279 ニャッツォ
――――ドン
最深部までかなり深く落下し、着地の衝撃により座骨と背骨が骨折、首の骨も折れたようだ。しかし、口に咥えていた小瓶のヒュギエイアの水を飲むことで回復した。液状生体分子に任せることもできるが、こちらの方が瞬時に回復が可能だ。
床は水浸しで、謎の液体がまだまだ滝のように流れ落ちてくる。
辺りは薄暗い小部屋だった。
小さな魔石ランプが部屋を照らしていたものの、この部屋も謎の液体で満たされ、消えてしまった。
光源を失い、周囲は闇に包まれた。とりあえず光魔法で部屋の中を照らしてみる。
障壁ごと浮かび上がり、天井にゴツゴツと打ち付けられている状態だ。
障壁越しに部屋の中を観察すると、随分と古い作りであることが分かった。床の木材、壁板、天井の梁はいずれも木製で、長い年月を感じさせる。ただし、謎の液体が溶かしている最中だ。おかげで、気泡だらけ。一寸先は泡ぶく。見通しが悪くなっていた。
この罠は、やはり劣化していたのではないだろうか……。前国王の言う隠し部屋は、ここだと思われる。
謎の液体の水位は下がる気配がない。
仕方なく、念動力を使って移動することにした。謎の液体は様々なものを溶かし、急速に濁りを増している。このままでは、あっという間に何も見えなくなる。
そうなる前に冥導魔法、影の牢獄を使い、謎の液体をまっ暗な空間へと流し込む。確かこれは、行き先がイビルアイの空間と同じだったはずだ。あそこは途方もなく広大だから、これくらいの酸が流れ込んでも影響はないと思われる。
そんなことを考えているうちに、影の牢獄が謎の液体を全て吸い込み尽くした。木材に染みこんだ謎の液体も逃さない徹底ぶりだ。イビルアイの小さいバージョンが影の牢獄という冥導魔法なのかもしれない。
イビルアイはエンペドクレスによって使用制限されているが、これで代用できそうだ。
念動力でゆっくりと床に降り立ち、立ち上がる。光魔法で照らされた廊下の先には、開いたドアの向こうに鍾乳洞が広がっていた。
そこへ進んでみると、鍾乳洞で倒れている男が二人。レオンハルトとアルベルトだ。謎の液体のせいで皮膚がただれ、大やけどを負っている。意識はなく、呼吸も止まっていた。
バンパイアだから呼吸はしていないのだろうが、もう少し放っておけば死んでしまうだろう。彼らの気配が徐々に薄れていくのを感じる。
話を聞かなくてはいけないし、何とか助けられないものか。
バンパイアは血を飲めば回復するんだったな……。
俺の血――――液状生体分子は論外として、この辺りに血が転がってないかな。何て都合のいいことはないな。
ヒュギエイアの水など、バンパイアにとっては猛毒に等しいが、ヴェネノルンの血を飲んでいるバンパイアなら話は別だ。料理長のマリーを噛んだのがアルベルトだと分かっているから。
だが二人がどのようなバンパイアなのかハッキリしていない。
うーむ、困ったな。闇脈魔法でバンパイアを回復できないものか。
何か魔法を作れないか……?
そんなことを色々と考えていると、レオンハルトとアルベルトは灰となって崩れ去った。
……呆気ないものだな。
とりあえず冥導魔法の魂の叫びを使ってみる。
すると崩れ去った灰が集まり、ニンゲンの形へと戻っていく。そしてつぎの瞬間、レオンハルトとアルベルトが元の姿を取り戻した。着衣も元通りという謎現象付きで。
バンパイアゆえか、横たわったままで呼吸はしていない。
しかしこの魔法、バンパイアを甦らせているんだよな。ニンゲンを甦らせるのはダメで、バンパイアは大丈夫って不公平だ。いつかディース・パテルに会えたなら、その辺りを聞いてみたいものだ。ニンゲンを蘇らせて怒るのは冥界の神だから。
丁度いい高さの岩に腰掛け、彼らが目を覚ますのを待つことにした。
しばらくすると、レオンハルトが意識を取り戻した。
「陛下、ご無事で何よりです」
言葉は敬っているが、その態度は国王に対するものではない。俺は腰掛けたままで片ひざを抱えている。
そんな俺を見て、レオンハルトはバネのように跳ね起きた。
「お、俺は死んだのか?」
「あれ? 死んだ記憶があるんですか?」
「ああ、ある。その時、アルベルトとの繋がりも切れた気がしてな」
前国王ルドルフの話では、アルベルトがレオンハルトを咬んでバンパイアに変えたとのことだった。
バンパイアが眷属を作る際には、確か血の契約というもので親子関係ができるらしい。
しかし一度滅んで甦ると、その関係がリセットされるということなのか。
これは新たな発見だ!
