニンゲンなのに。
『おーい、ゴヤ』
『その声は、ソータか? ひさしぶりだな!』
念話で交わされるゴヤの声は、以前と変わらず元気そのものだった。
『ああ、ひさしぶり。というか、そっちに砲弾が飛んでってるけど平気なのか?』
『ああ、問題ない』
のんびりとした念話のやり取りを続けていると、榴弾が着弾した。しかし、予想された大爆発は起きず、榴弾はまるで小麦粉袋が破裂したかのように白い粉末へと変貌を遂げた。この驚くべき現象は、ゴヤたちと共にいるスクー・グスローたちの巧みな念話攻撃によるものだ。
『なあゴヤ、そこから見えるここは異世界の軍施設だって知ってるのか?』
『ゲホゲホッ。もちろんだ。アメリカ軍だろう?』
ゴヤたちは、真っ白な粉塵の中に消えてしまった。
『そうそう。てか何で攻撃されてるの?』
『前と同じだ。こいつらはワシらを魔物だと思って、里を攻撃してきたのだろう』
『ああ、やっぱりクソだな地球人は。そういえば、メタルハウンドの件、ちゃんと賠償するように言っておいたんだけど、もしかして何も進展ないのか?』
『いや、里を建て直すと使者が来たが、断った。そこにもある臭い匂いを吐き出す機械は、我らには耐えられん』
『……ああ、重機か。排ガスすごいもんな。んで交渉決裂して、敵対関係になってるってわけか?』
『いやいやまさか――』
ゴヤたちがここに来たのは、今回が初めてだという。アルトン帝国とは交渉はできないから、やめた方がいいと忠告しに来たそうだ。
残念ながら、すでに千五百名ものアメリカ軍人が亡くなっている。もうアメリカ軍は引くに引けない状態にある。そう伝えると、ゴヤは落胆して言葉を失った。
念話で話している間にも、榴弾がどんどん打ち込まれている。ゴヤたちのいる森が真っ白な粉塵まみれになって危険だ。火花ひとつで、粉塵爆発が起きかねない。
ゴヤにちょっと待つように伝え、巨大水球を飛ばす。もう何があるのか分からないくらい真っ白になっている。彼らの上空で水球を破裂させ、雨を降らせた。
一発じゃ足りなかったので、追加で百発くらい飛ばして、ようやく視界が晴れた。
「いったい何が起きているっ!?」
声を上げたのは、エイブラムズ中将だ。榴弾は爆発しないわ、目標付近が真っ白な粉まみれになるわ、でっかい水の球がてんこ盛り飛んでいくわと、彼にとっては理解不能な事態が起きたのだ。
しかし、ビショップ准将は驚いていない。それどころか、俺の方をじっと見つめていた。
説明した方がいいだろう。
「エイブラムズ中将、ちょっといいですか?」
「なんだ。忙しいんだが――――」
「北の森に現われたのは、魔物ではなくゴブリン。この世界ではれっきとしたニンゲンです。そして、以前アメリカ軍はメタルハウンドでゴブリンの里を襲撃しましたよね」
「なんだそれは? あんな醜悪な生き物がニンゲンだと? あり得ないだろう!」
「グダグダ言わず、即刻攻撃をやめろ」
「……なんだ、その言い方は。貴様はアメリカ軍に指示できる立場ではない!」
「――エイブラムズ中将、ちょっと待ってください!」
俺とエイブラムズ中将が口論になりかけると、慌ててビショップ准将が割って入った。
「何だ、ビショップ」
エイブラムズ中将は不機嫌な顔のまま、ビショップ准将へ向き直った。
「少し事情を説明しておいた方がいいと思いまして――」
そこからビショップ准将の説明が始まった。アメリカ軍はメタルハウンドの実験で、ゴブリンの里に攻撃を仕掛けたことがある。その結果、メタルハウンドは全滅。それとゴブリンの里を破壊したことで、アメリカは賠償することになっていると。
その話をエイブラムズ中将は知らなかったらしい。これはアメリカ軍の連絡ミスだ。
