265 メリル死す
ハインリヒは剣を受け止められ、咄嗟に後方へ跳んだ。
フリードリヒ卿の影から浮かび上がった真っ黒なヒト型は、速やかにドワーフの女性――メリル・レンドール――へと変わる。
「フリードリヒ卿、お下がりください。それと、兵士の皆さん、手を出さないで! 二次被害を出したくありません!」
デーモンの強襲で立ちすくむフリードリヒ卿は、メリルの言葉でハッとなり下がっていった。追撃をかけようとしていた兵士たちも、メリルの言葉で留まった。
ハインリヒはフリードリヒ卿を逃さぬよう回り込んで行くも、素早く動いたメリルが立ち塞がる。
「貴様っ、僕のかたき討ちの邪魔をするな!!」
彼はまだデーモンの身体になれていないのか、ゴロゴロする声で叫んだ。
「かたき討ち? デーモンの分際で、ふざけたことを」
「デーモンじゃない! 僕はハインリヒ・フォン・ヴァイセンブルクだ!」
その言葉を聞いて、メリルはフリードリヒ卿へ鋭い眼差しを向けた。その真偽を確かめるかのように。
フリードリヒ卿は迷いながら頷く。
「メリルさん、あそこにハインリヒの抜け殻がある。彼はデーモンに乗っ取られたまま、意識を保っている……かもしれない」
フリードリヒ卿は、ハインリヒが囮にした抜け殻を見つめる。兵士たちが掲げて見せているのだ。ペラペラになったハインリヒの皮を。
「だから何だ。僕はハインリヒだと言っているだろう!」
そう言った灰色のデーモンは、フリードリヒ卿めがけて目にも留まらぬ速さで移動してゆく。
しかしそこに割って入るメリル。
――――――――ギィン
再びハインリヒの剣が、メリルのシヴによってはじき返される。
ハインリヒはメリルから距離を取り、苦々しい表情を浮かべる。
しかしメリルもまた、苦々しい表情となっていた。
「シヴが欠けている……」
ハインリヒの持つ剣は一般的な物で、特殊な効果はない。それなのにファーギ特製の短剣が耐えられなかったのだ。その事に違和感を持ち、メリルはさらに集中して動いてゆく。頭を低くして駆けだし、ハインリヒへ迫る。
しかしながら、ハインリヒの動きはメリルを上回った。
ぐっとしゃがみ込んで、バネのように飛んでくるハインリヒ。その剣がメリルに迫る。
彼女は驚きつつも、ギリギリで反応する。斬られる直前にシヴを構えた。
――――――――ガキィン
ハインリヒの剣は、シヴをたたき折り、メリルの肩口から腹部までザックリと斬った。
笑みを浮かべるハインリヒ。その目に、赤い血を流して膝をつくメリルが映っている。
しかしメリルも負けてはいない。すかさずヒュギエイアの水を取りだし、傷口に振りかける。
「えっ?」
ヒュギエイアの水が入った小瓶が、メリルの腕ごと斬り落とされる。回復させないよう、ハインリヒが剣を振るったのだ。
彼は憑いたデーモンを従え、デーモンの力を余すことなく発揮していた。
形勢を不利だとみたフリードリヒ卿は号令を放つ。
「全員で討ち取れ!」
ハインリヒはすでに、大勢の兵に囲まれている。フリードリヒ卿の命に従い、彼らはハインリヒへ攻撃を仕掛ける。しかし彼はあり得ない速さで移動して、兵士の輪から逃れる。
「はは……。デーモンの力、何となく使い方が分かってきたよ。僕は知らないうちに冥導を使っていたみたいだ」
ハインリヒは四方八方からの攻撃を、一本の剣ではじく。その剣が冥導に浸食され、黒く染まってゆく。そして彼は反撃に転じた。
襲いかかってくる兵の武器ごと、身体を真っ二つに斬り割く。彼は攻撃の手を緩めない。次から次に兵士たちを叩き斬っていく。素早く動き回るハインリヒを、目で追える兵士はいなかった。
怒号や叫び声がその空間を支配し終わる頃、生き残りはフリードリヒ卿とメリル・レンドール、ふたりだけとなっていた。
ハインリヒは、息も切らさず穏やかな声で話しかける。
「フリードリヒ卿と、そこのドワーフに聞く。どっちが僕の妹、ソフィアを殺した」
ニンゲンのフリードリヒ卿では、デーモンに憑かれたソフィアを殺害することは難しい。ハインリヒは、フリードリヒ卿の影に隠れていたメリルも怪しいと踏んでいた。至極当然な推論であろう。
「ソフィアとは、フリードリヒ卿の執務室に入ってきたデーモンの名でしょうか? あれを殺したのは私ですが、何か問題でも?」