まあ、割とどうでもいい発見だけど、ルイーズとか、こうやってリリスとの関係を断ち切ったのかもね。
「ソ、ソータ……」
レオンハルトは足元で眠るアルベルトを見ながら、話しかけてきた。
「はい?」
「俺はバンパイアになってしまったようだが、アルベルトの命令に背けそうだ」
「うん。それはもう聞きました。何が言いたいんです?」
「今ここでアルベルトを滅ぼさねば、国に厄災が訪れる」
「具体的に何が起こるんですか?」
「冥界への巨大ゲートが開く。アルベルトはこの奥に巨大な魔法陣を描いていたんだ」
「へぇ……。じゃあ、これで滅ぼしましょうか」
土魔法でミスリルの剣を作り出し、小瓶に入ったヒュギエイアの水を取り出す。
レオンハルトはそれを受け取ると、一切の躊躇いなくアルベルトの胸に突き刺した。彼は清々しいほどの勢いで幼馴染みを殺害したのだ。
アルベルトは仰け反り、次の瞬間には灰と化して崩れ去った。レオンハルトは、そこへヒュギエイアの水をかける。これでもうアルベルトが蘇ることはない。
「……友を殺したというのに、涙一つ流れないとは」
そんな事を言うレオンハルト。彼の心は本当に動いていないのだろうか。バンパイアになって、ヒトの心を失ってしまったのか。
どうでもいいか。俺にヒトの心が残っているのかも怪しいのに、他人の心配などしていられない。
「これからどうします? ルドルフ陛下は息子を連れ戻すよう、騎士団に指示を出していましたが」
「それどころではない。今はこの奥にある魔法陣を何とかしなければ、大変なことになる」
「緊急事態……ということですね?」
「その通り。ソータ・イタガキ、お前はなぜそんなに悠長に構えているんだ? さっさと奥へ進み、冥界への巨大ゲートが開くのを阻止せねばならん!!」
――――ズドン
鍾乳洞に何かが崩れる音が響き渡った。もちろん奥の方から聞こえてきた音だ。
そして何かを引きずる音が続く。とても大きな何か。
レオンハルトは奥を見つめ、動きを止めた。
「あ、あれは……」
「デーモンですね」
「な、何を言っている。今すぐ逃げるぞ!」
巨大な灰色のデーモン。身体の形はニンゲンに似ているが、身長は十メートルを超えている。これまで見たことのないデーモンで、何故か黒のスーツ姿だ。こんなにでかいスーツは見たことがない。冥界の街で仕立てられるのだろうか?
「大丈夫です。こいつは俺が捕獲して引きずってきたんで」
俺はここに来るなりすぐに念動力を伸ばし、鍾乳洞を探っていた。奥には大きな空間があり、気配を押し殺しているデーモンが一体いたのだ。
おそらく俺たちが来るのを待ち伏せしていたのだろう。
しかし念動力であれば、巨大デーモンであろうと簡単に捕獲できた。既にスキル〝魔封殺〟と〝能封殺〟を使用済みなので、巨大デーモンは力の強い木偶の坊と化している。
デーモンの四肢を拘束したまま、念動力で立ち上がらせる。動かせるのは首から上だけだ。
デーモンは俺とレオンハルトを睨みつけ、怒鳴り声を上げた。
「貴様ら!! 私はレブラン十二柱の序列第四位、ニャッツォだと知っての狼藉か!!」
俺はレオンハルトに目をやる。あんたが喋れという意思を込めて。
しかし彼は、ニャッツォを見つめ、恐怖の表情で固まっていた。
この反応を見る限り、レオンハルトとニャッツォが知り合いというわけではなさそうだ。
仕方ない。俺が話すとしよう。
「ニャッツォ? 知らん……。初対面で知ってる方がおかしいと思わない?」
さっき拝借した冥導結晶。あれはニャッツォからエミリア・スターダストへ渡り、レオンハルトに献上されたのだろう。
あの冥導結晶をみて、大物デーモンが関与していると考えていた。それは目の前のニャッツォだったのかもしれない。
「貴様っ! 私を愚弄するか!!」
「そんなに怒るなって。俺は何が起きているのか知りたいだけだ。巨大ゲートを開いて、何をするつもりなんだ? あんたたちデーモンがこの世界に現われると、神々が怒るんじゃないの?」
「ぐはははっ! これは愉快!! 我らが開いたゲートは中継地点だ。ここから神界へデーモンが雪崩れ込むのだよ。がはははははっ!!」
ニャッツォの話が本当なら、この奥にあるのは転移魔法陣だということになる。
神界に行った時、エンペドクレスたち神の軍勢は戦争中だと言っていた。冥界陣営のディース・パテル。死者の都陣営のアダム・ハーディングと。
ならば、ニャッツォの言うことは本当なのかもしれない。
しかし随分とよく喋るな。考えている間にも、ニャッツォは上機嫌でレオンハルトに話しかけている。念動力で全身を拘束され、魔法もスキルも使えない状態なのに。
「おい貴様、名乗れっ!」
ニャッツォは俺を睨みつけ、急に怒鳴った。どこからその自信が湧いてくるのだろうか?