俺を含め、ここにいる三人は異世界に来て間も無い。一ヶ月早いか遅いかくらいの違いだが、基地にこもっていれば、ゴブリンがニンゲンだと分からないのも無理はない。かくいう俺も、ゴヤたちと初めて会ったとき敵だと思ったし。
ビショップ准将の説明は続く。この世界でニンゲンと呼ばれる存在について。彼はここまで詳しくなかったはずだが、巨大ゲートを開発したのはアラスカの基地だ。ある程度、異世界人との交流があるのかもしれない。
ミゼルファート帝国も日本政府と交渉していたはずだし。
説明を聞き終えたエイブラムズ中将は、ハッとする。ようやく気付いたようだ。ゴブリンもニンゲンと呼ばれる種族のひとつだと。
「攻撃をやめろ!」
エイブラムズ中将は、腕の端末で指示を出す。すると、ずっと続いていた砲撃の音がパタリと止まった。端末のモニターを覗き込むと、またしても真っ白な粉塵が舞っている。俺はため息をつきながら、再度水球を飛ばした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
歴史的な瞬間だ。そんな事を言って、基地内の記録係が総出で録画している。
彼らの構えるカメラの焦点は、基地の門をくぐって入ってくるゴヤ率いるゴブリン軍に向けられていた。約一千のゴブリン兵士たちは、以前と比べて明らかに魔力と身のこなしの洗練度が増している。彼らは相当な訓練を積んだに違いない。
「ひさしぶりだな、ソータ」
「おお? ゴヤ、いつの間に英語喋れるようになったんだ」
「日本国の役人に習った。ミゼルファート帝国から里に来たやつがいてな」
「へえ……。日本の役人ねぇ。ま、そりゃいいけど、元気で何より!」
「おうっ」
ガッシリと握手していると、そこにエイブラムズ中将がやって来た。
「先ほどは申し訳なかった。被害はこちらで保証する。よければ場所を移して話さないか」
「こちらに被害はない……。ワシは西の族長ゴヤ」
「特殊作戦師団ブラックオペレーションズの司令官、ジョン・エイブラムズだ」
「私は第二十八特殊戦術飛行隊の司令官、ウォルター・ビショップ」
ゴヤは基地のお偉いさん二人と握手をして、建物内へと消えていった。録画している記録班も、あとをついて行く。
ゴヤが護衛を付けていないのは、単騎でやられる心配がないからだ。ゴブリンの部隊は整列して、敷地内で待機していた。もう夕方だ。ここはスタイン王国から随分東にあるので、ようやく日が暮れる。
空は青とオレンジの間の色へ変わっていた。やがて美しい夕焼けに変わるだろう。
なんて黄昏れていると、スクー・グスローたちが、全方位念話を発して飛んできた。
『ソー君!!』
返事をする間もなく、俺は彼女たちに取り付かれた。手のひらサイズの精霊たちなので、俺の身体の表面にびっしりくっ付いている。
「……みんな驚いてるから離れてくれ」
『いーや!』
彼女たちは純真無垢で、子どものような振る舞いをする。それはいいんだけど、ここまで群がられると身動きが取れない。彼女たちの隙間から見わたすと、テラパーツの五人とデボンとダーラ、七人があんぐり口を開けていた。
「だ、大丈夫なのか、ソータ」
声をかけてきたのは、デボン・ウィラー大佐。彼の背後には、ダーラ・ダーソン少尉とテラパーツの五人もいる。
さらにあたりを見渡すと、ゴブリンの部隊と俺たちだけになっていた。
「大丈夫ですよ。何度も同じ目にあっているので」
「……」
七人から呆れた顔で見られる。こんなに群がっていたら、スクー・グスローが妖精だと言っても信じてもらえなさそうだ。精神集合体という、この世界でも特異な能力を持つ精霊なのに、ありがたみも何もない。
「ソータ」
「なんですか?」
切羽詰まった感じで、ヨアヴが話しかけてきた。
