275 デモネクトスの継承者
山積みにされたアンチデモネクトスが、俺の目の前に広がっていた。これらは、ハセさんの操作するヒューマノイドが運んでいき、これまたハセさんの操作するメタルハウンドと六本脚に装備している。
これらは、デモネクトス本来の効果によってデーモン化した人びとを、元のニンゲンへ戻すための切り札だ。
ここにあるアンチデモネクトスを持ち出すと、シュヴァルツへ入植している地球の人びとのデーモンだけを滅ぼすことができなくなる。
『クロノス――』
『複製するために、成分を知りたいです。小瓶を一本だけ飲んでください』
むむ。まさか。一を聞いて十を知るとは、正にこのことか。でも有害な成分は液状生体分子が分解してくれるし、飲んで成分を確かめても大丈夫だろう。
……そういえば、ついさっきも同様の感覚を覚えたばかりだ。
クロノスよ。君はハセさんと張り合ってないかい? 俺の脳内にある汎用人工知能と、ガチ汎用人工知能ではスペックが違いすぎるからね……。逆立ちしても叶わないから、無理すんな。
『むきー! 張り合ってません!』
……心を読むなつってんだろ。
まあいいや。とりあえずアンチデモネクトスの小瓶を取って飲み干す。無味無臭で、水より味がない。
『成分解析を開始します……。改良と改善、最適化が完了しました。水魔法の生成時に、アンチデモネクトスを意識すれば使えます』
『おお、さんきゅ』
とはいえ実験しておかないとな。辺りを見回す。もちろん人間はひとりも居ない。
ヒトを探して倉庫から外に出ると、ハセさん操作のメタルハウンドに追い回されていた。そういえば、……俺が作れるアンチデモネクトスは、改良されたものだからなあ。実験したいけど地球のヒトにやるのは気が引ける。
あ、国王で実験しよう。あいつのぬるい判断でこんな事態を引き起こしたんだから。
『ハセさん、シュヴァルツとフォルティスの街は、お任せします』
『任せろ』
念話を飛ばすと、即座にレスポンス。さすがハセさん。
『ありがとうございます。あとは頼みます』
『早めに行って、被害の拡大を食い止めて。わっしはこっちで頑張るからさ』
『了解です』
そこで念話が終了。俺は王都ランダルへ向け、転移魔法を使った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
王都ランダルでは、神殿近くに住む人びとからデーモン化していた。デモネクトスの配布が始まった当初、真っ先に飲んだヒトたちだ。
「アル、俺は判断を誤ったみたいだ」
「……誤ったのではなく、エミリア・スターダストに騙された。だな」
「国王として、俺は何をすればいい」
「レオン、お前はいい感じの言い訳を考えろ。この事態は俺たちでどうにかできる状況ではない」
「それは、……ソータのパーティー頼みってことか」
「だな。しかし協力しようってのは、口約束だからな。助けに来る確証はない」
「俺たちは裸の王様か……。諸公は『我らも領民を守らねば』なんてウソくさい言い訳で逃げたし。頼りはソータだけか」
国王レオンハルト・フォン・スタインと、側近のアルベルト・フォン・ベルクは、城の執務室から眼下の街並みを見下ろしていた。彼らを守る者は、城に留まる衛兵や執事やメイドのみ。貴族の連中は軍を率いてさっさと逃げ出していた。もちろんデモネクトスを飲んでいない者ばかりである。
街は異様な静けさに包まれ、デーモン化した人々の影がちらほらと見える。ふたりはこの危機的な状況をどうにか打開できないものかと、深く悩んでいるのだ。
しかし解決策は見つからない。レオンハルトはその重責に押し潰されそうになりながら、ソータに頼るしかなかった。そしてアルベルトもまた、この困難な状況をどうにか切り抜けられるか、必死に考えていた。
「レオン、そういえばお前の父上は、デモネクトスと地球人の受け入れを拒否してたな」
「ああ」
そのため、前国王のルドルフ・フォン・スタインは、城の一角に幽閉されている。
そうなってしまった原因は、ルドルフ前国王がデモネクトス反対派で、都合よく体調を崩したからだ。そして次代を任されたのは、若き王子レオンハルト。
そして彼は、デモネクトスの導入と地球人の入植を推し進めていった。スタイン王国の版図を広げるために。
そんな息子を見て、前国王ルドルフは当たり前のように反対だと口出ししてきた。
院政国家であれば、通用するだろう。しかしこの国は王政である。国王が最大権力者であり、全ての権限がレオンハルト・フォン・スタインに集中している。