「俺はソータ・イタガキ。短い付き合いになるけど、よろしくな。ついでに聞きたいんだが、デーモンが神界に攻め入って何をするつもりなんだ?」
「お前がソータか! 噂は聞いておる!! ならば知っているはずだ。我らは、神を名乗る詐欺師どもを皆殺しにするのだ! エリス・バークワースのおかげで、神界に攻め込むことができるようになったからな!」
「――エリスが神界へのゲートを開いた?」
「いかにも! ふははは!」
「その辺り、詳しく教えてくれないか?」
「断る!!」
その言葉を残して、ニャッツォは消えた。
魔法もスキルも封じていたはずだ。それなのに、今のは一体?
「転移する魔道具を使ったみたいだな……。歯か何かに仕込んでいたのだろう」
少し離れた場所からレオンハルトの声が聞こえてきた。そんな魔道具があるのか。それはさておき、ニャッツォはどこへ逃げたのだろう。
「……ニャッツォの気配を感じない。遠くへ転移したのか、あるいは奥へ。いや参ったな」
「ちょっといいかソータ。さっき手短ではあるが、アルベルトから話を聞いていた。冥界からこの世界に大物デーモンが現われているが、この地下空間から出られないらしい。奴らは神々に見つからないよう、幾重にも冥導障壁を張っているみたいだ」
「なるほど……そのせいで気配が探れなかったんですね。ではアルベルトはデーモンと内通し、スタイン王国の転覆を狙っていたということですか?」
「それは違う!! あいつは俺と誓った覇道を進むため、デーモンの力を借りていただけだ!!」
「覇道……?」
「サンルカル王国とミゼルファート帝国を滅ぼし、ブライトン大陸の覇者になることだ!! その上で俺の母上――。いや、これは言い過ぎだな。すまん、今のことは忘れてくれ」
くだらねぇ……。こっちもあっちも、何でヒト族は戦争したがるんだ。レオンハルトの母が何か関係しているようだが……。
「分かりました。その話はまた別の機会にしましょう。今はこの奥を調べ、何があるのか確かめなければなりません」
「……それもそうだな」
話が一段落したところで、レオンハルトと共に鍾乳洞の奥へと進む。当然、灯りは無い。俺が光魔法で照らしているが、ぬかるんだ地面に足跡が残っている。つい最近、大勢のヒトが通った後だ。鍾乳石も折られ、通りやすいように整えられていた。
うーん。こんな地下深くで、一体誰が何をやっていたのだろう。
歩きながらレオンハルトにその辺りを聞いてみたが、知らないという。国王陛下すら知らないとは、どういうことなのか……。アルベルトの指示で、周囲の貴族たちが知らせなかったとか。……あり得るな。
「陛下……。どうやら到着したみたいです」
俺たちの前方に浮かんでいる光の塊が、広大な空間をぼんやりと照らし出している。
地面は平らに整えられ、乾燥している。流れる水は、この空間の周囲に流れ込んで消えていた。地下水脈に流れ込んでいるのだろう。
「ソータ、アルが描いたこれは何だと思う……?」
「転移魔法陣ですね……。かなり大きいので分かりにくいですが」
石灰質の地面に、赤黒い線で転移魔法陣が描かれている。非常に精密だ。
ただし、魔力、神威、冥導、闇脈、何も感じない。つまり、今この場で魔法陣が発動して転移することはないということだ。
この大きな魔法陣を発動させるには、とてつもない魔力が必要となるだろう。
「ここで一体何が……」
レオンハルトはぼやきながら、広場を進んでいく。幼馴染みがついさっき灰と化したというのに、何とも感じていない風に見える。なかなかドライな性格だな。
「さっきニャッツォが言っていた、神界へ続くゲートかもしれません。危険なので消しておきましょう」
「危険? 神界へのゲートが危険だと?」
「ええ、その通りです」
「この魔法陣を起動すれば、神の世界へ行き、神と会えるかもしれない。それのどこが危険なのだ?」
「……」
これが一般的な反応なのだろうか? 神様に会いたいと?
