281 決断の雨
アンチデモネクトスの土砂降りは、まだ続いている。
王都ランダルを集中豪雨にしているのは俺だ。しかし水害が発生する気配はない。これは以前、レオンハルトの母ノーラのスキルが暴走し、大水害が起こったためだ。水害対策は万全に整えられていた。
俺とオルズは執務室に戻り、レオンハルトとルドルフの話に耳を傾けている。ずぶ濡れのまま、その場に立ち尽くしていた。
一同から、俺に畏怖の目が向けられている。冒険者という立場で、本来ここにいるべき身分ではないというのに。
『お前が俺と何気なく話しているからだ』
『そうなの?』
『そのとおりだ。俺は竜神だぞ。そんな俺と対等に話すお前が、ただの冒険者だとは思われまい』
レオンハルトと初めて会ったときは、化け物呼ばわりされたものだ。女神アスクレピウスの像の前で、ニンゲンだと証明したはずなのに……。油断していたな。オルズがただのイケオジでないと、すっかり忘れていた。
『対等に話す……か。オルズと出会ったとき、デーモンに取り憑かれそうになっていただろう? 出会いがああいう感じだったから、この口調のままなんだ。別に対等だなんて思っていない。りゅーじんさまーだしな』
『おまっ!? その言い方!』
『ほら、こうやって冗談が通じる。これって、とても話しやすいことなんだよ。これくらい軽口がたたける相手でないと、俺もこんなにくだけた話し方はしないってことさ』
『そ、そうなのか……』
そう言ってオルズは黙り込んだ。デレたのだろうか? 金髪碧眼のおっさんが? うげぇ……。
って、こういうのも心を読まれているのだな。あー、面倒くさい。
「おいっ! 聞いているのか、ソータ!」
レオンハルトに叱責された。
「ああ、はい。聞いていますとも。レオンハルト国王を支援するため、ルドルフ陛下が宰相に就任なさる。各地を治める貴族は、妻子を王都ランダルに住まわせる。当主は一年ごとに、王都と領地を往復して治めるのだと。要するに参勤交代を行うのですね」
「さんきんこうたい……?」
俺の言葉にレオンハルトが首をかしげる。思わず日本語が口をついて出たので、通じなかったのだ。
「失礼しました。俺の国の言葉が出てしまいました。とにかくクーデターや内乱という事態は回避できたのですね?」
レオンハルトをじっと見つめて問いかける。バンパイアと化した彼は、俺と同じ目力で見つめ返してきた。
「そのとおりだ。そして、当初の目的であった、アルトン帝国への戦を開始する」
……はぁ? 何を言っているのだこいつは。北のサンルカル王国へ戦争を仕掛けていたのに、今度は東のアルトン帝国にだと?
「どうしたソータ……?」
「いやいや、やっとサンルカル王国との戦争が終結したばかりでしょう。それに、国内はデーモン化したヒトたちであふれているじゃないですか?」
「それなんだよ、ソータ」
「それ?」
「そう。俺が北へ攻め込んだのは、エミリア・スターダストの助言に従ったからだ。もともと計画していた戦争ではない」
「へぇ……」
軽いな。物言いも考え方も。それに信念が微塵も感じられない。戦争って、そんなに軽いものなのだろうか?