口出ししてくるルドルフ前国王に、新国王のレオンハルトは幽閉を命じることとなる。しかしてその場所には、デモネクトス反対派が大勢集まっていた。
レオンハルトは眉間にしわを寄せ、憎々しげな口調で声を放つ。
「恥を忍んで、父上に助けを求めるか」
「……それでどうなる。元国王陛下ができることなど何もないぞ」
すかさず否定するアルベルト。その表情は苦々しくも、その場所へ行きたくないと物語っていた。
「いまは城を守る衛兵しかいない。この場面では、父上の知恵が必要だ。時間が経てば、俺たちもデーモン化してしまうんだぞ?」
「……それもそうだな。しかし俺は、ルドルフ前国王の前には立たないからな」
「ああ、それでいい。お前が入ると、話がこじれそうだからな」
「そういう事。では行こう」
話がまとまり、レオンハルトとアルベルトが執務室を出て行く。
部屋には誰もいなくなり、窓の外からはデーモンが覚醒したときの叫び声が響いていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
城の下層階に、大きな間取りの部屋がある。そこには前国王の、ルドルフ・フォン・スタインが幽閉されていた。妃は崩御されているので、広い部屋にひとりで住まわされている。
ただ、前国王ルドルフ・フォン・スタインには、身命を賭して付き従う騎士が大勢いる。彼らは部屋の出入り口を交代で番をして、怪しいものが立ち入らないかどうか警戒していた。それは、ルドルフが不自然に体調を崩したことに疑問を持つ者が多いからだ。
そのルドルフと言えば、寝たきりでほとんど動けない。ひとりで食事を摂ることもままならず、甲冑姿のむさ苦しい騎士たちが立ち替わりながら世話をしていた。
「食事、もってきたわよ」
彼ら騎士の前に現われたのは、マリー・フォン・シュミット。ヒト族の女性で、城の料理長である。医食同源の考えを持つ彼女の食事は、日々弱っていくルドルフの生命線とも言えた。
彼女は大きなカートを押している。中にはたくさんの配膳用トレーに食事が乗っていた。
「おお、こんな時にありがたい」
騎士団長エドガー・フォン・ラインバッハは兜のバイザーをあげて、よだれを垂らしそうな勢いで駆け寄る。このふたりは身分こそ違え、同い年という共通点で出会うたびに会話に花が咲く。それでドアの前でしばらく立ち話となった。城の外は大変なことになっているというのに、大して心配していない。
それは騎士団長エドガーの言葉からも分かる。
「まっ、デーモン化は予想通り。というか、新国王のレオンハルト陛下は、どうなさるつもりかな?」
お手上げだ、という仕草を見せたエドガーに、料理長のマリーは頷きながら応じた。
「さあ? デーモン化した人びとを治す方法、ひとつだけ知っているけど、人数が多すぎるし……。エドガーは、ルドルフ陛下を連れて逃げないの?」
「陛下は残ると仰っている……。我ら近衛騎士団には暇を出すと言われる始末で、困っていてな」
「陛下は食餌療法で、だいぶん回復されてるわ。城から逃げ出すくらいなら大丈夫でしょ? 王族専用空艇もあるんだし」
「……マリー、耳を貸せ」
この場には他の騎士団員もいる。前国王の幽閉された部屋には、三カ所の出入り口があり、そこを五十名ほどの近衛騎士団が守り固めているのだ。立ち話程度の声であれ、近くには幾人もの騎士が立っている。
他に聞かれたくない話しだと察したマリーは、少し戸惑いながらエドガーの声に集中した。
「ルドルフ陛下は、この混乱を利用して王位を奪還するおつもりだ。マリー、お前は事態に巻き込まれる前に、速やかに城を去るんだ。これは忠告でも警告でも無い。近衛騎士団長としての命令だ」
驚愕の内容に、マリーは思わず身体を震わせた。しかし彼女はエドガーの瞳をぐっと見つめ返した。
「……お断りします」
小さな声だが、彼女の目には決意が宿っていた。彼女は元々町娘だったが、幼少の頃から城で給仕として働き続けてきた。今は料理長のマリーとして名を馳せるほどの腕前となった。
彼女は両親を早くに失い、祖母に育てられた彼女は貧しい暮らしをしていた。しかし前国王ルドルフと出会い、城の給仕として雇われた。そのためルドルフに恩を感じているのだ。
その瞳を見たエドガーは、小さくため息をつく。彼はマリーの境遇を知っているので、その返事を予想していたのだ。
「だと思ってたよ。万が一の時は、俺がお前を守る」
その言葉を聞いて、マリーは顔を真っ赤にしてびくりと硬直する。そして彼女は何も言わず、慌てて前国王ルドルフの部屋へ駆け込んでいった。騎士団への配膳をしないまま。
