255 千年前の魔王
イーデン教の大教皇、フィオナ・レティシア・シュヴァインベッカーは、暇な時には姿を変えて冒険者ギルドの司書を務めているらしい。
俺は思わず、老婆の姿と司書の姿、どっちが本物なのか尋ねてしまった。
「どちらが本当の姿で――」
「あら、レディに失礼なことを聞くものではありませんよ」
返事は曖昧で、明らかに煙に巻こうとしている。正直に答える気はないようだ。そんなフィオナ大教皇は、気さくな声で話を続けた。
「とにかくおかけになってください」
俺たちはおとなしく従った。その言葉に逆らってはいけないような気がした。彼女の纏う神聖な雰囲気は、女神アスクレピウスと似ている。彼女が本物の大教皇だというのは間違いないだろう。護衛がいないのは、返り討ちにするだけの自信があるからだろうか。
この地下室は、壁に取り付けられた無数の魔石ランプが柔らかな光を放ち、幻想的な雰囲気を醸し出していた。本棚の数が非常に多く、本の匂いが漂う図書館のようだ。壁には初めて見る古代文字や未知の魔法陣が刻まれており、魔法的な何かで守られていることが分かる。
魔法陣にクロノスが反応しないので、俺が知る価値はないのだろう。
「あたしはヘレナ・クイントス! イーデン教の巫女やってるのっ!」
ちんまり可愛らしいヘレナの自己紹介が終わると、俺の膝によじ登ってきた。彼女は「よっこらしょ」と、年不相応なかけ声を上げて俺の膝に座った。振り返った顔は、なぜかドヤ顔。何でだ? 初対面なのに、こんなに懐かれるなんて、いまいち意味が分からない。
「あ、ああ、よろしくお願いします」
とはいえ彼女はイーデン教の巫女。俺は膝の上のヘレナに頭を下げて、ふたたび前を向く。そこには、老婆の姿へ戻ったフィオナ大教皇が座っている。彼女は俺たちを見回して口を開いた。
「ドワーフの医療技術は素晴らしいですね。冒険者ギルドの書庫で皆さんを滅ぼしてやろうかと思いましたが、ダンピールの四人は大丈夫。血への渇望を抑制できています」
冒険者ギルドの書庫では、そんなこと考えながら殺気を飛ばしていたのか。柔和な顔しているのに、過激な考え方をするものだ。イーデン教の大教皇だというのに。
おかげで、メリル、アイミー、ハスミン、ジェス、四人のダンピールが萎縮してしまった。彼女から放たれる圧力に耐えられなかったようだ。
「あんたが俺の仲間に手を出す前に、俺があんたを殺すけどな」
ただし、仲間を軽んじる発言は許せん。思わず言ってしまったけど、後悔はない。
「ふふっ、仲間思いなんですね」
声音は柔らかいが、目が笑ってない。机を挟んで、俺とフィオナ大教皇で睨み合いとなった。
しかしそれは長続きしなかった。フィオナ大教皇は、ふと笑みを浮かべた。
「ダンピールの冒険者は珍しいわ。特にこの国では。間違って討たれないように、これをかけてなさい」
フィオナ大教皇は、ヘレナと同じペンダントを取りだした。杖に蛇が巻き付いている意匠を凝らしたものだ。イーデン教のシンボルであり、女神アスクレピウスを信仰している証にもなるのだろう。
「は、はい」
メリルが代表して受け取った。彼女の手に、四人分のペンダントが渡される。フィオナ大教皇は、こうなることを予見して作っていたのか。
いつの間に準備したんだろう……。フィオナ大教皇が何か生成した気もしたが、魔力は動いてない。
ペンダントを渡し終わると、フィオナ大教皇は続ける。
「ところで、あなた方が調べているのは何でしょうか。スタイン王国との戦況ですか、それともデーモンとバンパイアの動きでしょうか」
直球で来たな。フィオナ大教皇は視線を移して、じっと俺を見つめる。