「ヒュギエイアの水だったな。俺たちを回復したのは」
「そうです」
「エイブラムズ中将に聞いた。お前から供与されて、倉庫のコンテナ内に、たくさん保管されていると。なんで黙っていた」
黙ってるも何も、ついさっきの話だっての。
「心変わりしただけです。少しでもアメリカ軍の生存率を上げるために」
「俺たちがあれを持っていけば、デーモンと渡り合えるか?」
「んー、一時凌ぎにすぎないと思います。そもそもヨアヴ大尉、あなたたちテラパーツは魔力総量が少なすぎます。魔法を一発撃つたびに、ヒュギエイアの水を飲むつもりですか? お腹壊しますよ?」
「……何か方法はないのか?」
その問いは真剣なもので、ヨアヴだけでなく、背後にいるテラパーツの面々も「何とかならないのか」という顔で見つめていた。
俺はその後ろにいるデボンとダーラへ目をやる。彼らも同じ目をしている。やはり地球人は、魔力総量が少ないってことだ。こればかりはどうにもならない。残念だけど、この世界で戦うのなら、地球の兵器でないと厳しいだろう。
『おい、ソータ』
『どうした』
七人から詰め寄られて考え込んでいると、ゴヤから念話が入った。
『お前、アメリカ軍にヒュギエイアの水を提供したのか?』
『ああ、すでに死者がたくさん出てるからな』
『それは分かる。しかし、軽率すぎないか? 地球の医療技術は素晴らしいが、こっちと比べると遅れている。ヒュギエイアの水は、地球人に混乱をもたらすぞ』
『それは分かってる。けどさ、あまりにも死者が多すぎてね……』
『いまその事を話しているんだ。ソータが渡したヒュギエイアの水は、緊急時用に限定してくれと。アメリカ軍の魔術師たちには、ワシらから魔力回復薬を提供する』
『ゴヤがそこまでしなくても……。魔物だとか言われて気分悪いだろ?』
『いや、いまも平身低頭で謝られている。この世界の常識を知らなかったと言ってな』
『へー、謝ることができるんだ、あの人たち』
『まあ何にせよ、ゴブリンの錬金術師が作った魔力回復薬を提供する。お前の近くには、帝都エルベルトに潜入する奴らがいるだろ? 魔力回復薬を彼らに渡し、スクー・グスローが護衛すれば何とかなるだろう』
『何とかなるって、そこにいる司令官たちも同意見なの?』
『ワシが提案して、了承されたところだ』
『何があっても、テラパーツの五人を帝都エルベルトに送り込みたいみたいだな』
『やめとけと言っても聞かないなら、生存率を上げた方がいいだろう』
『そうなるよな……』
その手段が、俺の場合はヒュギエイアの水で、ゴヤの場合は魔力回復薬だった、というだけの話だ。彼らを前線に出さないため、他の選択肢を考える。しかし出てくるのは「貴様はアメリカ軍に指示できる立場ではない」というエイブラムズ中将の言葉。部外者の俺が何言っても聞いてくれないだろう。
ニューロンドンのヒューのようにスキルを付与するというのも、ひとつの手だな。魔力は不要だから。
『どうする?』
『ちょっと考えがある。また後でな』
ゴヤとの念話を終わらせ、テラパーツの五人と実在する死神の二人と向き合う。彼らはゴヤと念話している間、ずっと俺を見続けていた。
まずは〝スキル認知〟と〝スキル制御〟を付与する。
スキル〝身体強化〟
スキル〝剛力〟
スキル〝加熱〟
スキル〝超加速〟
スキル〝瞬間移動〟
スキル〝能封殺〟
スキル〝魔封殺〟
これだけスキルを付与した。ラインナップはヒューと同じ。最後のふたつが強力なので、何とかなるはずだ。これでも足りないなら、もう少し増やしてもいい。
「ヨアヴ・エデルマン大尉たちテラパーツの五人。あとデボンとダーラ、集まってください」
