260 防戦
ヒロキとスズメが現場に到着すると、トシヒコを抱きしめて泣き崩れているアスカを見つけた。
「うそだろ……」
ヒロキは声をかけつつ、消えた障壁を張り直す。スズメもあぜんとした表情で続けた。
「トシヒコくん……?」
四本脚からの攻撃は未だやまず、ヒロキの張り直した障壁は穴だらけになっていく。方々から爆音が鳴り響き、サンルカル王国軍は大混乱に陥っていた。しかし、彼らふたりは息をしていないトシヒコに駆け寄り、治療魔法を使い始めた。
「やめてよっ!! 今ごろ来て白々しい!!」
大声で拒絶するアスカ。彼女は涙を流しながらヒロキとスズメを睨み付けた。アスカの瞳の奥には、やり場のない怒りが溢れている。
ヒロキとスズメは、一時的に戦線を離脱した。そのせいで、トシヒコが死んでしまったと考えざるを得なかった。
ヒロキはそう考えたのだろう。素早く魔導バッグから小瓶を取り出す。
「アスカ、ヒュギエイアの水を使うぞ」
ヒロキはアスカを静かに押しのけて、トシヒコにヒュギエイアの水をぶっかけていく。しかし、トシヒコはぴくりとも動かない。
トシヒコの様子から目を離さず、アスカは口を開いた。
「……ねえスズメ。あんたどうしてヒュギエイアの水を使わず、ヒロキを医務室に運んだの? 修道騎士団クインテットから支給されたやつがあるでしょ?」
「ヒロキくんが意識を失って――――」
「だとしても、その場でヒュギエイアの水を使えば済む話じゃない!! あんたが戦闘そっちのけでヒロキを口説こうとしているのは丸分かりなのよ!」
スズメの言葉を遮り、アスカはこれまで抑えていた不満を一気に爆発させる。
「え、でも私たちサンルカル王国とは関係ないんだよ? 命がけで前線に立たされるいわれも無いし」
スズメは論点をずらして正論を言う。それは余計なひと言となり、ただアスカを怒り狂わせるだけの結果となった。
しばらくの間、アスカとスズメの口論が続くと、ヒロキの怒鳴り声が響き渡った。
「いい加減にしろ!! いまの状況を乗り切る方が先だろ!!」
黒い光線を放ちながら、地の果てから迫ってくる四本脚。ガラス化した平原には、あり得ないほど巨大な岩山がそびえ立っているが、すでに穴だらけとなっている。トシヒコについていたノームは、すでに立ち去っていた。
――――ズッ
地鳴りと共に、岩山が崩れてゆく。四本脚の放つ黒線は、膨大な質量を持つ岩山を容易く打ち砕き、その上に整然と並び始めるのだった。
彼らは視線を交わして頷く。
「あたしはトシヒコくんをオプシディアンの医務室に連れてくわ」
アスカはトシヒコを放っておけないようだ。引き止められる前に彼の遺体を抱え上げ、転移魔法で一瞬のうちに姿を消した。
それを見送ったヒロキとスズメもまた、転移魔法で姿を消した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ガラスの大地から水が湧き出す。その水は生き物のように蠢き、四本脚の並ぶ岩山を駆け上っていった。その様はまるで津波。広大な大地に湧き出した水が崩れた岩山へ集まり、圧倒的な力で四本脚を押し流してゆく。
「ありがと、アンダイン」
水の精霊アンダインにお礼を言うスズメ。彼女は浮遊魔法で宙に浮かび、淡い水色の魔力に全身を包まれる。
「サラマンダー、頼む」
スズメの隣にいるヒロキは、再び火の精霊サラマンダーを呼び出す。
『んー? マールアの城壁に、強そうなバンパイアがいるけどどうする?』
サラマンダーはヒロキたち二人に念話で話しかけ、注意喚起を行なう。彼らの眼下には、さながら大洪水が起きたような有り様だ。四本脚は水に浮かぶことが出来ずに沈んでいく。
『はあ、バンパイア? 女神アスクレピウスのお膝元だぞ、この大陸は』
ヒロキは、あり得ないといった風に言い返した。
その時、地の果てに見える城壁から黒線が延びてくる。サラマンダーはふわりと移動し、黒線を空に向けてねじ曲げた。