メリルは答えながらも煽る。彼女はヒュギエイアの水で治療出来なかった。切り落とされた左腕が生え替わるようなことはない。斬られた身体から赤い血が溢れて、立っているのもやっとの状態。
圧倒的に不利な状況だ。それを打破するため、メリルは少しでもいいから、ハインリヒに精神的なダメージを負わせて反撃しようとしている。
「黙ってないで何かいったら?」
メリルの煽る言葉に苛つきながらハインリッヒが応じた。
「……お前がソフィアを――――――――」
ハインリヒは、声さえも置き去りにする速さで駆け抜けた。
「――――――――殺したのか」
次に聞こえたのは、フリードリヒ卿の背後から。
「えっ――」
その声はメリルのもの。
声を聞いたフリードリヒ卿がメリルの方を向く。
「お……おいっ!」
大丈夫なのか。その言葉を、フリードリヒ卿は続けることができない。
メリルの首に一筋の赤い線。それはハインリヒの剣で斬られた証し。
メリルは自分の首が落ちないように、両手で支えていたのだ。
「フリードリヒ卿、申し訳ありません。よろしければ仲間に伝えていただきたいのですが――――」
メリルの言葉はそこで途切れた。
ハインリヒが彼女の背中を蹴ったからだ。
その勢いで手がぶれて、支えていた首が転がり落ちる。
首が無くなったメリルの身体から、真っ赤な血が噴き出した。
「さあて、ソフィアのかたきを討たせてもらおうか。テメエは簡単に死ねると思うなよ? フリードリヒ・フォン・ローゼンバッハ辺境伯」
灰色のデーモン、ハインリヒは、流暢に喋りながら醜悪な笑みを浮かべていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
テイマーズの三人は、地上のメタルハウンドと四本脚を掃討し終え、満足げな表情を見せる。
「ダンピール嫌だったけど、悪くないかもね」
アイミーは屋根の上で呟いた。周りは瓦礫の山で、建築物はほとんど破壊されている。しかし破壊されながらも、形を留めている建物もある。彼女たち三人はそこからマールアの街を眺めていた。
「けど、スライム召喚しすぎよね。いったん帰しておこうよ」
「だね。ちょっと休憩っと」
ハスミンとジェスはそう言って、召喚したスライムを元の場所――帝都ラビントンへ帰す。アイミーもそれに続き、三人とも屋根に腰掛ける。
彼女たちは腰のポーチからヒュギエイアの水の小瓶を取り出して、一気に飲み干す。
「さーてっ! 城壁のデーモンを滅ぼそう!」
アイミーが伸びをしながら立ち上がると、ハスミンとジェスも軽やかに身を起こした。
「魔力と闇脈が全快したわ! 体中に力がみなぎる感じ」
「疲れも吹っ飛んだ。ヒュギエイアの水様々だねっ!」」
アイミーはハスミンとジェスが頷いたことを確認すると、さらに説明を続けた。
「さっきさ、スライムに擬態してもらったでしょ。あんな感じであたしたちの身体に張り付いてもらおうよ」
「はあ? スライムかわいいけどさ、けっこう冷たいよ? オレ冷え性!」
ハスミンは女の子なのに相変わらずの口調だ。
「んー、でもいい考えかも?」
しかしジェスは乗り気のようだ。
「なんで? ジェス寒くないの?」
すかさずハスミンがツッコむ。
「いや、通常のスライムで回復、ダイヤモンドスライムで防御、オパールスライムで素早く動く。スライムにお願いすれば、やってくれると思うよ」
そういったジェスにアイミーは相づちを打つ。
「寒いのはどうするの?」
ハスミンは両肩を抱きしめて、寒い素振りを見せる。
「ルビースライムに暖めてもらえばいいさ」
「あ、それいいかもっ!」
ジェスの言葉に食い気味に反応するハスミン。
どうやら話はまとまったようだ。テイマーズ三人は再びスライムを呼び出し、自身の身体に纏っていく。それはさながら、様々な色合いの着ぐるみ。身長の低いテイマーズだから、一般的なヒト族と変わらないくらいの大きさとなった。
『あら、呼吸ができるわ』
『あったけー』
『五感も正常。いや、より強化されている感じがする』
アイミー、ハスミン、ジェスと、念話で各々の感想を述べて城壁を見る。茶色い石造りの壁にはドアがあり、三人はそこをじっと見つめた。
「うわぁ……。デーモンあんなにいたの?」
ドアから溢れ出すデーモンの数に、アイミーが引いている。
「もう一度スライムを呼ぶよ」
「そうしよう」
ハスミンとジェスの言葉に、アイミーが頷く。