俺は指導者ではないから、その辺の考え方が異なるのだろうか? 想像でしかないが、戦争に行けという命令は、そう易々と下せるものではあるまい。兵士たちは命がけの戦いに赴くのだから。
俺はこの世界に来て、何度も死を目の当たりにしてきた。地球にいた頃は、両親の遺体しか見たことがなかったというのに。……異世界と地球。国王と学生。育った環境で、こんなにも物の見方が違ってくるものなのだな。
ふと思う。俺はニンゲンではなくなっているのに、まだ倫理観が残っている。これは大切にしなければ。死守せねば。
「それで今回、以前より計画のあった、アルトン帝国への宣戦布告を行うことになった」
レオンハルトは立ち上がり、俺たちに向かって胸を張る。金髪イケメンで、長身だ。細身で、一見弱そうに見える。おまけにアルベルトまで失ってしまった。気丈に振る舞っているが、本当に大丈夫なのだろうか。金髪イケメンは関係ないか。
レオンハルトの宣言で軍議が始まった。さっきまでは前国王のルドルフが王位を奪取する場面だったのに、今は一丸となっている。騎士団長のエドガーも、積極的に意見を述べ、作戦の立案に加わっていた。
こうなったのはもちろん、竜神オルズの一喝があったからだ。
ただし、俺がここにいるのが不思議だ。部外者だと何度言っても、ここにいるハメになる。仕方がないので、話を聞く振りをしておこう。
オルズは軍議に加わるため、空いている席に着いた。俺は部屋の隅っこにあるカウチに腰を下ろす。
『ミッシー、ファーギ、マイア』
念話を送ると、三人ともに驚いていた。三方向にかなりの距離が離れているのに、なぜ念話が届くのかと言って。
三人に色々と問い詰められながらも、三国の艦隊の動向を尋ねてみる。
ミッシーのいるインビンシブル艦隊は、スタイン王国南方の海上で待機中。
ファーギたちは、バンダースナッチでこちらへ向かっている最中だ。旗艦イノセントヴィクティム率いるサイレンスシャドウ艦隊は、バンダースナッチを追いかける形で進軍しているそうだ。
修道騎士団クインテットは、マイアとニーナを伴って、ちょっと寄り道をしている最中だった。どうやら裏切り者のグレイス・バーンズの実家、バーンズ公爵家を滅ぼすらしい。時間をかけずに皆殺しにして、その後こちらへ向かうという。
テッドたちが一番恐ろしいな……。女神アスクレピウスに仕える、修道騎士団なのに。
それでも、俺の身勝手な要請に応じてくれた三国には感謝せねば。
ミッシー、ファーギ、マイアの三人に、デモネクトスとアンチデモネクトスの効果を説明する。そして今、スタイン王国全土で、アンチデモネクトスの雨を降らせて、ニンゲンに取り付いたデーモンを滅ぼしている最中だと伝えておく。
呆れられた。俺が天変地異を引き起こしていると言って。
だが、この国の人々がデーモン化し、周辺各国に被害が及ぶよりはマシだ。
そして今回、三国に動いてもらった理由の確認をする。
『スタイン王国から出てくるデーモンを、ことごとく滅ぼすこと。ニンゲンに被害が及ばないように。だろ?』
ミッシーからの念話だ。この国の全土に広がるデモネクトス。デーモンの数は計り知れないだろう。アンチデモネクトスの雨で、デーモンが滅んだとしても、それは降り始めだけ。雨を浴びてデーモンが分離し、黒い液体となって死んでいく。その様を見れば、屋内のデーモンは絶対外に出てこない。
つまりアンチデモネクトスの雨は、ただの時間稼ぎにすぎないのだ。
雨を降らせて、まだ半日も経っていない。水害も起きていない。しかしこれが十日続けば、スタイン王国のどこかで必ず水害が発生する。土砂崩れや河川の氾濫が起き、畑や田んぼが水浸しになる。このままだと、それが現実のものとなる。
いつまでもアンチデモネクトスの雨を降らせるわけにはいかない。
雨がやんだとき、デーモンをこの国に封じ込めるため、三国の艦隊から狙い撃ちしてもらう。簡単な作戦だ。しかし懸念事項がある。西のオーステル公国と東のアルトン帝国だ。
そこを聞いてみると、エルフのルンドストロム王国と、北のサンルカル王国の二カ国で、西のオーステル王国へ、デーモン襲来の危険があると伝えているそうだ。
オーステル公国の返事は、全軍を挙げて国境線を守るというものだったらしい。
ただ、東のアルトン帝国からは、何の返答もないという。
やはりあの国には何かある。
国王レオンハルトの婚約者ソフィアはこう言った「冒険者ギルド本部とアルトン帝国は、アダム・ハーディングと組んでいる」と。そのソフィアは、マールアの街でメリルが殺害している。もう確かめようのない情報だ。
それと、シュヴァルツから見えていた、ベナマオ大森林も気がかりだ。あそこにデーモンが逃げ込めば、探し出すのが一苦労だ。獣人自治区制圧のとき思い知らされたからな。
三国が艦隊を動かし、スタイン王国からデーモンが出ないようにする。この事を、国王レオンハルトに伝えてもいいかと、三人に確認を取る。
ミッシー、ファーギ、マイア、三人の念話が聞こえなくなってしばらくすると、ほぼ同時に、早めに伝えておいてくれと返事があった。
そこで一旦、念話を終了。