『ねっ、バンパイアでしょ?』
どや感を漂わせたサラマンダーの念話が届く。今の黒線は、冥導ではなく、闇脈によるもの。それを使用するのは、バンパイアである。サラマンダーは、遠く地平線の先にある城壁に立つ何者かの闇脈を察知していたのだった。
『……たしかにそうだ。しかしあの距離から攻撃できるとは』
そこにスズメの念話が届く。彼女はふたり諸共やられないように、ヒロキから少し離れた場所へ移動する。
『ヒロキ、どうする?』
スズメは水色の魔力を身に纏い「いつでも攻撃できるよ」とアピールする。水の精霊アンダインも、彼女のそばで「戦えるよ」とアピールしている。
城壁のバンパイアから再び黒線が放たれる。それはスズメを狙ったものだったが、アンダインがふわりと立ち塞がり、その身に黒線を受ける。そしてアンダインの水の身体は、黒線を空に向けて反射した。
『いったん引こう。攻め入るのではなく、防御に専念するように言われてるだろ? バンパイアの存在も報告しなければ』
『それもそうね』
ヒロキたちにとってのこの戦争は、地球から攻め込んでくる実在する死神を撃退すること。地球人とはいえ、その身にはデーモンを宿しているので、一ミリも容赦していない。
だが、強力なバンパイアがスタイン王国側に居ることが分かった。速やかに報告すべき重要情報だ。ヒロキとスズメが踵を返そうとした瞬間、ふたりの動きが突然止まった。
『ヒロキくん……』
『ああ、俺もいま気付いた。というかいつの間に……』
彼らの下に見えるのは、いまだに水の引いていない平原だ。サラマンダーのせいでガラス化しているので、水の透明度は高く、底までハッキリと見えている。そこには、数えるのもおっくうなくらい赤い瞳が見えていた。
ヒロキたちはいつの間にか、バンパイアに包囲されていたのだ。
『転移する瞬間を狙ってるみたい』
『だな。一瞬隙が出来るし』
彼らは無詠唱で魔法を使っているが、魔法が発動するまでに一瞬の間がある。その瞬間だけは無防備になってしまうので、水の底に潜むバンパイアはそのタイミングで攻撃するつもりだ。
『このままじゃ拙いわ。アンダイン、お願い』
スズメの声で、アンダインが水を操作する。ゆっくりと水が流れ始め、渦を作っていく。その渦はあっという間に大きくなり、水の底にいるバンパイアを巻き込んでいく。しかしそのとき、黒線がアンダインを貫いた。
アンダインは水の操作に集中していて、はるか彼方のバンパイアからの攻撃に気付くのが遅れた。
黒線の熱か、あるいは闇脈による影響か、アンダインの姿が瞬時に消え去ってしまう。
すると、これまで洪水のように溢れていた水が、何もなかったようにふっと消えた。
『ちぃっ! 闇脈魔法かっ!!』
ヒロキは、その状況に慌てて対応するも、周囲のバンパイアから一斉攻撃を受ける。神威障壁を張ってその場を凌ごうとするも、黒いファイアボールの数はかなり多い。それらはほぼ同時に、ヒロキの障壁に直撃して大爆発を起こす。
空中にいたため格好の的になった形だ。離れた場所で空に浮かぶスズメも同様に一斉攻撃を浴びる。
空は黒煙に覆われ、辺りは薄暗くなる。
バンパイアたちはさらにファイアボールを放つ。それはヒロキたちを狙ったものではなく、空中で次々と爆発し、黒煙を広げるものだった。
『ぐっ……。スズメ、大丈夫か?』
『ごほっ、な、なんとか平気。いまなら転移出来るかも』
ヒロキとスズメは爆煙の中、一斉攻撃で神威障壁は消え去った。周囲は真っ黒な煙で覆われ、呼吸するのも大変そうだ。
――――ズドン
『ぐああっ!?』
『きゃぁっ!?』
そこへ闇脈の爆裂火球が直撃。
ふたりはギリギリで神威障壁を張ったものの、大きなダメージを受けてしまった。障壁の中で身体中をぶつけたのだ。
――――――――ズドン
真っ黒な黒煙の中、様々な方向から爆裂火球が飛んでくる。ヒロキとスズメの障壁は、次々と砕け散り、必死に張り直すのを繰り返す。転移する暇を与えないつもりだ。