その時だった。
『――ごめんなさい』
メリルの心が砕けるような念話が届いた。その言葉には、絶望と悲しみと後悔が混じっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その一方、ヴァルター卿率いる民間人は、安全な場所に到着していた。いまだ地下道には変わりないが、城壁から遠く離れた場所にあり、魔導砲の轟音が遠くから聞こえるだけで、その牙はここまで届いていない。
「この階段を上がれば、フリードリヒ・フォン・ローゼンバッハ辺境伯の別邸がある。すでに避難している人びとがいると思うが、驚かないように落ち着いて行動してくれ」
彼は階段の脇に立って、先に住人たちを上がらせる。感謝の声を度々かけられながら、ヴァルター卿は住人たちがひとりも居なくなるまで待ち、最後に階段を上がっていった。
「……おや? フリードリヒ卿はどこだ」
ヴァルター卿には、たくさんの人びとが目に入っているが、肝心の人物がいない。
そこはエントランスホール。湖に面した広大な屋敷である。築年数は数百年を経ており、決してきれいな建物ではないが、隅々まで掃除されていて清潔感が漂っていた。
ホールには大勢の人びとが休んでいる。フリードリヒ卿の城から来たメイドたちが走り回っており、避難してきた人びとに軽食を振る舞っていた。
「遅かったな」
ミッシーがあたりを見渡しているヴァルター卿に声をかける。隣にはマイアとニーナがいる。彼女たち三人はすでに、路頭に迷う住人たちを避難させていた。
「遅れてすまない。それと、フリードリヒ卿は来ていないのか」
ヴァルター卿の問いに、ミッシーは小さく頭を振る。フリードリヒ卿の不在は、彼らにとって大きな損失だ。
「フリードリヒ卿はもう出撃している。私たちは彼の指示に従い、この屋敷を避難所として開放した。そして、城のメイドたちと共に、避難民に食事と医療を提供している」
ヴァルター卿は眉間に深い皺を寄せながら頷いた。フリードリヒ卿の不在は心配だが、今はこの屋敷の避難民を守ることが最優先事項だと心に決めた。
「それは良かった。住民の安全が確保されているなら、フリードリヒ卿が戻るまで、私がこの屋敷を守る」
ヴァルター卿の言葉に、ミッシーは力強く頷いた。マイアとニーナも意気込んでいる。
ミッシーたち三人は、緊迫した面持ちでフリードリヒ・フォン・ローゼンバッハ辺境伯との合流に向けて準備を開始した。しかしその時、屋敷の入り口から領兵の大声が聞こえてきた。
「ヴァルター卿、急いでこちらへ! この屋敷に向かってくるデーモンを多数確認しました!」
ヴァルター卿とミッシーたち三人は急いで声の方へと向かう。その表情は険しく、彼らは迫り来る脅威に立ち向かう覚悟を固めていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ミッシーたちが屋敷の外に出ると、先ほどまで大量にいたスライムたちの姿が跡形もなく消えていた。
その代わり、別邸を囲む門の先に、灰色のデーモンが見えている。統率する者が居ないからなのか、個々で動き回り、家屋を荒らし回っているようだ。遙か遠くに見える城壁のトーチカは、すでに砲撃をやめていた。
その不気味な光景を眺め、マイアとニーナは息を呑んで呟いた。
「あたしたちが見てきたデーモンと違いますね。テイマーズの三人は、何やってるのかな……?」
「あのデーモン、ヴェネノルンの血を飲んで親和性が高まってる? 冥導を感じないわ」
「何だ、そのヴェネノルンの血とは」
ヴァルター卿は知らなかったようだ。それでミッシーが丁寧に説明していく。彼が納得する頃には、デーモンが屋敷に迫っていた。
「私たち三人で対処する。ヴァルター卿は屋敷に避難しろ」
ミッシーの口調と表情は厳しい。
ヴァルター卿はいちおう子爵だ。しかし今は、ミッシーの物言いに文句を言っている場合ではない。
「わ、分かった。屋敷にいる兵士で守りを固める」
「ああ、頼む」
ミッシーはヴァルター卿をチラリと見て、マイアとニーナへ視線を移す。そして彼女たち三人は頷き、唐突に姿が消えた。
転移魔法を使ったのだ。それを見て、ヴァルター卿は唖然とする。
「……え、詠唱も無しで、そんな高度な魔法を使えるのか。ソータ・イタガキのパーティーは、いったいどんな奴らがいるんだ」