「どちらもです。俺たちはいま、子爵エミリア・スターダストとルイーズ・アン・ヴィスコンティを追っています。最終的には魔女マリア・フリーマンや、エリス・バークワースを倒すつもりです」
「……それは表向きの話でしょう?」
そう言ってフィオナ大教皇は俺から目を離さない。何か知っている風だけど、その何かが分からない。
「何のことですか?」
「ソータ・イタガキ様。あなたは、祖父のヒョータを探していますよね」
「……」
大教皇という高位の人物が、なぜ俺のような者のことを知っているのか。それに加えて、膝の上で鼻歌を歌いながらご機嫌な巫女、ヘレナ・クイントス。彼女もまた、俺のことを知っていると言っていた。
「そんなに警戒しないでください。ヘレナ様は、女神アスクレピウス様の神託を受ける巫女です。つまりわたくしたちは女神アスクレピウス様から、ソータ・イタガキ様のことを聞いているのですよ」
へぇ、女神アスクレピウス、けっこう口が軽いのな。
「……ふーん。で、何が言いたいんですか?」
「奥にある禁書をお見せしましょう。それを見ていただくのが一番早いです」
俺たちはフィオナ大教皇の案内で、アスクラ大聖堂の最深部へ足を運ぶことになった。
書庫の奥へ行くと、また階段があった。そこは隠蔽魔法陣で隠されていて、防御魔法陣を多重展開されて入れなくなっていた。フィオナ大教皇はおもむろにふたつの魔法陣を解除する。
するとそこに薄暗いらせん階段が現われた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
みなで階段を降りていく。随分と深い。ようやく到着した最下層でドアを開ける。
広大な空間だった。空間拡張されているのか、天井までの距離がおかしい。
広場の中心には、アスクラ大聖堂とそっくりな建物がある。随分と古くさいな。数百年は経ってそうな建物だ。
「なにこれ……」
アイミーが怯えている。メリル、ハスミン、ジェスも同様に。
この空間に満ちる神威と、あの大聖堂の神聖な雰囲気に当てられているのだろう。
するとダンピールの四人がもらったペンダントが光を放ち始めた。
ダンピールの四人がその光に包まれる。それで落ち着いたのか、恐怖に染まった四人の顔が元に戻っていく。
「大丈夫みたいですね。では先に進みましょう」
四人の様子を窺っていたフィオナ大教皇。彼女は大聖堂へ向けて進み始めた。
俺たちは彼女に続き、重々しい扉を開く。その先に広がっていたのは、本で溢れかえった部屋だった。本棚、机、椅子、棚、箱、袋、壺、瓶、壁、天井、床――すべてが本で埋め尽くされている。これはもはや本好きを超え、本マニア、いや、本フェチ、あるいは本オタクとでも言うべき状態だ。
「ここは何ですか?」
俺は驚きを隠せなかった。こんなに本があるなんて、一生かかっても読み切れないだろう。
「ここは禁書庫です。イーデン教が歴代で集めた禁断の知識が詰まった本があります」
フィオナ大教皇は平然と答え、本棚から一冊の本を取り出した。
「これはあなたが見るべき禁書です」
「っ……!」
手渡されて俺は思わず息を呑んだ。その本の黒い表紙に、赤い文字で『魔王ヒョータ・イタガキ』と書かれていた。もちろん、こっちの文字で。時間遅延魔法陣がたくさん描かれているので、あまり痛んでいない。
「これは……?」
声を震わせながら尋ねる。
「それは千年以上昔の本です。内容はあなたの祖父、ヒョータ・イタガキ様の伝記です。彼はこの世界で最も偉大な魔王であり、最も恐ろしい敵でした」
フィオナ大教皇は何を言い出すんだ? 千年も前ってどういう事よ?