「あ、おい。俺たちのメシ……」
このやり取りを見ていた周囲の騎士たちは、「またか」とでも言いたげな表情を浮かべていた。こういったやり取りは近衛騎士たちにとってよく見る光景で、エドガーとマリーの微妙な関係は周知の事実となっていた。
緩んだ空気の中、階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
騎士団員に緊張が走り、腰を落とす。腰の剣に手をかけ、いつでも抜ける体勢となった。
「やあ、お疲れさん」
その声は足音の主――若き国王、レオンハルト・フォン・スタインである。その隣には側近のアルベルト・フォン・ベルクが、影のように付き従っていた。
「どういったご用件でしょうか」
騎士団長、エドガー・フォン・ラインバッハは、腰の剣から手を離さずに問いかけた。彼ら近衛騎士団では、前国王の体調不良は、息子ラインハルトの仕業だと囁かれているのだ。
回復魔法や治療魔法の効かない、謎の症状。国一番の回復魔法使いや錬金術師がさじを投げ、公務がたち行かなくなった。国王ルドルフに残された道は、引退して息子へ王位を譲るしかなくなった。そんな経緯があるのだから。
「父上に会いに来た。貴様らのその態度、国王である私に向けてのものか」
元国王の近衛騎士団は、全員戦闘態勢である。レオンハルトは不愉快だと言わんばかりに一喝した。
「し、失礼致しました……」
そう言ったエドガーは剣から手を離して敬礼をする。他の騎士団員もそれに倣った。
部屋を守り固める騎士たちが左右に分れていく。国王レオンハルトは、無言のまま歩みを進めた。
そして彼は側近のアルベルトをドアの前に置き、ひとりで部屋の中へ入っていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
前国王ルドルフが幽閉されている部屋は、広々としているが質素なものだった。部屋には、ベッドとテーブル、いくばくかの本と、格子つきの窓があるだけだ。
そこには、先ほど部屋に入った料理長のマリーと前国王ルドルフがいた。
ルドルフは白髪と髭を伸ばしっぱなしで、国王だった頃の凜々しさは失われている。知らない者が見れば、ただの老人に見えるほどだ。体調を崩し、国王を退いたことで、彼は身なりに気を配らなくなっていた。
ベッドに腰掛けた父親を見て、レオンハルトは軽くため息をつく。マリーはちょうど、テーブルの上に食事を出しているところだ。
ノックもせずに部屋に入ったレオンハルトへ、ふたりの視線が飛ぶ。
「……何の用だ」
ルドルフは、くぼんだ目から鋭い眼光を飛ばす。実の息子へ。痩せ衰えて身体が弱ってはいるが、気力はみなぎっているとみえる。
その冷たい言葉を受け、レオンハルトは困った顔で応じた。
「まだ疑ってるのか。父上が体調を悪くしたのは、俺のせいじゃない」
「同じ問答を繰り返すために来たのか。……私が王を退き、一番得をするのはお前だ。新国王、レオンハルト・フォン・スタインよ。毒を盛ったのがお前でなければ、誰だというのだ」
そう言われて、レオンハルトは険しい顔になる。
「言い争いに来たんじゃない。今は国の一大事だと分かっているだろう」
レオンハルトの言葉に、ルドルフは応じる。
「それくらい分かっている」
口論に発展しそうな空気を感じ、料理長のマリーがそろりとカートを押し始めた。彼女はちょうど、前国王と新国王の間にいたのだから。
気配を押し殺し、少しずつ進み、彼女は部屋の隅っこに立った。部屋を出ていく様子ではない。
レオンハルトは父の冷たい言葉にショックを受けつつも、ここへ来た目的を話す。
「父上、俺が色々と疑われているのは知っている。だけど今は力を貸して欲しい。デモネクトスを飲んだ民がデーモン化して暴れているんだ。俺もアルも、デーモンを憑かせてデモネクトスを飲んだ。もうすぐ俺たちもデーモン化するんだ。なんとか打開策を講じてほしい……」
「簡単だ。お前は王座を降りろ。私が王になり、この国を甦らせる。このままだと国が滅ぶのは明らかだ」
レオンハルトの懇願に、ルドルフの突き放すような言葉が突き刺さる。しかしてレオンハルトは、少し声を荒らげた。
「……あんたの排他的な考えは、時代遅れだ。もう一度国王になったとて、国は栄えない。それくらい分かってるだろう?」
レオンハルトは、父親をあんたと呼び、過去の政策を非難する。
「平行線だ。息子とはいえ、ここまで意見が合わないと話し合いにすらならない」