ヴァルター卿は驚いたまま屋敷の中へ戻り、号令を発した。
「領兵に命ず! 屋敷の防御魔法陣を最大出力で稼働させろ! 魔導銃、弓、攻撃魔法使いは、出入り口および窓の防御に努めよ!!」
兵士たちは大声で返事して素早く動き始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ミッシーたち三人は、マールアの街へ出てデーモンの動きを確認する。彼女たち三人は、対デーモンの専門家と言っても過言ではない。
「一体一体が尋常ではない強さを持っている。これは予想以上に厄介だな……」
開口一番ミッシーの弱音が飛び出す。
灰色のデーモンの醜悪な姿に変わりはない。魔力も冥導も漲れていないので、ヴェネノルンの血を飲んでいることは確定。
そして、使っている魔法が非常に強力なものだった。
「影魔法か。非常に厄介な代物だな。マイア、ニーナ、障壁を張るタイミングを絶対に外すな。一瞬の隙も与えるわけにはいかない」
ふたりがミッシーの忠告に力強く頷いたところで、メリルからの念話が届いた。
『――ごめんなさい』
それと同時に、別邸の外に大量のスライムが現れた。スライムたちは、デーモンをまたたく間に滅ぼしていく。
そんな様子を見て、ミッシーたち三人は困惑の色を隠せない。
「今のは、メリルの念話か」
「そうみたい」
「何か深刻な事態が起きたに違いないよ」
ミッシー、マイア、ニーナと、門の外から目を離さず会話する。
するとそこに、ソータから念話が入った。
『これから冥導の固有魔法、イビルアイを使う。デーモンが巻き上げられて、でっかい目ん玉に吸い込まれるから、巻き込まれないように注意してくれ』
『おっさん、戻ってたのかよ!』
アイミーが念話に参加した。
『ルイーズ確保を聞いて、今バンダースナッチに戻ったところだ。地上に、というか城壁と壊されてない家屋にデーモンが潜んでるんだ。そいつらをまとめて魔法で滅ぼす』
『そっか。こっちもスライム呼びすぎてしんどかったし助かる。けどさ、メリルの念話は、いったいなに?』
『分からんから、デーモンを一掃してメリルを探すんだよ』
ミッシーたちはそれを聞きながら、門の先でスライムとデーモンの戦いへ視線を移す。
『その魔法は何だ?』
思わずミッシーも聞いてしまった。門の先にいるデーモンに、特に変化は無いからだ。スライムたちに一方的にやられてはいるが。
『あれっ? これも制限されてる。……くっそ、またエンペドクレスの仕業か!』
ソータから戸惑いと焦りの混じった念話が届く。それを聞いたミッシーたち三人は、互いに顔を見合わせ、無言のうちに状況の重大さを確認し合った。
『ソータ、何の魔法か知らないが、メリルに何かあったのは間違いない。彼女はいま、この街の地下道にいる。反乱軍を指揮する、フリードリヒ・フォン・ローゼンバッハ辺境伯と一緒だ』
『わかった。ファーギからある程度事情は聞いていたけど、メリルが地下にいるとは知らなかった。各自持ち場を離れないで、デーモンに対処してくれ』
そこでソータの念話が途絶えた。
「何があったのか分かんないね」
「メリルのあんな悲しげな念話聞いたことない」
マイアとニーナが話していると、ミッシーの鋭い声が響いてきた。
「一体異常に強いデーモンがいるぞ!」
そのデーモンは、門のすぐ先にいた。スライムたちの攻撃をものともせず、黒い剣で斬り飛ばしていた。絶望と怒りの混じる負の感情が物理的な圧力を伴ってミッシーたちに押し寄せる。
「な、なんてこと……あのデーモン、尋常だわ」
マイアは剣を抜いて構えたが、その声には明らかな動揺が混じっていた。一切冥導を感じないのに、その迫力に押されているのだ。
「レブラン十二柱クラス……いや、それ以上かもしれない」
ニーナも同じく、声が震えていた。両手に持つ短剣の先に、身体の震えまで伝わっていた。
「私たち三人で叩くしかない。油断するな」
ミッシーの口調は鋭く、その眼差しには凛とした決意が宿っていた。その声が届いたのか、灰色のデーモンが門の防御魔法陣をぶち破って入ってきた。
「そこにヴァルター卿がいるだろ? 連れてくれば殺さないでやる。どっちか選べ」
そう言った灰色のデーモン――ハインリヒ――は、おぞましい笑みを浮かべ、真っ黒な剣を構えた。