俺が各所に連絡を取っている間にも軍議は続いている。レオンハルトが懸念事項を述べていた。
「東のアルトン帝国に動きは無い。しかしシュヴァルツには、地球から入植してきた人びとが大勢住んでいる。そして国境を挟んだ目と鼻の先に、フォルティスがある」
その言葉で、みなが地球人の俺に視線を注ぐ。
「シュヴァルツにいたエミリア・スターダストは、すでに始末しました。依頼だったので。それとデモネクトスの治療薬、アンチデモネクトスを、スタイン王国の隅々にまで行き渡るように手配しておきますね」
しんと静まり返る一同。特にレオンハルトは驚愕の表情を浮かべている。手配するといっても、ハセさんにお願いするつもりなんだけど。
「ソ、ソータ、お、お前は、エミリアを倒した……のか?」
そっちかよ。彼は国王の椅子から立ち上がり、言葉に詰まりながら聞き返してきた。
「エミリア・スターダストの殺害は、冒険者として依頼を請け負っていたので、問題ないはずです。それが例え、スターダスト商会の代表であったとしても」
指名依頼とはいえ、それが正当なものなのか冒険者ギルドが査定する。エミリア・スターダストの殺害は、女帝フラウィアの依頼だ。そのためルーベス帝国の冒険者ギルドが査定し、指名依頼として正式に発行されている。
「いや、それは分かってる。俺が言いたいのは、あのエミリア・スターダストを、本当に討ったのか、と言うところだ」
ああ、そういう事か。俺は魔力の使用効率が百パーセント。そのため体外に魔力が漏れていない。ぱっと見、魔力の無いただのニンゲンに見えるからな。
化け物と言われたり、畏怖の目で見られたり、俺の評価がコロコロ変わっている。
「もちろん、そこにいるオルズ様に手伝っていただきました。いやー、昨晩は大変でしたよ……。ねっ、オルズ様!」
そう言うと、レオンハルトを含め、執務室内の一同がオルズに注目した。
『おい、ソータ』
『説明が面倒だし、オルズに手伝ってもらった、で丸く収まるだろ?』
『……まあいいか』
念話でのやり取りが終わると、オルズが口を開いた。
「ソータの言うとおり、俺も手を貸した。エミリア・スターダストは、この世界の害悪でしかない。地球の兵器を持ち込み、デモネクトスを広めた。これは万死に値する所業だ」
オルズはレオンハルトを、じっと睨みつける。魔力などは発していないが、その目力で部屋の面々を黙らせてしまった。
「あ、ありがとうございます」
レオンハルトの礼に、他の者たちも続く。
そして軍議が再開された。
まずはシュヴァルツにおける、地球人の安全確保を最優先する。アルトン帝国と国境を接している街は、そこだけだからだ。そして越境し、隣のフォルティスを落とす。
そんな話へ進んでいった。
国王が戦争をやると言うのなら、俺は止めるつもりはない。だが、シュヴァルツの地球人は守りたい。これは利他主義では無く、利己主義だ。ただのエゴ。自己満とも言う。
だってさ、希望を抱いて移住してきたのに、デーモンに取り憑かれるわ、戦争に巻き込まれるわって、散々だと思う。何なら、地球に残った方がマシだと言う者もいるだろう。だから、少しでも力になりたいだけだ。
「あ、そうそう。ご報告があります」
俺の声で軍議が中断してしまった。しかしこれは言っておかなければ。
「現在スタイン王国の周囲に、ルンドストロム王国、ミゼルファート帝国、サンルカル王国、この三カ国の艦隊が展開中です。具体的には、北の国境と南の海上を封鎖しています。西のオーステル公国も国境封鎖に動いています。ただし、東のアルトン帝国は三カ国の要請に応じていないようです」
俺は内政干渉してないからね、という意味も込めて話しておく。
ところが俺の想定していたものと違う反応が出た。
「ソータお前……。その三カ国を動かせるって、いったい何者なんだ」
レオンハルトは頭を抱えて、机に肘をつく。雨の叩きつける窓からモノトーンの光が差し込み、彼の顔に深い影を落とした。
「俺は獣人自治区制圧のとき、そこに参加してたんですよ。その縁もあって、各国の上層部と知り合いが多いってだけです」
そう言うと、騎士団長のエドガーからツッコミが入った。
「いやいや、異世界人の一兵卒が戦争に参加したってだけで、各国の軍を動かせるはずがないだろ。お前弱そうなのに、さっき俺の剣をへし折ったよな。それと、あの水魔法。あれは何だ? ヒュギエイアの水じゃないのか?」
「何のことでしょう? とにかくそういう事なんで、スタイン王国からも、各国に連絡を取って連携した方がいいと思いますよ」
すっとぼけるしかない。その上で、面倒な提案をしておいた。
各国。つまり彼らは、これから四カ国に連絡を取らなければならない。
その話の中で、レオンハルトは、四カ国に謝罪した上で、この国はアルトン帝国へ戦争を仕掛けると話さなければならない。
よし。これで時間が稼げた。外交には時間がかかるからな。
俺はその間に、シュヴァルツの地球人を避難させよう。
『ソータ』
『なに? また思考を読んでたの? いま忙しいから後にして』
まったくもう、オルズの野郎、考えなしに念話飛ばしてくるし。迷惑念話で神界の裁判にかけるぞ?