――ガガガガガ
意識を保つので精一杯なほどダメージを受けているふたりは、地上からの異音に気付く。それと同時に、バンパイアからの攻撃がやんだ。
『ヒロキ、下で何が起きてるの?』
ようやく喋る余裕ができて、スズメからヒロキへ念話が届く。
『分からん。しかし、援軍の可能性がある』
黒煙が風に流されていくと、ヒロキの言葉は正しいと証明された。地上には、修道騎士団クインテットのアイヴィー・デュアメル、マイア・カムストック、ニーナ・ウィックローの三人が戦っていた。
アイヴィーは、三つ叉の短槍でバンパイアの頭を貫く。マイアは、オブスタクルが創り出す岩石で、バンパイアをミンチに変える。ニーナは、シヴで、バンパイアの首を次々とはね飛ばしていく。
彼女たちは三者三様の武器でバンパイアを滅ぼしていく。バンパイアも反撃をしているが、実力の差は歴然だった。羽虫を叩き潰すようにマイアたち三人が立ち回る。
『どうする?』
『加勢するぞ』
スズメの問いに即答するヒロキ。彼らは地上に降りて、バンパイアを倒し始めた。
ヒロキの持つ剣、スズメの持つ剣、双方共に業物のようだ。神々しい気配を放つ剣は、バンパイアを一刀両断する。
ヒロキの頬を黒線がかすめる。
『くっ!?』
射線の方を振り向くと、水に沈んでいた四本脚が健在であると気付かされる。水没しても稼働するということは、元からそう作られているのだろう。ニンゲンの脳を移植された四本脚は、ヒロキたち五人を囲んでいく。
――――ドドン
ところが集結し始めた四本脚の中心部に、虹色のエネルギー弾が直撃。即座に大爆発を起こした。
ヒロキは障壁を張って、衝撃波と爆風をいなす。スズメも、アイヴィーもマイアもニーナも、全員障壁で身を守った。
砲撃したのはオプシディアンだ。
四本脚の集まっていた場所に大きな穴が空いて、相当数が今の一撃で破壊されている。
『いけるか、サラマンダー!』
『はいよっ!』
ヒロキの声で姿を現すサラマンダー。小さなトカゲは、真っ白に輝きはじめる。
遠くからアイヴィーの「マイア、ニーナ、目を塞いで」という注意が聞こえてきた途端、周囲が真っ白に染まった。
サラマンダーの放つ熱には指向性があり、味方には熱ダメージを与えず、バンパイアだけを焼き尽くしていく。その範囲は広大で、今回は遙か遠くマールアの城壁をも溶かしてゆく。
「ヒロキ、大丈夫か!」
バンパイアと四本脚を全滅させると、アイヴィーが駆け寄ってきた。そして彼女はヒロキにヒュギエイアの水をぶっ掛ける。
「あ、ああ、平気だ。それと助かったよ。今回はマジでヤバかった」
また魔力の枯渇で意識を失いそうになっていたヒロキは、ヒュギエイアの水で持ち直す。そこにスズメも駆け寄ってきた。
「ヒロキっ!!」
スズメは思いっきり踏み切ってジャンプし、ヒロキの胸に飛び込む。助かったことへの安堵なのか、その顔は晴れやかな笑顔に包まれていた。
「ちょっとあんたたち……。さっさと撤退するわよ」
黙っていれば、その場でいちゃつき始めると思ったのだろう。アイヴィーは呆れたような表情を浮かべた。
そこに駆け寄ってきたマイアとニーナ。
「集団転移魔法を使います」
「えっ、マイア何言ってるの?」
マイアの言葉に驚くアイヴィー。集団転移魔法なんて高度な魔法は、なかなか使い手がいない。それなのに、簡単に言い放ったマイアをみて、アイヴィーは冗談だと思ったのだろう。
「いえいえ、集団転移魔法で退却しますよ。行き先は、テッド殿下のいる旗艦でいいですよね」
「え、あ、うん」
アイヴィーは驚きで目を見開く。いつの間にそんな魔法が使えるようになったのかと。
そんなやり取りをみて、ヒロキとスズメも驚きの表情を浮かべる。
マイアの隣に立っているニーナは、さも当然だという表情だった。
「それじゃ、行きますよ」
マイアの声とともに、無詠唱の集団転移魔法が発動し、彼女たち五人は一瞬で姿がかき消えた。