そう言ったルドルフは、よろりと立ち上がり、ベッドの横に立てかけてある杖を取った。木製だが黒檀のように硬く、黒と褐色の木目が入っている年代物の杖だ。
そして、持ち手の部分には大きな神威結晶がはめ込まれていた。
ルドルフはおもむろに杖を構え「浄化聖術」と発した。
すると神威結晶が一瞬だけ輝き、レオンハルトの身体から黒いタール状のものが引き剥がされ、彼の背後に吹き飛んでいった。それは勢いよく壁にぶつかり、漆喰の壁を黒く染め上げる。
レオンハルトからデーモンが分離されたのだ。
べっとりと引っ付いた黒いタールが、壁を流れ落ちてゆく。それはぬらぬらと動きながら、レオンハルトへ戻ってゆく。
「マリー、やれ」
ルドルフが声をかけると、マリーは配膳台から小瓶を出して、黒いタールへ投げ飛ばした。あまりコントロールはよくない。床を蠢くタールの側で小瓶が割れ、中身が飛び散る。しかし、小瓶の中身が黒いタールへ触れると、突然暴れだしてすぐに動かなくなった。
「お前に憑いていたデーモンは滅ぼした。お前はもうニンゲンだ」
レオンハルトは何が起きたのか分からず、目を見開いて立ちすくんでいる。しかし、それも一瞬のこと。すぐに状況を理解して、力なく両膝をついた。
「な、何だ今のは……。憑いたデーモンだけ引き剥がせる魔法なんて、聞いたことがない」
地の底から響く怨嗟のような声だ。
「魔法じゃない。今のは聖術といって、神威を扱う術だ。魔術の神威版といったところだな。お前が私に毒を盛らなければ、ちゃんと教えていたのだが」
「だから俺じゃないと言ってるだろうが!」
レオンハルトは、大声を出して否定する。
「……ふむ」
それを見たルドルフは、あご髭をなでながらマリーへ目をやる。
「嘘はついてません。何度やっても同じです」
「……そうか。ではやはり、アルベルト・フォン・ベルクの線で違いなさそうだな」
ルドルフとマリーの会話を聞いて、訳の分からないレオンハルト。
「いったい何の話をしている……」
「ではお前に問う。お前の幼馴染み、アルベルト・フォン・ベルクは、なぜ、料理長マリーの前に姿を現さない。彼女のスキル〝真偽判定〟を知り、嘘がばれることを避けているからではないか?」
聖術浄化聖術の次は、スキル〝真偽判定〟ときて、さらに混乱するレオンハルト。しかし彼は冷静さを失ってはいなかった。
「アルが避けているのは、父上のほうだ。俺とのもめ事に巻き込まれたくないみたいでさ。それに、マリーは単なる料理長だ。彼女を避ける理由などないはずだ」
「重要な情報が判明したので、お前に説明しよう――――」
ルドルフはマリーへ目をやり、レオンハルトに話し始めた。
聖術浄化聖術は、神威結晶の力を借りて、ようやく発動できる。その効果は、デーモンをニンゲンから引き剥がすというもの。この術は使用者の魔力を大量に消費するため、相応の魔力を持つニンゲンでなければ扱えないのだ。
スキル〝真偽判定〟に関しては、マリーの場合、一日一回しか使えない。
今回の件は、このスキルが要になる。
ルドルフは、毒を盛ったのが息子だと思っていた。それで、何度もマリーのスキルで嘘をついていないか試していた。しかし何度やっても、レオンハルトが嘘をついていないと分かった。
そこでルドルフは気付いた。
マリーがスキル〝真偽判定〟を使用する際、アルベルトの姿が決して見られないという事実に。
「つまり、父上に毒を盛ったのはアルベルトだと?」
「おそらくな。明日にならなければマリーのスキルが使えない。明日アルベルトを呼び出し、マリーがスキルを使えばはっきりすることだ。まあ、十中八九、アルベルト・フォン・ベルクが毒を盛ったとみて間違いないだろう」
膝をついたまま、レオンハルトは両手を床につき、深く俯いた。その姿は、まるで全てを悟ったかのようだった。
「あいつは俺の幼馴染みだ。ずっと一緒にいた友だぞ。そんな訳があるか!」
レオンハルトは、下を向いたまま大声で叫ぶ。
「……」
「……」
ルドルフとマリーはそれを見て、何も言えないでいた。
そのとき、ドアの外から声が聞こえてきた。
「あーあ、バレちゃったか。まあ、ここまで計画を進められたんだ。よしとしようか」
アルベルトの声である。
その声を聞いたマリーは、多重展開された防御魔法陣を発動。ドアも壁も鉄壁の状態と化した。
「アルベルト!! ルドルフ陛下に毒を盛ったのは貴様だったのか!」
同じく外から怒号が聞こえてきた。近衛騎士団長、エドガー・フォン・ラインバッハである。他の騎士からも、アルベルトを問い詰める声が聞こえてきた。
それと共に、ドアの外から剣戟が響き渡った。