「魔王ヒョータ・イタガキは、数々の国や種族を滅ぼし、世界を混沌に陥れました。そして最後に、女神アスクレピウス様と戦い、敗れました。その後の消息は誰も知りませんでしたが、しかし……、彼は帰ってきました」
フィオナ大教皇は俺の手から本を慎重に取り、古びた表紙をそっと開いた。ページからは、かすかに埃っぽい匂いが漂う。
その本には、じーちゃんの生涯が詳細に書かれていた。彼がどこで生まれ、どうやって魔王になり、どんな戦いを繰り広げたか。そして、どんな理由で女神と対立したか。
俺はその本を読み進めるうちに、じーちゃんのことを少しずつ理解していく。彼は魔王と呼ばれていたが、決して邪悪な存在ではなかった。自分の信念と理想のために戦い、仲間や家族を大切にしていた。そして、憎むべき敵や対立者にも敬意を払っていた。
じーちゃんは女神アスクレピウスと戦ったが、それは女神が悪いからではない。女神とじーちゃんが違う理想を持っていたからだ。女神アスクレピウスはヒト族を中心に守り、平和と秩序を求めていた。じーちゃんはニンゲンという広い枠の種族を守り、自由と変化を求めていた。
ふたりは互いに認め合っていたが、互いに譲ることはできなかった。だから最後まで戦ったのだ。
本の最後のページには、祖父と女神の最終決戦の様子が描かれていた。二人は互角の力でぶつかり合い、世界を揺るがす衝撃波を発した。その衝撃波に巻き込まれて死んだ者も多かったという。
そして、じーちゃんは消えた。
この話は本当なのか……。時間遅延魔法陣が描かれていても、紙の色が変わっている。年代物だが、作りは丁寧で頑丈なもの。後世に残すため、職人が頑張ったのだろう。
メリルたちダンピールの四人は、血相を変えて他の本を漁っている。彼女たちは俺の祖父が、いま現在も生きていると知っている。しかしこの本には過去の祖父の事が書いてある。そのため、他にじーちゃんの本を探しているのだ。
「フィオナ大教皇。まず、伺いたいことがあります」
「なんでしょうか?」
フィオナ大教皇は、笑顔で返事する。その手は、そばにあるカウチへ座りなさいと合図していた。俺とフィオナ大教皇で向かい合って座る。ヘレナはまた俺の膝の上に座った。
「この禁書は随分前に書かれたものだと思いますが、なぜ俺の祖父だと思うんですか? 同姓同名って可能性もありますよね」
「そうですね。その禁書は千年以上前に書かれたものです。わたくしたちは同姓同名の可能性を疑い、ヒョータを調べさせていただきました――」
イーデン教から冒険者ギルドに依頼を出し、ヒョータを探ってもらったらしい。そしてヒョータと魔王は、同一人物と断定された。
禁書に描いてある挿絵は、俺の知るじーちゃんと同じ顔だ。
頭の中で情報が渦を巻き、現実感が薄れていく。これは、まさに混乱の極みだ。
異世界の魔王は俺のじーちゃんで、千年も前に女神アスクレピウスと戦っていた? さすがに信じられない。アスクレピウスもじーちゃんも、そんな事ひと言も言ってないし。
――――まさか、隠していたとか?
「信じられない。そう言いたげな顔ですね……。しかしこれは事実です。つい最近になってようやく確証が持てました」
「何をもって確証を得たのでしょうか?」
「本人に聞いたそうです。冒険者アキラ・イマイズミが」
「はあ? 何でアキラさんが――」
いや、アキラ・イマイズミはリーナ・セリリアンと共にデレノア王国から姿を消している。行き先は不明。彼のことだ、路銀を稼ぐついでに、サンルカル王国の依頼を受けた可能性も十分にある。
そんな流れで、アキラはおれのじーちゃんと接触し「あんたは魔王ヒョータ・イタガキか?」と聞いたってことか。十分にありうるな。そして、アキラの情報なら信頼できる。
目の前が暗くなった気がした。落ち込んだからではない。
笑いを堪えるのに必死だった。幼い頃から見てきたじーちゃんの中二病的な言動が、走馬灯のように蘇ってくる。驚きと共に、一種の滑稽さも感じる。まさか、あの奇妙な言動の数々が、実は真実を隠していたなんて!
「ぶっ……」
ヤッベ、我慢できなかった。いやいや。笑ってる場合じゃない。
「アキラ・イマイズミの報告だと、ヒョータはスタイン王国で活動しています」
「つまり、この国の敵国側にいるってことですね」
「そうです。ただし、ヒョータの動きは、その禁書に書かれているものとは随分異なっております。今世では彼の行動に一貫性がありません」
今世? 転生でもしたって言いたいのか?