そう言うとテラパーツの五人はサッと集まってきた。対してデボンとダーラは、少しふてくされたような態度である。
「俺は大佐で、ダーラは少尉。ソータ・イタガキ、お前ちゃんと階級を付けて呼べよ」
テラパーツの手前、面目を保ちたかったのだろうか。デボンが文句を言ってきたのだ。
「失礼しました。以後気を付けます。ではこの世界のスキルに関して助言します。すぐに発動すると思うので、よく聞いて下さい」
デボンとダーラは、アラスカでがっつり脅している。その時の口調のまま話してしまった。
そのとき彼らから、リリスはアメリカ地区の実在する死神のトップだと確認した。デボンは聖痕でリリスが悪ではないとわかり、実在する死神の一員となっている。ダーラはイエール大学の神学校卒で、魔術の専門家だ。
ふたりともそれなりの自信と実績があるから、人前で腐すのはやめておいた方がいいだろう。
そんなことを考えながら、眼前の七名を見据える。全員真剣な表情だ。
「皆さん足元にある石ころを拾ってください」
石ころを先に拾って、手のひらで転がす。みんな不審な顔で、それでも俺の言うことを聞いてくれた。
「それを握りしめてください。こんな感じで」
俺はスキル〝身体強化〟を使って、石ころを握り潰す。手の中でバキバキと音が聞こえてくる。彼らはそれを見て、何が起きているのか察した。
「このスキルは、身体強化。石くらいなら握り潰せるようになります」
続けて話すと、彼らの目はより真剣になった。スキルの存在も知っていたようだ。
そして彼らは異変に気付いた。〝スキル認知〟と〝スキル制御〟のおかげで、既に〝身体強化〟が使えるようになっていることに。
次の瞬間、七人同時に小石を握り潰した。
ゴリゴリと異音が響いた。
ここは吹きっさらしのアスファルトの上で、辺りには誰もいない。一番近くにいるのは、百メートルくらい先で整列している、ゴブリンの部隊だけ。
『わーっ、すごーい! ソー君、スキル付与出来るんだーっ!?』
身体につきっぱなしのスクー・グスローたちが、全方位念話で騒ぎ出す。しまったな。まさか察知されるとは思ってなかった。ただ、思ったより小声で、ゴブリンの部隊にまでは聞こえていない。
聞こえたのは、スキルを付与した七人だ。
「どういうことだ……?」
真っ先に口を開いたのはデボン。
「妖精たちの言ったとおりです。あなたたち七人に、スキルを付与しました。どんなスキルなのか、どうやって使うのか、それも分かったはずです」
「……」
デボンは目を見ひらいて「そんな事が出来るのか」と呟いている。彼の見つめる先には、手のひらにある砂粒。他の六人も、驚愕した様子で手のひらを見つめていた。
「全てのスキルを把握出来ましたか? 丁度いいので実戦といきますか」
そう言うと、テラパーツの五人が腰を落として戦闘態勢を取る。さっきの件があるから、どこかへ転移すると思ったのだろう。
しかし今回は違う。東の山脈にデーモンがいるのではなく、南の方角から魔物の気配を感じたのだ。初見の魔物かと思って見ていたが、一度見たことがあることを思い出した。その魔物の名を口にしようとすると、デボンが先に口を開いた。
「なんでこっちの世界にトロルがいるんだよ……」
南側の峠から姿を見せたのは、スウェーデンで見た巨人、トロルだった。あれは魔物ではなく、妖精らしいんだけど……。凶暴すぎて、いまだに妖精だと信じられない。
しかも前見たときよりでかい。フランスの凱旋門と同じくらいで、高さ五十メートルはある。それが二十体だ。
いやまて。デボンはなんでトロルの存在を知っている。……まあ、アメリカ軍だから、スウェーデンでの騒ぎも耳に入っているのだろう。
そんなことを考えていると、またしても基地に警報が鳴り響いた。