ニャッツォ曰く「神を名乗る詐欺師」だぞ? 奴はデーモンだけど。
神界と呼ばれているが、あそこもただの異世界に過ぎない。多世界解釈における別の世界であり、神と名乗る者たちはその世界の住人に過ぎない。
その世界の住人たちの扱う蒼天が強力過ぎて、神のような御業が可能になっているだけだ。だからこの世界に現われ、神のごとく振る舞っているのだ。何でそんなことをするのか、その理由は分からない。
これが最大の謎。や、どうでもいいか。
こんなことを口に出せば、女神アスクレピウスに叱られそうだ。竜神オルズになら言ってもいいかもしれないが、女神カリストは俺を殺すかもしれない。アルマロス教は他の信者を殺せという教えがあるくらいだし。
立ち止まって考えていると、レオンハルトに呼ばれた。
「ソータ、これは神威結晶か……?」
「これは……、何なんでしょうね?」
驚きが顔に出ないよう、俺は必死になってしらばっくれておく。
レオンハルトが持っているのは、蒼天が結晶化したものだ。彼の手のひらに、まん丸くて白い結晶が乗っている。琥珀色の神威と似ているが、内包するエネルギー量が桁違いだ。
おそらくこれで、神界へのゲートを開いていたのだろう。
「おっと……。何のつもりだ?」
蒼天の結晶を取り上げようとすると、レオンハルトは後ろへ下がった。危ないから渡しなさい。そう言いそうになって堪える。彼は国王なのだから。
「いやあ、何なのかよく見たくて……」
「白々しい。お前今、取り上げようとしただろ」
「あははー。そんなことよりも陛下。そろそろ戻りませんか?」
転移魔法陣は直径百メートルほどある。この空間はドーム状にくり抜かれ、人の手で作られた空間というだけで、魔法陣と蒼天以外には何もない。
「それもそうだな。……その前にちょっと聞きたい」
「なんでしょ」
「俺はバンパイアになってしまったが、太陽の光に耐えられるだろうか?」
俺が雨を降らせていたため、レオンハルトはまだ直射日光を浴びていない。
「陛下は、料理長のマリーと同じ一般なので、おそらく耐えられないでしょう」
「くっ……。アルベルトめ……。そうなると俺は、ヴェネノルンの血を飲まなければならないということか」
「そうですね。というかよくご存知でしたね」
「スターダスト商会で扱っていたからな。それくらい知っているさ」
「なるほど、そういうことですか」
レオンハルトはバンパイアになってもなお、冷静さを保っている。彼が血を求め、ニンゲンを襲うようなことがあれば……。
「では転移してくれ。早急に国の混乱を治めなければならない。デーモンが跋扈する国など言語道断だ。全て滅ぼしてくれよう」
「……」
レオンハルトは、バンパイアになってもなお、国を憂う気持ちに変わりはない。これは魔女マリア・フリーマンと同じく、信念のなせる業なのだろう。
「どうした? できると聞いているが?」
「……了解です」
俺が集団転移魔法を使えると、彼に知られていた。隠すつもりはないが、その情報を得ていることに驚きを隠せなかった。
転移する際、風魔法を使って竜巻を起こす。生半可なものでは巨大な魔法陣は消えないので、土魔法で小石を混ぜておいた。標的は地面だ。きれいに削り取るように調整しておいたので、この転移魔法陣はもう使えない。
もちろん、レオンハルトに気付かれないよう、こっそりと魔法を使った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
二人でレオンハルトの執務室へ転移すると、国王の椅子にルドルフが座っていた。その背後には、騎士団長のエドガーがひっそりと立っている。二人とも急に現れた俺たちに驚いている。
「父上っ、なぜそこに座っているのですかっ!?」
レオンハルトが叫ぶ。ルドルフの行為は、自分が国王であると示しているからだ。
「どうやってここに……いや、いまはいい。レオンハルトよ……。お前はバンパイアへと成り下がった。このまま国王を続けさせるわけにはいかないのだ」
ルドルフの言葉で、レオンハルトは冷静さを取り戻した。
「退位した国王が再び国王へ戻ることはできません。父上、これはクーデターですよ。分かっておられるのですか」
執務室のドアから騎士たちが雪崩れ込んできた。エドガーの部下たちだ。
彼らは剣を抜き、剣先を現国王のレオンハルトへと向けた。