「というと?」
「記載されている魔王ヒョータ・イタガキは、変わらずニンゲンの味方をしているようですが、それとは別に、魔術結社実在する死神の手先として動いています」
「そう見えるのも無理はないですね。でも、俺のじーちゃんは色々と脅されているみたいなんです。そんな状況だから、仕方なくそういう行動を取らざるを得ないんじゃないでしょうか」
「魔王ヒョータ・イタガキが、魔女ごときに従うとでも……?」
「……なにか考えがあるんですよ」
「それは何でしょうか?」
「……分からないです」
「なるほど。アキラ・イマイズミの報告には、こう書かれていました――ヒョータは、ソータと会いたがっていると」
「でしょうね……。じーちゃんと最後に会ってからずいぶん経ってますし」
「あなたの行き先は、スタイン王国の王都ランダルです。それとサンルカル王国との国境に近く、戦争の最前線はマールアという街です。そこではあなたの同輩が戦っています」
「ヒロキたちがいるのは知ってました。大教皇様は、俺に王都ランダルへ行けと?」
俺の問いにフィオナ大教皇は笑顔で頷いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺たちはバンダースナッチに乗り込み、一路スタイン王国へと向かった。前線の街マールアの位置はよく分からないので、宇宙空間に飛び出すような無茶な航行はしなかった。
夜通し探し回った末、ようやくそれらしき街を発見した。サンルカル王国の北側に広がる平原は、無数の爆撃痕で穴だらけになっていた。戦争の傷跡が生々しく残る光景に、全員が言葉を失う。その平原は月明かりに照らされ、何とも神秘的な雰囲気を醸し出していた。
東の空は薄明るくなっている。早めにどこかへ着陸したいところだが。
「バンダースナッチは、スタイン王国の敵として登録されてるみたいっす」
管制通信を聞きながら、リアムは悔しげに言った。
「となると、上空で待機だな」
ミッシーはリアムを突き放すように言った。
「だな。俺も同意見。あと、ファーギもバンダースナッチで待機な」
俺も冷たく言い放つ。このふたりには反省してもらわねば。
というのも、ファーギとリアムの行なったバンダースナッチの改造が、度を超えていたからだ。
「神威結晶で加圧魔石砲を作るなんて...。あれじゃ国ごと消し飛ばせるレベルの破壊力ですよ。常軌を逸してます」
マイアの声は氷のように冷たく、その瞳には怒りの炎が燃えている。一線を越えた行為への非難が、その言葉の一つ一つに込められていた。
俺は神威結晶で大量破壊兵器を作るなと何度も念を押していたのに、ファーギとリアムのふたりは一線を越えた兵器を作ってしまった。裏切られたような怒りと、仲間への失望感が胸の中で渦巻く。実験もまだなので使えないと言い訳していたが、そんな事はどうでもいいし、そこじゃないんだよな。
俺は立ち上がって宣言した。
「ふたりとも今回は待機だ。反省する時間をたっぷり取ってもらおう。さて、俺たち残りのメンバーは夜が明ける前に降下する。準備はいいか?」
ミッシー、マイア、ニーナの三人。メリル、アイミー、ハスミン、ジェスの四人。それと俺。三つに分れて行動する。
そうなったのは、仲間たちが俺の個人的な事情を優先してくれたからだ。
俺の目的は明確だ。じーちゃんを探し出すこと。魔王だという話は、正直まだ完全には飲み込めていない。あの古びた禁書に描かれていた挿絵が、じーちゃんそっくりだったとしても、現実感が薄い。それでも、真実を自分の目で確かめなければならない。
ミッシーたち三人は、サンルカル王国軍と合流して戦況の把握。それに加え、修道騎士団クインテットの支援も行なう。
メリルたち四人のダンピールは前線の街マールアへ潜入し、子爵エミリア・スターダストを見つけて滅ぼす。
俺は王都ランダルへ単独潜入だ。
これら三つのミッションをこなすことになっている。
ファーギとリアムを操縦室に残し、俺たちは後部ハッチへと移動した。その後部ハッチは、今まさに開かれようとしている。外の空気が船内に流れ込み、気圧と気温が急に下がる。
「行こうか」
俺たちは、それぞれの使命を胸に刻み、決意を新たにした。未知の危険が待ち受ける地上へと身を投じるため、深呼吸を一つして、カーゴドアから飛び降りた。