『いやいや、そうでなくて。俺の浮遊島ソウェイルを貸してやろうか? 他の世界とはいえ、ニンゲンに変わりはない。このまま戦争に巻き込まれて野垂れ死になんて、不憫で仕方ねえ。一応街があるから、そこに住まわせていいぞ?』
『その話乗った!』
『……決断が早いな。何か条件があるとは思わないのか?』
『無茶な条件なら、オルズをぶっ飛ばすし』
『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~』
めっちゃ長いため息が聞こえてきた。念話でどうやるんだよ、そんなこと。まったく、オルズらしい。
『お前は俺が現世で何をしているのか知ってるよな?』
『ああ、知ってる。酒飲んで寝てるだけだろ?』
『違うわっ!! 俺は現世でデーモン狩りをしている。前に言わなかったっけ?』
『さあ?』
『まあいい。お前さ、俺を手伝え』
『ああ、分かった』
『……またしても決断が早いな。俺のこと信用しているって事か?』
『それもある』
『けど?』
『オルズがデーモン狩りしてるなら、エリス・バークワースに辿り着けると思ってね』
『ああ……。召喚師悪魔を支配するものか。奴はたまにこの世界に現れるが、俺が気づく頃にはもういない。奴を討とうとはしているが、逃げ足が速いというか、なかなか上手くいっていない』
『オルズでも捕まえられないのか……』
『奴は、獣人王国の女王キャスパリーグの転生体だからな……。その力は計り知れないぞ』
『ほーん。生まれ変わりねぇ。その話あまり信じてなかったけど、ほんとだったんだ。んじゃま、よろしくね!』
と言って、心の中でオルズと握手しておく。どうせ読心術使ってんだから、気持ちは伝わったはずだ。
そうこうしていると、軍議が終わったようだ。
レオンハルトは国王として、各国へ外交という名の支援要請を行う。明日にでも戦争を始めそうな勢いだったが、国内のデーモンを何とかしなければならないという、当たり前の話で落ち着いた。
そのための支援要請だ。前線の街マールアでは、ほとんどの軍人がデーモン憑きだった。そして王都では、デモネクトスの無料配布まで行い、街の住人がデーモン化するという非常事態。
レオンハルトの母親であるノーラは、アダム・ハーディングによってスキルの暴走を引き起こされた。その顛末は自害。レオンハルトの怒りは、アダムにだけ向いている。そのためアルトン帝国へ宣戦布告したかったのだ。
彼は今すぐにでも攻め込みたいはずだ。「冒険者ギルド本部とアルトン帝国は、アダム・ハーディングと組んでいる」と聞いているのだから。
「陛下」
「なんだ」
「これからシュヴァルツへ向かって、入植してきた地球人を救出します」
「……地球へ戻すのか?」
「いえ、竜神オルズ様の浮遊島、ソウェイルに移動させます。ゲートを開ければ、一気に移動できますし」
「ソータはゲート魔法まで使えるのか!」
そこ? そこなの? いやでも、一般的なニンゲンではゲート魔法なんて使えないか。俺ひとりだとダメだな。ミッシーたちのように、俺を止めてくれないと。
「そういう事です。陛下、何かあったらオルズ様に連絡ください。いつでも駆け付けるので」
「……そういうのは、お前じゃないのか?」
レオンハルトは、見た目はヒト族だが、ドラゴニュートのハーフ。オルズが気にかけている存在だ。俺がどうこうするより、オルズに任せておきたい。
チラリとオルズを見る。
「お前が呼ばれたら、お前がいくもんだろ?」
オルズは突き放すように言い放った。ま、そりゃそうだ。
「では陛下。お呼びとあらば、俺はいつでも参上いたします。――冒険者ギルドに依頼してくださいね」
ありがとう。冒険者ギルドのルール。
「……はぁ、分かったよ。もう行くのか?」
俺はアルベルトの代わりにはなれない。申し訳ないけど。
それに、幼馴染みを失った気持ちも分からない。
けれど、喪失感は理解できる。
だからこそ、これからはひとりで決断しなければならない。父親のルドルフも宰相として支えるんだから、頑張ってくれ。
言いたいことは心の中で済ませた。
俺はレオンハルトに一礼し、ルドルフやエドガーと握手を交わした。
そして俺は、オルズと共に転移した。




